外来での説明「内痔核の手術、痔核根治術」編
今回は、外来での説明「内痔核の手術、痔核根治術」編をお話したいと思います。前回から、実際に外来の診察の後、説明している順にお話しています。実際に紙に書きながら順を追って説明しています。一緒に投稿している写真も患者さんに説明しているときと同じです。皆さん、説明を聞かれた後、この用紙を持って帰られます。
やはり、ただ単に話をするだけでなく、用紙に図を書いたり、大事なポイントを書いて患者さんに渡すことはとても大切だと思います。常に「解りやすさ」に注意して図を描きながら説明しています。昔と違って、図そのものも段々解りやすいものになっていると思います。
今日は、手術の説明を順に用紙に書いた図を見ていただきながらお話したいと思います。
内痔核をどう手術していくか
内痔核を手術する際は、肛門から少し離れたところから皮膚を剥がしていきます。外側から剥がしていき、肛門の中の皮膚を剥がしていくと、内痔核の根元まで綺麗に剥がれていきます。ジョキジョキ切っていくのではなく、皮膚一枚スッと剥がしていく感じです。ジョキジョキ切るのではなく、剥がしていくことで出血も少なくて済みます。内痔核の根元まで剥がし、最後にチョンと内痔核を切除してしまうと、内痔核には動脈が来ているので動脈からすごい出血をしてしまいます。内痔核の根元まで剥がせたら、内痔核にいく動脈をしっかり縛って、出血しないようにしてから切除します。
術後の経過をどう見ていくか
3日間は毎日傷を診ます
術後は毎日1,2,3日と3日間は毎日傷を診せてもらいます。その後は7~10日目の傷を診せてもらいます。次はそこから1週間後、さらにその後は2週間後の傷を診せてもらいます。
毎日3日間傷を診せてもらうのは、どうしても手術をすると、排便時に痛いかな?出血するかな?と思うと、便を出すのが怖くなって便が出にくくなってしまうことがあります。食べたものが消化され、吸収され、便になるまで、ゆっくりで3日間です。手術をして3日間の間に1回はすっきり便が出て欲しいです。出にくいようでしたら緩下剤を飲んで出したり、どうしても出ないときには浣腸をして、3日間の間に1回は便が出て欲しい。そういった意味で術後3日間は毎日傷を診せてもらっています。
次は7~10日目の傷を診ます
手術をして一番困ることが、以前もお話した晩期出血です。術後7~10日ごろに、1%の頻度ですがない痔核の根元の動脈を縛ったところから晩期出血を起こすことがあります。そのために7~10日ごろの傷を診せてもらいます。また排便時の痛みに関しては7~10日経つと、手術した人の96.5%の人が急にスッと痛みが楽になります。このような理由で、術後7~10日目の傷を診せてもらっています。
次はさらに1週間後の傷をみます
術後7~10日過ぎると晩期出血のような困った出血を起こすことが無くなります。そこで、次はさらに1週間たった術後約2週間過ぎた傷を診せてもらっています。術後2週間が経つと約80%治っています。
次はさらに2週間たって治ったところをみます
術後2週間経つと約80%治ります。そうすると、ここからは困ったとことは起きなくなります。そこで、次は2週間たって傷が治っているところを診せてもらいます。
術後3~4週間で治癒
内痔核に対して痔核根治術をして、約3週間から4週間で傷は治ります。
麻酔の方法と手術時間
最後に手術ですが、手術をするときの麻酔は局所麻酔です。肛門の表面を一周麻酔をした後、肛門の筋肉にも麻酔をしていきます。筋肉には何周か麻酔をしていきますが、麻酔をしたところに麻酔をしていくので、途中から痛みがなくなります。麻酔の目的は、痛みをとるだけでなく、肛門の緊張をとって十分に肛門を広げられようにする目的もあります。局所麻酔はだいたい5分ぐらいで終わります。次に手術ですが、1か所の内痔核の手術をする時間は約10分程度です。3か所ですと約30分です。
このような説明をしています。最後に内痔核は悪い病気ではありません。嫌な症状を取り除くことが目的です。ですから、もうそろそろスッキリしようと思って、説明をしたような時間が出来て予定が出来たら手術をしましょう。そしてスッキリしましょうとお話しています。
こんな風に内痔核だけでなく、痔瘻や裂肛などについても同じように説明しています。
外来での説明「痔核硬化療法・パオスクレー」編
今回は、「外来での説明「痔核硬化療法・パオスクレー」編」として、実際外来で説明している時を再現して紹介したいと思います。少し字が汚いのと、図が解り難いようでしたらすみません。
内痔核とは
肛門の出口から約2~3㎝奥まで皮膚のところがあります。ここまでを肛門と言います。その奥が直腸で、直腸に入ったところに静脈が網の目のようになっている部分があります。この静脈の流れが悪くなって静脈の瘤、静脈瘤を内痔核と言います。いぼ痔とか痔と呼ばれますが、本当の病名は内痔核です。
内痔核はどうしてできるのか
内痔核が出来る部分の静脈はもともと細かな静脈が集まっているので、流れが悪いところです。しかも、人間は寝ているとき以外は肛門は心臓よりも下にあります。重力もあり、鬱血して流れが悪いところです。ですから、四つ足の動物は内痔核にはなりません。ゴリラ、オラウータン、チンパンジーは人間に近いですが、内痔核にはなりません。人間立って歩くので、内痔核は人間にしかなりません。ですから、だれでもなりやすいということです。そういったもともとなりやすいところに、便が硬くて頑張ったり、逆に下痢でも悪くなります。また柔らかくても出しにくくてグッと頑張る時間が長いと内痔核は悪くなります。また排便の時肛門はどんなふうに動くかというと、肛門の中の皮膚の部分、肛門が外に出ながら便が出ます。本来はこのことを脱肛と言います。人間は具合よく脱肛することで、気持ちよく便を出すことが出来ます。便が硬くて出にくくて頑張ったり、下痢でも肛門は脱肛した状態になります。また、内痔核があると、排便後も何か便が残ったような感じがして、さらに頑張りたくなる人もいます。便が出なくても、グッと頑張っているときは肛門は脱肛した状態になっているので、さらに血液の流れが悪くなって、さらに便が残った感じが強くなって、さらに頑張りたくなる。と言った具合に悪循環になってしまいます。また冷えてしまった寝不足だったり忙しかったり、ストレスがかかると、さらに血液の流れが悪くなって、内痔核のできる原因にはなりませんが症状が強くなって、出血が多かったり、腫れが強くなったりします。場合によっては血栓が詰まって強い痛みが出ることがあります。
