7月になりました。今の私の状況報告。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
梅雨があったのかなかったのか。本当に梅雨らしい梅雨はなく梅雨明けしてしまいました。そして連日の暑さ。熱中症に記を付けて、水分はしっかり摂って、エアコンも入れて体調管理してくださいね。
後、台風4号が近づいてきています。来週7月6日水曜日頃近畿地方に近づくような予報が出ています。台風にも注意してくださいね。
私の今の状況を少しお話ししておきます。悪性リンパ腫の治療のため抗がん剤による化学療法を行ってきました。「完全寛解」を目指して5クールにわたって抗がん剤投与を行ってきました。その結果「完全寛解」になりました。
さて、今入院しています。今回は、「完治を」を目指す治療を行っています。「地固療法」です。
「地固療法」は「寛解」してももし残っているがん細胞があればそれを叩くのが目的です。言ってみればとどめを刺すといった治療です。
使う抗がん剤はキロサイドです。キロサイドを2日間以渡って12時間毎計4回の投与です。これを2クール行います。
すでに、6月30日と7月1日に4回の投与を終えました。今のところ強い副作用もなく、食事も美味しくいただいています。ただ、これから骨髄抑制が来ます。
琴髄抑制に伴う血球の減少ですが、白血球ですと抗がん剤投与後1週間から2週間で最低値になります。血小板は、少し遅れて2週間から3週間で最低値になります。赤血球は寿命が長く120日です。したがって投与後2週間から1か月かけて緩やかに減少します。
骨髄の回復を待つことになります。この際にG-CSF(顆粒球コロニー形成刺激因子製剤)投与を行います。
さて、今回の治療のもう一つの目的が最終的に行う「自家血幹移植」に向けて造血幹細胞の採取です。
骨髄が抑制されて回復する際に、この造血幹細胞が末梢に漏れ出てきます。この漏れ出てきた造血幹細胞を採取すします。2日間にかけて採取していきます。今回で「自家血幹移植」をおこなうのに十分な量の造血幹細胞を採取できれば、造血幹細胞の採取は今回1回きりです。ただ十分に採取できなかった場合は、次回2クール目のキロサイト投与による「地固療法」の際に採取することになります。
いずれにしてももうしばらく時間がかかります。しっかり「完治」して復帰して、「シン・渡邉医院」を再開したいと思います。
当初考えていた9月1日再開は少し難しいと思います。申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
Twitterでの相談は現在も行っています。治療の関係で直ぐにお返事できないこともありますが、必ずお返事を出しますので、何かお尻の具合で心配なこと、わからないことがあれば、遠慮なく相談して下さいね。
7月2日 渡邉医院 渡邉賢治
母は元気!
昨日、木曜日の夕方に妻が、グループホームに入所している母を見に行ってくれました。
華の今の状況と今後のことに関して施設の方との面談が目的でした。
母もだいぶ施設にも慣れてきたそうです。妻がLINEで送って来た母の顔は元気そうで、妻は「笑ってたよ。」と教えてくれました。
3月6日の日曜日は、少し母が微熱があったので一緒に母の家に泊まることにしました。私が右目の動眼神経麻痺になった日です。念のため月曜日の朝、物が二重に見える中、片目をつぶれば普通に見えるので病院に連れていきました。母は何んともなく、ホッとして母の自宅に帰った後、知っている病院の先生から、そんな具合なら今すぐ緊急外来に来なさいとおっしゃって下さったので、行くことにしました。その時はしんどさもあって、母をどうするか等考えることもなく、タクシーで病院の救急外来を受診しました。ただ、母は認知症がかなり進んでいて、自分のことは何もできません。ですから放ったままにはできません。そこで、担当のケアマネさんに頼んで母を何とかしてほしいと電話すると、直ぐに母の家に行き、小規模多機能でのお泊りをさせていただくことができました。妻も仕事をしていることもあって、本当に助かりました。ケアマネさんも「落ち着かれるまで、小規模多機能の方で尾麻生狩りするのでご心配なく。」と。本当に感謝です。
これまで小規模多機能に月曜日から火曜日はお泊り、水曜日は日帰り木曜日から金曜日はお泊り、そして土曜日曜日は日帰り。日曜日は母と私の二人と言ったパターンが基本でした。仕事や会議などの関係で、お泊りの日が多くなることもありました。
