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2022.05.15

絵を描くことってー3クール目を終えてー

絵を描くことって

 「やっぱり上手だな~。私が一生懸命描いても、今のお父さんの絵に全く届かないよ。」

 「やっぱり、絵って得意不得意あるよ。ちなみに外科医って割と絵を描くの上手な人多いよ。」

 「そうなんだね。細かいところまでみたり、細かい作業がとくいなのかな?」

 「そうだね。でも絵って、お父さんが描くみたいに、細かく描くからいいてわけではないよ。自分の思いを思いっきりぶつける。そのことが絵に勢いを持たせ、その勢いに感動するから、いろんな表現があると思うよ。自分らしい自分にしか描けないものが。」

 「じゃあ、自分の絵でいいんだね。」

 「そうだよ。そっくりそのまま精密画みたいに描く必要は全然ないよ。何か伝えたいところを強調するでいいんじゃない。また、キャラクター―もそう。可愛いだけでなく、味のあるキャラクターが愛されると思うよ。だって、最初の頃のミッキーマウス、なんだこれって感じだったじゃない?でもみんなに何かを感じさせたんだよ。」

 「じゃあ、私の絵心でもなんとかなりそうだね。」

 「全然大丈夫だよ。自信もってね!『これでいいのかなあ?』と縮こまって描くよりは、『これでどうだ!』という感じで描いた方が相手にしっかり伝わると思うよ。

 「確かに!自信をもって描くわ!今度描いたら見てね。」

 「了解です!」

父と子の会話でした。

 今日はちょっと変わった始まり方をしてみました。

さて、私の治療も順調に進み3クール目が明日終わります。これまでの経過はとても順調で、主治医の先生からは「無傷で治療、進んでますね。」とそこで、「無傷の3連勝」宣言をしました。

実際、3クール目の抗がん剤投与の前にこれまでの治療効果を見るために造影のMRIを撮影しました。右側が前回のMRI、左が今回のMRIですが、中央の白い部分の上の方の白い部分ですが、明らかに縮小しています。もっと言うと消失しているといってもいいです。

 このように明らかに抗がん剤による化学療法の治療の効果が画像上でも出ています。また自分の感じる自覚症状も良くなっています。この実感も力になります。

 そんなこともあって、今回の3クール目の目標は、この入院中に1枚絵を描くでした。

 昨日から書き始めたのですが、入院前、ものが二重に見える複視、右目の動眼神経麻痺があり、しかも左目にも悪性リンパ腫の影響が出て見えにくくなり、メールなど打てる状況でなかったのに、よくまあ目標を「入院中に絵を1枚描く。」と言った無謀な目標を立てたもんだと我ながら驚いています。

 さて、今回もいつも私が絵を描く時と同じように、昨日はまずはシャーペンで大まかな下書きをした後にボールペンでさらにしっかりとした下書きを描き上げました。

 次に今日から色付けです。いつも使っているのは水彩色鉛筆です。

 まずは全体を薄い色で塗りました。引き続いて2回目の色付けです。濃いところを濃く薄いところは薄く濃淡をつけていきます。水彩色鉛筆なので、塗った後、指などで軽くこするとグラデーションが出ます。

本来なら、この後水を浸した筆でさらに色を塗っていくと水彩画のようになっていきます。

 今日はそこまでたどりつく前に暗くなってしまったので、その工程は、明日3クール目の鳥の抗がん剤、リツキサンの投与が終わってから「水彩化」したいと思います。

 一応、ほぼ完成しているので紹介しますね。

2022.05.13

治る実感が力になる!

 今、Twitterでの相談を受けています。悪性リンパ腫に対して入院して抗がん剤による化学療法を行っている真っ只中ですが、とても治療が順調で、変な表現ですが私はとても元気です。Twitterでの相談などで患者さんと繋がっていることができる。そのことが私にとってとても力になります。通常の診察とは違って、治療はできませんが時間はたっぷりあります。文章でのやり取りにはなりますが、ブログを検索してもらったり、関連した内容のYouTubeをみてもらったり。図書館、映像資料館併設渡邉医院Twitter分院といった感じで、遠慮なく何かお尻の具合で心配なこと、不安なことがあれば相談してくださいね。治療などの兼ね合いで、直ぐにお返事できないこともあると思いますが、その際はご容赦下さいね。

