保険証廃止の撤回を求める!
皆さんこんにちは。保健医協会の渡邉です。渡邉医院の渡邉です。
今回は、国が12月2日にも行おうとしている保険証を廃止してマイナ保険証に一本化することについての問題をお話し、保険証廃止の撤回を皆さんと共に求めていきたいと思います。
まず、重親も根本的にマイナンバーカードは義務ではなく任意であることが大事なポイントです。マイナンバーカードを作ろうと思う方は作りたい、作りたくない方は作らなくてもいい。ですから、必ずマイナンバーカードを作らなければならないことはありません。任意のものです。その任意のマイナンバーカードを普及させようと、保険証という誰もが必要な、大切なものを人質にとって、強引に推し進めているところに問題があります。
マイナ保険証も任意で、マイナ保険証にしたい人はマイナンバーカードに保険証を紐付けたらいいと思います。これまでの保険証でなんら問題は起きていません。なのになぜ保険証を廃止してマイナ保険証にするのでしょう。誰のための、誰の利益のために進めているのでしょう。私たち国民に関して、決して利益になるものではありません。進め方に疑問があり疑惑があります。
さて、マイナ保険証の利用率は今年の7月の時点で11.13%です。まだまだ利用率は低く、88.87%の方は除検証を選択しています。それにもかかわらず、武見敬三厚生労働相は国会で「利用率に関係なく12月2日に保険証廃止」と言明しました。また、河野デジタル大臣は、「傷だらけになって改革を進めている」と言っていますが、本当に傷ついているのは私たちこくっ民です。勘違いしないでほしい。
このような状況の中、なぜ低迷しているのか、このまま保険証を廃止すると、どんな混乱が起きるかを考えることなく推し進めようとしています。なぜでしょう? 疑問があります。
さらに政府は、マイナ保険証の利用率を上げるため、手段を選ばず様々な方法で行なっています。
例えば、マイナ保険証の利用率が上がらないのは医療機関の責任だと医療機関にその責任を押し付け、医療機関におけるマイナ保険証の利用率をアップさせる対策として、2023年10月の実績と、利用人数からの増加量に応じて最大で診療所で10万円、病院では20万円を一時金として支給すること。支給の条件としては、ポスターの掲示と患者への声かけなどがあります。
二つ目としては、
あらゆるメディアを動員して、マイナ保険証の問題点は挙げずに、集中的にマイナ保険証の広報の展開に取り組んでいます。
お金を目の前にちらつかせマイナ保険証の利用率を高めようとする。このことは医師や医療従事者を本当に愚弄しているとしか思えません。また、このような手段で進めることは医師と患者との分断をさせようと企てているとしか思えません。
さらに、河野太郎デジタル大臣は自民党国会議員に対し、マイナ保険証の利用ができない医療機関を「密告」するよう支援者に呼びかける要請文書を配布しました。
「密告させる」、もう民主主義国家の大臣の発言とは思えません。戦時中に「非国民」の密告を奨励したことを思い起こさせる発言です。
そして、マイナ保険証の利用率低迷の原因を「医療機関の受け付けでの声かけにあると考えられる」とあたかも医療機関に責任があるがごとく公言する。さらに岸田文雄首相も国会でこのことを問題視して質問われても、「政府見解と合致し、不適切ではない」と追認してしまう。
日本はどうなってしまっているのでしょう。
なぜ、ほとんどの国民がマイナ保険証を使わないのか。それはメリットを感じていない、必要がないと感じているからです。そして、京都府保険医協会去年が昨年12月に行った会員医療機関対象の調査では、国の総点検後も6割の医療機関でマイナ保険証をめぐるトラブルが起きており、そのトラブルを解消する対処法として87%が現行の健康保険証で資格確認を行ったとしています。いまだ現行の保険証なしでは安心して医療にかかれる環境にないことを示しています。