小規模多機能に母が行くときは、朝6時半ごろに母の家に行き、母を起こし、そして着替えてもらう。ご朝ご飯を食べてもらっている間に場合によっては掃除と洗濯。そして7時20分頃小規模多機能に送っていって、それから診療所に仕事に行く。迎えに行くときは、診療所での診察が終わり午後18時過ぎに迎えに行く。そして帰るとまずは寝巻に着替えてもらい、母は夕食を食べて帰ってくるので、一緒にテーブルに座り、母はテレビを見ながら私は食事。午後22時ごろ母が寝るのを待って自宅に帰る。日曜日は朝6時半ごろ同じように母の家に行って様子を見た後、入院している患者さんや手術をしたばかりの患者さんを診察しに診療所に。診察が終わったら母の家に。こんな感じの生活をしていました。これが」リズムなっていたのでこんなもんなんだろうなあと思いながら母の介護をしていました。
そんな母をほったらかしに家に残しておく、本当に心配でしたが、周りの方のおかげで本当に助かり感謝しています。
3月29日に私は緊急入院しました。母もほぼ同じ時期に、その時通っていた小規模多機能の2階3階にあるグループホームに空きができて、そこに入所することができました。本当に良かったと思います。母のことを心配することなく入院することができました。
3月7日以降、まったく母の顔を見ることはありませんでした。1クール目が終わった時だったと思いますが、一旦退院した際に母を面会しに行きました。5分間程度だったと思います。母は一言もしゃべらず下を向いていました。いつも一緒にいるときも村内喋ることなく二人で過ごしていました。「いつもの母だなあ」と思い帰りました。
そして今日の写真でした。
思わず写真を見て元気そうで、ほっと安心しました。そのせいもあるのか、急に涙が出てきて、なかなか止まりませんでした。早く完治して、そしてコロナが落ち着いて面会し、母の顔を見に行きたいと思います。
見上げると空、雲はいろんな表情をして流れていくー動画ー
術後1か月も経ったのに、まだスッキリしない!
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今「地固療法」のために大量のキロサイドを投与するのですが、今その真っ最中です。キロサイドが頑張って、「完全寛解」しましたが、もし残っている悪性リンパ腫のがん細胞があるならば、しっかり叩いて最後のとどめを刺してきてねと願いながら治療を受けています。「完治」に向けた第一歩です。頑張りますね。
さて、最近相談で多いのが、術後約1か月ほど経った方からの相談です。
そしてその内容に関しては大きく2つに分けることができると思います。
一つが、肛門の痛み等、傷がちゃんと治っているのかが心配で相談される方です。
例えば、「1か月経ったけど、まだ痛みがある。」とか「突っ張った感じがする」や、「肛門の周囲がひりひりする。」など肛門周囲の症状が心配で相談される方。
もう一つが、排便に関する相談です。
例えば、「排便がしにくくなった。」とか、「そこまで便が来ているのに頑張っても出ない。」また、「便が細くなった。」などです。
いいずれの相談も、思い切って決断して手術をしたのに、1か月経っても何かスッキリしない。症状が有る。手術が失敗して、うまく治っていないのではないか等、せっかく決心をして手術をしたのにスッキリしないという相談です。
なかなか肛門の手術、術後の痛みや出血など、手術をする前から心配なことが多いです。そしてなかなか受診し難い診療科です。やはり手術を決心される方は、これま辛かった毎日の生活から解放されて、今回でスッキリ治してしまおうと決心された方ばかりです。やはり1か月経ってもスッキリしない。心配になられることはとても良くわかります。
さて、術後1か月後ですが、排便時の痛みはだいぶ楽になった、場合によっては痛くない。排便時の出血はほとんどないか全くないといった状態までにはなっていると思います。でも肛門の周囲がまだ痛む、排便がスッキリ出ないといった症状がまだ残っているということだと思います。
内痔核の場合、術後約3~4週間、約1か月から1カ月半程度で傷はふさがります。
この「ふさがります。」がポイントです。
やはり「傷がふさがった。」と「傷が治った。」は別です。傷がふさがったからと言って治ったわけではありません。
転んだ怪我だったり、切ったりした傷もそうですがふさがっても傷の硬さが最初残ります。その硬さが突っ張ったりピリピリしたりします。これと同じです。
