新着情報

2024.10.09

悪性リンパ腫のこれまでの経過を振り返って

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。

 「がんになったライオン」の動画や絵本を見て少し私のこれまでのことを振り返ってみました。まず病院に行ったきっかけです。妻と食事に行って帰りがけ、なんとなく遠くのものが二重に見えるような気がして、「まあ夜だからかなあ」と思っていました。次の日に朝起きてみると、周りのものが二重に見えるようになりました。病院に行って診察してもらい、頭部のMRIを撮影をしても特に異常所見はないとのこと。突発性の右動眼神経麻痺とのことで様子をみることになりました。様子を見ていたのですが、段々倦怠感が強くなり、食事も思うように摂れなくなり、座っているのも辛く、すぐに横になると言った生活が続いていました。2週間後の予定の診察日が来るまで、段々症状が強くなり、後から渡邉医院のスタッフに聞いたのですが、「いつ救急車呼ぼうかと思うほどだった。」とのことでした。診察を受ける際も、もう座っていることができずベッドに横になりました。造影のMRIで下垂体近傍に腫瘍があることが分かれいました。悪性リンパ腫が腫瘍として脳にできていました。私は「悪性リンパ腫かあ。」と思ったのですが、妻は「まだ先生はリンパ腫と言っているだけ。悪性リンパ腫とは言っていないわ。」と悪性リンパ腫を否定したかったのかもしれません。

 悪性リンパ腫と診断された際、私は正直あまり大きなショックや動揺はありませんでした。早く治さなければと思うのと、渡邉医院をどうしようかと思いました。

 入院後、悪性リンパ腫の確定診断と悪性リンパ腫のタイプをみるために脳外科的に腫瘍の政権をするかどうかを決めなければなりませんでした。眼科で左目の硝子体ないにある浮遊物を採取して、そこから悪性リンパ腫であることがわかっていたのですが、タイプまではわかりませんでした。そこで脳外科的に生検して確定診断をさらに正確なものにしようという目的でした。ただ腫瘍が入院時からのステロイドの治療で小さくなってきていて、十分に採取できるかがわからないこと、髄液漏などを起こして、悪性リンパ腫の治療が遅れることがあることなど考え生検はせずにすぐに悪性リンパ腫の治療に入ることになりました。生検の予定が明日に迫っている状況で、数時間の間で決断しなければならず、この決断が一番難しかったです。

 直ぐに悪性リンパ腫に対しての化学療法を行うために、脳外科の病棟から血液内科の病棟に移動しました。そして大量メソトレキセートを中心として他の抗がん剤も加え化学療法が始まりました。まずは化学療法を5クール行い、寛解状態になりました。そして治癒を目指すために、地固め療法そして最後に造血幹細胞移植へと進んでいきました。

 造血幹細胞移植まではライオンと同じように、「よし完治に向けて頑張ろう!」という気墓地的にはハイテンションな時期でした。

 造血幹細胞移植が終わり、退院。去年の1月から診療を開始。でも診療を開始して、忙しかったこともあって、体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。肺炎を起こし入院したり、激しい腰の痛みで入院をしました。血液検査や髄液検査、頭部MRIでも再発の所見はありませんでした。ただ全身の状態の悪化を考えると再発の可能性もあるということで、再度4クールの化学療法をしました。そして去年の12月23日に退院して、今年の1月は1ヶ月間、土日を除いて毎日放射線の全脳照射をしました。ですから去年1年間は「造血幹細胞移植して完治したと思ったのに、どうしてこんなに早く再発するの?」という気持ちが強く、気持ち的には辛い期間でした。特に去年の末は、激しい腰の痛みがあり、夜も全く眠れない。痛みと眠れないということでどんどん精神的にも落ち込んでいく。また痛み止めはほとんど効かず、麻薬を使って、少しの間は効いても直ぐに痛くなる。精神的にもおかしくなっていくのがわかりました。精神科の先生にも見てもらいました。精神科の先生は「夜寝ましょう」ということで睡眠導入剤を処方してくださいました。

激しい痛みの原因はわかりませんでした。ただ、再発の可能性もあるため、もう一度化学療法を行おうということになり、初回と同じ抗がん剤での化学療法を4クール行いました。効果があったのか痛みは取れ、夜も眠れるようになり、精神的にも落ち着いていきました。4回の抗がん剤の髄注、4クールの化学療法を行い痛みはとれ、精神的にも落ち着いてきた時に両足の痺れ麻痺が、本当に突然起きました。感覚的には、ほんの数秒のうちに、腰のあたりから明日の指先へと一気に痺れ麻痺が進みました。この突然足が痺れ麻痺がきて動かなくなる。驚きと共に、これは悪性リンパ腫の影響なのか?抗がん剤による副作用なのか?オンコビンという抗がん剤を使っていました。副作用に末梢神経障害があり、両足の麻痺は末梢神経障害なのかなど考えていました。ただもう起きてしまったので、あとはリハビリをして改善していかなければと思いました。でも神経障害、時間は相当かかるだろうなあと思いました。10月になっても少しずつ改善はしてきていますがまだまだ十分に動きません。

