10月になりました。退院に向かって!!

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
10月になりました。病室の窓から見える空の雲。もう下記の雲になっています。病室にいると季節の移り変わりが空と、雲、そして外の景色でしかわかりません。朝夕は涼しくなってきているのでしょうか?
さて現在の私の状態ですが、今回が悪性リンパ腫に対しての最後の治療となる「自家血幹移植」のために9月1日から入院しています。今回はクリーンルームからのスタートになりました。治療が始まると、この部屋から一切外に出ることはできなくなります。
いよいよ、9月7日から移植前処置が始まりました。今回移植前処置に使った抗がん剤はブスルフェクスとリサイオという抗がん剤です。ブスルフェクス2日間投与、続いてリサイオの2日間投与の4日間行いました。やはり、今回はこれまでよりも強く副作用が出ました。リサイオ2回目投与後の夜から、嘔気、嘔吐が続きました。食べたものだけでなく、水分を摂っても直ぐに嘔吐してしまう。そんな状態でした。ただ、これも3~4日ほど経つとだんだん改善してきました。ただなかなか、以前の様な食欲は出てきませんでした。
自家血幹移植は9月14日に行いました。前回の地固療法の際に採取して保存してあった増加継幹細胞を輸血のように自分の体に戻していきます。
移植後も白血球の数はぐんぐん減り、9月18日の段階では200/μl(正常3300~8600/μl)、9月20日には100/μlまで減少し、骨髄は一旦「死」の状態になりました。後はそこに移植した造血幹細胞が生着し、白血球やそのほかの血球を増やしてくれるのを、ただ待つだけになりました。
移植前より熱が出始め、発熱性好中球減少症に準じて抗生剤を内服から点滴へ変更するなど対処。口唇(疲れた時などに良くできていた部分)に、ヘルペスらしく皮疹が出てきたのでヘルペスに対しての治療など、行っていきました。
9月22日の段階でもまだ白血球は100/μlのままでした。
このころは頻回の下痢にも悩まされていました。出てくれるのはいいのですが、やっぱりお尻が痛い。なかなか自分で診察することはできませんね。
自家血幹移植後10日目、9月24日の血液の検査で、白血球が2000/μlに増加、好中球も76.6%と増加してきました。その後も9月26日には白血球7300/μl、9月29日には8300/μlと増加。これをもって9月24日が生着日となりました。
血小板の一時1.4万/μl(正常15.8万~34.8万/μlにまで低下、これに対しては血小板輸血を行いました。生着後は白血球と同じように増加し、9月29日には19.3万/μlに増加しました。
生着し、白血球も血小板も増え、正常値になったのですが、やはり移植、生着、造血といった物凄いことが体の中に起きているせいか、熱がなかなか下がりませんでした。ようやく昨日から平熱に戻り、11日間で続けていた熱もようやく落ち着きました。
これまでお話ししたような経過をたどって今日まで来ました。
後は明日の月曜日の血液検査の結果を見て、いよいよ退院の日が決まります。もう直ぐです。
さて、退院後ですが、10月、11月はこの約半年間に渡っての治療で随分落ちてしまった体力をアップするためにしばらく自宅療養と外来通院をしたいと思っています。そして12月に入ったら、渡邉医院の再開に向けての準備を行い、できれば来年1月から「シン・渡邉医院」を再開したいと思っています。
長い間、本当にご迷惑をおかけしてきました。でも私の周りにいる皆さんが私に力を与えてくれて、支えて下さっているんだということをしっかり感じることが出来ました。
渡邉医院の再開まではもう少し先になりますが、もう現実として見えてきています。
これからも、温かく見守り、支えて下さいね。よろしくお願いいたします。
2022年10月2日
渡邉医院 渡邉賢治
内痔核術後1か月、お腹が張って、おならも多い。

こんにちは、渡邉医院の渡邉です。
今回は、同じ悩みで悩んで、苦しんでおられる患者さんが多いのではないかと思う相談があったのでそのことについてお話ししたいと思います。