 さて、Twitterで、こんな質問を受けました。「抗がん剤の治療は、もっと大変だと思ってました。でも先生の投稿をみているとそんなことなさそうな感じを受けます。先生、周り人たちに心配かけないようにと無理されていませんか?」です。私も、最初はどうなるのかと思っていました。全然なんとも無いと言うと嘘になります。でも大丈夫です。周りの人たちに心配かけないように、無理して頑張っているわけではありません。本当にこれまでの3クールは抗がん剤の治療が順調に進んでいます。入院する前の方がもっと辛かった。
 おそらく、治療することによって、自分が感じる症状。その症状が実感を持って良くなっていく。この「実感!」がものすごく力になります。次はどこが良くなるのかなあと思いめぐらすことがとても楽しい。ですから、この「実感」を感じることができること、この楽しみが、抗がん剤の治療の楽しみへと繋がっていきますし。「治そう!」という力に変わっていきます。

 例えば、肛門科を受診した。出血があるのに治療をしても治まらない。やはり治っていく実感がなく不安へと変わっていきます。そんな時はもう一度、診断が正しいのか、ほかに治療をしなければならない病変が隠れていないのかを確認する必要があります。そうして治療をすることで「出血が治まった。」という「実感」も持って治療を続けて欲しい。又、出血が治まったと思って治療をやめるとまた出血。これを繰り返す。これも治ったという「実感」がありません。そんな場合は、本当に今行っている治療だけでいいのか?別の治療法を行う必要があるのではないかと顧みる必要があります。

 さらに、手術をした。医師は「もう治っている。気のせいだ。時間が解決する。」と言うが患者さんはやはり何らかの症状が残り、それが術後具合よく治っていく、または治ったという「実感」が得られない。やはり、肛門の手術。毎日患者さんが使うところ。「良くなっていかない。」。「治った感じがしない。」。「まだ傷があるような何時がする。」等、患者さんが感じる「実感」、これはとても大切なことだと思います。なぜスッキリと、具合よく治っていく「実感」を持ってもらうことができないのか。必ずそこには原因があります。私たち医師は、その原因をしっかり診断し、治していかなければなりません。そして治ってきた、治っているという「実感」を患者さん医持ってもらうことで、不安を解消でき、より良い方向へ導くことができると思います。

 私も復帰したら、今回の悪性リンパ腫の一連の治療経験を生かして、これまで以上に、患者さんに「実感を持って治っていく」、そんな治療を提供できるようにしていきたいです。

「治る実感が力になる。」

 

2022.05.11

初めての収入0の生活

 さて、ゴールデンウイークも終わり、しばらく祝日の無い日々がつづいていきます。
 仕事、仕事の毎日が続きます。私は今は、悪性リンパ腫に対しての治療で入院して、仕事からは全く離れています。 
 やはり、仕事をしておられる方が入院して治療する。これはとても大変なことだと思います。

 まだ、予定入院の場合は仕事の段取りを付けたり、前もって入院に対して準備をしてからの入院になります。それでもその段取りが大変です。ましてや緊急で入院となるともっと大変です。

 今、私は複数人部屋に入院しています。ですからどうしても周りの入院患者さんと医師との会話が漏れ聞こえてしまいます。
 急に熱が出て、緊急入院になった患者さんは、今日明日の仕事をほっぽり出しての入院。早く退院しないと仕事が困ると。その訴え良くわかります。
 例えばチームで行っている仕事であれば、一人抜けると大変ですが、それでも何とか仕事を回していけます。でもこれがお一人でやっている方は、自分一人が動けなくなれば全く仕事は進まなくなるばかりか、後退もしくは0になってしまいます。収入もなくなり日々の生活にも困る。またいったん失ったお客さんを取り戻すことは、本当に至難の業。ですから、本当に自分の命を削って仕事をしている。そんな方が、今の日本には大勢いらっしゃるのだと思います。
 本来ならばそのような事態に落ち込んだ時、国が責任をもって日々の生活を保障していく。病気になってもしっかり治してから仕事に戻れるようにする体制。また基礎に持病があったり、いつ具合が悪くなるかわからない病気があっても、具合が悪くなったとしても、そのことに心配することなく、元気なとき、仕事ができているときから常に国や自治体がサポートしてくれる。そんな社会が本当は必要なのではないでしょうか。
 今の日本、全てのことを自己責任にすり替えている。「自分のことは自分で守れ、地域で助け合え、どうしようもなくなったら最低限の保障を国がしてやる。」。そんな社会では、本当に安心して暮らすことができません。本当に早く社会保障が充実した社会、日本になって欲しいと思います。そのためにも私たちは医師として頑張っていきたいと思います。