内痔核が出来る場所
内痔核のできる場所は決まっていて、次から次へと内痔核はできません。静脈は肛門ぐるり一周ありますが、動脈が肛門の左、右後ろ、右前の3か所、時計の針でいうと、3時、7時、11時の方向にきます。ですから、この3か所に内痔核が出来ます。逆に言うと、この3か所以外はできないということです。悪くなる時は、同じところが悪くなります。
内痔核の程度 第1度
内痔核は悪い病気ではありません。出血したからと言って、また内痔核があるからと言って、手術をしなければならないわけではありません。内痔核はその病気の程度で治療が決まります。
まずは最初が第1度の内痔核です。排便時に出血したり、違和感があったり、何か挟まったような感じがするという症状が出ます。でも排便時に内痔核が外に出てくること(「脱出」と言います)はありません。
第2度の内痔核
次の段階が第2度の内痔核です。排便時に出血したり、違和感があります。さらに排便時に内痔核が脱出してきますが、それでも自然に直ぐに肛門内に戻り、押し込むことが無い。この段階が第2度です。
第3度の内痔核
さらに悪くなると、排便時に内痔核が脱出して、自然に戻ることはなく、指で押し込まなければ肛門内に入っていかない状態になったものを第3度の内痔核と言います。よく「脱肛」と言いますが、この3度の内痔核の状態を「脱肛」と言っているようです。排便をするときに肛門が脱肛して、その時に内痔核が脱出してくる。そして内痔核が脱出したままになっているので、肛門は脱肛したままになっている。このことを「脱肛」と言っていることがあります。でも正しくは第3度の内痔核です。
第4度の内痔核
一番具合が悪いのが、第4度の内痔核です。第4度の内痔核になると、内痔核は常に脱出したままの状態になり、押し込もうとしても押し込めない状態になります。これを第4度の内痔核と言います。
ただ、内痔核だけですと、第1度から第4度まで痛みはありません。
内痔核の程度で治療が決まる
内痔核の治療は、内痔核の程度で決まります。
第3度以上の内痔核になりますと、手術やジオンによる痔核硬化療法が必要になってきます。手術やジオンによる痔核硬化療法は、脱出してくる内痔核の性状で決まります。ジオンによる痔核硬化療法は万能な治療方法ではありません。適応を見極めることが大切です。これに対して痔核根治術はどんな内痔核に対しても対応できるオールマイティな治療方法です。
第1度、第2度の治療方法
第1度や第2度の内痔核は外用薬やパオスクレーによる痔核硬化療法で治療していきます。第2度の内痔核になりますと、どうしても脱出するという症状があるため、軟膏や座薬ではどうしてもよくなってきません。また第1度の内痔核でも出血が多かったり、軟膏や座薬でも症状が良くならない場合があります。こういった場合は、渡邉医院では、パオスクレーによる痔核硬化療法をしています。
パオスクレーによる痔核硬化療法
パオスクレーは、アーモンドのオイルの中に5%の割合でフェノールが入っている痔核硬化剤です。内痔核に直接注射します。内痔核は痛みを感じないところなので、注射をしても痛くありません。
パオスクレーを内痔核に注射すると、アーモンドオイルが直接内痔核を作っている静脈を圧迫していきます。そしてフェノールが軽く炎症を起こすことで、内痔核を硬化させ小さくしていきます。アーモンドオイルが直接血管を圧迫することで、出血などの症状は割と早く取れてきますが、フェノールの効果が1週間目から効いてきて、2週、4週、6週と聞いて効いてきます。
痔核硬化療法は2回します
痔核硬化療法を行う際に、パオスクレーの量が大事になります。量が少ないと効果がでません。1か所の内痔核に対して5mlを局注します。5ml未満ですと、どうしても注射の効果が半減してしまいます。ですから、1か所の内痔核に対して5ml以上注射が必要です。1回目の注射が1週間たつと効果が出てくるので、1回目の注射後、その効果が出てこないうちに十分な量が打ちたいので、1回目が終わったら、そこから1週間の間にもう1回痔核硬化療法をします。
痔核硬化療法後2週間たって効果を判定
2回注射が終わった後は、1週目から本格的に聞き始め、2週、4週、6週と効いてくるので、2回目終了後約2週間たってから痔核硬化療法の効果を判定します。出血や自覚症状が軽快していれば、治療は終了です。
こんな感じに、外来では診察後病気の程度や治療方法を説明しています。
次回は手術の説明を紹介したいと思います。
「捜査地図の女」の再放送を観て。
先週の金曜日、午前中の診療が終わり、引き続いての手術も終わった後、院長室でふとテレビをつけてみると、「捜査地図の女」の再放送をしていました。渡邉医院がロケ地になったサスペンスドラマで、懐かしさもあって、じっくり観ていました。撮影していた時の状況を少し紹介したいと思います。
突然の電話
突然、東映から電話がかかってきました。木曜サスペンスで、今回、真矢みき主演の「捜査地図の女」という連続サスペンスドラマを企画し、そのロケ地として診療所を使いたいとの内容でした。
木曜サスペンスといえば、「おみやさん」「京都地検の女」「科捜研の女」など京都を舞台としたドラマです。うれしがりの私は即答でOKの返事し、電話をきりました。
打ち合わせ
数日後、東映の方が企画書と第1話と第2話の診療所でのシーンの台本を持ってこられました。ドラマの設定が主演の真矢みきは、代々町屋の診療所の娘で、医者にならずに刑事になり、診療所は夫役の渡辺いっけいが継いでいるというものでした。ちなみに真野みきの母親役は草笛光子でした。
いよいよ撮影
いよいよ撮影です。撮影隊は照明、美術、音声、メイクの人たちなど総勢約30名もの人たちが集まり撮影していきます。写真にもあるように、何もない診療所があっという間に撮影現場と変わっていきます。
また渡邉医院は、今の診療所の雰囲気を壊すことなく松原医院へと変わっていきます。待合室にある火鉢もそのまま使い、第1話ではアップで映ったりしました。診察室は松原医院が「内科・アレルギー科」なので、肛門科の渡邉医院にはないもの、たとえばシャーカステンなどを持ち込み、あたかも内科の診療所のようにつくりあげていきます。私も少しだけ手伝いましたが、渡邉医院から松原医院へ変わっていく過程はとても面白い。