相談の内容は次のようなものでした。
1か月前に内痔核の手術をした後、未だにおならの溜まり方が多く、お腹が張る。歩いていてもおならが出てしまう。内痔核の手術後にこのような症状が出ることがあるのか?という質問でした。
内痔核の手術をしていなくても、お腹が張って、おならが溜まる。とても辛い症状です。
今回、私も自家血幹移植の前の移植前処置での抗がん剤の副作用で頻回の下痢をしました。便がしたくなって下痢が出てもスッキリしない、まだ残った感じがする。もう一回トイレに行くと少ししか出ない。これを繰り返していました。下痢は治まってもどうしてもいつも便がしたいような気持になる。お腹がスッキリしないといった症状がでて、ようやく落ち着いてきたところです。
さて、今回の質問に関して、結論から言うとそういうことはあります。私が考えるに三つのパターンあると思います。このことに関しては後からお話しします。
まずは、肛門はただ便やおならが通る出口です。肛門の具合が悪いからと言ってお腹の調子が悪くなることは本来ないと思います。やはり、便秘や下痢など排便の状態が悪いなどの原因があれば、それを治すのが大切だと思います。今後、内痔核が再発しないためにも術後とても必要なことです。このことがまずは大前提です。
さて本題に戻ります。今回の症状が出る理由には三つあると思います。
まず一つ目は、内痔核の術後に肛門の狭窄ができた場合です。
排便をする時にどのように便が出るのかというと、ただただ肛門が広がって便が出るわけではありません。排便時に頑張ることを「怒責」と言いますが、怒責すると肛門の中の肛門上皮の部分が外に出るようにして便が出ます。このことを「脱肛」と言います。人間は、具合よく脱肛しながら便が出ます。
肛門狭窄が起きると、この脱肛がし難くなります。ただ肛門が広がって出るといった具合になってしまいます。そうすると、排便しても細い便しか出なかったり、スッキリで出きらないことがあります。そうするとお腹が張ったり、おならが多くなったりします。
このように、肛門が狭窄してしまった場合、指やブジ―と言って棒のような肛門を広げる器械があります。それで狭くなった肛門を広げる処置をしたり、場合によっては肛門を広げる手術が必要になることがあります。
も一つが傷の硬さです。どんな傷でも傷がふさがった時は硬いです。だんだん時間が経つとともに柔らかくなって治っていきます。肛門の手術も同じです。どうしても傷が治ってもその硬さが残ります。ただ、この硬さも同じように徐々に柔らかくなって治っていきます。
やはりこの硬さも先ほどお話しした肛門狭窄同様に、排便時に脱肛し難くなります。その結果、お腹が張ったり、おならが多くなったりします。ですから、傷がふさがった=治ったではありません。段々柔らかくなって治っていきます。術後1か月、まだ傷の硬さが残っている時期です。3か月~6カ月程度で柔らかくなっていきます。この場合は、排便を整えて経過を診ていきます。
さて最後は内痔核の術後の排便時の痛みです。
どうしても肛門の手術をすると、特に内痔核は排便時の痛みが伴います。排便時の痛みがあると一回でスッキリ出すことが出来にくくなることもあります。また、排便時の出血も気になります。そうするとどうしても排便の状態が悪くなってしまうことがあります。
ただこの場合は、肛門が狭いといった状態ではないので、お腹の調子を良くしてあげればいいということになります。
便秘なら便秘を下痢なら下痢を治すことも大事です。整腸剤を飲んでみたり、食事ではヨーグルトや発酵食品など腸内の環境を良くする食品を摂るなど工夫してみて下さい。食物繊維も大切ですが、食物繊維だけだと頑固な便秘になるので水分もしっかり摂って下さいね。
最後になりますが、お腹が張ったり、おならが多い原因に、食事のスピードが速いということがあります。急いでご飯を食べるとどうしても空気を飲み込む量も増えます。ゆっくり、のんびり食事を摂ってみて下さい。ゆっくり食べることでダイエットにもなります。
また、多くの方が同じような悩みをされているだろう相談があれば、そのことについてお話ししますね。
頻回の下痢、硬い便でお尻が痛い!

