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2019.08.11

お尻が痒い!

 お盆休みの期間になりました。帰省される方、旅行に行かれる方、家でゆっくりと過ごされる方などお盆休みの過ごし方はいろいろあると思います。でも、8月になって本当に厳しい暑さが続いています。出かける際も暑さ対策をして気をつけて外出してくださいね。
 そしてもう一つ気になるのが、台風の今後の進路、状況です。こちらも注意が必要ですね。
 渡邉医院はこのお盆休み中も16日の金曜日の夕方の診察だけは休ませていただきますが、そのほかは通常通りに診療をしています。お尻の具合の悪い方は受診してくださいね。

 さて、最近「肛門の周りが痒い。」という症状で受診される方が少し増えたかなあと感じます。そこで、今日は肛門の周囲が痒くなる肛囲皮膚炎について少しお話したいと思います。

 肛門だけでなく「痒い!」という症状はとてもつらい症状です。24時間1日中痒いわけではありませんが、お風呂に入った時や後、またお布団に入って寝ようとする時。また少しお酒を飲んだ時など、本来は気持ち良くなる時に痒みが襲ってきます。そして痒いのでついつい掻いてします。「掻いちゃダメなのに掻いてしまった。」という罪悪感も生まれて、とてもつらい症状、病気だと思います。「痒いのを掻くな!」これは無理だと思います。まだ、「痛いのを我慢して。」の方が我慢できます。ですから早く皮膚炎を治して症状をとって、痒みをなくすのが大切だと思います。

 さて、肛門が痒くなる肛囲皮膚炎の原因ですが、なかなか難しいところもあって、原因が特定できない場合もあります。でも痒くなる原因の多くが次の三つだと思います。

  • 1)お風呂に入った時に、石鹸でタオルでゴシゴシ洗う。

 まず原因の一つが入浴時に石鹸でタオルでゴシゴシ洗うことです。どうしても清潔にしなければいけないという思いが強くなるため、入浴時に一生懸命に洗ってしまう。これも一つの原因になります。肛門が痒いときにゴシゴシ洗うと、洗っているときは気持ちいいいのですが、かえって皮膚炎を悪くしてしまいます。また一生懸命に洗うことで、皮膚を守っているバリヤーも壊してしまいます。気になるかと思いますが、お湯だけで軽くサッと洗うだけにした方がいいです。これは皮膚炎が治った後も同じです。

  • 2)排便後、トイレットペーパーでゴシゴシ拭いたり、洗浄便座で必要以上に洗浄すること。

 もう一つの原因が排便後の処置です。どうしても排便後汚れをしっかり取ってきれいにしようと思い出、トイレットペーパーでゴシゴシ強く拭いてしまいがちです。どうしても強くゴシゴシ拭くと、肛門の皮膚に傷が付いたり、そこに汚れを擦り込むようになってしまいます。あまり強くゴシゴシは拭かない方がいいです。洗浄便座であれば、軽く洗浄して軽く拭く程度にしておくことがいいです。ただ、洗浄すると、段々その水圧が強くなったり、一生懸命に洗浄してしまうことがあります。あまり強い水圧で洗浄すると、肛門に傷を付けてしまったり、直接肛門に強い水圧で温水があたると、温水は直腸の中に入っていってしまいます。入った温水はどうなるかというと、後から出てきて反って汚れてしまったり、そのことで肛門が痒くなってしまうことがあります。以前、「温水洗浄便座の功と罪」というお話をしたことがあります。詳しくはそちらの記事を読んでいただければと思います。
 温水洗浄便座はあまり強く洗わず、軽く洗って軽く拭くようにするのがいいと思います。

  • 3)消毒液などの薬でお尻を拭くこと。

 最後は、消毒液やお薬でお尻を拭くことです。どうしてもお風呂で一生懸命石鹸で洗っても、洗浄便座で一生懸命洗っても痒みが取れないと、もっと清潔にしなければという思いで、消毒液やお薬で拭いてしまう人がいます。消毒してしまうと必ずひふの具合が悪くなって皮膚炎になってしまいますし、皮膚炎を悪くしてしまいます。消毒するときは「自分の体を犠牲にしてまでも」という言葉を最初につけるとよくわかります。

 例えば手術をする際に消毒するときは、自分の皮膚に負担はかかるが、体の外の細菌が、無菌の状態の体の中に入って欲しくないので消毒する。また、転んで怪我をした時は、傷の治りは悪くなるが、どんな細菌がいるかわからないので、しっかり洗浄した後に消毒する。こんな話を皮膚科の先生に聞いたことがあります。「耳たぶに皮膚炎があって、いろんな軟膏を使ってけど全然よくならない。おかしいなと思って、軟膏を付けるときはどうゆう風に付けていますか?ときいたところ、患者さんは軟膏を塗る前に必ず消毒してから軟膏を塗っていますと。この消毒が治らなかった原因で、消毒をしないで軟膏を塗ってもらったら、直ぐに治った。」と。このように、消毒するとどうしても皮膚には良い影響はあたえません。皮膚炎の原因になったり、皮膚炎をこじらせることがあります。
 後は肛門は便が通るところなので、下痢が続いたり、排便の状態にも原因があることがあります。でもまずはこの三つの原因が無いかどうかを考えてみてもらって、もしも思い当たるところがあればまずはそれをやめて、正しく軟膏を塗っていくと肛囲皮膚炎は治っていきます。

軟膏の塗り方

最後に軟膏の塗り方をお話します。
 「痒い!」という症状は皮膚炎になったから直ぐに出るというわけではありません。ある程度皮膚炎が進んでくると痒いとかしみるなどの症状が出ます。まずは原因となることを気をつけてもらって軟膏を塗ってもらうと皮膚炎は治ってきます。でも治るときは皮膚炎が完全に治る前に症状が取れてきます。痒みがなくなって治ったと思っても、実施はまだ皮膚炎が残っていることがあります。ですから、軟膏を塗って、痒みなどの症状が取れてもまだ皮膚炎は治っていないと考えてもらって、症状がなくなってからもしっかり塗ることが大切です。
 なかなか自分んで皮膚炎が治ったかどうかを判断することは難しいです。症状がなくなっても、軟膏は塗り続けて、軟膏がなくなったら、一度診察を受けて、症状が取れただけなのか、皮膚炎が治ったのかを診察してもらうことが大切です。そして治ってしまったら、原因と考えることを気をつけていけば、またぶり返すことはないと思います。

