2月になりました。新しい渡邉医院の歴史の始まり。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
2月になりました。今日は2月3日、節分ですね。皆さんは恵方巻を食べましたか?
私はしっかり南南東を剥いていただきました。
恵方巻は、福や縁を巻き込んで1年の幸せや願い事がかなうようにという意味で、巻き寿司。そして七福神にあやかって7種類の疑材が入って太巻きがいいとのことです。
去年は本当に人生観が変わる激動の1年でした。今年は穏やかに、健康で1年が過ごせるよう願いました。
渡邉医院も1月19日に約10カ月ぶりに再開しました。まだまだ体力的に不安はありました。両足はパンパンに浮腫んでいるし、大きく息を吸うと思うと、腰回りがパンパンに張って深呼吸がしずらい状態。少し長い間歩いていると、息切れと目が虚ろになってしまったり。でも、そろそろ仕事をはじめないと、この10か月間収入が0。あたしたち家族の生活を守るためにもそろそろ仕事を始めないといけないなあと思いました。
とりあえず当分の間は、午前中の診療のみで行い、手術に関しては3月から始めようと思います。
再開して2週間が経ちます。私としてはまずまずしっかり診察ができ、まずまずのスタートだと思っています。やはり患者さんを目の前にすると、自然に身が引き締まり、しっかり体が動いてくれます。すごいもんだと思います。
やはり患者さんの前では、「悪性リンパ腫の患者」ではなく、「肛門科の専門医」として、しっかり取り組み、存在しなければなりません。
1月19日の木曜日に再開して、金曜日、土曜日と本当に大勢の患者さんが受診してくださいました。この三日間、午前中の診察が午後3時、4時となってしまいました。
私としては「渡邉医院を忘れないでいて下さったんだ。」と、とてもうれしい思い出いっぱいでしたが、待合室で何時間も待っていて下さった患者さんには、本当に申し訳ないと思いました。
その後も、大勢の患者さんが受診して下さり、毎日1時30分から2時頃まで外来が続きます。本当にありがたく感謝です。
この間の診療を通じて、本当に患者さんの優しさを感じました。
私は、皆さんの期待に、しっかりと答えていかなければならないと、決意を新たにしました。ありがとうございます。
この2週間の診察の間に、今すぐにでも手術をして治してあげたいと思う患者さんが何人か受診されました。本当に心苦しかったのですが、1か月間の外来診療で体調をしっかり整へ、しっかりした手術をしたいという旨をお伝えして、待っていただくことにしました。
こんな感じで、渡邉医院は再開して、新しい歴史を創り始めています。
最近、不思議な感覚を覚えました。
悪性リンパ腫になる前と同じように地下鉄まで歩き、地下鉄を降り診療所まで歩く。そして診療をする。極々普通のことなのですが、それがすごく不思議な感覚でした。
悪性リンパ腫に罹患したことが夢のような感覚。そして「今、しっかり生きているんだ。」という感覚。
渡邉医院の新しい歴史は始まったばかりです。焦らず、ゆっくり、そしてしっかり診療していきたいと思います。
まだまだ皆さんにはご迷惑をおかけすることがあると思います。優しい目で見守って下さいね。
明日、1月19日から渡邉医院は再開します!