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
9月14日に移植した造血幹細胞が移植後10日目の9月24日に生着しました。これで生着するかどうか心配する必要がなくなり、後は白血球をはじめとする血球が増えていくのを待つだけになりました。
まだまだ、移植前処置での抗がん剤の影響は残っています。まだお腹の調子が本調子でないこと。また唾液の分泌が減るようで、口腔内が乾燥して殻から。食事をするときも少し飲み込みにくい感じがあります。まあ、次第に改善して治っていくと思っています。
さて今回、移植後10日目という比較的早い時期に生着した要因として、私は次のようなことを考えています。
1.自家血幹移植までに行ってきた抗がん剤による治療のダメージが少なかったこと。
2.接種した造血幹細胞が元気で、十分な量を採取できたこと。
3.移植時に7×10の6乗の造血幹細胞が使えたこと。
4.体自身が頑張ってくれたこと。
この4つが要因ではないかと考えています。また自分の造血幹細胞を移植する自家血幹移植だったことが一番だと思います。感じとしては、完全に抑制が来た骨髄。造血幹細胞の移殖で、「お帰り!待っていたよ!後は任せたからよろしく!しっかりフォローするからね!」といった感じです。
一応生着しましたが、まだまだ気を緩めず頑張っていきたいと思います。
さて、今回はもう一つ。これからお話しする内容は、今回の移植前処置の際に頻回の下痢をして肛門だけでなく、肛門周囲も痛くなった経験した内容です。医学的にしっかり検証したわけではないので間違っているかもしれませんがお話しします。
便秘で肛門が切れる裂肛という病気があります。裂肛は便秘だけでなく、下痢でも起きます。下痢をしてお尻が痛いとなればまずは裂肛を考えます。また、頻回の下痢などで、血栓が詰まってしまったり、血栓が詰まらなくても、皮下出血を肛門の周囲に作って受診される方もいます。また、硬い便が出なくて、頑張って頑張ってやっと出てお尻が痛いという患者さんの診察をすると、肛門内に小さな血栓が多数詰まっている患者さんいます。
このように頻回の下痢や硬便で何回も何回も怒責を繰り返すことで裂肛や場所は様々ですが血栓が詰まることがあります。ただ、今回の経験では、これだけではないと思っています。
今回、私は抗がん剤の副作用もあって、頻回の下痢が続きました。さらに常に便がしたい感じがあって、トイレで座って頑張っても出ないということまりました。ですから何とかこの回でスッキリ出し切りたいという気持ちから、強い力みを繰り返しました。
その結果、肛門が痛くなりました。
裂肛の痛みもありましたが、それとは別に肛門から少し離れた部分、座った時に当たる部分に痛みが出ました。
肛門上皮が避ける裂肛ではなく、外肛門括約筋及びその外側の部分が痛みました。常に痛みがあるのですが、特に立ったり座ったりしても痛みがあったり、便がしたくなると痛みが出たり。そんな症状でした。
排便時に怒責(排便時に頑張ること)すると、肛門は外に出るような感じになります。これを脱肛と言います。人間具合よく脱肛して具合よく便が出ます。排便が終わり怒責を止めると、脱肛はもとの状態に戻ります。
やはり、この際に強い怒責をすることで、脱肛状態が強くなる。さらに腹圧をかけて便を出そうとすると、相当な圧力が肛門の内外肛門括約筋などにかかると思います。
その際に、筋肉がダメージを受ける。このダメージが常に痛みがあり、立ったり座ったりする際の痛みになったり、また便意がきた時の痛みになるのかなあと思います。またそのダメージを受けた部分が座ったりしたときに痛みが出たりするのかなあと思います。
私の場合は、前後がそんな感じの症状で、特に前方が痛かったです。
1週間ぐらい経つと、痛みは軽減してきています。特に何の処置をしなくても治っていくと思います。現在も軟膏や座薬等は使っていません。
私が経験したように、頻回の下痢でそのたび強い怒責をしたり、硬い便をやっとのおもいで出したりした場合、裂肛や血栓が詰まるだけでなく、筋肉のダメージも受けるのだろうと思います。
このことに関してまた調べておきます。
自分の体に感謝!