 私も原因の二番目のトイレットペーパーでゴシゴシで痒くなったことがあります。ゴシゴシしないように気をつけて、もらった軟膏をつけたら治ってしまいました。そしてぶり返していません。私が治ったので肛門の痒みで悩んでいる方もきっと治るはずです。一度受診してみて下さいね。

2019.08.04

私達医療にかかわるものなぜ平和を守る取り組みをするのか

 8月に入って戦争を考えるお話をしてきました。今回で5回目で、今回が最終回です。
 今回は、なぜ私達医療に係るものが戦争に反対し、平和を守る運動にかかわらなければならないかを考えたいと思います。
 さて、なぜ平和を守る、憲法をまもる運動に係らなければならないのかを考える前に、まずは私達の責務として守らなければならない「健康」とは何かを考えたいと思います。

 WHOの健康の定義ですが、ここに示したように、「健康」とは肉体的にも精神的にも病んでいない、病気ではないということだけでなく、社会的にも経済的にもすべてが満たされた状態であることと定義しています。このことを考えると健康である状態と戦争状態は全く逆の状態で、健康と戦争は真逆の存在です。戦争はすべてのものを奪ってしまいます。人の命だけでなく、人々の住む家、生活、そして心までむしばんでいきます。こういった状態は健康ではありません。私達医療に係るものは、目の前にいる患者さんの健康、そして国民の健康を守る責任があります。このことを考えると戦争へと進む、国民の「健康」を脅かすものには、どんな些細なことにも敏感になって、立ち向かっていくことが必要なんだと思います。ただそれは、街頭で戦争反対の声をあげたり、デモをするといったことだけではありません。目の前にいる患者さんの健康をどう守っていこうか、どうしたら守れるのか。患者さんと向き合うそのこと一つ一つが戦争反対、平和を守る運動につながっていくのだと思います。
 さらに私達は今ある憲法を変えるのではなく実現させていくことが必要です。これまで今ある憲法がその理念をしっかり実行されてきたのかな?と思います。今ある憲法の理念を一度も実行することなく変えてしまっていいのかと私は思います。
 私達医療に係るものの責務として、憲法第25条を実現させることにあります。後程憲法第25条については詳しく条文を紹介しますが、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。という、国民の生存権を保障し、国の社会保障的義務を規定した憲法です。でも憲法第25条だけを単独で実現させることはできるでしょうか?

 このことを考えるときに91325という数式を紹介しています。
 91325 これはなにを意味するかですが。
 9は憲法第9条です。9条は二項からなり、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を示したものです。
この憲法9条が壊されようとしています。
 戦後73年、平和を求め守り、戦争をしない国として、今の日本があります。安倍首相のこの12項を残して自衛隊を名文で書きこむという加憲論について憲法学者は、自衛隊保持の明文化は自衛隊合憲化が目的でなく、事実上の国軍化を意図するものと分析しています。「戦争する国」としての歩みが加速するのではないかと心配です。
 また、こうした、日本を軍事大国化するための一連の動きは、何も安倍首相のキャラクターや政治信念によるもののみではありません。日本を「世界一企業が活動しやすい国」にするための、新自由主義に基づく国家づくりの一環で、新自由主義改革の主要な標的である医療・介護・福祉制度を改悪していく改革と、根は一つです。私たち医療に係るものは、生命を守る立場からこの問題と正面から向き合う必要があります。
 13は憲法第13条です。個人の尊重、幸福追求権、公共の福祉を示しています。条文ではすべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。としています。
 25は憲法第25条です。条文では、1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。としています。
 91325が表すように、憲法第25条単独では成立しないものだと思います。9条、13条がそれぞれが重なり合って、それぞれを補完することでなりたっています。
 だれもが健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有するためには、国そのものが平和でなければなりません。そして、個人として尊重され、幸福を求める権利が保障され守られていなければなりません。この91325は私達医療に係るものにてって、欠かすことのできない数式だと思います。
 私達医療に係るものは患者さんや国民の健康を守る、そして憲法第25条を実現させることを責務としています。このことを成し遂げるためには、私達は平和な国造り、そして憲法を生活に生かす。そういったことを日々の生活のなかで考えていかなければならないのだと思います。
 戦争はその正体をみせることなく、私達にそっと忍び寄り、そしていつの間にか戦争へと私達を巻き込んでいきます。戦争に向かうものに対しては、どんな些細なことも見逃してはならないと思います。そういったものは早期発見、早期治療です。
 では私達が日々できることはなんでしょう。それは目の前にいる患者さんをしっかりみて、健康を守っていくことだと思います。患者さんと係っていく中でいろんなことがわかり見えてきます。そのことがおのずと戦争をしない、平和な世界をつくる運動につながっていくのだと思います。
 また、こういった平和をまもる、憲法を守り実現させていく運動を行っていくうえで、やはり私達の本業である医療がしっかりとして充実したものでなければなりません。そのためには看護職員、介護職員、医師そして医療に係る人たちの処遇や基本となる生活が守られ保障されていなければなりません。そういった意味でも、充実した医療が提供できるよう国に求めていかなければならないと思います。

 この写真は私の父ですが、当時の診療所の中に「憲法を暮らしに生かす」というポスターがはってありました。
 私たち一人一人憲法を暮らしの中に生かしていくことが大切なんだなと思います。
 私の祖父は佐賀県出身です。佐賀医専をでて、大阪にある加藤肛門科で肛門疾患の治療の修行を受けながら京大でも勉強していたようです。なぜ肛門科を選んだのかは、聞くことができませんでした。その祖父が京都に肛門科を開業する際に、大阪の加藤先生からのれん分けとして、この看板をもらいました。渡邉医院のなかで最も古いものです。診療所を立て替える際に修理していただき玄関に掲げています。

