痔核硬化療法と戦争

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
現在、内痔核の治療法に痔核硬化療法があります。パオスクレ―とジオンという痔核硬化剤での痔核硬化療法です。使っている先生方は、内痔核を切除することなく治療できて、内痔核の治療法の一つとしてとても有効だと感じ使っておられると思います。
でも痔核硬化療法が開発された要因の一つに戦争が関与しています。
祖父が書いた原稿の中に、痔核硬化療法に関連したものがあります。そこには、
「私は昭和20年4月に召集をうけ、孤島の陸軍病院に勤務した。」とあります。
これは、昭和16年に医療関係者徴用令が発せられました。医師や看護師らが軍需工場、無医村などに強制的に勤務させる方針で、医師が軍医として戦地へ行く召集が広がっていった時期です。
祖父の原稿はこう続いて書かれています。「戦争が激化していく中、次第に隊員で痔核で入院し加療する患者が増加してきた。しかし戦局は苛烈となり、全員手術をすれば戦力の低下を期すことを憂い、痔核硬化療法を試みたいと考えたがマグネシウムが入手できず・・・」と。そして、「入手できた第2燐酸カルシウムを用いた第2燐酸カルシウム・グリセリン懸濁液という痔核硬化剤を作り使用してみると、マグネシン注射(マグネシウム粉末をグリセリンに懸濁させた懸濁液。痔核硬化剤)同様の結果を得、患者を早期に原隊に復帰させることができた。」と。
内痔核に対しての痔核硬化療法にも戦争の影響、戦争の影が見え隠れします。
五山の送り火

今日は五山の送り火。皆さんどのようにお過ごしですか?
私は、自宅でWEBのライブ配信で観ました。
去年、一昨年とこの2年は8月16日は悪性リンパ腫の治療のため病室から右の大文字の送り火を見ていました。今年は病室からではありません。ただ、まだ歩くことができないので、WEBのライブ配信で見ることになりました。でも自宅でWEBですが、病室からではなく、ゆっくりしてみることができてとても嬉しく思います。 来年はまた、歩いて五山の送り火を見たいと思います。
なかなかお墓参りにも行けず、亡き父は何を思っているのかなあと思います。
父は広島の江田島ある海軍兵学校にいました。そして、原爆による悲惨な状況を目の当たりにしました。この体験もあり、生前父は「核兵器の無い、そして戦争の無い平和な世界」を望み、取り組んでいました。
この父の意思をしっかりと受け継いでいきたいと思います。
終戦記念日を迎え

戦争は私たちの心の隙間から、いつの間にか私たちが気がつかないうちに進み、一旦戦争が始まると、私たちの意思とは関係なく広がっていく。ですから、戦争に進んでしまうどんな小さなことも早く見つけ、それを排除しなければなりません。
今、大きな声で小さな声を押しつぶす。弱者は強者を心優しく穏やかにし、強者は弱者を守るのが本来の姿。今の時代、国の姿勢を見ても、強者は弱者を押し潰して行くようになってしまっているのではないでしょうか。
今の国は、単なる閣議決定が国方針となりその方針が押し進められてしまう。これまでのあらゆる政策の暴慢な国の進め方を見ると、日本もいつの間にか戦争ができる、そして戦争をする国になってしまうのではないかと危惧します。この動きを食い止めて行くことが私たちがしなければならないことだと思います。
今、世界では戦争によって、多くの人々の命や生活、そして夢が奪われています。戦争の無い平和な世界を作るには、私たち一人ひとりが平和を願いそのためにできることをしっかり行なっていくことが大切です。そのためには、さまざまな情報をしっかり自分自身で確かめ、場合によっては批判的な目で見て行くことも必要だと思います。最近のメディアは、人々を不安にするような、扇動するような調子で報道しているように感じます。もう少し、事実をしっかり伝えて欲しい、そして今、さまざまなことが起きている中、大切な事をしっかり伝えて欲しいと願います。
私たち医療に関わるものは、目の前の患者さんをしっかり診て治療をしていく。そして今壊されつつある社会保障を守り、充実させ絵行くことが、我々の使命だと思います。
「一人で見る夢は夢でしかない。みんなで見る夢は現実になる。」
私たち一人一人戦争の無い平和な社会を願い、それに向けて出来ることをすることが大事だとお思います。
終戦記念日を迎えて。
8月18日までお盆休みを頂きます。19日月曜日から再開いたします。