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
前回は動画で「癒しの旅」という題で食事に行ったお店の絵を紹介しました。
前回の地固療法が終わり、今回の自家血幹移植を行うまでの間、いつもは1週間程度の一時退院でしたが、3週間ありました。
毎回退院すると、本当に体力が落ちていて、家に帰ると2階へ行く階段を登るだけでも「ハアハア、ゼイゼイ」となってしまいます。毎回の退院時はその落ちてしまった体力をある程度元の状態に戻すように頑張っていました。
毎朝、約2時間程度のウォーキングをしたり、お風呂の掃除や洗濯、また買い物などにも行っていました。ある程度体力が戻り入院すると、また振り出しに戻ることになっていました。でもこうした退院時の体力アップがこれまでの治療を順調にしてきた要因ではないかなあと思っています。
そこで、今回の自家血幹移植に向けての入院は3週間ありました。いつも以上に体力アップができました。
一番体力が戻って来たなあと実感するのは、地下鉄の階段を登るときです。結構京都の地下鉄の階段上るのはしんどいですね。始めのうちは登りきると「ハアハア、ゼイゼイ」呼吸を整えるのに時間がかかっていました。ウォーキングのコースに地下鉄の階段を入れていたのですが、後半になると息が整うのにかかる時間が短くなってきました。
ある程度体力もアップしたので、一度心身ともに癒されようと思い、今回の温泉旅行になりました。
いつもは、まかせっきりの私ですが、今回は温泉宿を決め、言った当日の夕食と次の日のお昼ご飯を食べるお店をネットで検索して、「ここは良さそう。」と感じたお店を予約しました。
そんな経過で行ったお店が今回動画で紹介したお店でした。
外観はお洒落で、若者向きのお店なのかなあと入ってみると、こじんまりとして、とてもいい雰囲気のお店でした。料理も美味しく「当たり。」でした。私は今アルコールを一切飲んでいないのでノンアルコールで、妻はワインで乾杯。今ここにいて楽しい一時を過ごせることに感謝しました。
さて目的の体の癒しのための温泉。宿泊施設内にも温泉があるのですが、それに併設された色んな湯が楽しめる施設がありました。
1日目は縮把握施設内の温泉に、チャックインしてすぐと、夕食後、そして次の日の朝と3回入りました。やっぱり広い浴場でゆっくり温まる。本当に癒されます。
2日目は、朝から併設された温泉に行ってきました。
いろんな湯があり、五右衛門風呂などもあり、のんびりゆっくり心身ともに癒しました。
入浴しているときは、思わず自分の体に「良くここまで頑張ってくれたね。あともう一息。一緒に頑張ろう。」と声を掛けました。
悪性リンパ腫の治療、基本的に腎機能、肝機能が正常であってこその治療だと思います。また、寛解導入までの治療では、できるだけ骨髄に抑制が来ないようにするために尿量を増やして排泄を促す。腎臓が活躍してくれました。また骨髄も頑張ってくれたので、骨髄抑制もなく、最小限のダメージで終わりました。
地固療法では骨髄抑制を起こして、骨髄が回復する際に出てくる造血幹細胞を採取するため白血球や血小板もぐっと減りました。この時は骨髄が頑張ってくれて正常まで戻してくれました。
肛門科的にはやはり排便に関してです。これも酸化マグネシウムなどの助けを借りましたが、頑固な便秘等もなく、順調でした。やはり腸内細菌に感謝です。腸内の環境を整えてくれたおかげだと思っています。しっかり食物繊維を摂って善玉の腸内細菌を増やしてあげなければならないと思います。
自分の体の一つ一つの臓器ですが、それぞれが力を合わせて治療に頑張ってくれているのだと感じます。
こんなことを想いながら温泉につかっていると、汗だけでなく、涙も出てきました。
さて、9月18日日曜日の血液検査で白血球は200まで減少しました。明日20日にも血液検査を行います。おそらくさらに減少しているのではないかと思います。
今日から白血球を増やすG-CSF(顆粒球コロニー形成刺激因子製剤)の投与を始めました。早く、しっかりと造血幹細胞が生着して白血球をはじめとする血球を、どんどん造っていって欲しいです。
今週末には生着して欲しいなあと思います。
渡邉家の食育

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