地道な作業の積み重ね
さて、実際の撮影ですが、同じシーンを違う方向から何度も撮影したり、またアップのシーンはそれぞれ別々に撮っていきます。例えば2対1で向き合って話をしているシーンでは、まず3人で話している全体を撮り、次に2人だけ、そして向かい合っている1人と、同じセリフ言いながら別々に撮っていきます。アップのシーンは俳優さんごとに撮影。それもまず準備から始まって、テスト、本番そしてチェックとOKがでるまで何回も続けていきます。そうやって撮った映像をなんの違和感もなく繋いで一つのシーンにする。俳優さんたちの華やかさと相反して、地道な作業の繰り返しでドラマは作られていくんだと感じました。
夜が昼へと変身
また昼間に夜のシーンをとったり、反対に夜に昼間のシーンを撮る。写真は夜に昼間のシーンを撮るために、2階から照明器具で1階の待合室を照らし昼間を作っている写真です。
「この角度で(照明器具を)絶対に動かすなよ。」と照明スタッフに指示しているのをみて、ふと大学病院時代、手術に第2助手としてはいったとき、「しっかり術野をつくって動かすなよ。」という場面を思い起こしました。しばらくたってから見に行くと、そこはプロ、砂嚢などを使ってしっかり固定してありました。「撮影ではなんでもできるんですね。」と聞くと、「大抵のことは何でもできますよ。」との答え。さすがプロ。
全部で5日間撮影があったのですが、診療所の外での撮影があった時、1度だけ夕方の診察時間に撮影が重なったときがありました。外の撮影だったので診療には直接影響はなかったのですが、「渡邉医院」の看板は「松原医院」に代わっていたため、患者さんも茶目っ気だと思うのですが、「渡邉医院なくなってしまったんですか~! まだ私治してもらっていないのに!」と待合室に笑いながら入ってこられたこともありました。
突然の電話から始まった今回の撮影。とても楽しい経験をさせてもらいました。今も京都のどこかで同じように撮影しているんだなと思うとともに、撮影が終わって何となく寂しい気持ちもあります。
「捜査地図の女」、人気がでて「新・捜査地図の女」とシリーズ化して、またこの楽しい経験ができればと願っています。
母の日を迎えて
今日は母の日。皆さんはどうお過ごしですか?皆でお出かけ?家でゆっくり?様々な過ごし方がありますね。
母親にいつもできないこと、言いたかったけど言えなかったことなど、母の日にあわせて、してみてはどうでしょうか?
チョット照れくさい。その照れくささが大切かなって思います。
私は、今日も診療所に行って、入院の患者さんや、手術したばかりの患者さんの診察をしてきました。診療が終わって、いつも診療所に花を活けて下さる集花園さんに行って、母へのプレゼントとして花束を作っていただきました。
一緒に母の家でお昼も食べようと、コンビニで買い物をして、いざ母の家に行こうと母の愛車ローバーミニのエンジンをかけようとしたところ、まったく動かない。何回やっても少しは動くのですが、直ぐにエンジンが止まってしまう。車屋さんに電話してみていただくことに。JAFさんに来ていただいて、車屋さんまでローバーミニを搬送、預けてきました。
母の家にようやくたどり着いて、花瓶を探して花を活けました。
くつろいでいると、母が外に出かけたそうにしているので、一緒にご近所一周の散歩。一緒に手を繋いで。
母が認知症が進んでもう3年?今までで自分でできていたことが段々できなくなってきています。バリバリ私と一緒に診療所で事務長のように働いていた頃の母を思うと、やっぱり切ない気持ちがこみ上げてきます。元気でいてくれること、そのことがうれしいです。
今年の1月に顔面のヘルペスに罹り、両瞼がパンパンに腫れあがり、自分で歩くことも食べることもできなくなってしみました。治療のかいもあって、今では一人で食事もでき、だいぶ衰えましたが一人で歩くこともできるようになりました。やはり元気でいて欲しいです。
父は今の私の様に、毎日診療所に行っていました。父とはあまり話すことがなく、母と話す機会が多かったです。旅行も父は診療所を休むことが出来ないので、母と私と妹の3人でいつも言っていました。
父が脳梗塞で倒れて、急遽私が京都に帰ってきて診療所を継承したのですが、保険の請求の仕方もわからず、患者さんの診察、治療しかできない私をしっかりと支えてくれました。
私が帰ってくる前に手術の予定が決まっていた患者さんには、「院長が脳梗塞で倒れたので手術ができません。息子が帰ってきて、息子が手術をすることになるのですが、かまわないでしょうか?不安でしたら、京都の肛門科の先生を紹介します」とすべての患者さんに電話をして、確認をとってくれました。すべての患者さんが私の手術でいいとおっしゃってくださいました。その時は、目の前のことでいっぱいだったので、何も思いませんでしたが、一度も会ったことのない医師に手術を託す。すごいことだと思います。このことは私の祖父、そして父、そして診療所で受付をしていて電話をかけてくれた母のこれまでの診療が患者さんとの間に強い信頼関係を築いていたことを意味するんだと後から感じました。
母は、診療所だけでなく様々なことで、これまでの私を支えてくれました。そして、認知症になった今でも、私を支え続けてくれています。そんな母に感謝していかなければならないなと思います。
母は、小さな子供を見かけたりした時にとても素敵な笑顔を見せます。すごく優しい笑顔です。そんな母の笑顔が私は大好きです。いつまでもそんな母の素敵な笑顔が見続けられるようにしていきたいと思います。
内痔核手術後の出血に対しての対処法
今回は、晩期出血を起こした時の対処方法です。どちらかというと私たち医師側が行う処置についてのお話です。
前回お話したように、晩期出血は痔核根治術だけでなく、輪ゴム結紮法でも起きる可能性があります。内痔核を外科的に治そうとすると、どうしても避けては通れないことです。
痔核根治術の場合はその頻度は約1%です。しかし、この晩期出血が起きた場合は、速やかに止血処置などの対応をする必要があります。そのことに対して私たちは万全の体制を常にとり、晩期出血に対してしっかり対応できる技術を持っていなければなりません。