 この看板がこれまでの渡邉医院の歴史を見守ってきました。私はこれから先も肛門科ただ一筋に診療を続けていきたいと思います。そのなかで患者さんとかかわりながら、平和な世界、そして憲法第25条が実現されるように生きていきたいと思います。

 

2019.08.04

今も引きずる戦争の負の遺産

 今回は、今もなお戦争の負の遺産を引きずっていることをお話します。

 この20166月の京都新聞の記事は京都府内に旧優生保護法のもとで、89人の方が強制的に不妊手術、優生手術を行われた事実を1面でスクープ報道した記事です。この時点では、他紙や他メディアは後追い報道をしませんでした。でも、同7月に相模原障害者殺傷事件が起こると、その根底に流れる優生思想を感じ取った記者らが、少しづつこの問題に関しての記事を聞き始めました。こういったなか、20181月に優生手術、強制不妊手術をめぐり北海道の被害者が初の提訴に踏み切りました。
 1996年に「母体保護法」へ改められるまで、日本には「優生思想」に基づく「優生保護法」が存在していました。
 旧優生保護法の下で、障害のある人たちをはじめ、たくさんの人たちが強制不妊手術を受けさせられた。この「優生思想」の核心は、「不良な遺伝子」を「残さないため」に、障害のある子どもを「生ませない」という、信じがたい思想が根底に流れています。そしてその歴史をさかのぼると、やはり「戦争」が顔をのぞかせます。
 1940年に国民体力法・国民優生法が成立しました。この法律は、徴兵検査成績の「悪化」を受けて、その成績の向上を目指すための法律です。
 徴兵検査を意識した検査を実施して、将来、徴兵検査で甲乙丙丁の丙丁を生み出しそうな「病類」を早期に焙り出して、その拡大を防ぐもので、体力検査を実施して、国民体力手帳を交付して、鍛錬をさせ、兵士に使えるように仕立て、徴兵検査の合格となる「乙種合格」目指すようにしました。兵士に使うことが出来る国民を作るという法律です。
 この時、徴兵検査での合格が見込めないとされた障害のある人たちへの社会政策として「国民優生法」が誕生したと考えられます。「戦争にとって人的資源たりえる存在にはできるだけその保全、培養のため社会政策を活用するが、はじめから人的資源としてふさわしくないとした人間には、出生そのものを抑制し、国家が直接その出生に介入する仕組みを導入していった。」ということで、戦争に使えない国民は人間としての権利を一切認めないような「国民優生法」が1940年に制定しました。
こういった思想にはナチス・ドイツを範とした「民族優生」があります。
ナチスはユダヤ人虐殺より以前に、約20万人の精神障害者T4作戦といって虐殺しました。
「民族優生」は「逆淘汰と民族毒の影響を排除して民族の変質を阻止し、一方優良健全者の産児を奨励し、以て民族素質の向上と人口の増加を図り、国家永遠の繁栄を期する。というもので、「逆淘汰」とは優生学では、「劣悪者」が人口を占める比率が増加し、「優秀者」の比率が減少し、人口の質が低下することいいます。
戦争が終わったあともこの優生思想は続いていきます。
1945年敗戦後、民族復興策として「優生学」が取り上げられ、
1947年.社会党の衆院議員3人が優生保護法案を国家に提出。
「母体の生命健康を保護し、且つ、不良な子孫の出生を防ぎ、以て文化国家建設に寄与すること。」としています。
1948年.超党派議員提出の優生保護法が国会成立。
当時の「優生政策強化論」は「健全」な子孫をもたらすはずだった多くの若者たちを戦争で失う一方、社会の疲弊や混乱の中で、「不良な子孫」を生み出す危険性に満ちている。といった空気が拡大していきました。

1952年優生保護法が改正され、優生手術対象者に精神病、精神薄弱を追加。1962年.人口資質向上対策に関する決議(厚生省人口問題審議会)
「人口構成において、欠陥者の比率を減らし、優秀者の比率を増やすように配慮すること。」
1972年.人工妊娠中絶の対象から「経済的理由」を削除して、「精神的理由」を加えた胎児の障害を中絶の事由として認める。
しかし、このような流れの中、1995年に優生条項を削除した改正案を出し、優生保護法は母体保護法になりました。この背景には、同時期にらい予防法が廃止されるなど、国際的な批判があったことは少なくないとの指摘があります。
 でもこのように優生保護法は1995年平成7年まで存在していました。戦争の負の遺産がごく最近まであったということです。
 でも、まだまだ優生思想は生き続けています。
 一つは相模原障害者殺傷事件、そしてもう一つは京都市が「終活」パンフレットを事前指示書をつけて不特定多数の市民に配布したことです。このことに対しては京都府保険医協会は京都市「終活」リーフの撤回・回収を求める声明を出しました。声明を出した理由は二点です。

リーフレットといっしょに、配布されている「事前指示書」のような、「人の生死」の選択にかかわる書類を、医師や医療スタッフが介在しないで、配布することに、とても違和感をおぼえたからです。

 病気になったとき、患者さんが自分の治療方針について希望を持ち、それを自分で決定したいと考えることは当たり前のことだと思います。
 でも、それを決めるためには、医療の専門家が寄り添っている必要があります。本当に「終末期」になったとき、治療方針は、医師をはじめ、医療スタッフが専門家として患者さんやご家族に寄り添いながら話し合い、いつでも「変更」が生じることを前提にしながら、考えることが大切なのです。その分、私たち医師の役割や責任は重大だと自覚しています。だからこそ、こうしたことを扱うなら、それ相応の覚悟が必要なはずです。
 そもそも、行政のすべきことは、人が生きる、ということを医療・福祉の制度を通じて、どう支えるか、であるはずです。
 どのように死ぬかを市民に考えてもらうことではないはずです。日ごろから人の生死と向き合って、そのことに責任を持つ医師の団体だからこそ、そのことを自治体に伝えたいと思いました。