大型の強い台風14号が近づいてきています。京都は病室の窓から見る分には、曇ってはいますが、まだまだ雨、風は大丈夫なようです。19日月曜日の午後から20日にかけて京都に最接近するとのことです。どの地域にも台風による被害がないことを祈るばかりです。
私の方も9月14日に「自家血幹移植」を行い今のところは順調に来ています。今日の血液の検査で白血球は200/μlまで減少しました。これから移植した造血幹細胞が生着して、白血球をはじめとする血球を造りだしていくのを待つだけです。白血球も200/μl、好中球も6%。白血球特に好中球が増えてくるまで感染症には注意していかなければなりません。
こういった治療を通じて、節目節目にいろんな思いが頭に浮かんできます。
今回の自家血幹移植が終わった後は、これまでの治療に、肉体的にも精神的にも耐えることができるように育ててくれた母に対して「ありがとう。」と感謝の気持ちが湧き出ました。なぜか治療を通じて涙もろくなってしまい、思わず涙が溢れ出しました。止めようとすればするほど溢れてくる。そんな状況でした。
以前、「情操教育」に関してのブログで母の教育に関しての姿勢を少し紹介しました。
今回の治療に関して母の教育が実っていると感じたのは食事のことです。
移植前治療が終わった当日から2日間は、嘔気や嘔吐でほとんど食事が摂れない状態でした。ただ、それを過ぎると食べれるようになり、病院食をしっかり食べれるようになりました。
作って下さった食事、目の前にある食事は押しく食べると育てられた気がします。
実家にいたころの食事に関して少しお話ししますね。
渡邉家はほとんど外食をしませんでした。それは外食が嫌いだったというわけではなく、父方の祖父と一緒に暮らしていたこともあります。祖父はほとんど外食はしない人でした。
母が毎日、美味しい料理を作ってくれていました。たまに手伝ったりはしていました。
祖父が長男だったので、何か事があれば実家に渡邉家の親戚一同集まって食事をしていたといった印象です。
父はいろんな方を自宅に招くのが好きで、自宅での母の手料理の宴会が多かった気がします。
父はいろんな方を呼んで飲んだり食べたりすることが好きだったようです。ただ、楽しくしゃべった後、ある程度時間が経つと、「明日のことがあるから、もう休みます。」とさっさと一人でその場を離れてしまうことが多く、いつも母が最期まで付き合っていました。
何となくその頃は、「なんか変な家。」と感じていたと思います。でもこのことが、いろんな方と楽しく食事をしながら話をしたり、この時間で自分の知らない世界の方々の話を聞くことができたのも、私にとってはとても有意義だったんだと思います。宴会後、一人でかたずけている母を手伝うこともありました。
また、こんなこともありました。
私がまだ小学校の頃、山梨県の甲府市にいた頃です。
母がカレーを作ってくれた時です。食べているときに、まだ十分に溶けていない固形のルーを口に入れた時、「うえ~。」と言ってスプーンでルーを取り出した時です。いきなり父は私の首元の服をつかみ一番奥の部屋まで引きずっていきました。私としては何が起きたかわかりませんでした。父は部屋に引きずり込んで、「一生懸命お母さんが作ってくれたカレー。うえ~とはなんだ!」と怒鳴り、反省文を書かされました。
チョットやり過ぎ感はありますが、父は「一生懸命作って下さった食事は、美味しくしっかり食べろ。」と言いたかったのかもしれません。
これが要因かはわかりませんが、そんなこともあって、救命救急センターに勤務していたころ、いつ患者さんが搬送されるかわかりません。食事も食べれるときに食べておくといった感じです。また緊急対応で冷え切ってしまった食事や伸びきったラーメンもそう苦も無く食べれるようになっていました。いいのか悪いのかわかりませんが、食事に関してはたくましくなったと思います。
また、こんなこともありました。私が大学生になったばかりの頃?高校生の頃?でしたか、東京で結婚式があるとのことで両親が東京に来ました。私には妹がいるのですが、家族みんなで結婚式があるホテルで宿泊することになりました。
父と母は、結婚式での披露宴で夕食が出ますが、私たち兄妹二人は自分たちの夕食を考えなければなりません。そんな時、父が「臆することはないぞ。ホテルのレストランどこでもいいから好きなものを食べてこい!堂々としていろ。」と。