そして去年の12月23日に車椅子で退院しました。退院後1月からは放射線による全脳照射を土日を除いて1ヶ月間毎日行いました。若い男性のヘルパーさんに毎回付き添って頂き治療進めて行きました。その1月から、午前中の診療を始めました。診療はかなり縮小させてもらいました。診療が終わり午後から全脳照射。治療がわって自宅に帰るとあとはベッドで横になる。そんな生活を送っていました。徐々に体調も良くなってきました。退院して頃は顔面神経麻痺もあり、飲み物はストローでないと口から漏れる、食事もあまり口が開かなかったので少しずつ食べる。そんな感じでした。今から思うと、今現在本当に良くなってきたと思います。

これからも体調が良くなり、足も動くようになって、寛解状態が長く続くようであってほしいです。

とりとめもなく、思いつくまま、まとまりもなく、読みにくくなって申し訳ありません。こんな感じで10ヶ月間寛解状態で過ごしてきました。

2024.09.29

「がんになったライオン」の裏話を聴いて

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。

 9月がもうすぐ終わろうとしています。朝夕は少し涼しくなってきましたが。まだまだ日中は暑く、残暑が厳しい中体調を崩さず過ごしてられるでしょうか?

 私はどんどん体調も良くなってきています。9か月間体調が悪く診療を休むことなく過ごしてきました。自家血幹移植後、このように長い期間入院することなく生活している。我ながらすごい!と思っています。このまま寛解状態が続いてくれればと思っています。

 さて昨日、第17回京都民医連中央病院主催の地域連携の会に行ってきました。行ってみようと思ったのが、テーマが「いのちの足音をはじめて聞いた。がんに時間を奪われて」で、その第3部の特別記念講演「緩和について語るときに絵本ができること~『がんいなったライオン』の裏話~」という講演があったからです。

 というのも、facebookやXにも投稿したのですが、「がんになったライオン」という動画がYouTubeにアップされていて、その内容が私が悪性リンパ腫になって、これまでの経過中の私の気持ちにドンピシャリ当てはまっていて、その内容に「そうそう、わかるわかる、そうなんだよね。」という気持ちで動画を観ました。その「裏話」ということでとても興味を抱いて参加しました。まだまだ足が十分に動かないので、妹を誘って車椅子で連れて行ってもらいました。

 緩和ケアに関して、がんの末期気になってはじめて行うのではなく、がんと診断された早期から緩和ケアを進めていく大切さがよくわかりました。また、がんと戦っている患者さんだけでなく、その姿を見守っている家族の緩和ケアをして患者そして家族の方を含めて支えていく。慰労だけでなく、さまざまな方法で支えていく。繋がっていくこと、その関係の大切さを改めて確認することが出来ました。よければ「がんになったライオン」の動画をYouTubeでご覧ください。

2024.09.21

保険証廃止の撤回を求める!

皆さんこんにちは。保健医協会の渡邉です。渡邉医院の渡邉です。

 今回は、国が122日にも行おうとしている保険証を廃止してマイナ保険証に一本化することについての問題をお話し、保険証廃止の撤回を皆さんと共に求めていきたいと思います。

 まず、重親も根本的にマイナンバーカードは義務ではなく任意であることが大事なポイントです。マイナンバーカードを作ろうと思う方は作りたい、作りたくない方は作らなくてもいい。ですから、必ずマイナンバーカードを作らなければならないことはありません。任意のものです。その任意のマイナンバーカードを普及させようと、保険証という誰もが必要な、大切なものを人質にとって、強引に推し進めているところに問題があります。

 マイナ保険証も任意で、マイナ保険証にしたい人はマイナンバーカードに保険証を紐付けたらいいと思います。これまでの保険証でなんら問題は起きていません。なのになぜ保険証を廃止してマイナ保険証にするのでしょう。誰のための、誰の利益のために進めているのでしょう。私たち国民に関して、決して利益になるものではありません。進め方に疑問があり疑惑があります。  