  医療費を抑制したい国の方針の下で、終末期医療の問題の「啓発」が何をもたらすか、大変こわいことだと考えています。

  元気な時に、終末期になった時、胃ろうをつけますか? 人工呼吸器をつけますか?と聞かれたなら、おそらくたいていの人が「いらない」「延命治療を望まない」というでしょう。でも実際には、そんな予定通りに、整然と亡くなる人などほとんどいないことは、現場の医療スタッフはよく知っています。
 今、国が終末期医療のことをあれこれ言いだしています。
 医療費の抑制をめざしている国の立場からすれば、終末期医療にお金がかかりすぎているという考えがあるのかもしれません。
 京都市の今回の取組が、意図していなかったとしても、結果的に「延命治療」はしない方がいい、という方向へ誘導されていくことを危惧します。
 そして何より、胃ろうを造って、あるいは人工呼吸器を装着して、生きていらっしゃる難病の方々、障害のある方々が、今回の京都市のリーフレットをどう感じるか、どれだけ心を傷つけられるか、そのことへ配慮をしなかったこと、それはいちばんの過ちだと思うのです。
 京都市には、どのような状況にあっても、生きることを支える。本来の地方自治体の姿を取り戻してほしいと思います。

また最近問題となった、LGBTの人たちへの攻撃です。このように、今でも戦争の負の遺産である優生施行が見え隠れします。優生手術問題を含めた優生思想は私たち医療にかかわるものにとって、しっかりと総括しなければならないと思います。

 

2019.08.04

戦争と科学

 8月に入って連日暑さの厳しい日が続いています。体調を崩されている方はいませんか?熱中症の予防にも、喉が渇かないうちにこまめに水分を補給してくださいね。
 8月は肛門科の話から少し離れて、戦争について考え、お話させてもらっています。今回は、戦争について今回は戦争と科学について少し考えたいと思います。

これは2016年の727日の毎日新聞の記事です。ここに書かれていうことはなにかと言いますと。
「問われる「軍民両用」研究」という内容の記事です。日本の科学者の代表機関である「日本学術会議」は戦後、軍事研究を否定するという方針を堅持してきました。その方針の見直しを始めたという内容の記事です。
 この議論が始まったきっかけは、防衛省が2015年度に「安全保障技術研究推進制度」という制度を創設しました。防衛装備品に応用できる最先端研究に資金を出すという制度です。初年度は109件の応募があり、そのうち58件は大学が占めていました。2016年度は予算枠が6億円に倍増されて、2017年度は110億円と2016年度の18倍にもなりました。
 戦後の日本では、平和憲法のもとで、軍事研究を回避する歴史的伝統が培われてきました。
 日本学術会議は、19504月に、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」をだしました。
 また日本物理学会は1967年に、「今後、内外を問わず、一切の軍隊からの援助、その他一切の協力を持たない。」とし、そこには「日本学術会議は「戦争のための科学には協力しない。」を基本原則のひとつとしている。この原則は日本国憲法にもとづく日本の研究者の原則であり、世界の科学者に対する我々の誇りである。」と述べられています。
 この日本の科学者の誇りを見直そうとする、場合によっては捨てようとする、そういった議論が進みました。
 議論の結果、日本学術会議は去年2017324日に新たに軍事的安全保障研究に関する声明をだしました。その声明の内容は、
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があったとして、
 近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承するとしました。
 そして、科学者が追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない。
 今の軍事的安全保障研究では、研究の期間内及び期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
 防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い。
 学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。と声明をだしました。
 本来は、科学の進歩、研究に対しては、純粋に資金面や研究環境も含めて支援していくことが国として必要ですし、本来国がとらなければならない立場だと思います。今行っている、政府の国立大学への運営交付近を削減して防衛費の研究費を配分するといった政策は直ちに中止することが必要だと思います。
 このように、ここでもまた、戦時中に起こったときと同じようなことが芽生え始めようとしています。しかし、先ほど紹介したような、こういった記事が出ること、そして私たちがこういった動きに注意して、しっかりと意見することで、こういった動きをくい止めることができます。
 また、大学や研究機関における軍事研究(軍学共同)に反対する団体・研究者・市民が参加する連絡会として、20169月に軍学共同反対連絡会が設立されました。この連絡会が、2017年度、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に110億円を計上したことに対して、防衛装備庁に「安全保障技術研究推進制度」の廃止を要請し各大学・研究機関に応募しないよう求める緊急署名を行いました。
 学術の健全な発展という見地から、科学の進歩、研究に対しては、純粋に資金面や研究環境も含めて支援していくことが国として必要だと思います。

 

 

2019.08.03

私の生まれた1960年を振り返り、今を考える。

 今日は私が生まれた1960年を振り返って、今を考えてみたいと思います。
 さて、私が生まれた1960年はどんな年だったのか。1960年は60年安保、安保闘争が繰り広げられていた年で、その年に私は生まれました。
 第二次世界大戦が終わり、195198日にアメリカのサンフランシスコにおいてアメリカなどをはじめとする第二次世界大戦の連合国の47か国と日本との間に平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結しました。この時、当時の首相であった吉田茂首相は同時に、平和条約に潜り込まされていた特約、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安全保障条約)に署名しました。このことによって、日本を占領していたアメリカ軍は「在日米軍となって、継続して日本に駐留することが可能になりました。
 この旧日米安全保障条約の改定に向けて、1958年頃から岸信介内閣によって安保法案改定の交渉が行われました。19601月に岸首相以下全権団が訪米し、アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約の調印と大統領の訪日で合意しました。この新安全保障条約を巡って反対運動が広がっていきました。これが60年安保、安保闘争です。
 この反対運動には、新安全保障条約に反対する国会議員、労働者、学生、市民が参加しました。その運動の焦点は、まず一つ目として、改定によって日本が戦争に、アメリカの戦争に巻き込まれる危険が増すこと。そして二つ目は、在日米軍裁判権放棄密約で、在日する在日米兵が犯罪を起こしても免責される、在日米兵犯罪免責特権に対しての批判。これらが運動の焦点でした。
 519日に衆議院日米安全保障条約特別委員会で強行採決され、この強行採決は、「民主主義の破壊である」ということで、一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲はデモで集まった人たちで連日取り囲まれました。そんな中、615日に改定安保条約批准阻止で全学連(全日本学生自治会総連合)7000人が国会に突入する事態も生みました。このような混乱したなか、619日に新安全保障条約が成立しました。