肛門の手術も傷がふさがったとしても、傷の硬さが残ります。この硬さが、肛門は便が通るところなので、突っ張った感じがしたり、ピリピリ痛んだりします。ただ、この硬さもだんだん取れて柔らかくなってきます。そうすると突っ張った感じや痛みは取れてくると思います。ですから傷がふさがったと傷が治ったは別で、ふさがってからもどんどん治っていきます。焦らずもうしばらく経過を診ていきましょう。
もう一つの心配事がの状態です。
どうしても傷の硬さがあると出しにくくなり、細い便になることがあります。
これは人間が排便をするときに、肛門上皮が外に出るような感じで便が出ます。ただ肛門が開いて便が出てくるわけではありません。この、排便時に肛門上皮が外に出るような動きをすること、これを本当は脱肛と言います。人間は具合よくすることで気持ちよくスッキ便を出すことが出ます。
どうしても肛門に傷があったり、またジオンによる痔核硬化療法をすると、この脱肛がしにくくなります。そして、ただ単に肛門が広がっての排便になってしまいます。そうすると、そこまで便がきているのに出しにくい、頑張って出すと細い便が出るといった具合になります。この症状も本当の意味で治っていくと具合よく脱肛しながら便が出るようになるので、スッキリ出るようになります。
何回も繰り返しますが、やはり「傷がふさがった。」のと「傷がなおった。」では全く別です。
まだまだ1か月半、焦らず治していき、やはり大事なことは、気になる症状が有れば主治医に診てもらうことです。必ず自分が感じる症状が出るのには原因があります。その原因がこのまま様子を見ていいものなのか、もうこれ以上診ていても具合は良くならないので、スッキリ治すのには何か処置が必要なのかなどを主治医に効き相談することが大切だなあと思います。また何かあれば相談してくださいね。
「命のトマトスープ」
今日もとてもいい天気です。入院して病棟にいると、エアコンも効いていてとても快適な環境にいます。3月29日に緊急入院してから、私にとっては全く季節の移り変わりはありません。一旦退院した際に朝体力アップのために散歩をするのですが、これまでの退院ではあまり変化はありません。今退院して散歩すると全く違うのでしょう。
梅雨も度超え逝ってしまったのか、あまり雨も降らずに梅雨明けしてしまいました。少し水不足など心配です。
さていよいよ今日から準備万端で「地固療法」と「造血幹細胞採取」の治療に入ります。昨日そのための準備として、中心静脈カテーテルを挿入しました。
今日から2日間にわたって12時間ごとに計4回の大量のキロサイトを投与します。副作用を軽減するために、キロサイト投与前にソル・メドロール(ステロイド)を投与します。
そんな治療開始の日に「命のトマトスープ」が朝食に出てきました。
今回はどうして「命のトマトスープ」なのかをお話ししたいと思います。
さて、私は3月29日に緊急入院しました。本当に全身の状態も悪い状態でした。今回のことの発端は、3月6日に急にものが二重に見える複視になりました。診察を受けると原因がわからない「突発性右動眼神経麻痺」という診断でしばらく経過を診ることになりました。
しかしその後もどんどん全身状態が悪化。複視だけでなく、食事もあまり食べれない。少し食べたら直ぐにソファーに横になって休む。そんな日が続きました。私も「動眼神経麻痺ってこんなに辛いんだ。」と思いました。
しかし全身状態はさらに悪くなり、渡邉医院を休診にしたり、診察時間を短くしたり。またせっかく手術の予約を取り予定を立ててもらっていた患者さんにキャンセルの連絡をしたりしました。診療所に行っているときも、診察が終わると病室で横になって休んでいたり、院長室で休んだりしていました。最後の方では、患者さんが来られたら、院長室などに休んでいる私をスタッフに呼びに来てもらっての診察でした。
あとから聞いたのですが、そのころはスタッフもいつ救急車を呼ぼうかと思いながら仕事をしていたとのことでした。
3月29日が予約をしていた再診日でした。しかし、3月28日の夜中、もうどうしてもだめだと思い、夜中で申し訳なかったのですが救急車を呼び搬送してもらいました。頭部CTをとっても特に問題なしと言うことで点滴をして、一旦自宅に帰宅しました。今から思うと、この時点ではある程度脳浮腫が来ていたのではないかと思います。
3月29日も午前中、何んとかと言うか無理やり診察を行い、昼から受診しました。血液検査の結果で電解質もホルモンもばらばらな状態。よく働いていたもんだと思いました。造影MRIを行うと、下垂体近傍に腫瘍を認めました。この腫瘍が今回の原因。そしてその腫瘍は悪性リンパ腫が下垂体近傍に腫瘍として現れた中枢限局性の悪性リンパ腫でした。緊急入院をし、治療が始まりました。悪性リンパ腫は血液の癌です。