 さてそうはいっても私も収入0になります。収入0の生活、初めての経験です。
 渡邉医院は保険診療です。入院の際の差額ベッドや診断書などは自費になります。でもそれは患者さんを診察して初めて入ってくる収入です。
 私も体調を崩したのは3月。休診にしたり、手術をキャンセルしてもらったり、患者さんには、本当にご迷惑をかけました。申し訳ありませんでした。そんなこともあって、通常の診療の半分以下です。また4月以降休診にしていますので診察することによって得られる診療報酬は全く入ってこなくなり、収入は本当に0になります。ただ少し助かるのは診療報酬の振り込みが2か月遅れで振り込まれてくるということです。
 ですから、まったく診療をしていない4月には、4月後半に2月の診療報酬が入ってきます。また半分以下ですが、5月後半には3月分の診療報酬が入ってきます。ここから、スタッフの給料や健康保険料、厚生年金を払うことができました。また、医院で抱えているローンやリース代、減るとは言っても光熱費などどうしても渡邉医院そのものを維持していく支出があります。そして6月からは全く診療報酬は入ってきません。ただ加入していた休業補償と傷病手当が入ってきます。私はなにを考えていたのか、がん保険等生命保険には一切加入していませんでした。いまさらながらですが、皆さんは入っておいてくださいね。
 このように生まれて初めて、収入0の生活が始まります。ですから順調に治療を進めて、できるだけ早く、できれば今私が考えている91日の渡邉医院再開を目指していかなければなりません。ただ、9月の診療報酬は11月に振り込まれます。したがって9月1日に診療を開始しても、9月、10月は診療報酬は振り込まれず、窓口負担の収入のみになります。そこは何んとか乗り越えて、9月1日、新しいい渡邉医院の再開!それに向かって頑張っていきたいと思います。

2022.05.09

3クール目の目標は、1枚絵を描くこと!

 今日、3クール目の抗がん剤投与のために入院しました。

 ゴールデンウイーク中は、とてもいい天気でした。2クール目が終わって、その後の経過も良かったので、一旦退院。自宅でのんびりしていました。天気が良かったので、外の空気を思いっきり吸い込もうと、賀茂川まで散歩したりもしました。私にとっては有意義なゴールデンウイークでした。

 入院中、少し体重が減りましたが(本当は減って標準体重の近づいた方がいいのかもしれませんが、)、この退院中に、1.5㎏増加して準備万端での3クール目に向けての入院です。

 今日は少し天気は悪いですが、私の心は快晴!昨日は、何か合宿にでも行くような気分入院の準備をしていました。悪性リンパ腫に対しての抗がん剤の治療と、その効果を期待して、気持ちはウキウキ、期待とやる気満々での入院です。

 さて、今回3クール目の入院中の目標です。以前もブログでこれまで4回の入院に関してお話ししました。いいのか悪いのか、入院の回数が多いと、入院中どう過ごそうか?に対してちゃんと答えが出るようになりました。入院中の過ごし方が上手くなるのでしょうか?前回入院に際して、次に何をするのか。そんなことを「やること帳」に書いておく。そんなことをしています。

 さて、今回3クール目の目標ですが、この2週間の間に1枚絵を描く。これが今回の目標です。

 以前、私の描いた絵についてのブログをアップしたことがあります。これまで仕事などで忙しくゆっくり絵を描いている時間がありませんでしたが、結構絵を描くことも好きです。

 大学時代は美術部でした。

 そんなこともあって、今回の目標は絵を描くことです。

 少しだけ絵の想い出をお話ししたいと思います。

 それは大学時代のことです。

 大学に入って初めて油絵を描くことになりました。これまで1回も油絵を描いたことはなく、一体どうやって描いたらいいものか、まったくわかりませんでした。先輩に聞いても、「自分の好きなように描いてみな。」と言うだけ。仕方がないので、周りの人がやっているのを見よう見まねで描いてみました。題材は、テーブルの上にリンゴなどの果実と、ワインのボトルなどを配置した静物画でした。

直接キャンバスに油絵の具で薄く下書きをして、それに油絵の具を上からのせていく。ちょっと違うなあと思ったら、さらにその上から塗り重ねていく。そんな感じで初めての油絵を描いていきました。

 さて、美術は年に3回大きな展示会をしていました。春に大学付属病院のロビーを借り手の院内展。夏は画廊を借りての院外展。そして文化祭です。

 今回初めて描いた絵は、一番初めに行われる大学付属病院のロビーを借りての院内展でした。

 診察に来られた患者さんや入院している患者さん。また、医師や看護師、そしてそれ以外にも多くの医療従事者の方に診ていただきました。もちろん大学関係の方もいらっしゃいました。