 この写真はその当時の国会議事堂を取り囲むデモに集まった人たち、デモの状況、強行採決の際の写真です。どこかで同じ状況をみたと思いませんか。

 これは2015年、去年安全保障関連法案が強行採決されたときの写真です。もうすぐ安全保障関連法案が強行されて4年がたつんだなあと思います。安倍首相は十分な説明を国民にするといっていましたが、この4年間、十分な説明を受けた記憶はありません。

 1960年の安保闘争の時のように、国会議事堂を取り囲む人々、強行採決など、全く同じ状況を繰り返しています。60年の時は519日、去年の強行採決は919日。
 同じ19日、あえてこの日を選んだのか?偶然なのか?わかりません。そして私は196060年安保の年に生まれ、誕生日も219日。同じ19日。何となく運命的なものを感じます。
 さて、1960年の安全保障関連法案強行採決後と、4年前の2015年の安全保障法案強行採決との間には、私たち国民の意識に大きな違いがあります。
 それは、2015年の安全保障関連法案が強行採決された後も、今日までの4年間、毎月19日には全国で「戦争法廃止」の集会とパレードが今もまだ継続して行われていることです。
 京都でも毎月19日には、京都市役所前で「戦争法廃止」の集会の後、四条河原町までパレードが行われています。私も参加していました。認知症になった母親の世話をしなければならなくなったので、なかなか出にくくはなっています。

 さて、2015919日、安全保障関連法案が強行採決されるまでの運動は、安全保障関連法案を廃案にする運動でした。
 それ以降の運動は、成立してしまった、安全保障関連法、いわゆる「戦争法」を廃止する運動です。成立してしまった法律を廃止するには、国を変える、政治を変える必要があります。
 国民は今、このままではいけない、このままだと本当に戦争をする国になってしまうという危機感を覚え、政治を変え、国を変えようとして運動しているのだと思います。
 ここに1960年と2015年との間には大きな違いがあります。

 

2019.08.03

8月になって戦争を考える

 8月になりました。暑さも厳しくなってきました。夏休みで楽しい行事が目白押しだと思います。また夏の風物詩の高校野球も始まります。
さて、8月はもう一つ大事な月です。それは日本が戦争を終えた終戦記念日がある月です。今回は何回かに分けて私たちと戦争、戦争と医療について考えたいと思います。
 
さて話が変わりますが、以前6チャンネルの木曜サスペンスで真矢みき主演の「捜査地図の女」という連続ドラマが放映されました。主演の刑事役の真矢みきの実家が昔ながらの町屋の開業医という設定で、渡邉医院が実家のロケ地になりました。つい最近昼間に再放送がありました。
 これは撮影の時の写真ですが、掲示板の渡邉医院の上から松原医院のシールをはり、あっという間に松原医院に変身。外でのシーンでは看板も上から松原医院の看板をかぶせます。また俳優さんたちのスケジュールで撮影の時間が決まるので、昼間に夜のシーンを撮ったり、また夜に昼間のシーンを撮ったりします。この写真は夜、2階の談話室の窓から、サーチライトで、1階の診察室を照らして昼間を造っている写真です。
 
美術の人に「何でもできるんですね。」と聞くと、「大抵のことは何でもできますよ。」という返事でした。また、一つのシーンを作る際には、同じ場面を何回も取り直して、それらをつなぎ合わせて一つのシーンにします。そして、監督が作り出したいストーリーを作り上げていきます。
 
このことを通じて何が言いたかったというと。歴史認識もこれに近いことが行われる可能性もあります。起きた事実を細切れにして、または時間経過を少しずらしたり、変更して、時の権力者が作り出したいストーリーにしていく。こういったことがなされる可能性もあり、真実とはまったく違う方向へと私たちを導いていく可能性があります。真実は何かといったことを私達はしっかり見つめていかなければなりません。そういった目を持つように努力していくことが必要です。
 
また、時間の経過とともに少しずつ、少しずつ変化していくと、私達が気が付かないうちに、知らないうちに物事を大きく変えられてしまうこともあります。
 そのことを認識できるのが「アハ!体験」です。徐々に写真の一部が変わっていって、その変化に気が付いたときに、ひらめいて、「ああ、そうか!」とわかる。その時に緊張が解けて、同時に大きな喜びを感じる心の動きです。このような感覚を体験することで、関係する脳の回路を強化することができる。そしてわからなくてもじっくりと考え、ひらめきを育むことの大切さを楽しみながら学ぶことができる。これが「アハ!体験」です。
 
この「アハ!体験」でいいたかったことは、戦争への道は、平和な社会が、「たった今から、戦争です。今までは平和で、今この時点から戦争です。」といった具合に訪れないということです。戦争は、その姿をみせることなく、私達の隙間に入り込んできます。それは私達だけでなく、時の権力者が意図する、しないにかかわらず忍び寄ってきます。そうして私達が気が付かないまま戦争への道が開かれ、ふと気が付いた時には、戦争をする社会に変わっていってしまっている。そして後戻りできない状況におちいっている。戦争に関しては、「ああ、そうか!」と気が付くでは遅すぎます。情勢の変化をしっかり見つめていく心構えが必要になると思います。そしてその変化に気が付いたときは、声を上げることが必要だと思います。そして、まだそのことを今の憲法は保障して守られています。ただ、この憲法で保障されてきたことが少しづつ崩されてきています。
 
例えば、教育の問題です。戦争に進むときの様に、教育が少しづつ変えられていく。そして、その変化を気づかせないようにする。またその変化を正しいもの、正しい方向に進む変化だと教育する。教育改革といった言葉がでたときは、どんなことが変わっていくのかに注意が必要だと思います。
 