そういわれても私が高校生だと妹は中学生。二人きりでホテルのレストランで好きなものを食べてこいとの指示。高級なホテルのレストラン。緊張しながらも美味しい食事をいただきました。その食事で印象的で今も覚えているのが、妹が「マッシュルームサラダを食べてみたい。」というので頼んでみました。予想としてはいろんな野菜の中にマッシュルームがたくさん入っているのかなあと思っていたのですが、きたマッシュルームサラダは、マッシュルームだけ、そこに美味しいドレッシングがかけてある。そんなサラダでした。思わず二人目を合わせたと思います。
こんな経験で、意外と度胸はついたと思います。
今日はなんかとりとめもなそして長い話を綴ってしまいました。良ければ読み流して下さい。
便秘ネットフォーラム「こどもの便秘を考える~知っておきたい3つのポイント~」に参加しての報告

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
昨日、無事「自家血幹移植」が終了して1日目です。特に変わりなく順調に進んでいます。
今朝、血液検査をしました。昨日移植したから白血球が増えてくるというわけではありません。今週末にかけてグッと白血球は減ってくると思います。そして、来週末頃、移植した造血幹細胞が生着し、白血球などの血球を増やすようになると思います。
さて、今回は昨日「便秘ネットフォーラム」にWEBで参加したので、その報告をしたいと思います。
今回のテーマは、「こどもの便秘を考える~知っておきたい3つのポイント~」でした。
まず診察に当たっての3つのポイントを示されました。
- ① 治療を必要とする患児を見逃さないこと。
- ② 便秘の悪循環に関して理解してもらうこと。
- ③ 便塊除去を適切に行うこと。
この3つを挙げられました。
- ①に関しては、下着が常に汚れているなどの症状が有る場合、便塊が詰まってしまってる
ことがあります。詰まっている脇を軟便がだらだら出て、頻回に下着が汚れてしまうなどの症状です。スッキリ気持ちよく出ているかどうか診断し、早期に治療を開始していくことが大切とのことでした。
②に関しては、排便時に硬い便が出ると痛い、切れてしまって痛みや出血をする。そうすると、今度は便をするのが嫌になってしまいます。そしてさらに硬便、便秘となって排便時に痛む。こういった悪循環に至ってしまうことがあるので、それを早く断ち切る治療が必要となってきます。
③の便塊除去を適切に行うに関しては、以前快便の秘訣でお話ししましたが、直腸に便塊が詰まってしまうと、直腸だけでなく、大腸全体に便塊が詰まってしまいます。又、直腸に便が残ったままだと、便がしたいという便意がなくなってしまいます。これも便秘の悪循環ですし、勝手に便が出てしまう原因になります。ですから直腸に詰まった便塊を浣腸等で出した後、まだ大腸に残っている便がスッキリで切っているかを確認する必要があります。
またお父さん、お母さんには、お子さんの排便状況を把握して欲しいとのことでした。例えばこんなことを講師は話されました。「うちの子供は、家では便は出ませんが、保育園で出ているとばかり思っていました。」ということです。
さて、子供が排便を我慢する原因には次のようなものがあります。排便時に痛みがある、切れる。また、意識的に排便を我慢するなどだそうです。意識的に我慢している際の姿勢があり、足をクロスさせて我慢するのが我慢姿勢だそうです。
さて、治療ですが、まずは詰まっている便塊をスッキリ出し切ることが大切です。場合によっては毎日浣腸をしてスッキリ出るようにするなどです。やはり先ほども言いましたが、不完全な便塊の排泄はダメで、溜まっている便はすべて出すが原則とのことでした。
さて、子供への薬物療法ですが、モビコールというお薬が2歳以上の小児にも使えます。
モビコールはポリエチレングリコール(PEG)製剤(便秘症改善薬) に分類されます。 ポリエチレングリコール(PEG)製剤(便秘症改善薬)とは、ポリエチレングリコール(PEG)の浸透圧により腸管内の水分量を増加させ、便中の水分の量を増加させることによって便を柔らかくして、便の容積の増大させることで蠕動運動を亢進させ排便を促すお薬です。
飲み方は、モビコールをみずに溶かして飲みます。ですから子供も飲みやすいのではないでしょうか?