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
お盆の期間になりました。皆さんはどうお過ごしでしょうか。
私は、自宅でゆっくりしています。
去年の12月23日に退院して、1月から診療を開始しました。診療はかなり縮小していますが、これまで約8か月、体調を崩すことなく仕事、生活を送ることが出来ました。
これまで、こんなに長く体調を崩すことなく診療を続けることが出来た経験はありません。去年を振り返ると、去年の8月から12月まで計5回も入退院を繰り返していました。
このまま再発なく、寛解状態が続いてくれればと願っています。
さて、そんなこともあり、今年のお盆休みはしっかりとらせていただこうと思います。
お盆休みは8月18日まで休ませていただき、8月19日の月曜日から診療を再開いたします。
この1週間、しっかり体調を整え、後半戦に臨みたいと思います。
よろしくお願いいたします。
渡邉医院 渡邉賢治
母に会って

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。8月も2週も終わり、お盆の時期になりました。皆さんは今年のお盆はどのように過ごされるのでしょうか?実家に帰る、旅行に行く、自宅でゆっくりする。どうでしょう?
渡邉医院は私がアクセリンパ腫になる前は、お盆休みを取らずに診療をしていました。
今年は、しっかり休ませてもらうことにしました。8月13日から8月17日までの期間、1週間のお休みをいただくことにしました。
体調は両足が十分に動かない以外はとても良くなってきています。去年の12月23日に退院して7ヶ月の間、どんどん体調は良くなり、診療は縮小していますが、この間病状が悪化して休むということもなく診療を続けています。悪性リンパ腫になって、これだけ長い期間休むことなく診療を続けられたのは初めての経験です。後はこの猛烈な暑さの夏を乗り越えられたらと思います。そんなこともあって、今年はしっかり休ませてもらいます。
さて、久しぶりに妹が2月に帰ってきた実家に行きました。とても快適な空間に変わっていました。玄関は変わりなく、玄関框が高く杖を使いながら上がれるか心配していましたが、全然大丈夫、上がることができリハビリの成果かと思いました。
妹と一緒にお昼ご飯を食べた後、グループホームに入居している母に会いに行くことにしました。
新型コロナウイルスが今、感染拡大しているので、面談室での面談をお願いしました。
約1年ぶりの再会でした。1年前、母が左の大腿骨骨折で入院となった時、入院に必要なものをグループホームから病院にまで運びました。その頃はまだ補助的に杖を使って歩行していたのでなんとか運ぶことができました。夏の暑い日、汗をかきながら運んだ記憶が鮮明です。その後すぐに私も体調を崩して入院する羽目になてしまいました。それから約1年間、会うことができませんでした。2本の杖で歩けるようになたことと、妹が京都に帰ってきてくれたことで母の面会が可能とりました。
90歳になった母。車椅子に乗って、頭を垂れて目を閉じ寝ているようでした。時々目を開けるのですが、声かけに応答することはなく、また寝てしまうとういう状態。でもまあ1年前とそれほど変わっていないなあと思いました。ただ、やはり歩くことができないので、足は腕かと思うほど細くなっていました。ただそんな足も動かし、車椅子からずれていく姿勢を戻そうとしていましたが、足を動かせば動かすほど、ますますずれて行く。でも、手を握ると反射なのか握ってきます。声は聞こえているのかなあと思いますが、どうかなあ?
そんな母を見ていると、母は母の世界で穏やかに生きているんだなあと思い、心優しい、ほっとしたような気持ちになりました。
母に会いに行けることができることがわかったので、これからは時々母に会いに行こうと思います。
夏季休業のお知らせ
渡邉医院です。
当院の夏季休診についてお知らせいたします。
休診
8/11(日)〜8/18(日)
8/19(月)より通常診療いたします。
よろしくお願いします。
絵が好きで良かった

皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
7月も後半。毎日暑い日が続ますが、体調は大丈夫ですか。私は今のところ、大丈夫です。
それよりも、私の周りにある物が次々と調子が悪くなっています。
まずはエアコン。全く動かなくなってしまいました。次にFacebook。全く使えなくなりました。今調べているところですが、ダメです。次はテレビが映らなくなってしまいました。以前からアンテナの具合が悪く、今度具合が悪くなったら、家の中のアンテナの配線を壁を壊してみなければならないと言われていたのが、とうとうその日がきたようです。
こんな感じで、私の周りの物が次から次へと具合が悪くなっていきます。なんか私の身代わりになってくれているのではないかと考え絵しまい、今度は私自身の調子が悪くなるのではないかと少し心配になります。
こんなことを考えるのもテレビが映らず、本当に静かな家の中で一人でいるせいかなあと思います。
絵を描くのも、絵を描くことに集中して、そんな不安を取り除こうとしているのかもしれません。
音楽を聴きながら絵を描く。一見優雅に見えますが、不安を取り除く手段としているのかもしれません。でも、本当に絵を描くことが好きで良かったとおもおいます。絵に助けられているのかなあと思います。これからも描き続けていくんだなあと思います。