腫瘍を摘出すればいいというものではありません。したがって抗がん剤による化学療法を行うことになり、今に至っています。これまでの治療、抗がん剤が本当によく効き、私にもあっていたようで、本当に良くなり、今は「完全寛解」の状態にまで回復しました。
さて、「命のトマトスープ」ですが、入院して1日2日はほとんど食事はとれませんでした。そして三日目の朝、朝食の献立の中にトマトスープがありました。
スープなら飲めるかと一口飲んでみると、とても美味しかった。体に、そして心にしみ込んでくるようでした。そして生まれて初めて食事をしているときに泣いてしまいました。それも涙が流れるだけでなく、声を出してご応急しながらそのトマトスープをいただきました。
その時に「こんなに美味しく食べれるんだ。食事を美味しく食べれるってことは、こんなに幸せなことなんだ。」と感じ、感謝しました。本当に何気ないトマトスープです。でもそのトマトスープ、私にとっては「命のトマトスープ」です。トマトスープが出てくると、いつもそのことを思い出し、今でも目頭が熱くなります。
本当に何気ない日常の生活、その生活を送れること、そして美味しく食事がとれることに感謝しています。
このような経験して、「命のトマトスープ」と私は読んでいます。
その「命のトマトスープ」が治療の節目節目に出てきます。とても不思議です。そして今回地固療法が始まる当日にも「命のトマトスープ」が。何かあるのでしょうか?でも本当にここまで治して下さった主治医の先生方、また私を支えて下さっている皆さんに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。もう一息で「完治」。一番大事なところでもあります。頑張っていきたいと思います。
がんと障害年金ーその2-
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
いよいよ本格的な治療が始まります。今日は中心静脈カテーテルを挿入して、明日から大量キロサイド(抗がん剤)の投与が始まります。明日、明後日の2日間にわたって12時間毎に計4回投与します。骨髄抑制が来てその骨髄が回復してくる約2週間後に最終的に行う自家血幹移植に使う、造血幹細胞を採取します。準備万端で臨んでいきます。
さて前回「がんと障害年金―その1―」をお話ししました。今回は「その2」です。
申請の仕方や、その時の注意点をPfizer社の「がんを学ぶ」を参考にして短くお話ししたいと思います。
もう一度「障害年金」についてですが、「障害年金」は病気やけがをした際に、一定の障害が出てしまうことがあります。そういった障害がある場合、支給される公的年金の一つです。
公的年金なので、私たち自身がこれまで払ってきた年金をもとにして支給される年金です。
経済的に苦しく、支援が必要なときは、私たちの当然の「権利」してしっかり申請して、受け取ることが大切だと思います。
さて、「障害年金」の「障害」ですが、目に見えて明らかにわかる体の変化や機能の変化、例えば人工肛門等、だけでなく、抗がん剤の投与等の治療にかかわっての倦怠感や末梢神経の障害、貧血、下痢、嘔吐、体重減少などの目に見えない症状、障害に対しても申請して、認定されると支給されます。
ですから、この目に見えない症状、障害によってきたす、日常生活や仕事の支障に関してはわかりにくいところが多いです。したがってこの目に見えない、しかも日常生活や仕事に支障をきたす障害をどう伝えるかが重要になってきます。
そのため、「障害年金」を申請するときに重要となってくるのが、申請する患者さん自身が記入して提出する「病歴・就労状況申立書」と、主治医の先生が書いてくれる「診断書」です。この二つが認定されるときに重要になってきます。
患者さんがこれまで行ってきた仕事を今後も行っていくうえで必要な就業能力が、発病する前と発病し、治療をした後どれだけ低下してしまったのかを「具体的」に示す必要があります。
目に見えない障害なので、この「具体的」がとても重要になります。
どれだけ日常生活や仕事に支障が出ているかを具体的な体験や実際に働いている時間がどれほど短くなったのか。また、そのことでどれほど収入が減ってしまったのか。仕事だけでなく日常の生活でどんなことが不自由になってしまったのかなどをしっかり書き込むことが大切です。そういったことをメモなどに記録しておくといいと思います。