さて、マイナ保険証の利用率は今年の7月の時点で11.13%です。まだまだ利用率は低く、88.87%の方は除検証を選択しています。それにもかかわらず、武見敬三厚生労働相は国会で「利用率に関係なく12月2日に保険証廃止」と言明しました。また、河野デジタル大臣は、「傷だらけになって改革を進めている」と言っていますが、本当に傷ついているのは私たちこくっ民です。勘違いしないでほしい。

このような状況の中、なぜ低迷しているのか、このまま保険証を廃止すると、どんな混乱が起きるかを考えることなく推し進めようとしています。なぜでしょう? 疑問があります。

さらに政府は、マイナ保険証の利用率を上げるため、手段を選ばず様々な方法で行なっています。

例えば、マイナ保険証の利用率が上がらないのは医療機関の責任だと医療機関にその責任を押し付け、医療機関におけるマイナ保険証の利用率をアップさせる対策として、202310月の実績と、利用人数からの増加量に応じて最大で診療所で10万円、病院では20万円を一時金として支給すること。支給の条件としては、ポスターの掲示と患者への声かけなどがあります。

二つ目としては、

あらゆるメディアを動員して、マイナ保険証の問題点は挙げずに、集中的にマイナ保険証の広報の展開に取り組んでいます。

お金を目の前にちらつかせマイナ保険証の利用率を高めようとする。このことは医師や医療従事者を本当に愚弄しているとしか思えません。また、このような手段で進めることは医師と患者との分断をさせようと企てているとしか思えません。

 

さらに、河野太郎デジタル大臣は自民党国会議員に対し、マイナ保険証の利用ができない医療機関を「密告」するよう支援者に呼びかける要請文書を配布しました。

「密告させる」、もう民主主義国家の大臣の発言とは思えません。戦時中に「非国民」の密告を奨励したことを思い起こさせる発言です。

そして、マイナ保険証の利用率低迷の原因を「医療機関の受け付けでの声かけにあると考えられる」とあたかも医療機関に責任があるがごとく公言する。さらに岸田文雄首相も国会でこのことを問題視して質問われても、「政府見解と合致し、不適切ではない」と追認してしまう。

日本はどうなってしまっているのでしょう。

 なぜ、ほとんどの国民がマイナ保険証を使わないのか。それはメリットを感じていない、必要がないと感じているからです。そして、京都府保険医協会去年が昨年12月に行った会員医療機関対象の調査では、国の総点検後も6割の医療機関でマイナ保険証をめぐるトラブルが起きており、そのトラブルを解消する対処法として87%が現行の健康保険証で資格確認を行ったとしています。いまだ現行の保険証なしでは安心して医療にかかれる環境にないことを示しています。

このようにまだまだ不十分な制度にもかかわらず強引に進め、それが進まないのを医療機関の責任に転嫁する。そして私たち医師を愚弄するかのように、目の前に金をちらつか「密告」という手段で患者との分断を図るような形で進めていく。私たち医師はこのような進め方には決して屈することはできません。

そして、皆さんと共に、政府に今の進め方に反省をを促し、健康保険証の廃止は撤回させ、これからも保険証が使えるよう求めていきます。よろしくお願いいたします。

2024.09.19

9月も半ばすぎ、自信をもっていこう

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。

もう9月も半ばを過ぎました。まだまだ暑い日が続いています。体調を崩されてはいませんか?暑さ寒さも彼岸まで。そろそろ涼しくなっていくかなあと思います。私は3年ぶりの自宅での夏。乗り越えられそうです。体調もどんどん上向き。後は足がもう少し動くなればと思います。

去年の12月23日に退院して、まず最初の目標は、息子の結婚式に行くこと。これはクリアできました。次の目標は、この暑い夏を乗り越えること。これもクリアできそうです。そして、その次の目標は、年を超え、お正月をむかえること。お正月を迎えることで、再発なく、寛解状態が1年続いたことになります。足が十分に動かなくても、1年間再発なく体調も良くなっていけば、今後に向けた大きな自信になります。やはり、この9ヶ月、いつ体調が崩れて再発するのか。今年いっぱいもつのか。などネガティブな考えが脳裏をよぎることもあります。ただこれまで着に目標をクリアしているので、この目標もクリアできると思います。もう後3ヶ月頑張り、新年を迎えたいと思います。

2024.09.07

肛門周囲膿瘍に対して切開排膿する際の麻酔の仕方

2024.09.04

9月になりました。今日は頭部MRIの検査。

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。

台風がようやく過ぎ、でもまだ台風の影響が残っているところがあるようです。今回の音台風、台風から離れたところでも甚大な被害が出てしまいました。。今回の台風で被災された方々にはお見舞い申し上げます。