患者さんが出血だけでなく、術後の不安があった場合に、直ぐに連絡が取れるように体制をとる必要があります。渡邉医院は、入院患者さんがいらっしゃるので、夜夜中でも必ず当直がいるので、渡邉医院に電話をしてもらうと、24時間必ず連絡が付きます。また渡邉医院に連絡があると、必ず私に連絡が付くような体制をとっています。ですから、私は24時間オンコールです。
やはり手術後出血だけではなく、様々なことが起きる可能性があります。何か患者さんが不安に感じたときに、必ず連絡が取れる体制は最低限取っておく必要があると思います。
電話で患者さんと話すことで、今、どんな状態かはある程度分かります。出血に関しては、術後何日目か、どんなふうに出血しているか、連絡してくれるまで何回出血があったかなどを聴くことで緊急性が判断できます。
痔核根治術や輪ゴム結紮法で、内痔核の根部の動脈からの出血を起こした場合は、頻回の下痢状の出血です。このような状態であれば、直ちに診療所に来てもらう必要があります。動脈からの出血なので、自然に止まることはありませんし、頻回にしかも多量に出血するので、血圧も下がってきます。急いで家族の人に車で診療所に連れてきてもらうか。場合によっては救急車で搬送してもらってもおかしくない程度の出血をします。絶対に自分で運転しては来ないでください。
さて、出血で診療所に来られた場合、まずは、患者さんの全身の状態を見ます。顔色、歩いてこられた場合はその歩き方など、止血の処置をする前に、血管確保して点滴をしなければならない状態かをすぐさま判断します。必要と判断した場合は、まずは血管確保をして点滴をします。その後に、出血の具合、どの部分から出血しているのかを確認していきます。
患者さんの全身状態が落ち着いている場合は、まずは診察ベッドに横になってもらい、診察していきます。まずは肛門指診です。出血している場合は、肛門指診の際に指を入れたときに指に血がついてきたり、指と肛門の隙間から血が流れてきます。次に肛門鏡で診察していきます。手術をして間がないので、肛門鏡を挿入する際に痛みが伴いますが、軟膏をしっかりつけ、ゆっくり挿入していくことで肛門鏡を挿入して、出血の具合を観察することが出来ます。肛門鏡は必ず筒型の肛門鏡を挿入して観察します。内痔核の手術をしての出血では、内痔核の根部は肛門の外側から約3㎝のところです。ですから、筒型の肛門鏡を挿入することで、根部からの出血があった場合、肛門鏡で出血部分を圧迫してとりあえず止血でき、次の準備ができるからです。
ただ、内痔核の根部からの動脈性の出血の場合は、来院されるまでに、直腸内に多量の血が凝血塊として溜まっていることが多いです。ですから、出血部分をしっかり十分に観察するためには、直腸内にある凝血塊を出してしまわなければなりません。そうしないと、止血処置をしようとしても、直腸の奥の方から凝血塊が次から次へと出てきて、出血部位を確認することができないからです。ただ、この直腸にある多量の凝血塊を取り除く際に注意が必要です。直腸内に凝血塊がある間は意外と血圧は保たれていくことが多いのですが、直腸内の凝血塊を出すときに、やはり下痢状に出てくるので、この際に血圧が下がってしまうことがあります。患者さんの状態を診ながら行わなければなりません。
ある程度直腸内の凝血塊が取り除けて、出血部位を確認出来たら次は止血処置に入ります。
渡邉医院では手術もそうですが、止血処置する際も局所麻酔で行います。十分に手術をするときと同じように麻酔をかけることで、肛門を十分に広げることが出来、止血処置が容易になります。
さて止血処置ですが、まずはガーゼを直腸に詰めて、直腸の奥のほうに残っている凝血塊が流れ出てこないようにするのと、ガーゼを詰めることである程度圧迫することが出来るので出血の程度が減ってくれます。場合によってはガーゼを詰めずに止血処置を行うこともあります。
さて、止血ですが、バイポーラといって凝固止血器があるのですが、内痔核の術後の動脈からの出血ですと、バイポーラによる凝固止血では十分に止血することはできません。ですから糸で出血部分を結紮して止血する必要があります。
京都に帰ってきたころは、出血している内痔核の根部に糸をかけて止血しようとしていました。ただ、いきなり、根部に糸をかけようとしてもなかなか難しいことのほうが多いです。
動脈から出血している場合は、出血している部分に糸をかけようと思ってもなかなか出血部位の確認して、思ったところに糸をかけられないことがあります。どんどんあふれてくるように出血してくることもあります。ある程度出血が治まってきている場合にはいきなり出血部位に糸をかけて止血することは可能ですが。では今はどうしているかですが、まずは出血している部分より外側、肛門の外側に近いところから糸をかけていきます。この糸を支持に段々奥のほうに、出血している部分へと糸をかけていきます。手前の糸を引っ張ることで、出血がある程度コントロールでき、出血の量が減ってきます。このように手前から次第に出血部位に、さらに出血している部分よりも奥に糸をかけて、それぞれを結紮していくことで止血することが出来ます。このようにいきなり、出血部分に糸をかけて結紮して止血しようとせずに、手前から糸をかけ、最終的には出血部分より奥に糸をかけ、それぞれを結紮することで止血が可能となります。
止血処置が終わった後は、病室で安静にしてもらいますが、最低1時間は休んでもらっています。出血の量が多かったり、血圧が低かったりした場合は1日入院してもらうこともあります。
後は患者さんの精神的なフォローです。術前から晩期出血のことはお話しますが、いざ自分がなると、その精神的なダメージは大きいです。どうしても出血したこと、また再度止血処置を行ったことで、精神的なダメージを受けます。そのダメージをしっかりとフォローしていかなければなりません。その一つは、止血処置をした後はもう一度の出血はまずないこと。また止血処置をしたとしても、傷の治りが振り出しに戻るわけではないこと、傷は全体的に治っていて、出血した部分は一点だけ、出血したからと言って振り出しに戻って、一から出直しではないことなど、しっかりとした精神的なフォローが必要です。
輪ゴム結紮法でも術後の出血は起きる!術後出血の対処法。