そして、主治医の各「診断書」と患者さん自身が各「病歴・就労状況申立書」とがちゃんと整合性を持っていなければなりません。
どうしても主治医は、診察に来られた時の患者さんしか診ることができませんし、その診察の時間も短いです。主治医は患者さんが病気になる前はどんな生活を送っていたのか、どんな仕事をしていたのかは知りません。また、日常の生活や仕事で、患者さんがどんなことに支障があるのかも、診察室での診察だけではわかりません。
やはり「障害年金」の申請をする際、主治医に「診断書」を書いてもらうときは、今実際に日常の生活や仕事で支障をきたしていることを書いて渡すなどして、主治医が各「診断書」と「患者さん自身が書く「病歴・就労状況申立書」に整合性を持たせることが大事です。
私の罹患している悪性リンパ腫ですが、例えば「障害年金」を申請する場合、ハードルは少し高いようです。でも権利としての「障害年金」、経済的に必要となった時はしっかり申請したいものです。
その場合、申請に当たっては、病院の相談室やソーシャルワーカーと相談し協力を求めるといいと思います。その人たちは、そのことを仕事にしています。
「障害年金」についてさらに詳しく知りたい方は前回もお話ししましたが、「三重県・障害年金申請サポート」を検索してみていただくといいかなあと思います。また、最寄りの年金事務所や年金センターに問い合わせるのもいいかもしれませんね。
がんになった時、経済的な問題も治療を進めていくうえで大きな課題となります。それに対しての様々な公的な制度もあります。そういったものをしっかり使っていく必要がありますし、そういった制度があるということを知っているということは、とても大事なことだと思います。
がんと障害年金ーその1-
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
病室から見える景色は、「とてもいい天気だなあ。」ですがきっととても暑いんでしょうね。京都も梅雨明けしたとのこと。梅雨はどうしてしまったんでしょうね。水不足で様々な被害や生活への支障が出ないことを祈るばかりです。
さて、前回「大切な人が、がんになったときー経済的な問題を解決するー」というブログをアップしました。そこでは高額療養費制度や税金の医療費控除、また傷病手当や生命保険に関してお話ししました。そうしたところ、私の妹からこんなメールが届きました。
「障害年金」に関してです。
こんな内容のメールが届きました。
「国民年金は、障害年金2級までしかないですし、障害固定がいつになるのか良くわからないので、今すぐ申請にはならないと思いますが。FBの中で、障害年金のことは振れていなかったので、念のため送っておきますね。現状は、こうはならないという想定だと思っていますけどね。
国民年金の障害年金2級は、月額64000円位かな、国民年金を満額収めた場合の老齢年金の額と一緒です。何となく、知っていないといざという時に申請しそびれて終わるような感じになりそうなので、元気なうちに伝えておきます。
20歳以降の障害年金って所得制限ないんだよ。
精神障害とかだと、働けるようになったら、障害が軽くなったと評価されちゃって障害年金非該当とかになっちゃうけどね。だから、精神障害の人には、働けるようになって厚生年金かけてもらえたら、障害年金を返上して、また、病状悪化して働けなくなったら、また障害年金申請したら良いと説明しています。
困った時だけ障害年金もらって、老齢年金の年になったら、障害年金と老齢年金の額の多い方をもらって、障害年金非該当になったら老齢年金をもらうんです。
障害年金は非課税所得で、老齢年金は非課税所得じゃないからね。
悪性リンパ腫の障害年金2級の書かれている数値がどんなものかわからないけどね。
悪性リンパ腫の再発などの症状で入退院を繰り返して、仕事ができないようなら、誰かに診療所を貸して家賃収入もらいながら、そして障害年金もらいながらちょっと働けば良いんじゃないの?」
というものでした。
「障害年金」は病気やけがをして、それによる障害で日常の生活や仕事などに支障が出た時に支給される公的な年金の一つになります。申請の条件には、一定の障害の状態にあること。また公的年金制度に加入していること。また保険料の納付要件を満たしていることなどがあげられます。
がんの場合でも、この「障害年金」を申請することができます。