 そんな中、院内展が終わるころ、美術部の部長が私に近づいてきて、「渡邉君。君の絵を欲しいと言っている人がいらっしゃるがどうする。」と。一瞬何を言っているのかわかりませんでした。私、「欲しいて言って下さる人がいるんですか?」。部長、「そうだよ。」。私、「じやああげたらいいんですか?」。部長、「買いたいとおっしゃっている。」。私「え!」。「そんなん、初めて描いた絵だし、絵を売るプロが描いたわけではないのに。どうしたらいいんですか?いくらぐらいでうればいいんですか?」と聞くと、部長、「うーん、考えてみて。」と。キャンパス代がいくらだったかなあ?絵具どのくらい使ったかなあ?等と考えても全く値段をつけることができませんでした。そうこうしているうちに、部長が「1万円で売って欲しいとおっしゃっている。」と。その言葉にさらにびっくり。「え!1万円?」。「本当にいいんですか?」と。と言うことで、初めて描いた油絵が1万円で売れることになりました。本当にびっくりしたことと、本当に私が描いた絵を、その方は気に入って下さったんだという喜びが沸いてきました。
 今はもう、その絵も私の記憶の中に残っているだけです。でも可能なら、もう一度その絵を観てみたいなあと思います。私の描いた絵のどこに魅力があったのか、今もその魅力が輝いているのか。絵を観ながら、その絵を描いていたころの自分を顧みてみたいものです。

 と言うことで、今回3クール目の目標は1枚絵を描くこと。またかけましたら報告しますね。

2022.05.07

腐食療法ー祖父の原稿よりー

 前回、祖父が書いていた原稿の中の「痔核硬化療法」と「痔核の塗布腐食療法」のうち、「痔核硬化療法」に関してお話ししました。今回はもう一つの「痔核の塗布腐食療法」に関してお話ししたいと思います。

 最近はもう腐食療法は行われなくなりました。渡邉医院でも行っていません。その理由の一つは、やはり腐食剤がどこまで広がるのか、腐食させたいところのみにうまく塗布できるか。また腐食剤で内痔核を壊死脱落させる方法なので、やはり壊死脱落する際に大量の出血を起こす可能性があること。また、腐食療法によって肛門に狭窄を起こす可能性もやはりあります。こういった理由で腐食療法は行われなくなってきました。ただ、痔核根治術やジオンによる痔核硬化療法などとうまく併用していくことで、より十分な治療を望むことができるのではないかとも思います。様々な治療方法を持ち、その中で患者さんにとって一番適しているものを使う。このことはとても大切なことですし、後で話しますが、祖父もこのことの大切さを強調しています。

 腐食療法に関しては、その適応について祖父はこのように書いています。「第Ⅲ度の内痔核に対して、私(祖父)は手術による治療を原則として行っている。しかしながら、患者が他疾患を合併していたり、糧にの事情、あるいは安全な手術方法であるとはいえ、高齢者に対しては第一線開業医としては手術に踏み切れない場合にまま遭遇するものである。しかも患者の苦痛が痔核を取り除かなければとれぬ場合、特に痔核が広東只、還納しても再び脱出し疼痛を訴え、医学的に診ても根治療法が適応となり、患者もそれを希望するものに、私は次善の策として塗布腐食療法を行っている。」と適応を限定しています。

 祖父がこの「塗布腐食療法」に関心を持ったのは、祖父が勤務していた加藤医院で、「来院する患者の中に時々腐食療法を以前に受け、その局部があたかも手術を受けたもののように見事に治癒しているものがあったため。」としている。

 当初、腐食療法に使用する薬剤は、秘法とか家伝とかでその内容を知ることができなかったと記している。やはりその時代、肛門科にはその先生が持つ「秘薬」があり、それを表に公表することがなかったようです。

ただ祖父は、様々な文献等を参考にして以下のような腐食剤を作成した。 

 成分内容は

 亜ヒ酸 4g  水酸化第2銅 1グラム  硫黄  0.3g   

アネステジン  1g    グリセリン  適量

 以上を混合研磨し泥状にする。なお水酸化第2銅は、硫酸銅と苛性ソーダを反応させて作ると記載している。

 使用方法は、

  • 脱脂綿で作った紐で脱出した痔核の根部をはちまきをするように軽く締め付ける。
  • ゾンデの平らな面の部分を使って痔核全体に腐食剤を塗布する。
  • 痔核周囲の皮膚を適量の脱脂綿で保護。痔核の上も脱脂綿で覆い絆創膏で固定。
  • 皿のその上からカット綿、T字帯で固定する。

経過中、分泌液などで腐食剤が付着しにくい場合には、硝酸銀を痔核表面に塗布すると良い。と記載してありました。

 腐食療法施行後ですが、3日目頃には患部は暗褐色に変色し、6日目頃には痔核も縮小、疼痛も軽減。約9日目には一部壊死脱落する。約14日目には痔核はすべて脱落した。との記載がありました。