今日は少し怖い話と、その対処法についてお話します。
内痔核に対して手術を行う際どうしても避けられないのが、術後の出血です。
内痔核を根本的に治そうとすると、内痔核は静脈瘤なので、どうしても内痔核の流れ込む動脈を処置しなければなりません。内痔核を治すために動脈の処理をするのですが、その方法が糸で動脈を結紮したり、輪ゴムで結紮したりします。でもいずれも動脈を縛ることをします。したがって術後内痔核に流れ込む動脈の根部を縛り、切除した部分が壊死脱落していくときに動脈からの出血を起こすことがあります。このことは輪ゴム結紮法と言って、内痔核に輪ゴムをかけて内痔核を壊死脱落させる方法でも同じことです。輪ゴム結紮法だから出血を起こさないというわけではありません。
渡邉医院で内痔核に対して痔核根治術を行た場合、これまで約1%の頻度で、内痔核の根部を結紮した部分からの出血があります。この出血は術後7~10日目頃に起き、晩期出血といいます。他の施設でもほぼ同様の頻度で起きています。
痔核根治術を行った後の晩期出血の原因はなにかと考えてみますと、まずは手術手技がどうであったかです。内痔核を十分に剥離して、なるべく結紮する部分の量が多くならないようにして結紮することで晩期出血をすくなくすることができると考えています。内痔核を剥離していき、周りの靭帯を切除していくと、静脈瘤としての内痔核と粘膜、そして動脈だけにすることが出来ます。こういった状態で根部結紮をすると晩期出血はすくなくなると考えます。十分な剥離がなく、さまざまな組織をいっしょくたにして結紮してしまうと、術後の痛みも強く、出血の可能性があると思います。また晩期出血が起きるときは根部結紮した部分が壊死してきれいに脱落してくれると、晩期出血はないのではないかと思っています。晩期出血をした際に、止血術を行う際に麻酔をして出血部位をみてみると、壊死した組織器が残っており、根部結紮をした糸もあり、その分が炎症を起こして出血している場合があります。こういった患者さんを診てみると、術前の検査で貧血があったり、肝臓の機能が悪かったり、糖尿病などがあったり、基礎に何らかの病気を持った方に多い印象があります。こういったことからも術前の検査で患者さんの状態をしっかり把握しおくこともたいせつだと思います。ただ、こういった要因がないにも関わらず晩期出血を起こすこともあり、常に術後の晩期出血に対して対応ができる体制をとり、直ぐに止血することが必要です。
さて、輪ゴム結紮法では晩期出血を起こさないと思っている方がいます。輪ゴム結紮を行う時は麻酔をしなくても行うことが出来ます。また適応を間違えずに正しく輪ゴム結紮法を行うと痛みなく、比較的簡単に治療することが出来ます。ですから、輪ゴム結紮法は簡単で出血もしないと考えてしまうことがあるのだと思います。
幸いにも、渡邉医院では輪ゴム結紮法後の術後の出血はこれまで経験はありませんが、他院で輪ゴム結紮法を施行され、術後の出血で止血術を行った患者さんはいらっしゃいます。ですから、「輪ゴム結紮法では術後の出血は起きない。」というわけではありません。これまで当院で輪ゴム結紮後の出血が起きていない要因を考えてみると、まずは、あまり大きな内痔核に対して輪ゴム結紮ができないということ。輪ゴム結紮器のドラムの中に入る程度の内痔核にしか輪ゴムが欠けられないこと。内痔核の大きさがあまり大きくないということが一つあると思います。また輪ゴム結紮は万能の手術方法ではありません。これまで行ってきた輪ゴム結紮の適応が間違っていなかったことも意味するのかなと思います。また輪ゴム結紮する際に内痔核をあまり引っ張り過ぎてドラムの中に引きこんでしまって、大きく輪ゴムをかけてしまうことでも出血を起こすリスクは高まります。むりやり引っ張り込んでの輪ゴム結紮は危険ですし、こういった内痔核は輪ゴム結紮の適応ではないということになります。
このように内痔核に対して外科的に治す際にはどうしても動脈を縛ることが必要になり、このことによって、どうしても晩期出血の危険性が必ず付きまとってきます。ですから、しっかりと治療法の適応を判断して、1%の晩期出血が何時おきても、常に対応できる体制、技術をもっていなければなりません。
次回は晩期出血に対しての具体的な対処方法をお話したいと思います。少し怖い話が続きますが大切なことなので、お付き合いください。
明日の憲法記念日に寄せて
【日本国憲法 前文】
『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。』
明日、5月3日は憲法記念です。各地で憲法に関しての集会等が開催されると思います。
今、改憲問題が注目を集めています。私は、本当に憲法改正の必要があるのか、疑問を感じています。日本国憲法の底流には戦争への反省、二度と戦争を繰り返してはいけないという決意があります。今、私たちはその理念をしっかりと実現できているのでしょうか? 物事を変えるときは、一度は実現させて、実現した時に起きる問題点を修正していく。これが順序ではないでしょうか?一度も実現させないまま、古くなったと改正してしまう。このことがおかしいと思っているのです。
さて、話は少し変わりますが、私の父は、ヒロシマに原爆が投下されたとき、広島の江田島にある海軍兵学校にいました。そのすさまじい衝撃と原爆雲を体験しました。その後、広島の悲惨な状況を目の当たりにして京都に帰ってきました。
京都に帰ってきて、旧制三高への編入試験の口頭試問の時、「今度の戦争は正しかったと思いますか?」という質問をされたそうです。父は、「貴方達教育者から正しいと教えられ、それを信じて今まで生きてきました。」と答えたそうです。父が17歳の時です。この質問の答えを探すことがその時の父の生きるテーマであり、この時に「戦争は間違っていた。」ときっぱり言えなかったことを悔やんでいたそうです。
戦争は、国の利益を守るという自衛の名のもとに、私たちの知らないうちに私たちの利益に関係なく進められてしまいます。私たちが平和だと感じている時代においても、私たちが戦争に対して少しでもすきをみせると、その隙間に入り込み、いつの間にか、その実態を隠しながら私たちに迫り、私たちを戦争へと巻き込んでいきます。そして、いつのまにか戦争を正しいものへと変えていってしまいます。戦争の恐ろしさは、そこにあります。いくら施政者が「戦争は絶対にしない」「戦争をする法案ではない」と言っても、一端戦争への扉を少しでも開くと、戦争は自分の思惑をこえて、始まり、広がっていきます。