皆さんこんにちは。
いよいよ明日1月19日より渡邉医院が再開します。渡邉医院の歴史が止まって10カ月。いよいよ渡邉医院の新しい歴史を創る1日目になりました。
長かったような、あっという間だったような。
今回の治療でいろんな経験をしました。大変な10カ月でしたが、でもそれなりに楽しい時間でもありました。きっと今回の経験が私の診療に大きな良い影響を与えてくれると確信しています。
まだまだ体調は、十分に元の状態に戻ったとは言えませんが、焦らず、のんびり、そしてしっかりと診療していきたいと思います。診察の時間も少し長くなって、受診された皆さんに、待っていただく時間も長くなってしまうかもしれません。すみません。
申し訳ありませんが、優しい目で気長に見守って下さいね。
渡邉医院の再開に向けて、そして体を慣らすために、今週は朝から通常通りに診療所に来ていました。
朝出かけるときに、妻に「どう?仕事に行く顔になっているかなあ?」と聞くと、妻は「う~ん・・・」という反応。チョット微妙。
家にいるときは「明日からの診療、大丈夫かなあ?」と不安になるのですが、診療所に来てスタッフの顔をみて、再開の準備をしているときは「大丈夫だ!」という気持ちになります。
まだまだ皆さんにはご迷惑をおかけすると思います。焦らず、ゆっくり、そしてしっかりと診療をしていきたいと思います。
明日からの渡邉医院の新しい歴史。よろしくお願いいたします。
R5年1月18日
渡邉医院 渡邉賢治
渡邉医院再開前に旧渡邉医院の懐かしい広告を紹介
渡邉医院の新しい歴史を創るために
大いなる希望に目覚める年に
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
去年は、本当に人生観を変えるような激動の1年でした。
何時も「死」という文字が頭のどこかにある感じです。「新年を迎えることができてよかった。」といった具合です。
こんなことから、今やらなければならないこと、今やりたいことを後の回すとできなくなってしまうのではないかと思うようになりました。ですから、今やらなければならないこと、今やりたいことは今直ぐにするようにしたいと思っています。
さて、今日上賀茂神社に初詣に行ってきました。良い天気で、温かかったです。
去年のおみくじは、「周りの人たちに支えられて吉。」でした。
本当におみくじ通りの1年間だったと思います。皆さんの支え。皆さんと繋がっていると感じたこと。例えばTwitterやYouTubeでの相談での患者さんとのやり取り。こういったことを通じて、療養中でも自分にできることがあるんだということがわかり、私の支えになり、力になりました。ありがとうございました。
さて、今年のおみくじはどうだったかというと、
「大いなる希望に目覚めるとき。何かを始めるのに最適。欲なければ人間関係も丸く、すべての条件に恵まれる。心身の充実を図ってよし。」
でした。病気のところは、「治るきざし見える。」でした。
今の私にとって、とても支え力になり、私を後押ししてくれる内容でした。
いよいよ1月19日から渡邉医院を再開する予定です。まだまだ完ぺきに元の状態に戻ってはいませんが、無理をせず、しっかりと診療をしていきたいと思います。
今年1年、どのような1年になるか少し心配なところもありますが、「大いなる希望に目覚めるとき。」ということで、希望をもって進んでいこうと思います。
渡邉医院の再始動、そして渡邉賢治の復活。楽しみな1年です。
まだまだご迷惑をおかけすることがあると思いますが、そんな時は遠慮なく頼らせていただこうと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。そして渡邉賢治、渡邉医院を温かく見守って下さいね。
1月19日。渡邉医院再始動!
年明け1月19日から渡邉医院再開!
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
クリスマスも終わり、今年も残るところ後6日間となりました。もう新年を迎える準備はできましたか?渡邉家はまだまだ進んでいません。新型コロナウイルス感染に注意して感染対策をとって、楽しい年末年始を迎えて下さいね!