 このような経過をたどって、腐食療法内痔核、特に嵌頓痔核は治っていくようです。

 最後に祖父のまとめの部分の文章です。このことに関して私も同感です。このように書いてありました。

「肛門疾患の治療に際しては、保存的療法、非手術療法、手術療法にいたるまで、できるだけ多くの武器(治療方法)を持つよう努力すべきである。この多くの武器(治療方法)の中から、個々の患者に最も適した療法を選び治療するところに、現段階での肛門病専門医の使命があると考える。」と。

 この言葉は、今も大切な言葉だと思います。

 今回妹の大掃除のおかげで、貴重な資料がでてきたと思います。私も治療が落ち着いたら、ほかにもきっと貴重な資料が多く残されていると思います。見つけ出して、9月渡邉医院再開に向け参考にしていきたいと思います。

2022.05.07

痔核硬化療法と戦争ー祖父の原稿よりー

「痔核硬化療法と戦争―祖父の原稿よりー」

  さて今日は土曜日。仕事の方もいらっしゃると思いますが、いよいよゴールデンウイークも今日と明日を残すのみ。皆さん楽しい思い出作れましたか?

 私もいよいよ、週明けの月曜日に再入院。3クール目の抗がん剤投与に入ります。

このゴールデンウイーク中、妹が実家に帰ってきて、実家の大掃除をしてくれました。その時に出てきた祖父の原稿。とても興味深く、そして面白いので、少し解説を入れながら紹介したいと思います。

今回のブログの題名ですが「痔核硬化療法と戦争―祖父の原稿よりー」と少しショッキングな題名になっています。祖父の現行の中に、戦争とかかわる内容があり、これに関しては後程紹介します。

祖父の原稿のタイトルは「痔核の非手術療法」です。その中身は二つの治療方法について書かれていました。一つは「痔核硬化療法」。もう一つは「痔核の塗布腐食療法」の二つの治療方法に関して、祖父が独自に開発した内容です。

 今日は、その中で「j比較硬化療法」に関して紹介します。「痔核の塗布腐食療法」は次回に回したいと思います。

 さて痔核硬化療法についてお話しする前に、今までわからなかったことが判明したことがあります。それは渡邉医院の開設のj引きでした。これまで、いつ渡邉医院を解説したのかを明確に記載してあるものを見つけることができませんでした。今回この祖父の原稿に開設時期が明記されていました。それは「S64月開業」と明記してありました。今年の4月で91年が経ったということです。そうすると、今回私の病気療養のために41日から渡邉医院を休止したので、渡邉医院91年の歴史に、一旦休止符を打ったことになります。9月の再開。渡邉医院100年を目指して治療したいと思います。

 さて「痔核硬化療法」ですが、祖父は大正145月から昭和64月までの6年間、大阪の肛門科、加藤医院で手術による治療と痔核硬化療法を主とした治療法について指導を受けたようです。

この原稿の中に「輪ゴム結紮法」に関しての記載がありました。そこには、やはり輪ゴム結紮法の適応になる内痔核の患者さんが少ないと記載してありました。このことに関しては私も同じ意見です。良く患者さんから「診察を受けたら直ぐに、輪ゴム結紮法をされた。」と聞くことがあります。しかし、そんなに輪ゴム結紮法の適応となる内痔核は少ないです。「輪ゴム結紮しましょう。」と言われた際は、直ぐに和語目結紮はせずにほかの肛門科医にセカンドオピニオンすることが大切かなあと思います。

 さて、昭和6年の開業以来祖父は第Ⅰ度及び第Ⅱドの内痔核に対して痔核硬化剤としてマグネシンを使っていました。今は痔核硬化剤としてジオンとパオシクレ―がありますが、その当時は、各肛門科独自の痔核硬化剤を使っていました。

 マグネシンはマグネシウム粉末4gを100mlのグリセリンに懸濁させた懸濁液です。しかし、戦争が始まって、マグネシウムの入手が困難になってきました。そこで昭和7年にその当時まだ入手できた第2燐酸カルシウムのグリセリン懸濁液を祖父が独自に開発して試みると、マグネシンと同等の結果を得ることができたとのことです。現在は使っていませんが、この渡邉医院独自の痔核硬化剤、第2燐酸カルシウム・グリセリン懸濁液に関しては、戦後、昭和28年第8回日本直腸肛門病学会で報告しました。