戦後74年、私たちのなすべきは、日本を戦争ができる国にするのではなく、なぜこのような戦争が起きてしまったのか、なぜ防ぐことができなかったのかをしっかりと検証することです。
私は戦争を経験することなく58年間生きてきました。これは祖父母や両親が戦争を経験して、今後日本では決して戦争を起こさせてはいけないという誓いのもと、平和憲法、9条を守り育ててきたからです。今回の改憲論が出てくる要因は、国として、戦争に対しての反省、検証がしっかり行なわれていないことであり、戦争に対しての反省があれば決してこのような議論が生まれてくるはずはありえません。
戦場で相手から銃口を向けられたとき、そして相手に銃口を向けた時、初めて戦争への真の恐怖、戦争の愚かさを感じるのだろうと思います。そして相手に向けた銃の引き金を引いたとき、その時、殺された人、殺した人、いずれもがその人たちがこれまで築き上げてきたものを全て失ってしまう。でもそれでは遅すぎます。
想像してみてください
愛する人、愛する子供、孫が戦争に行く姿を。そして戦場で人を殺し、そして殺される姿を。
想像してみてください
愛する人、愛する子供、孫が戦争で死に、棺に入って家に帰ってくる姿を。
その時の悲しみ、絶望感を。
想像してみて下さい
仮に戦争で命を落とさなくても、愛する人、愛する子供、孫が負った心の傷を。
そして、この心の傷は決して癒すことはできません。
これらのことに対してだれが責任を持てるのでしょうか?
私たち医師は、病気に対して早期に発見して、早期に治療をすることを目指しています。また、そういった病気が起きないように、社会の環境の改善を行ってきています。平和に関しても同じだと思います。戦争へ導く可能性のあるものは早期に発見し、早期に治療しなければなりません。また、戦争が起きない環境もつくっていかなければなりません。これが私たちの医療に従事するものの使命です。
戦争をすることでだれが喜ぶのでしょうか?私たち国民はだれ一人戦争を望んでいません。
にもかかわらず、なぜこんなにも急いで、戦争法案を成立させようとするのか。なぜ平和憲法、9条を壊そうとするのか。私たちは想像できません。
想像してみてください。
武力ではなく、平和憲法9条によって世界が平和になる姿を。そして心からの笑顔で幸せに暮らせる世界を。私たちはこのことを望んでいます。
私たちはこれまで守り育てられてきた平和憲法、9条をこれから先も守り育て、さらに力を持たせ、実現させていかなければなりません。
最後に、父の書いた「痔のおはなし」の終わりに父の本質である詩を紹介します。ゲーテの「エグモント」の中で、クレーヘンが愛するエグモントを思って切なく歌う詩です。
よろこびと
かなしみと
あふるる思い
たちがたきせつなさに
なやみはさらず
天高くよろこびの声をあげ
死ぬばかり悲しむを
さちあるはただ
恋するこころ (栗原 佑 訳)
父はここで「常に広い世界の人民の苦しみ、なげき、あこがれ、たたかいを忘れずに、我々もまた人民の一人であることを自覚し、人民を恋するこころ。その幸せを身にしみて味わえるようになりたい。そのために、今やらなければならないことを迷うことなく進まなければならない。」と言いたかったのではと思います。
今、私たちは現行憲法の理念を実現させたいかなければなりません。そしてその憲法を私たち日常の暮らしの中に活かしていくことこそが、今、私たちのしなければならないことだと確信しています。
手術は頭でする。
前回、「手術を進める右手、「場」をつくる左手」というお話をしました。今日は、「手術は頭でする」というお話をしたいと思います。
父が私によく言っていた言葉に、「手術は手でするのではなく、頭でするものだ。」という言葉があります。「目の前にいる患者さん、一人一人をしっかり治していくことが大切だ。」という言葉と同様に、私の心に残る言葉です。
さて、私が大学の外科の医局にいたころ、医師になって1年目、初めてする手術は急性虫垂炎、盲腸の手術です。その頃は医師国家試験に合格して、医局に入るのが6月でした。
6月から本格的に外科医として、医師としての研修を受け、一人前の外科医に向かっての歩みが始まります。患者さんの診察の仕方、点滴の内容や指示の出し方、処方の仕方、検査の出し方、そのみかた。外科の手技としては糸結びの練習、局所麻酔や縫合の仕方などなど、様々な研修や練習が始まります。そういった研修を続け、夏休みが終わったころにいよいよ実際の手術の経験を患者さんですることになります。
その一番初めにする手術が急性虫垂炎です。手術の際は講師以上のベテランの先生が前立(執刀医の前に立って手術をサポートするので「前立」といいます。)、第一助手として指導して下さいました。同僚が手術をしていく中、急性虫垂炎の患者さんはいつ受診されるかわからないため、いつ受診されても大丈夫なように、手術のシミュレーションをいつも頭の中で繰り返し行っていました。
皮膚切開をして、筋層を広げ、腹膜を切開する。その時はどこを何を使って把持するか。また虫垂を探し確認する方法はどうするか。結腸紐をたどっていくと虫垂に到達するとか、虫垂を確認出来たら何を使って虫垂の根部を把持するか。炎症を起こした虫垂を切除したらどのように切除した断端を処理するのか。タバコ縫合はどうするか。切除した後何に注意して観察しなければならないか。ドレーンを置くのか置かないのか。閉腹する手順はどうするか。等々頭の中で何度もイメージしていきます。またトラブルが起きるとしたらどのようなことが起きるのか。起きたときの対応の仕方はどうするのか。といろんなことを頭の中で想定してイメージしていきます。
そんな中、先輩の医師がよくこんなことを言っていました。「お前、何回頭のなかで手術してきた?」手術に際しては頭の中で何度も何度も繰り返し手術をしていろんなトラブルなどのケースを想定してどう対処するかなど、常にイメージすることが大切だあること。その毎日のイメージトレーニングが手術を上達させることだということを先輩は私たち後背に教えていました。