さて、渡邉医院ですが、年明けの1月19日から再開しようと思います。
3月29日に緊急入院して、最終的に自家血幹移植を含めて治療を行ってきました。
10月の退院後もまだまだ肉体的、精神的な体力が落ち、リハビリをしている際に新型コロナに感染。今現在もリハビリ中で、まだまだ元の状態に完ぺきには戻っていない状態です。
両膝下の浮腫みや、そのためか体重も増えたりしています。
6か月に渡る悪性リンパ腫に対しての治療、大変な治療をしてきたんだなあと思います。そう簡単にはもとには戻らないんだなあとも思います。
そんな中、そろそろ渡邉医院も再開しなければと思っていました。
まだまだ体力的に心配はありますが、1月19日から渡邉医院を再開する予定です。
渡邉医院が休止となって10カ月も経ってしまったんだなあと思います。
さて、1月19日から渡邉医院を再開する予定ですが、しばらくの間は、診療は少し縮小して行おうと思います。
とりあえず、しばらくの間は午前中の診察のみにさせてもらい、月曜日から土曜日まで行おうと思います。また、2月からは第3土曜日は休診にさせていただこうと思います。
手術は今後も続けていこうと思いますが、1か月間は手術はせず、外来の診療だけにしようと考えています。ですから、入院施設はそのままです。ただ、入院も少し縮小して、今まで有床診療所5という施設基準で診療報酬を算定していましたが、ワンランク下げ、有床診療所としては一番下の有床診療所6を算定するように届出をしようと思っています。
スタッフは、以前働いてくださっていた職員が復帰しても良いとのお返事をいただき、まずは看護職員3人、事務職員1人の計4人から始めていきたいと思います。
再開後、どの程度患者さんが受診して下さるかなど、経営状況も不透明な点もあります。また、私がしっかりと診療できる体力が戻っているかなど、不安なことも多いです。
そういった不安を持ちながらの再開となります。
また体調を崩して再度渡邉医院を休止するようなことがあるといけないと思います。
焦らず、少しずつ、ぼちぼち診療を再開していきたいと思います。
まだまだ、皆様にはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
渡邉医院 渡邉賢治
戦争のない平和な社会を。子どもたちの未来へ。
皆さん、こんにちは。渡邉医院の渡邉です。
明日はクリスマスイブ。予定や準備はどうですか?ばっちり準備万端の方もいればまだまだ全然できていないという方もいると思います。
寒い一日になると思いますが、それぞれ、皆さん楽しい一時を過ごして下さいね。
さて、そのような中、今年1年間は「国を守ること、国民を守ることとは何か?」を考えさせられる1年だったと思います。
ロシアのウクライナ侵略では、権威主義的国家による民主主義・自由主義への挑戦。まだまだ終息が見えない新型コロナウイルスの感染。そこでは高齢者や障害のある人たちが入院出来ず、生命を落とす留め置き問題などの事態は発生しています。また12月16日に政府は、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛整備計画」の安保関連3文書を改定し閣議決定しました。この中には「反撃能力」(敵基地攻撃能力)が含まれています。このことは日本の防衛・安全保障政策を根本的に変更して、「日本が自ら戦争をする国」へと進んでいくことを意味しています。 そして、2027年に防衛費と関連予算を国内総生産(GDP)比2%に増額する方針も決定しました。
そしてそのための財源は躍起になってかき集めてくる。その財源に東日本大震災の復興のために私たち国民が納めている復興税を転用としようとしています。復興税をいのちを奪い、生活を破壊する防衛費に転用することは絶対に許すことはできません。
公約に無かった防衛費の増額、そしてそのための増税。公約にあった子ども支援や所得倍増は財源も含めて嬉々として進まないのに、なぜ防衛費だけはこんなに早く進めることができるのでしょうか?
国を守ること、国民を守ることとは何か?