ただ、お薬をしっかり飲み続けることができるかどうかが重要になってきます。
やはり便秘を治すことは根気がいります。焦らず時間をかけて治していかなければなりません。ですから、このお薬を飲み続けられるかどうかは大事です。
講師にこんな質問がありました。「下剤の止め時は?」です。
この下剤を止める時期はとても難しいとおっしゃっていました。下剤を内服しているから便が出ているのか?便秘が治って出ているのか?の判断が難しいです。
ですから、まずは長期間の治療が必要であることをお話しした後、下剤の中止はせず、調子が良ければ少し減らし、調子が悪ければ増やすといったことを繰り返す。とのことでした。
やはり排便時に硬便が出て痛かったのが、柔らかくて痛みのない排便ができるようになる。この好循環に持っていければ便秘は良くなると思います。
子どもの便秘症、かかりつけの先生などに相談してみて下さいね。
「自家血幹移植」終了!

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今日、最終目標であった「自家血幹移植」が終わりました。
移植前後、移植中も特に体の変化はなく、無事終了しました。
今回、移植前処置としてブスルフェクスとリサイオを使用しました。これまでの治療期間ではあまり強い副作用もなく順調に進んでいました。
今回の移殖前処置に関しては、ある程度副作用が出るのを覚悟して臨みました。できれば何もなく住んで欲しいと願いましたが。
いずれの抗がん剤も胃腸障害の副作用が高頻度におきるとのこと。ブスルフェクスでは嘔吐71.1%、悪心68.4%、食欲不振56.1%、下痢・軟便54.5%。リサイオも嘔吐68.4%、悪心84.2%、食欲不振73.7%、下痢84.2%の発生頻度。
やはり私もその副作用が出て、ブスルフェクス2日間、リサイオ2日間が終了した土曜日夕方より、悪心が出現。翌日早朝に嘔吐。この状態が2日間続きました。3日目になると大分落ち着いて、水分と食事も少しですが摂れるようになりました。
抗がん剤による副作用、やはり、どれくらいの期間続くんだろう、いつまで頑張ればいいだろうと不安を感じます。ネットで検索してもなかなか副作用の持続期間を詳しく報告しているものはありませんでした。個人差もあってなかなか難しいかもしれませんが、どの程度の期間副作用が出るのかを調べて欲しいなあと思いました。
今回の自家血幹移植ですが、1回の自家血幹移植に必要な造血幹細胞は2.0×10の6乗/kgです。私は今72.2㎏なので、144.4×10の6乗個です。
前回の地固療法の際に十分な造血幹細胞が採取できていたので、採取した造血幹細胞2パック120mlで十分な量でした。それでも7.0×10の6乗/kgを移植しました。
造血幹細胞の移殖個数は少ないとダメですが、多すぎてもいけないとのことでした。
移植時間は、約30分。心電図モニター、パルオキシメーターを装着して、この30分間主治医と看護師さんがずっと見守って下さいました。チョット悪い気はしました。ただ、声をかけて下さるので、本当に心強かったです。
移植中は血圧の変動はなく、安定していました。すべてが終わって30分ぐらいたった時に少し血圧が高くなっていました。特に自覚症状はありませんでした。
主治医や看護師さんが部屋を出られた後、なぜか急に涙が出てきました。これまでのことを思い出してのことだと思います。血圧が高かったのも、この感情のせいかなあと思っています。
さて、最終的な完治に向けた「自家血幹移植」は今日終わりました。でもまだまだこれからです。抗がん剤等の投与はありませんが、後は移植した造血幹細胞が10日から14日間の間にしっかり定着するのを「待つ」ことが必要です。その間にまだ移植前処置の抗がん剤の影響で白血球等は減少してくるはずです。必要に応じて血小板などの輸血も必要になるかもしれません。