また、手術をした後の手術記録を書くこと。これも私たちにはとても勉強になります。行った手術を振り返り、もう一度手術を頭の中で繰り返しながら、術中に起こった問題点をどう解決していったらいいかを考えるいい時間です。こういったことを繰り返すことで外科医は手術の腕を上達させていきます。
父がいった「手術は頭でするものだ。」の一つの意味はこのことです。
「手術は手でなく、頭でするものだ」のもう一つの意味は、いくら手先が器用でも、手術をする部分の解剖的な構造やどこにどのように血管が走行しているのか。手術を行う前にどのようなデザインで手術をしていったら術後の経過が良くなるか。どんなデザインにするのか。今、手術で剥離している部分はどこなのか。正しい手術層で剥離しているのか。そういったことがしっかりと頭の中に入っていて、そのことを実行できることが大切で、いくら手先が器用でも、頭がなければ手術はできないという意味を教える言葉です。
このように、実際には手術をしていなくても、頭の中では何回も何回も手術をすることが可能です。そのことを繰り返すことで、患者さんに最善の手術を提供できると感じています。
手術を進める右手、「場」をつくる左手。
10連休というゴールデンウイークが始まり、そして平成に代わり令和になりました。でもなんとなく天気は不安定でよくありませんね。連休後半を期待したと思います。
さて、今回は手術をする際の右手と左手の役割についてお話したいと思います。利き手の右手だけでなく。左手の役割が、手術を上手く、美しく進めるのに大切です。
手術を進める右手、「場」をつくる左手
私は右利きですので、メスやハサミを持つ手は右です。右手で組織を剥離したり、切除していきます。でもこの時に大切なのが左手です。手術が上手くいく行かないは左手にかかっているといっても過言ではありません。右手は手術を進めていく役割、左手は手術を進めていくための「場」をつくる役割があります。この二つが具合よく合わさることで手術を進めていくことが出来ます。
内痔核の手術の場合。
例えば内痔核の手術をする際に、コッヘルといって、組織を把持する器械があります。
まずは内痔核を切除する際にドレナージをつくろうと考えるところに、肛門縁とそこから少し離れた部分をコッヘルで把持します。この2本のコッヘルを左手がもってそれを具合よく緊張をかけながら、右手に持ったハサミで皮膚を剥離していきます。この際にハサミでジョキジョキ切っていくのではなく、左手が持っているコッヘルを具合よく緊張を持ちながら引っ張り、突っ張っている組織や靭帯を切るというよりは剥がしていくようにハサミを使うと、きれいに内痔核の根元まで剥離していくことが出来ます。
この時右手のハサミで切るではなく、左手のコッヘルを引っ張り剥がしていくといったイメージです。そうすることで手術創からの出血も少なく手済みます。どうしてもハサミで切るといった具合に進めていくとどうしても深い層に傷が進んでいき、出血の量が増えてきます。どちらかというと左手のコッヘルを引っ張ることで剥がすことが主体で、右手のハサミがそれを補助するといった感じです。また右手のハサミで組織を剥離したり切除する際に左手の指の感覚で、突っ張っているところを見つけ、そこを剥離切除を進めていくと内痔核が肛門の外に出てきて、内痔核の根部にある動脈を縛りやすくなります。このように十分に周りの組織から内痔核を十分に剥離して根部を結紮することで、術後の痛みも軽減します。
痔瘻の手術の場合。
また痔瘻の際は、左手の指で痔瘻の原因である原発口を確認しながら痔瘻の瘻管を剥離していきます。痔瘻の手術の際は二次口からメスやハサミで瘻管を剥離していくのですが、術中にその剥離が進んでいる瘻管を引っ張ることで、原発口が確認出来たり、左手に指で原発口を確認しながら瘻管を摘出していきます。このように左手は、手術の「場」をつくり、手術を誘導していく重要な役割を担っています。
止血の場合。
また、手術中の止血をする際も重要な役割をします。右手にはバイポーラといって凝固して止血する鑷子を持っています。このバイポーラで出血している部位を止血していきます。
その際にやはり左手は止血する「場」をつくる役割をします。指で手術をしている創を広げて、出血している部分がしっかりと確認できるようにします。この「場」が十分にできないと、なかなか止血することが難しくなります。やたらめったらバイポーラで凝固しても止血はできません。十分に「場」をつくり、出血部位が十分に確認できるようにして、ワンポイントで止血していきます。
このように、手術を進めていく右手、止血する右手。そしてそれを容易にするためにしっかりと「場」をつくる左手。この両方がしっかりとその役割を果たすことで手術が上手く、美しくですすめていくことができます。
話は変わりますが、私たちにとっても、そういった良きパートナーが必要なんだなと感じます。それぞれの役割をしっかり果たすこと、そしてそのどちらが欠けてもいけない。そんな関係が持てるパートナーがいるといいですね。
国が進める医師偏在是正策で具体的に何が失われるか。
前回、「医師偏在を理由に開業規制を進めている情勢について」をお話しました。そこで今日は、国が進めている医師偏在是正策がこれから押し進められていくと、どうなってしまうのか、何が失われてしまうのについて、具体的にお話したいと思います。
京都府において「医師偏在指標」、「外来医師偏在指標」はどうなっているのか。
国は医師偏在指標と外来医師偏在指標を用いて全都道府県と二次医療圏について、医師多数三次医療圏、少数医療圏、医師多数区域、少数区域、そして外来医師多数区域を叩き台として示しています。では京都はどうなっているかですが、医師偏在指標については、京都府は全国第2位の医師多数三次医療圏とされています。二次医療圏でも京都・乙訓医療圏は全国第10位の医師多数区域です。外来医師偏在指標でも京都・乙訓医療圏は全国第6位、山城南医療圏は第101位で外来医師多数区域です。
また、国は診療科別必要医師数も公表しています。国はあくまで機械的な計算としていますが、そこでも京都府は、臨床検査・脳神経外科以外は、各診療科が軒並み「過剰」と推計されています。
こういった状況を踏まえたうえで、渡邉医院が今後どうなるかを考えてみたいと思います。
医師偏在指標、外来医師偏在指標の下で渡邉医院はどうなるか?