戦争によって命、生活を破壊し、未来の日本を担う今の子どもたちの命を奪う防衛費を増額し、日本を戦争する国にすることなのか。
国を守ること、国民を守ることとは、今生きている人々が経済的な心配なく安心して暮らすことが出来る社会を作ること。そして、未来の日本を担う子どもたちの未来を希望あるものにすることではないのでしょうか。
私たちは、社会保障を充実させ、今生きている人々の命や生活を守り、未来を担う子どもたちを支え守ってく。そして、戦争のない平和な社会をのぞみます。
京都社会保障推進協議会は今回の件に関して声明を出しました。その内容を紹介しますね
声 明
「外国への攻撃を可能にし、日本を戦争にまきこむ憲法違反の安全保障政策に強く抗議する。」
12月16日に政府は、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛整備計画」の安保関連3文書を改定、閣議決定した。また、2027年に防衛費と関連予算を国内総生産(GDP)比2%に増額する方針も決定した。岸田首相の言う、「反撃能力」は、敵基地攻撃能力であり、国際法違反の先制攻撃につながりかねない。
いかなる安全保障施策が必要なのかという説明がないままに、財源確保だけが決定された。しかも、5年間で43兆円という防衛費予算の内容も大雑把でずさんなものだ。
当初、「国債を財源にしない」と発言していた首相だが、最終的には戦後初めて建設国債を財源にあてることになった。増税の時期も明確にしていない。東日本大震災の復興のために私たち国民が納めている復興税を財源にするという。このことに被災地からも怒りの声が上がっている。復興税をいのちを奪い、生活を破壊する防衛費に転用することは絶対に許すことはできない。
防衛装備移転を拡大し、国内軍事産業を育成する方針も盛り込まれた。憲法の精神とは絶対に相いれない。
岸田首相のかたくなな態度の理由は、アメリカの強い意向によるものだとされる。アメリカの軍事戦略に本格的に参加する中で、アジアでの緊張はより高まることになる。岸田首相は、安全保障環境の変化を理由にあげるが、中国や北朝鮮の軍備拡張に軍備の増強で対抗すれば、際限のない軍拡競争にエスカレートする。
日本のあるべき姿は、アジアも含めた外交による安全保障を具体的に進めることではないのか。東アジアの平和と安定へと進む道を自ら閉ざしかねず、逆に日本が自ら混乱を招くような道へと踏み出す国防戦略の大転換に断固反対する。
軍事優先の岸田内閣により、育児支援など、こども関連予算の財源確保の議論は先送りされた。人類の歴史の中で、戦争により社会保障・社会福祉は必ず後退させられてきた。その歴史を岸田首相は繰り返そうとしているのか。
政府の安全保障の方針変更発表を受けて、すでに自衛隊の配備が進んでいる沖縄県のデニー知事は、「沖縄が攻撃目標となる事態は絶対に招いてはならない」と外交による緊張緩和に取り組むことを政府に求めたと聞く。また、戦争、有事のリスクが高まり可能性があることから、沖縄から避難するという住民の不安の声も聞かれる。岸田首相は、国民の声をいまこそ聞かなくてはならない。
戦後77年目をむかえた2022年の年末に決定された岸田内閣の安保戦略は、日本の平和主義をさらに大きく変質させ、戦争できる国へ大きく足を踏み出すことになる。
私たちは、岸田内閣の決定に強く抗議する。そして、国民が有している平和的生存権を守り、日本の名誉のために崇高な理想と目的を達成するために、すべての国民と力をあわせて日本とアジア、世界の平和を守るために奮闘することを表明する。
2022年12月19日
京都社会保障推進協議会
議長 渡邉 賢治
少し長くなりました。
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退院後、2か月経って思うこと。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
10月5日に退院してもう2か月?まだ2か月?が経ちました。
入院していた時とは違い、いろんな思いを起こさせてくれます。