そして一番注意しなければならないことは「感染症」です。発熱性好中球減少症を疑わせる発熱があれば、直ぐに対応しなければなりません。
ここまで来ました。気持ちを引き締め、造血幹細胞が生着し、血球を造ってくれるようになるまで、しっかり取り組んでいきたいと思います。
最後に、病室の窓から見える日の入りをみながら、母を想う。
「本当にここまでに育ててくれてありがとう!」
明日が最後の抗がん剤投与。後は「待つ」だけ

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今、私は「自家血幹移植」に向けて、抗がん剤による移植前処置を行っています。
抗がん剤の種類は前回お話ししたように2種類です。ブスルフェクスとリサイオです。
ブスリフェクスの2日間投与は終わり、今日は最後のリサイオの1日目の投与を行いました。特に強い副作用もなく、今日は終了しました。おそらくこの調子でいくと、明日も強い副作用は出ずに治療が進んでくれるものと期待しています。
3月29日に緊急入院。その後これまで入退院を繰り返しながら悪性リンパ腫に対して抗がん剤治療を行ってきました。
当初、入院した時は「早く治さなければ!」という気持ちが前面に立っていましたが、それと同時に、抗がん剤の治療はどんなものなのだろうかという不安もありました。
抗がん剤による治療と聞くとやはり「闘病」という言葉を直ぐに思い浮かべます。自分に耐えられるのだろうかなどの不安もありました。テレビなどの映像では、抗がん剤による副作用で激しく苦悩する姿をみたり聞いたりすると、本当に不安になります。でも主治医の先生の、今何をしなければならないのか、それによるメリット、デメリット。そして今置かれている私の状況などのわかりやすい説明、一緒に治していきましょうという姿勢。また看護師さんを含むスタッフ皆さんの支えでその不安は解消されました。「なるようにしかならない。自分が頑張れるところは頑張って、任せるところは全面的に任せよう。」と、そう思うことができました。そして家族や見えないけれど私の周りにいつも見守っていて下さる皆さんが支えて下さっていると思うことが本当に力になりました。ありがとうございます。
幸いなことに、主治医を始めスタッフの方々のお力もありますが、言い方が正しいかどうかわかりませんが、私にはこれまで使ってきた抗がん剤が私の体にあっていたのか、治療の間、あまり激しい副作用はなく、本当に順調につまずくことなく、ここまで来ました。
明日が、3月29日入院してこれまでの一連の治療で最後の抗がん剤投与となります。その後は「待つ」だけです。抗がん剤の作用で、もしもまだがん細胞が残っていればそれを叩き、骨髄が抑制され一旦「骨髄が死んだ」時には、あらかじめ採取しておいた造血幹細胞を移植する。そしてその造血幹細胞が骨髄に生着しするのを「待つ」。生着した造血幹細胞が白血球、赤血球、血小板などを生み出していくのを「待つ」。
これまでの治療で学んだ「待つ」を実行するだけです。
以前にブログに書いた「風林火山」ではありませんが、しっかり準備を整えたうえで、心穏やかに林の如く静かに、そして山のように動かず「待つ」。いざこの機と判断したら烈火のごとく疾風のように治療する。そしてまたその効果、結果が出るまで「待つ」。
これまではこの一連の流れがあったようです。そうして今回がその集大成です。
「やること帳」もこの白いノートで3冊目。今感じていること、今の私の体の状況、予定等様々なことを書き留めた貴重な宝物になりました。
「自家血幹移植」にしっかり取り組み、完治して、復帰して、渡邉医院を再開することを目指して、残り僅か、でも一番の大きな山を越えていきたいと思います。