この「がんの場合」と言っても、人工肛門や人工膀胱などを造設したり、尿路変更の手術を受けたりなど、目に見える体の機能障害だけではなく、抗がん剤の投与などによる副作用、例えば倦怠感や末梢神経障害、貧血、下痢、嘔吐、体重減少などの見た目ではわかりにくい障害であっても、それらの症状が、がんの治療であることが証明され、現在の日常の生活や仕事に支障をきたすことが認められれば、この「障害年金」が支給される可能性があります。
この「障害年金」を申請するときに、「仕事をしているともらえないんじゃないか?」と思う方もいらっしゃると思います。でもそんなことはありません。
「障害年金」は、皆さん自身がこれまで払ってきた年金をもとにして支給される年金です。
経済的に苦しく、支援が必要なときは、私たちの当然の「権利」してしっかり申請して、受け取ることが大切だと思います。
「苦しいときは苦しい。助けて欲しいときは助けて。」と声を上げ、それを支援する制度を自分の権利としてしっかり使っていくことが大事だと思います。
今回のお話は、製薬会社のPfizer(ファイザー)の「がんを学ぶ」を読ませてもらって、その内容を短くしたものです。「障害年金」についてもっと詳しく知りたい方は、「がん 障害年金 Pfizer」と入れ検索すると皿の詳しく「障害年金」について記載されています。また「三重県・障害年金申請サポート」を検索してもさらに詳しく描かれています。
次回は、申請の仕方やその時に注意することをお話ししたいと思います。
「大切な人が がんになったとき」ー経済的な問題を解決するー
こんにちは。渡邉医院の渡邉です。前回「もっと知ってほしい 大切な人ががんになったとき」と言う冊子の内容についてお話ししました。
特に第1章の「がん患者さんを支える人が知っておきたい大切なこと」を中心にお話ししました。
今回は、もう一つ大事だと思う第7章の「経済的な問題を解決する」に関して少しお話ししたいと思います。
入院した時に、病気のこと、治療のこと以外にやはり気になる大きなことが、経済的なことだと思います。治療費にどのくらいかかるのか?生活費はどうするのか?経済的な余裕がなくなって治療どころではなくなって生活ができなくなってしまうのではないかなど、やはり経済的なことは、重要な問題だと思います。
実際私の場合、渡邉医院はすでに4月1日より休止状態になっています。ですから診療をすることで入ってくる診療報酬は0と言うことです。診療報酬が2カ月遅れで渡邉医院の銀行口座に振り込まれてくるので、2月分の診療報酬が4月に3月分の診療報酬が5月に振り込まれました。ただ、3月はほとんど半分以上は休診にしていましたので、通常の半分以下の診療報酬です。そして6月からは全く収入はなく0円です。ただ、休業補償と傷病手当が入ってくるので、これだけの資金で完治して渡邉医院を再開するまでの医療と生活費、皿のまだローンもあるので賄っていかなければなりません。また、渡邉医院の診療を開始したからと言って直ぐに診療報酬が振り込まれるわけではありません。例えば9月ではなく、11月に再開できたとします。そうすると11月の診療報酬は2か月後の1月に振り込まれてきます。ですから、診療を開始しても11月、12月の2か月をどう乗り切るかが問題となってきます。なかなか難しく、とても心配な問題を抱えています。
このように、治療のために必要な医療費はどうするか、その間の生活費はどうするかとても大事な問題です。
やはりこの経済的問題を少しでも解決することが必要になります。
それにはまずは治療にかかる治療費の負担を軽減することが大切ですし、そういった制度をチェックして活用することが大切です。
その一つが「高額療養費制度」です。
69歳以下あるいは70歳以上で住民税非課税世帯か現役並み所得者で年収約370万円~約1160万円なら公的医療保険の窓口で「高額療養費制度の限度額適応認定証」をもらうことが大事です。
高額療養費制度は、年齢や所得に応じて医療費の負担を減らす制度です。前もって、限度額適応認定証を病院に出しておくと、外来でも入院でも、窓口で支払う自己負担は、「自己負担限度額」の範囲の中でおさまります。しかも、すでに支払ってしまった医療費も「自己負担限度額」超えていた場合は、数か月後に自己限度額を超えた分がかえってきます。
また、同じ医療保険に入っている家族の医療費(69歳以下では1人21000円以上が合算の対象になります)を合算して、その医療費が自己負担限度額を超えていれば、高額療養費制度の対象になります。
このように「高額療養費制度」は窓口負担を軽減する良い精度だと思います。しっかり活用すべきです。