私が入院した時は、目の前の治療に取り組むことで頭の中がいっぱいでした。悪性リンパ腫という病名に驚くというよりは、今の状態をどう治していくのかを考えるのみでした。入院した時は、まったく食事もとれない状態でした。何日か経ってようやく食事が摂れるようになった朝食に、トマトスープが出ました。そのトマトスープを飲んだ時、「なんて美味しいんだ!」と、その時は個室に入院していたので、声を出して号泣しながら飲みました。泣きながら食事をしたのはその時が初めてでした。食事が美味しく食べれることがなんて幸せなこと感じました。このときからトマトスープのことを「命のトマトスープ」と呼ぶようにしました。この「命のトマトスープ」は以前のブログにも書きましたが、治療の節目節目に出てきました。忘れることのできないものとなりました。
寛解導入のための抗がん剤治療が5クール終わって下垂体近傍の腫瘍が消失して、完全寛解した時に初めて、「やっぱり悪性リンパ腫にはなりたくなかった。どうしてなってしまったんだろう。」と思うようになりました。少し気持ちに余裕ができたことと、あらためて悪性リンパ腫という病気に対してへの不安が出てきました。
こんな時に支えになったのが、ホームページへの記事のアップで、その時の自分の感じていること、自分の思いを書くことでした。書くことで、気持ちの整理が出来たり、不安が少しは解消できるような気がしました。また、TwitterやYouTubeでの全く知らない方からの相談も支えになりました。相談に答え、患者さんとのやり取りをしていることが、患者さんと自分自身が繋がっているんだという実感を持つことが出来ました。大げさに言うと生きている価値を見出せたような気がしました。
入院当初は、このコロナ禍もあり、自分一人で治療を受け治していかなければならないと思っていましたが、これは間違っていました。
目の前に誰もいなくても、近くで寄り添ってくれる人がいなくても、私を支えてくれる人がいるから頑張れたんだと思います。
また入退院繰り返しながらの治療でしたが、退院した時に、コーヒーを入れたり、朝ご飯の準備をする。食後の食器洗いやお風呂や家の掃除。また買い物に行く等、本当に何気ない日常の生活を送れることがとても幸せに感じました。そして、その何気ない日常生活を送ることがどんなに体力がいって大変なことも知りました。
退院してからは、入院の時の方が楽だったなあと感じます。入院中は目の前にある治療をしっかりこなしていくことだけを考えればよかったです。今、腫瘍は消え、血液検査的にも正常に近づいて、治癒の状態。悪性リンパ腫にならないための予防的な治療はありません。そうすると、その日その日の体調に一喜一憂してしまいます。目の調子が悪かったり、少し体調が悪いと再発してしまったのか?と考えたり、調子がいいときは治ってきたと喜んだり。退院にしてからの方が精神的な起伏が大きいです。こういった心の起伏も、また診療所を再開すると違ってくるのかなあと思います。
また今回の治療を通じて、「死」というものが今までとは違って、物事を考えるときに前面に出てきます。
「お正月を迎えることが出来るね。」とか、「誕生日はどうかなあ?」とか「息子や娘の結婚式には出たいね」なんて妻と話をしたりするようになりました。
やはり、悪性リンパ腫に罹患して、そしてその治療を通じて価値観や世界観が変わって来たと思います。
今しなければならないこと、やりたいことを後回しにすると、もうできなくなるかもしれない。今しっかりやっておかないといけないと感じます。
11月25日に39℃の熱が出て、気を付けていたのですが、コロナに感染しました。自家血幹移植後間もないので、重症化しないかと心配しましたが、4日後には解熱して症状も軽快していきました。本当にほっとしました。
ただ、2週間、自宅の部屋で隔離状態。退院した時以上に体力は落ちてしまいました。
1月10日から渡邉医院の再開しようと準備を進めてきましたが、少しその目標は無理かなあと思います。ただ1月16日の週には再開したいと思っています。再開の日にちなどはまたホームページ等でご報告いたします。
もうしばらくご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
便秘フォーラム「便秘を紐解く」に参加して。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。12月に入って寒い日が続きますね。
今日、久しぶりに外に出ると、そこはもう冬の景色。でも新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んで、リフレッシュしました。