 その当時使用していた痔核硬化剤は4%第2燐酸カルシウム・グリセリン懸濁液で、グリセリン100mlに第2リン酸カルシウムを4gを懸濁させたものです。適応としては、現在のパオスクレ―とほぼ同様で第Ⅰ度及び第Ⅱ度の内痔核で、手術適応の第Ⅲ度の内痔核に対しても基礎疾患等があったり、根治術が難しいと判断した患者さんにも使用していたようです。痔核硬化療法の投与方法は、現在の痔核硬化療法と同様で、左側臥位で行い、内痔核周囲の粘膜下に1回につき1か所約0.3mlを3か所、計約1mlを使用。隔日に3回施行していた。氷河あれば追加投与をしていた。局注した部位の組織変化としてはパオスクレ―と同様に、硬化剤を投与した静脈周囲の線維性結合織の増生が強く、静脈は圧迫されたようになっていたとのこと。

このように、祖父は渡邉医院独自の痔核硬化剤を開発し内痔核の治療を行っていました。

 さてタイトルの「痔核硬化朗報と戦争」ですが、祖父の原稿の中にこんな記載がありました。戦争の時期です。

 「私は昭和204月に召集をうけ、孤島の陸軍病院に勤務した。」これは、昭和16年に医療関係者徴用令が発せられました。医師や看護師らが軍需工場、無医村などに強制的に勤務させる方針で、医師が軍医として戦地へ行く召集が広がっていった時期です。

 祖父の原稿はこう続いて書かれています。「戦争が激化していく中、次第に隊員で痔核で入院し加療する患者が増加してきた。しかし戦局は苛烈となり、全員手術をすれば戦力の低下を期すことを憂い、痔核硬化療法を試みたいと考えたがマグネシウムが入手できず・・・」と。そして、「入手できた第2燐酸カルシウムを用いた第2燐酸カルシウム・グリセリン懸濁液を作り使用してみると、マグネシン注射同様の結果を得、患者を早期に原隊に復帰させることができた。」と

 内痔核に対しての痔核硬化療法にも戦争の影響、戦争の影が見え隠れします。

 今回は「痔核硬化療法」に関しての祖父の原稿を紹介しました。次回は「痔核の塗布腐食療法」に関してお話ししますね。

2022.05.05

悪性リンパ腫になってつながりが強く、広がる。

 ゴールデンウイークも後半。皆さんはどうお過ごしですか?

 私は、悪性リンパ腫に対いて抗がん剤による化学療法を今行っています。順調に治療も進み、2クール目が終わりました。特に強い副作用もなく、現在はいったん退院して自宅で療養をしています。療養と言っても、普段通りの生活を送っています。

 1回目の入院の際は、本当に心身共にぼろぼろの状態で入院しました。診断が悪性リンパ腫と確定し、本当に速やかに抗がん剤による治療に進むことができました。抗がん剤投与による副作用も強くなく、入院時や入院前と比べると、本当に元気になりいったん退院しまし。ただ、ぼろぼろの状態で入院、元気になったといっても、やっぱり自宅では少しだるさもあったりして、ソファーに横になったりして過ごしていました。それに対して今回は全く状況が違います。2クール目の入院の際は、元気で入院、そして強い副作用もなく元気に退院。いったん退院してきても前回とは全く違います。これまで通り、もっと言うと病気を発症する以前の私の状態よりもいい状態になっているような気がします。「仕事をしなくてもいいのかなあ?」と思うくらいです。でも、まだまだ2クールしか終わっていないので、今後に備えていきたいと思います。

 さて、私が悪性リンパ腫に罹患してから、周りの人たちとのつながりが深くなったり、広がっています。
 まずは、子供たち。娘は何かすごく気を使ってくれます。これまでも時々LINEでやり鶏していましたが、その回数が増えています。「頑張って!」といつも私に力を注いでくれています。息子に関しても、息子に関しては、これまでそんなにLINEのやり取りはなかったのですが、今の私の病状や経過をやり取りするようになり。息子らしいのですが、「了解。頑張って!」と極々短いやり取りですが、それでもこれまでとは違って聞います。

 さらに、ブログやTwitterFacebookで私の病状等をアップしていますが、それを見た肛門科の先生方がメールを下さったり、電話を下さり、励ましの言葉をいただいたりしています。
 肛門科の先生のつながりも強く感じます。

また、本当に多くの方々から、励ましのメール等をいただいています。本当に感謝です。

 入院中は、あまり人と話をする機会もないので、家にいるときは、今まで以上に妻と会話したり、電話がかかっていると、溜まっていた物を一気に吐き出す感じで、チョット多弁になってしまってもいます。

 悪戦リンパ腫に罹患してしまいましたが、それ以上にこれまでよりも周りの人たちとのつながりが強く、そして大きく広がったと思います。私にとってはとても貴重なものを得た感じがします。

 