このようにまだまだ不十分な制度にもかかわらず強引に進め、それが進まないのを医療機関の責任に転嫁する。そして私たち医師を愚弄するかのように、目の前に金をちらつか「密告」という手段で患者との分断を図るような形で進めていく。私たち医師はこのような進め方には決して屈することはできません。
そして、皆さんと共に、政府に今の進め方に反省をを促し、健康保険証の廃止は撤回させ、これからも保険証が使えるよう求めていきます。よろしくお願いいたします。
9月も半ばすぎ、自信をもっていこう
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
もう9月も半ばを過ぎました。まだまだ暑い日が続いています。体調を崩されてはいませんか?暑さ寒さも彼岸まで。そろそろ涼しくなっていくかなあと思います。私は3年ぶりの自宅での夏。乗り越えられそうです。体調もどんどん上向き。後は足がもう少し動くなればと思います。
去年の12月23日に退院して、まず最初の目標は、息子の結婚式に行くこと。これはクリアできました。次の目標は、この暑い夏を乗り越えること。これもクリアできそうです。そして、その次の目標は、年を超え、お正月をむかえること。お正月を迎えることで、再発なく、寛解状態が1年続いたことになります。足が十分に動かなくても、1年間再発なく体調も良くなっていけば、今後に向けた大きな自信になります。やはり、この9ヶ月、いつ体調が崩れて再発するのか。今年いっぱいもつのか。などネガティブな考えが脳裏をよぎることもあります。ただこれまで着に目標をクリアしているので、この目標もクリアできると思います。もう後3ヶ月頑張り、新年を迎えたいと思います。
肛門周囲膿瘍に対して切開排膿する際の麻酔の仕方
9月になりました。今日は頭部MRIの検査。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
台風がようやく過ぎ、でもまだ台風の影響が残っているところがあるようです。今回の音台風、台風から離れたところでも甚大な被害が出てしまいました。。今回の台風で被災された方々にはお見舞い申し上げます。
さて9月になりました。3年ぶりの退院していての夏。なんとか乗り越えられそうです。
今日は悪性リンパ腫の再発がないかどうか頭部のMRIの検査に行ってきました。
私の悪性リンパ腫の初発は、脳の下垂体の近く腫瘍として発現しました。中枢原発の悪性リンパ腫でした。前回のMRIでは再発の所見はなく、今回も再発していないで欲しいいなあと思います。現在、自覚症状がないので大丈夫だと思うのですが。またもう一つ、放射線の全能照射による副作用である白質脳症が発症していないかも少し心配です。まあなるようになるです。
今日は、京都に帰ってきた妹が付き添ってくれました。検査が終わってお昼ご飯。病院の近くにあるカレー専門店カリルに行きました。今日はバターチキンカレー。美味しかったです。久しぶりの外食。外の空気が吸えて、気分転換!また明日から頑張れそうです。家の中だけにいると、気持ちが浮き沈みしてしまう。「今は寛解状態。長く続いて欲しいなあと思うけど、あとは再発を待っているだけか。」などとネガティブな思いが湧き出てくる。たまには外に出て、外の空気を吸って、鴨川や街並や、いろんな景色を見たいなあと思います。
さて、渡邉医院に関しては、診療は拡大してきました。ただまだ手術は再開していません。私自身手術はとても好きです。やりたい気持ちは本当に強いのですが、まだまだ両足が十分に動きません。緊急の時に対応できない可能性が高い。また体調のことを考えると体調の方ももう少しかなあと思います。体調が更に良くなり、充分に足が動くようになってからにしたいと思っています。申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
肛門周囲膿瘍について
痔瘻の手術の大切なポイント
痔核硬化療法と戦争
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