また、特定秘密保護法などは、この変化すら、見ることができないようにする。その変化に気づいて声を上げようとしたら罰せられてしまう。また、そのことについて問題意識をもって、反対しようと皆で相談すると、共謀罪でつかまる。そして報道への圧力や規制です。報道への圧力、規制によって正しいこと、本当に起きている真実が報道されなくなってしまいます。報道の自由度ランキングというものがあります。国際的なジャーナリストの団体「国境なき記者団」が発表するもので、180か国でそのランキングが決められています。日本の報道の自由度は、2009年は17位、2010年では11位でした。それが2016年のランキングは72位まで大きく後退してしまっています。2017年も72位、2018年、2019年には67位になっていますがまだまだ低く、G7 では最下位医です。
この原因として、福島第一原発事故に関する情報の在り方。そしてそれに拍車をかけて、特定秘密保護法の成立を上げています。こういった報道への圧力、規制は、本当に伝えなければならないことがちゃんと伝えることができない。そういった、日本の報道の現状を示しています。今年の627日の新聞報道で、国連人権理事会で「日本では政府が批判的なジャーナリストに圧力をかけるなど、報道の自由に懸念が残る。」と警告。2017年に国連が安倍政権に対して示したメディア圧力に対しての是正勧告が履行されていないとしました。

 
ネットでの情報などが氾濫しているなか、その報道や、情報が本当に正しいのかを私達はしっかり見極める力を持たなければなりません。そして私たちは、真実を正しく伝えていく報道を守っていくことが必要で、このことが大きな力になります。

2019.07.27

パオスクレーによる痔核硬化療法について

 今日はパオスクレーという痔核硬化剤による痔核硬化療法についてお話したいと思います。
 パオスクレーは内痔核の治療に使う痔核硬化剤です。パオスクレーの内容は、5%フェノール・アーモンドオイルで、アーモンドの油の中に5%の割合でフェノールが入っている注射液です。内痔核の治療に使いますが、特に出血や排便時に内示アックが肛門外に脱出してきても自然に治まる程度の内痔核、第Ⅰ度から第Ⅱ度の内痔核に対して適応があります。ただ、第Ⅲ度の内痔核(排便時に内痔核が脱出して、押し込まないと戻らない)でも比較的小さな内痔核に対しては、有効な場合があります。
 例えば排便時の出血が多かったり、軟膏や座薬などを使っていても症状が良くならない場合など、パオスクレーによる痔核硬化療法が有効です。漫然と軟膏や座薬を使うよりは、痔核硬化療法を行って、スッキリ治す方がいいと思います。
 現在、内痔核に対しての痔核硬化療法ではジオンという痔核硬化剤に注目が集まっていますが、パオスクレーも内痔核の治療にはとてもいい注射液だと思います。
 パオスクレーは1976年の1月から販売されています。もう43年もたちます。43年間長く使われていることは、その有効性、安全性がしっかり確立されているということです。ジオンももう発売から16年がたつと思います。まだまだパオスクレーと比べると歴史は浅いです。
 ただ、パオスクレーは昔から使われて、内痔核の治療にはとても有効です。そして、患者さんに対しての侵襲も少なくとてもいい痔核硬化剤ですが、なかなか知名度が低いです。肛門科を標榜している先生方もパオスクレー自体を知らなかったり、どう使ったらいいのかを知らない先生方も多いと思います。
 もっと多くの先生方が、このパオスクレーの良さを知っていただき、使っていただければ、患者さんにとってもとても利益になると思います。
 今日は、以前渡邉医院で行ったパオスクレーによる痔核硬化療法に関しての効果に関して日本大腸肛門病学会で発表した内容を少し古いですが、論文風にしたものを紹介します。
 内痔核に対してパオスクレーによる痔核硬化療法を広めていければいいなと思います。

「パオスクレーによる痔核硬化療法を施行した431例の検討」

はじめに

内痔核に対して比較的簡便でしかも効果も大きく、また患者に大きな侵襲を与えずに副作用も少ないという利点からPAOによる痔核硬化療法(以下痔核硬化療法)が広く施行されている。当院においても開設当初より痔核硬化療法を施行しており、良好な成績を得ている。一般に痔核硬化療法の適応はGoligher分類の第Ⅰ度及び第Ⅱ度の内痔核である。しかし、第Ⅲ度の内痔核に対して適応を広げるという意見もあり、痔核硬化療法の適応については明確でない点が少なくない。今回、痔核硬化療法試行後の再発例について、その適応や有用性について検討した。

対象と方法

平成6年に当院を受診さた患者のうち、以前に痔核硬化療法を施行し、再発を主訴とする431例を対象とした。

Goligherの分類によって第Ⅲ度以上をA群、脱出を主訴とする第Ⅱ度の内痔核をB群、脱出及び出血を主訴とする第Ⅱ度をC群、出血を主訴とする第Ⅰ度をD群と4群に分類し、1)再発までの期間、2)再発時の痔核の程度、3)再発時の治療法について比較検討した。

当院での痔核硬化療法の方法は、5Phenol almond oil (PAO)1か所につき1~2mlを内痔核周囲の粘膜下に局注し、通常これを隔日に3回から4回施行して、これを1クールとしている。(現在は1か所の内痔核に2.5mlづつ局注し、1週間の間に計2回施行している。)

結果

431例中、初回痔核硬化療法施行時A84例(19.5%)、B105例(24.4%)、C54例(12.5%)、D188例(43.6%)であった。平均年齢は、ABCD群はそれぞれ59.9歳、57.7歳、52.9歳、56.2歳であった。再発までの平均期間はそれぞれ14.8か月、24.9か月、17.7か月、24.2か月であった。再発時に手術を施行したものは、A群で25例(29.8%)、B群は6例(5.7%)、C群は11例(20.4%)、D群は7例(3.7%)であった。それらの平均年齢はそれぞれ53.4歳、58.2歳、58.7歳、45.6歳であった。再発に対して手術を施行んするまでの平均期間は、それぞれ17.2か月、15.2か月、22.1か月、31.3か月であった。また、手術までに施行した痔核硬化療法の平均クール回数は、それぞれ1.6回、1.7回、1.4回、1.7回であった。手術を施行しなかった症例は再度痔核硬化療法を施行した。
次に痔核硬化療法施行クール回数を各群で比較すると、いずれの群も3回までで全体の約80%以上を占めていた。