2022.05.02

抗がん剤による化学療法2クール目を終えて。

 さて、明日から3連休に入ります。今日私は悪性リンパ腫に対しての治療のため2クール目の抗がん剤による化学療法を行うため再入院し、今日が2クール目最後の抗がん剤を投与。2クール目の本当にとても順調に行き、強い副作用も出ずに、食事も美味しく食べられるほどです。かえって、これまで持っていた私の症状がだんだん取れていく。治療効果が実感となって現れる。このことは治療を受ける側にとっては、とても力になります。

 血液検査でも大きな問題はなく、明日いったん退院。次は59日の月曜日に再入院して3クール目に入ります。今まで通りにいくかはわかりませんが、治っていく実感を楽しみに頑張って?いや楽しんでいきたいと思います。

 さて今回のことを振り返り今の状況を描留めてみました。

  • まず2月に人間ドックを受けて、脳ドッグでMRIを撮影。この時には異常を指摘されなかった。正常だったということです。
  • 1)症状が目の症状であったこと、どうしても医療機関を受診せざるを得ない症状だったこと。いつの間にが広がり気が付いたら全身に広がっていったということなく、早い医療機関の受診であったこと。
  • 2)症状が出た36日に撮影したMRIにも明らかな腫像は描出されなかったこと。ただ入院の際の造影のMRIではっきり映った腫瘍像を診て詳しく初診時の画像を比較すると「これかなあ?」という所見のみでたこと。
     しかし、明らかに早期に腫瘍が見つかったこと。

  • 3)脳の下垂体に腫瘍が見つかりこれが原因であること。症状等から悪性リンパ腫の可能性が高いこと。そして多くの診療科の先生方が、その確定診断を急いで行ってくださったこと。
     4
    9日に予定していた脳外科での生検手術の前に結果が出るように眼科の先生が目の手術をして下さり、目は見えるようになり、硝子体の中の浮遊物から悪性リンパ腫の確定診断ができたこと。したがって下垂体近傍に腫瘍として出現した悪性リンパ腫。全身にはそのほかの部位のリンパ節の腫脹はなし。といった確定診断になりました。

  • 4)今より多くの組織をとる目的の脳外科での生検手術。これに関しては私はかなり迷いましたが、一つの決断を私自身ができるように先生方が情報を下さったこと。そして私の「生検はせず、早期に治療に入る。」という決断を尊重して下さったこと。
  • 5)その結果早期に抗がん剤による化学療法の1クール目をかいしできた。

このようなことが重なり、今の私の状況があると思います。本当に感謝しかありません。

 この流れはきっとすべての医療に通じているものだと思います。この経験を生かして、今後の治療そして、再開する渡邉医院に生かしていきたいと思います。

 2クール目を終えて、私の思いを書いてみました。

 少し短いですが、今回はこのへんで。

2022.05.01

今、母を想う。

 いよいよ5月になりました。ゴールデンウイーク真っ只中に入っていきます。

 新型コロナウイルス感染症対策を十分とって、せっかくのお休み、私の分も楽しんで良い思い出を作って下さいね。

 私も今、抗がん剤による化学療法の2クール目。明日の残すところ1剤の投与で終了します。今のところとても順調で、確実に自覚症状も取れて、治療によって治っていいていることを実感しています。そのことを感じることができることは、頑張りにもつながっていきます。これからが楽しみです。

 さて今回は、私が入院するまでの間のもう一つのお話をしたいと思います。それは、母のことです。

 母は認知症で実家で一人暮らしをしていました。最近ではその認知症も進んできていました。

 小規模多機能を利用していてショートステイとデイサービスを組み合わせて麗容していました。大抵は月曜日の朝、母の家に6時ごろ行って、紙パンツやパジャマを着替えさせて、朝ごはんを食べてもらい、お薬を飲ます。そして準備が整ったら720分ごろに小規模多機能に連れていき、そこから渡邉医院に行っていました。月曜日はお泊り。火曜日は診察が終わった後、母を迎えに施設に。家に着いたら着替えてもらって、一緒にテレビを見ながら午後10時頃、母がベッドに横になって眠ってから帰る。水曜日はデイサービス、日帰りなので、朝6時頃母の家に行って、月曜日と同じようなことをして施設に送る。そして午後6時に診察が終わったら迎えに行く。そんな感じの生活リズムでした。月曜日から火曜日、木曜日から金曜日がお泊り。水曜日土曜日は日帰り。日曜日は私と母の二人といった感じでした。最近は仕事の関係や少し楽をさせてもらおうとお泊りの回数を増やしてもらっていました。