現在、内痔核の治療法に痔核硬化療法があります。パオスクレ―とジオンという痔核硬化剤での痔核硬化療法です。使っている先生方は、内痔核を切除することなく治療できて、内痔核の治療法の一つとしてとても有効だと感じ使っておられると思います。
でも痔核硬化療法が開発された要因の一つに戦争が関与しています。
祖父が書いた原稿の中に、痔核硬化療法に関連したものがあります。そこには、
「私は昭和20年4月に召集をうけ、孤島の陸軍病院に勤務した。」とあります。
これは、昭和16年に医療関係者徴用令が発せられました。医師や看護師らが軍需工場、無医村などに強制的に勤務させる方針で、医師が軍医として戦地へ行く召集が広がっていった時期です。
祖父の原稿はこう続いて書かれています。「戦争が激化していく中、次第に隊員で痔核で入院し加療する患者が増加してきた。しかし戦局は苛烈となり、全員手術をすれば戦力の低下を期すことを憂い、痔核硬化療法を試みたいと考えたがマグネシウムが入手できず・・・」と。そして、「入手できた第2燐酸カルシウムを用いた第2燐酸カルシウム・グリセリン懸濁液という痔核硬化剤を作り使用してみると、マグネシン注射(マグネシウム粉末をグリセリンに懸濁させた懸濁液。痔核硬化剤)同様の結果を得、患者を早期に原隊に復帰させることができた。」と。
内痔核に対しての痔核硬化療法にも戦争の影響、戦争の影が見え隠れします。
五山の送り火
今日は五山の送り火。皆さんどのようにお過ごしですか?
私は、自宅でWEBのライブ配信で観ました。
去年、一昨年とこの2年は8月16日は悪性リンパ腫の治療のため病室から右の大文字の送り火を見ていました。今年は病室からではありません。ただ、まだ歩くことができないので、WEBのライブ配信で見ることになりました。でも自宅でWEBですが、病室からではなく、ゆっくりしてみることができてとても嬉しく思います。 来年はまた、歩いて五山の送り火を見たいと思います。
なかなかお墓参りにも行けず、亡き父は何を思っているのかなあと思います。
父は広島の江田島ある海軍兵学校にいました。そして、原爆による悲惨な状況を目の当たりにしました。この体験もあり、生前父は「核兵器の無い、そして戦争の無い平和な世界」を望み、取り組んでいました。
この父の意思をしっかりと受け継いでいきたいと思います。
終戦記念日を迎え
戦争は私たちの心の隙間から、いつの間にか私たちが気がつかないうちに進み、一旦戦争が始まると、私たちの意思とは関係なく広がっていく。ですから、戦争に進んでしまうどんな小さなことも早く見つけ、それを排除しなければなりません。
今、大きな声で小さな声を押しつぶす。弱者は強者を心優しく穏やかにし、強者は弱者を守るのが本来の姿。今の時代、国の姿勢を見ても、強者は弱者を押し潰して行くようになってしまっているのではないでしょうか。
今の国は、単なる閣議決定が国方針となりその方針が押し進められてしまう。これまでのあらゆる政策の暴慢な国の進め方を見ると、日本もいつの間にか戦争ができる、そして戦争をする国になってしまうのではないかと危惧します。この動きを食い止めて行くことが私たちがしなければならないことだと思います。
今、世界では戦争によって、多くの人々の命や生活、そして夢が奪われています。戦争の無い平和な世界を作るには、私たち一人ひとりが平和を願いそのためにできることをしっかり行なっていくことが大切です。そのためには、さまざまな情報をしっかり自分自身で確かめ、場合によっては批判的な目で見て行くことも必要だと思います。最近のメディアは、人々を不安にするような、扇動するような調子で報道しているように感じます。もう少し、事実をしっかり伝えて欲しい、そして今、さまざまなことが起きている中、大切な事をしっかり伝えて欲しいと願います。
私たち医療に関わるものは、目の前の患者さんをしっかり診て治療をしていく。そして今壊されつつある社会保障を守り、充実させ絵行くことが、我々の使命だと思います。
「一人で見る夢は夢でしかない。みんなで見る夢は現実になる。」
私たち一人一人戦争の無い平和な社会を願い、それに向けて出来ることをすることが大事だとお思います。
終戦記念日を迎えて。