また税金の面では、家計を一つにする家族が使った市販薬や歯科治療費なども合わせて良否にかかった自己負担分額が年間で10万円を超えた時は、確定申告すると、税金の医療費控除となってお金が戻ってきます。
さて、私はとりあえず休業補償と傷病手当が入ってきます。
今仕事をもっている患者さんで仕事を辞めようか、どうしようかと悩んでおられる方が多いと思います。そんな時は、「辞めてしまう。」という結論を出す前に「有給休暇」や、私のように「傷病手当」を利用してみるということも考えてみてはどうかと思います。仕事をしながら治療をしておられる患者さんも多いと思います。会社の方とよく相談してみる手もあると思います。私も、渡邉医院を休止にするか、代わりの代診の先生をお願いするか等診療所のことだけでなく、今後の治療費や生活費、また復帰してからの資金に関していろんな方と相談しました。やはり自分一人、家族のものだけでは経済的な問題に関してはなかなか解決できませんし、いろんな知識もありません。税理士さんや専門の方に相談するのもいいと思います。
最後に、僕は生命保険やがん保険に入っていませんでした。今から思うと入っておけばよかったと少し後悔しています。
医療保険や簡易保険、生命保険や生命共済の医療特約、がん保険など、入っている保険があればしっかりもらすことなく手続きをして、せっかく保険料を払っているのですから必要なときにはしっかり手続きをしてもらいましょう。
経済的な問題を解決するなかなか難しいですが、とても大切なことだと思います。
こんな感じのことが書いてありました。参考にして下さいね。
排便時にめまい、ふらつきがある。
こんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今日も京都はいい天気みたいで、暑くなりそうです。私は今、入院中なので外の気温などはわからず、ずっと同じ環境です。
本当に、梅雨はどこに行ってしまったんでしょうね。東京では早々と梅雨明け。雨による災害も困りますが、雨が降らずに水不足の被害も困りますね。台風の時期にまとまって降るなんていうことなく、季節通りに雨は降ってほしいなあと思います。
さて今回は、便意を感じた時にめまいを感じたり、ふらつきを覚えることがあるが、これはどうしてなのかという質問を受けました。それに関して少しお話ししたいと思います。
この便がしたくなった時にめまいやふらつきを覚えるのは、排便に際しての腸内の運動に伴った迷走神経反射が原因だと思います。
人間の体は、交感神経と副交感神経からなる自律神経によって支配されています。活動しているときには交感神経が働いて、心身ともにリラックスしているときには副交感神経が働きます。さて、迷走神経は副交感神経の一つです。迷走神経が刺激されると、体はリラックス状態になります。このことは急激な心拍数の減少をきたして血圧が低下してしまいます。このように迷走神経が反射的に働くことで心拍数の減少、そして血圧の低下をきたします。意識を保つのには脳に行く十分な血流量が必要です。心拍数が減少し血圧が低下することで脳に行く血流量が減ってしまいます。そのことで脳が貧血状態に陥り、そうすると症状としてはめまいやふらつき、場合によっては失神と言ったことになります。
迷走神経反射が起きやすいのは日中、特に午前中が多いようです。
迷走神経が反射的に働いてしまう要因としては、長時間の立位や座位の姿勢、痛みや恐怖、疲労、ストレス、人込みの中や閉鎖空間などの環境などがあります。注射をするときに倒れてしまうなどもそうです。また、脱水や塩分制限、飲酒や薬が誘因となることが多いです。
ですから、便秘などで長い間便座に座っていたり、術後では排便時の痛みやストレスなんかも誘因になる可能性があります。
さて、排便ですが、便が直腸に降りてくると、脳の排便中枢に刺激が行きます。そうすると副交感神経が刺激され反射的に直腸筋が収縮して、内肛門括約筋は弛緩、緩みます。そうして腹圧をかけることで便が排出されます。このように直腸に便が来ることで副交感神経が刺激され、その一つである迷走神経が刺激されることで心拍数が減少し、血圧が低下してめまいやふらつきになります。
排便時に失神してしまう方もいて、特に中高年の女性に多いようです。
やはり睡眠不足だったりストレス、疲労も迷走神経反射の要因となります。この点を難しいですが注意して、後はやはり便秘であれば便秘を、反対に下痢であれば下痢を治し、具合よく便が出るようにすることも大切だと思います。