 さて私が今回の病気が発症したのが37日の朝でした。6日は少し母は微熱があるので母と一緒に実家に泊まることにしました。朝起きて目を覚ますとその時点からものが二重に見えるようになりました。知っている先生と連絡を取って、母を一人残したまま病院に行きました。病院での診察の合間にケアマネージャーさんに連絡して、これまでの状況をお話しして、母を見に行っていただくことにしました。母はそのケアマネージャーさんに連れられていつも通っている小規模多機能に行き、しばらくお泊りで預かってもらうことにしました。本当にこの時のケアマネージャーさんには感謝です。症状が出てからは私は自分のことで精いっぱい。診察を続けているうちに、329日に入院となりました。

 母は、たまたま今通っている小規模多機能の上にあるグループホームが3月に空き、そこに入所することができました。
 このような経過です。ですから37日以降全く、母とは会えていません。

 グループホームの方は、「皆さんと楽しくされていますよ。」「慣れてこられたのか、元気にされています。」とのこと。少し安心しました。

 母は今月に5月で88歳。私の治療はまだまだ続きます。でも、入院以前と比べると全然違います。治療で治っていく実感があります。入院以前は自分のことだけで精一杯でしたが、このコロナ禍の中、難しいかもしれませんが、一度元気にしている顔が見たいなと思います。

「お母さん元気!私の治療は順調だよ。」と言いに。

2022.04.30

肛門から汁のようなものが出てくる。

昨日は、結構雨が降っていたようですが、一転して今日はいい天気です。窓の外に見える木々の緑は、とても眩しく輝いています。チョット辛いぐらい輝いています。

私の治療の方も順調で、2クール目、火曜日にしたメトトレキセートの大量投与も、その後順調に血中濃度が下がり、昨日の段階で0.0380.1になりました。予定通り週明けの月曜日、52日に2クール目最後の抗がん剤、リツキサンを投与します。とても順調です。体調も良く食欲もあり、本当に美味しく食事をいただいています。

さて、今回はこの間にいただいた質問に関して少しお話ししたいと思います。

Twitterでの相談もあり、そのことを通じて皆さんとつながる。このことも私の力になるので、Twitterでの相談も遠慮なくして下さいね。

今回の質問はなかなか難しい質問です。こんな質問です。

「たまにお尻からなんか汁のようなものがでますが痔に関係あるのでしょうか?」という質問です。

まずは、肛門に何らかの病気があった場合です。

内痔核の場合、内痔核は粘膜にできます。炎症を起こすと出血しなくても粘液が増えてきます。その粘液が肛門から出てくる可能性があります。患者さんの中には水のようなものが出るとか、ジクジク湿った感じがするといった症状を訴える患者さんもいらっしゃいます。
 次に痔瘻。痔瘻の場合は、二次口と言って、肛門の外側のあな、出口から膿が出ることがあります。痔瘻の原発口、原発巣で炎症を起こすと瘻管を通って膿が二次口から出てくることがあります。
 裂肛も傷ができます。そうすると傷があると、やはり滲出液が出てきます。
 次は病気ではないのですが汁のようなものが出る可能性のあるものをお話しします。

まずは肛門腺からの分泌液です。
肛門縁から約23cm、肛門上皮と直腸との境目に肛門腺と言って分泌液を出す腺があります。分泌の量が多い時はそれが、何か汁が出てきたようなきがすると言うことになります。肛門腺は、例えば犬が電信柱にお尻をこすりつけていますよね。これは犬の肛門腺から出る分泌液を電信柱にこすりつけ、自分の縄張りを示しているものです。また人間の場合は、私が思うには、排便の際に便がスムーズに出るようにするために、分泌液が出るのではないかと思います。その分泌液が多く出た場合に、何か汁のようなものが出たということになるのではないかと思います。
 また汗をかくと言うのもありかと思います。
 最後に、肛門の病気ではないのですが、便がスッキリ出ない時に、便や便中などが出てくることがあります。
 肛門はそこにある便を出そう出そうとします。ですから、直腸に便が来ると、便が出やすいように内肛門括約筋が緩んでくれます。スッキリ便ができらずに残っていたりした場合、これがあとから出てきて汚れになったりジクジクすることがあります。

これと似たようことで温水便座での洗浄が原因で汁が出ることがあります。温水洗浄便座で、強く洗うと洗浄水が直腸に入って、その入った水が後から出て来ることもあります。これで汚れたり、ジクジクすることがあります。
 いろんな原因があると思います。特に病気ではなく分泌液が多かっただけだったり。やはり何らかの肛門の病気があったりする場合もあります。いずれにしても「肛門から何か汁のようなものが出てくる。」という症状は、患者さんにとってはとても気になる症状になります。
そこは、医師とよく話す必要があると思います。
結構難しい質問でした。

 

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