さて9月になりました。3年ぶりの退院していての夏。なんとか乗り越えられそうです。

今日は悪性リンパ腫の再発がないかどうか頭部のMRIの検査に行ってきました。

私の悪性リンパ腫の初発は、脳の下垂体の近く腫瘍として発現しました。中枢原発の悪性リンパ腫でした。前回のMRIでは再発の所見はなく、今回も再発していないで欲しいいなあと思います。現在、自覚症状がないので大丈夫だと思うのですが。またもう一つ、放射線の全能照射による副作用である白質脳症が発症していないかも少し心配です。まあなるようになるです。

今日は、京都に帰ってきた妹が付き添ってくれました。検査が終わってお昼ご飯。病院の近くにあるカレー専門店カリルに行きました。今日はバターチキンカレー。美味しかったです。久しぶりの外食。外の空気が吸えて、気分転換!また明日から頑張れそうです。家の中だけにいると、気持ちが浮き沈みしてしまう。「今は寛解状態。長く続いて欲しいなあと思うけど、あとは再発を待っているだけか。」などとネガティブな思いが湧き出てくる。たまには外に出て、外の空気を吸って、鴨川や街並や、いろんな景色を見たいなあと思います。

さて、渡邉医院に関しては、診療は拡大してきました。ただまだ手術は再開していません。私自身手術はとても好きです。やりたい気持ちは本当に強いのですが、まだまだ両足が十分に動きません。緊急の時に対応できない可能性が高い。また体調のことを考えると体調の方ももう少しかなあと思います。体調が更に良くなり、充分に足が動くようになってからにしたいと思っています。申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

2024.09.03

肛門周囲膿瘍について

2024.08.17

痔瘻の手術の大切なポイント

2024.08.17

痔核硬化療法と戦争

 皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。

 現在、内痔核の治療法に痔核硬化療法があります。パオスクレ―とジオンという痔核硬化剤での痔核硬化療法です。使っている先生方は、内痔核を切除することなく治療できて、内痔核の治療法の一つとしてとても有効だと感じ使っておられると思います。

 でも痔核硬化療法が開発された要因の一つに戦争が関与しています。

 祖父が書いた原稿の中に、痔核硬化療法に関連したものがあります。そこには、 
「私は昭和204月に召集をうけ、孤島の陸軍病院に勤務した。」とあります。
 これは、昭和16年に医療関係者徴用令が発せられました。医師や看護師らが軍需工場、無医村などに強制的に勤務させる方針で、医師が軍医として戦地へ行く召集が広がっていった時期です。
 祖父の原稿はこう続いて書かれています。「戦争が激化していく中、次第に隊員で痔核で入院し加療する患者が増加してきた。しかし戦局は苛烈となり、全員手術をすれば戦力の低下を期すことを憂い、痔核硬化療法を試みたいと考えたがマグネシウムが入手できず・・・」と。そして、「入手できた第2燐酸カルシウムを用いた第2燐酸カルシウム・グリセリン懸濁液という痔核硬化剤を作り使用してみると、マグネシン注射(マグネシウム粉末をグリセリンに懸濁させた懸濁液。痔核硬化剤)同様の結果を得、患者を早期に原隊に復帰させることができた。」と。

 内痔核に対しての痔核硬化療法にも戦争の影響、戦争の影が見え隠れします。

2024.08.16

五山の送り火

 今日は五山の送り火。皆さんどのようにお過ごしですか?
 私は、自宅でWEBのライブ配信で観ました。

 去年、一昨年とこの2年は8月16日は悪性リンパ腫の治療のため病室から右の大文字の送り火を見ていました。今年は病室からではありません。ただ、まだ歩くことができないので、WEBのライブ配信で見ることになりました。でも自宅でWEBですが、病室からではなく、ゆっくりしてみることができてとても嬉しく思います。  来年はまた、歩いて五山の送り火を見たいと思います。

 なかなかお墓参りにも行けず、亡き父は何を思っているのかなあと思います。  
 父は広島の江田島ある海軍兵学校にいました。そして、原爆による悲惨な状況を目の当たりにしました。この体験もあり、生前父は「核兵器の無い、そして戦争の無い平和な世界」を望み、取り組んでいました。
 この父の意思をしっかりと受け継いでいきたいと思います。

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医院情報

院名 渡邉医院
住所 〒602-8462
京都府京都市上京区浄福寺通今出川下ル
竪亀屋町255
TEL 075-441-4303

診療時間

診療時間 日・祝
9:00~12:00

※術後の患者さんも緊急対応いたします。
※日曜日・祝日は休診です。
※△は手術日となります。
※第3土曜日は休診にさせていただきます。
※完全予約制ですので、必ずお電話して頂き、予約してからの受診をお願いいたします。
予約の電話受付は平日12:00-14:30です。