再発時にGrade downしている症例は、BC群、すなはち第Ⅱ度の内痔核ではそれぞれ52.4%、59.3%であり、A群すなはち第Ⅲ度の内痔核も17.8%は第Ⅱ度、第Ⅰ度の内痔核にまで軽快していた。

考察

痔核硬化療法は、患者に苦痛を与えず、また侵襲が少ない治療のため、現在内痔核の治療法として行われている。痔核硬化療法は、一般に第Ⅰ度~第Ⅱ度の内痔核に対して有効であり、比較的小さいか、中程度のもので、脱出せず出血している内痔核に対して有効であるとされている。

痔核硬化療法の出血に対する効果については、第一度、第Ⅱ度、第Ⅲ度の内痔核に対する一回の局注での有効率はそれぞれ97.1%、66.0%、66.7%であり、2回の局注での有効率はそれぞれ100%、88.7%、93.3%であると言われている。一方内痔核の脱出に対する痔核硬化療法の効果は、1回の局注では有効率は50%以下と報告されている。脱出している内痔核に効果が少ないのは、脱出しやすいものは静脈瘤というよりは、むしろ線維組織が多く、局注しても粘膜下層に正しく局注し難いためと考えられている。今回の検討においても確かに第Ⅰ度や第Ⅱ度の内痔核に対する痔核硬化療法の有用性を認めた。

 まず再発までの平均期間をみてみると、A群は約1年であるのに対して、B群、D群は約2年であった。次に再発後の治療についてみても、手術を施行した症例はA群では約30%を占めているのに対して、B群、D群ではそれぞれ5.7%、3.7%であった。ただC群はA群と比較して、再発までの期間や再発に対する手術までの平均期間が同等であり、第Ⅱ度の内痔核でも、脱出と出血を伴った場合には痔核硬化療法の適応を慎重にすべきと思われ、今後検討が必要である。

 再発時にGrade downしている症例は、B群、C群はそれぞれ52.4%、59.3%と約半数以上を占めているのに対して、A群では17.8%であった。以上の結果からも痔核硬化療法の適応は第Ⅰ度や第Ⅱ度の内痔核が妥当であると考えられる。しかし、今回の検討において、第Ⅲ度以上の内痔核に対しても痔核硬化療法の有効例が認められたことは注目すべきことである。全身状態の悪い患者や高齢者、また基礎疾患を合併していて手術による侵襲が患者に与える影響が良くないと判断した場合は、痔核硬化療法は比較的安全に施行できると考える。したがって、痔核硬化療法の適応も、第Ⅰ度や第Ⅱ度の内痔核に限定せずに第Ⅲ度の内痔核に対しても、症例によっては積極的に応用していくべきだと考える。

また、痔核硬化療法を施行したクール回数を検討してみると、どの群においても3回までで全体の約80%以上を占めている。手術施行例では平均クール回数は約2回であり、特にA群の手術施行症例では25例中24例までが3回以内であることから、再発した第Ⅲ度以上の内痔核に対して痔核硬化療法を施行する際、クール回数が3回以上になる場合は手術の適応も考慮する必要がある。

 内痔核に対する痔核硬化療法は、特殊な器具を使用することなく、だれにでも簡便に施行することができ、しかも、十分効果を得る必要がある。当院では開設以来痔核硬化療法を行ってきている。その方法は前述したとおり、外来にてPAOを内痔核1箇所につき1~2mlを内痔核の粘膜下に局注し、通常これを3回~4回施行し、これを1クールとしている。内痔核の出血に対する1回の注射液量の効果を報告した文献によると、液量が5ml未満では42.5%が完全止血し、5ml以上では83.1%が完全止血するとの報告がある。実際に痔核硬化療法を施行する場合、1回で5mlを粘膜下に完全に注入することは難しく、注入する際に漏れがあったり、針穴からの痔核硬化剤がどうしても漏れることがある。したがって1回の痔核硬化療法で十分に5ml以上を局注することは難しく、期待するほどの十分な効果が得られないことも多いと思われる。このことからも当院で行っている繰り返し何回かに分けて十分な量のPAOを局注する方法は有効であると考える。また投与の間隔については、1回目の局注からあまり間隔をあけると粘膜下の癒合が強くなり、痔核硬化剤の注入が十分にできなくなる。犬の大腸粘膜下にPAOを注入し、経時的に観察した研究によると、注入後1週間以内では線維化も軽度であると報告している。このことからも1回目の局注から1週間以内に数回に分けて34回局注することで、1か所の内痔核に対して十分に5ml

以上のPAOを注入することが可能となり、十分な効果が期待できると思われる。(発表当時はストランゲ型肛門鏡を使用しての痔核硬化療法であったため、1回のPAOの注入量が少なかったため、34回を1クールとしていた。現在2019年時点では、ヒルシュマン型肛門鏡を使って痔核硬化療法を行っているため、1回の注入量が多く局注することが出来るため、1回目から1週間の間にもう1回の計2回の施行になっている。)

 以上、痔核硬化療法施行後の再発症例について検討し、痔核硬化療法の適応や方法について報告した。

まとめ

痔核硬化療法の適応は第Ⅰ度や第Ⅱ度の内痔核が妥当である。しかし、第Ⅲ度以上の内痔核に対しても、有効例が認められたことから、全身状態の悪い患者や高齢者、また基礎疾患などを合併している症例に対しては第Ⅲ度以上の内痔核に対しても積極的に痔核硬化療法を施行するべきだと考える。また再発症例に対して3クール以上行う際は、手術の適応も考慮に入れる必要がある。また内痔核に対して十分な薬量のPAO局注することで十分な効果を期待できることから、1回目の痔核硬化療法から1週間の間に複数回施行する当院の方法が有効ではないかと考える。