というのも、自家血幹移植をして間がないので、結構気を付けていたのですが、11月25日に39℃の熱発。診察を受けると新型コロナウイルスに感染していました。とてもショックでした。
移植間もないので、重症化しないかと思いながら、自宅の部屋に篭り、隔離状態で療養しました。熱は3日間程度で下がりましたが、咳と鼻水が続くため、まったく部屋を出ずに過ごしました。たまたま部屋の隣にもトイレがあったので、(一家に2か所のトイレが必要と考えているので。)妻との同線は交わることなく、今日(発症後12日間)まで全く妻の顔を見ることなく過ごしました。
悪性リンパ腫の治療の時と比べて比較できないほどベッド上での療養になりました。今日外に出てみると、体力は激減していました。ゼロもしくはマイナスからのスタートです。チョット気合を入れていかなければと思っています。
さて、今日は「便秘フォーラム」にWEBで参加しました。その時の内容を少し紹介しようと思います。
今回のテーマは「便秘を紐解く」といった演題名での講演でした。
まず最初に話されたのが、「慢性便秘を治療する意義」です。慢性便秘の患者さんは「10年生存率を12%下げる。」ということでした。慢性便秘も機能性消化器疾患の一つですが、過敏性大腸炎などの他の機能性消化器疾患の中で、唯一生存率を下げるのが、慢性便秘ということでした。そして、生存率を上げるためにも慢性便秘の治療が必要であるということでした。
生存率を下げる理由の一つとして、慢性便秘の患者さんには、心筋梗塞、脳梗塞や静脈血栓などの心血管系のイベント、病気の発生頻度が上がるというものでした。
どうしても便秘の際、いきみが強くなります。強くいきむことで血圧が一気に30-70mmHg上昇するそうです。特に高齢者に多いとのことでした。この血圧の上昇、下降と似ているのがヒートショック、入浴時の血圧の上昇、下降です。したがって、慢性便秘の患者さんは、排便時に強くいきむ。このことによって血圧が上昇して心血管イベントが起きるというものです。
ただこれだけが理由ではなく、二つ目として便秘と腎臓病との関係です。
便秘は慢性腎臓病への移行を高くするということです。そして便秘がひどくなればなるほど、慢性腎臓病への移行率が高くなる、しいては末期慢性腎臓病に移行する率も上げるということでした。
この二つの理由の共通した原因が、便秘による尿毒素とのことでした。
私たちは卵や赤身肉などに含まれるコリンは、摂取すると腸内細菌によってトリメチルアミン(TMA)になります。TMAは腸管から吸収され肝臓でトリメチルアミンーN-オキシド(TMAO)になります。このTMAOの血中の濃度が高くなることで腎障害や心血管イベントが高まるそうです。
したがって、慢性便秘によってTMAの吸収が多くなりこのことによってTMAOの血中濃度が高くなる。したがって毒素貯留をなくすことが大事で、やはり慢性便秘の治療が必要となります。
このように、慢性便秘の治療は生命予後の改善を目指すのが目的となります。ただ、生命予後を改善と言われてもピンとこないと思います。もっと身近なところでは、慢性便秘の治療は日々の生産性の向上ということがあります。
慢性便秘の患者さんは、欠勤や労働生産性の低下など、仕事のパフォーマンスが下がったり、日々の活動性も低下するということです。これらを改善するためにも慢性便秘の治療が必要とのことでした。
さて、「便秘を治す。」とはどうゆうことか?演者によると「十分な量の便を完全に、そして迅速に排泄する。」ということです。これには便の性状を良くする必要がありますが、排便時の姿勢も大切ということです。以前にお話しした、「洋式便器と和式便器、どちらがいいの。」でもお話ししたように排便しやすい姿勢も大事になるとのことです。
最後に今回も胆汁酸の重要性をお話しされました。
具合よく便が出るには、「十分な水分」、「蠕動運動」、「便意」の三つを挙げられました。
この三つに胆汁酸は重要な役割を果たしています。胆汁酸の合成は加齢とともに減少します。このことも高齢者に便秘が多い理由の一つとなります。
便秘の人と、そうでない人の回腸末端を観察すると、やはり便秘の患者さんに胆汁が少ない傾向がありました。また便秘の方は胆汁酸の再吸収が多いのか、血中の胆汁酸濃度が高い傾向があるとのことでした。
こういったことから、慢性便秘に対して胆汁酸の再吸収を抑える下剤、エロビキシバットを使うことによって便秘を治療できる可能性があるとお話しされました。
今回の便秘フォーラムの内容はこんな感じでした。