渡邉医院があるのは京都市の上京区です。診療科は肛門科のみです。ちなみに、現在の医療法では「肛門科」と標榜することはできないため、「肛門外科」となっています。このことにも意見はあるのですが、そのことについてはまたの機会にしたいと思います。
渡邉医院は祖父の時代に開設され私の父そして、私へと継承されてきました。この90年の歴史はとても大切な歴史だと思っています。様々な診断方法や治療法。手術の仕方など歴史が培って今の技術へと進化、発展してきました。これから先もさらなる進化を遂げて、患者さんにその技術を提供していきたいと思っています。しかし、今、国が進めている医師偏在是正策が進められていくと、このことが不可能となってしまう可能性が高いと考えています。
なぜ不可能になるのか。
さて、それはなぜかということをお話します。
私は今現在59歳です。今はバリバリと脂がのって診察や治療、手術をしています。でも、今から20年経てば私は80歳になります。おそらく診察はしているだろうと思いますが、手術をしているかどうかはわかりません。
そうなったとき、おそらく私は次の世代にバトンタッチして、継承者してくれる人にこれまでの渡邉医院の歴史、その頃は110年間にもなる歴史の中で培ってきた診断技術や治療方法、そして手術方法などを伝え、さらなる進歩を継承者に託していると思います。でも国の医師偏在是正策が貫徹なれるならば、これが叶わぬ夢となってしまいます。なぜならば、今渡邉医院がある京都市は外来医師多数区域になってしまうことが考えられるからです。継承者への院長交代は「新規開業」です。その場合、外来医師多数区域ですので開業に制限がかかります。さらに肛門科は外科に含まれており、肛門科は少なくても外科が過剰だと推計されれば、外科の新規開業も制限されるかもしれません。外科には外科、呼吸器外科、心臓血管外科、乳腺外科、気管食道外科、消化器外科、肛門外科、小児外科などが含まれ、すべてが外科としてカウントされるからです。ですから京都に肛門科が少なくても、外科が過剰なため、新規に開業することはできません。こういったことは、すべての医療機関に当てはまることです。これまで培ってきた地域医療や技術などが、継承できなくなってしまいます。このことはとてもおかしなことだと思います。
医師少数区域での親子継承もできなくなる可能性が。
また今、医師少数区域で開業されている医師がいた場合、例えば息子さんも医師になって、研修を終えて、ある程度実績を積んで、そろそろ親の診療所を継承しようと思った時、息子さんが京都以外で働いていたとしましょう。そうすると、三次医療圏の医師少数医療圏に他の三次医療圏からの医師の確保は行わないこととすると国はしていますから、息子さんは、親の診療所を継承できないということになります。京都府外の医学部で勉強して、京都以外で研修を終え、実績を積んでいざ京都に帰ってこようと思っても、それが出来ないことになってしまいます。このこともおかしなことだと思います。
魅力的な医師、診療所が地域から消えていく。
こういったおかしなことが起き、これまで地域を支えていた魅力的な医師や医療機関が次々に無くなってしまっていくということになってしまいます。このことは患者さんにとっても、非常に不利益なことになります。
これ以外にも様々な問題が今国が進めている医師偏在是正策には含まれています。こういった問題点を明らかにして、そして患者さんの力もかりて、今進められている医師偏在是正策を止めて今なければなりません。
医師偏在が起きている本当の理由は。
今起きている医師偏在の最大の理由は、今ある日本の医療封建制度の限界だと考えています。そもそも経済的に疲弊して、人口が減少している地域では患者さんを確保できず、開業しても採算が取れません。医師多数区域から少数区域へと医師を動かしても何ら解決策にはなりあせん。医師偏在が起きてしまった理由は、これまで進めてきた国の誤った政策の結果です。
ではどうしたらいいのか。
今の医療保険制度の下で医師偏在を是正させるには、国の政策を変え、地域の経済を再生させることしかありません。でもこのことは今すぐできることではありません。それまでの間は、公立の医療機関を配置して、行政の責任で医師を確保するしかありません。医師少数区域では公的な医療機関がその地域の医療保障をカバーしなければなりません。
また、医師不足地域での開業を可能とする仕組みも検討しなければならないと思います。当該地域での医業の採算ラインを明らかにして、採算点に達しない部分の費用は全額国費で賄う制度などの創設も必要だと考えます。患者さんにとって必要な医療を必要なだけ提供するにはどういった制度がいいのか、それにはどうしていったらいいのかを考え、患者さんとともに良き方向に進めていきたいと思います。