2019.07.27

「茄子の豚肉巻」と「バイ貝の煮つけ」のレシピを紹介します。

 今日は「茄子の豚肉巻」と「バイ貝の煮つけ」のレシピを紹介します。
 7月も1週間を切りました。子供たちは夏休み。いよいよ梅雨も明けて本格的な夏に入っていきますね。
 茄子はいろんな料理がありますが美味しいですよね。茄子と豚肉の味噌炒め、白ご飯と一緒にもろもろ食べる。茄子を焼いて生姜でのせて醤油で食べるのもすっきりした感じで美味しいですよね。お漬物にしても美味しいですよね。茄子のお漬物でしたら、チョット酸っぱめに使ったキュウリと茄子のお漬物を少し細かく切って、みょうがと一緒に混ぜて、そこに生姜をのせて白ご飯を食べる。なかなか美味しいですよ。試してみて下さい。私は水ナスが好きで、そのまま割いて生姜醤油で食べる。パリパリした触感が美味しいです。茄子の旬は6月から9月。美味しい季節になりました。
豚肉も美味しいですね。豚肉のしゃぶしゃぶ風サラダ。野菜を豚肉でくるんで食べる。野菜もしっかり摂れていいですよね。巻ではアスパラの豚肉巻もいいですね。
 貝類もそのコリコリした触感がいいですね。
 ではレシピを紹介しますね。

「茄子の豚肉巻」

1本分 約150kcal、たんぱく質 10g

材料(作りやすい分量)
茄子     1本
豚肉     4枚
おろし生姜  ひとかけ分
青じそ    4枚
塩こしょう
サラダ油

作り方
①   茄子は縦に4つに切る。
②   豚肉を広げ生姜と青じそを並べて①に巻き付ける。
③   ②の巻き終わりを下にして転がしながら焼く。塩こしょうする。
★屋台風にするときは串にさす。
★照り焼き風にするときはみりん大さじ1としょうゆ大さじ1をからめる。

「バイ貝の煮つけ」

作り方
①鍋に水100ml、酒大さじ2、しょうゆ大さじ2、みりん大さじ1を入れて沸騰させる。
②よく洗ったバイ貝を入れて煮る。
③冷めるまで煮汁につけておく。


 

 

2019.07.26

「鶏のから揚げ」と「フライド人参」のレシピを紹介します。

 今日は「鶏のから揚げ」と「フライド人参」のレシピを紹介します。
 祇園祭の後祭りも終わり、いよいよ梅雨も明けて夏本番。いい天気かと思ったらいきなり激しい雨が降り出す。夕立と言えば夕立ですが、チョット極端な天候ですね。一気に暑さも増して、じめじめむしむし。頑張って乗り越えないとと思います。
 今回のレシピの鶏のから揚げ。お祭りの屋台でも定番のメニュー。外はカリッと中はジューシー。こんなから揚げいいですよね。白ご飯にも合うし、ビールにも会いますよね。ビヤガーデンでも必ず注文するメニューですし、お弁当にもいいですよね。もう一つのメニュー、フライド人参。フライドポテトも美味しいですが、人参と聞くとなんとなく体によさそうな気がします。フライドポテトでチョット思い出しました。たまに行くお店で、フライドポテトの上にチーズがかかっていてさらに温泉たまごがトッピング。カロリー高そうですが、フライドポテトに温泉たまごの黄身を絡めて食べる。とても美味しいです。フライド人参も何かに絡めて食べるといいかもしれません。例えばバーニャカウダの様に。
 さて、そろそろレシピを紹介しますね。

「鶏のから揚げ」

1本分 約150kcal、たんぱく質 10g

材料(作りやすい分量)
鶏もも肉    300g
*生姜    ひとかけ
*にんにく  ひとかけ
*めんつゆ(2倍)大さじ1
小麦粉     大さじ2
片栗粉     大さじ1
サラダ油

作り方
①   鶏肉をひと口大に切り、ビニール袋に*と入れてもむ。10分漬ける。
②   ①に小麦粉を入れよくもんで混ぜる
③   ②に片栗粉を入れよくもんで混ぜる。
④   サラダ油で揚げる。
★屋台風にするときは3個を串にさす。または紙コップに入れる。

「フライド人参」

人参を1cm角の棒状に切り、素揚げする。

屋台の雰囲気を出して作って食べてみて下さいね!

 

 

 

2019.07.24

「餃子2種」のレシピを紹介します。

 今日は、祇園祭の後祭りですね。昨日は突然の大雨!雨が降っていないと、傘を持たずに出かけたら突然の雨に見舞われて大変でした。今日の天気はどうでしょうか?祇園祭が終ると梅雨明け。本格的な夏を迎えることになりますね。
 さて、今日は「餃子2種」のレシピを紹介します。
 餃子って、時々突然無性に食べたくなりますよね。表面がカリッと焼けた餃子。一口サイズがいいかなと思います。私は白ご飯を餃子で食べるのがとても好きです。ビールもいいですよね。
 レシピは2種類の餃子です。一つは一般的なオーソドックスな餃子。もう一つは包丁も使わずに混ぜるだけでできる餃子で、しかも味付き。何もつけずにそのまま食べる餃子です。是非作ってみて下さいね。

「一般的な中身の餃子」

1人分 約150kcal、たんぱく質 約10g

材料(作りやすい分量)

〈一般的な中身〉
豚ひき肉    100g
きゃべつ(みじん)100g
にら(小口)    50g
おろし生姜  ひとかけ分
オイスターソース 大さじ1
酒、ごま油 各大さじ1
塩こしょう
サラダ油 

作り方
①   きゃべつに塩をし、絞る。
②   全ての材料をよく混ぜる。
③   皮で包む。
④   フライパンで焼く。
★ポン酢+ラー油で食べる

「包丁も使わず混ぜるだけの餃子」

豚ひき肉      100g
もやし       100g
ひじき(戻して)   50g
ゆかりふりかけ   大さじ1
だしの素      小さじ1
★もやしをぽ折りながら全ての材料を混ぜ、皮で包んで焼く。
★何もつけずに食べる。

皮の作り方(30個分)手作りの皮はもちもち食感です。
①   強力粉200gに熱湯100ml程度を入れよくこねて30分ねかす。
②   30等分し、片栗粉をうってのばす。(くっつきやすいので)

 

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