肛門の外にできているもの・腫れているもの
保険でよい歯科医療を」京都連絡会主催市民講座に参加しました
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
11月10日に「保険でよい歯科医療を」京都連絡会の主催の市民講座に参加しました。
土岐 志麻先生による「食べる、飲む、話す、呼吸する、生きて行くために必要な口腔機能の育て方」という内容の講演でした.
内容ですが、パンフレットの「講師からのひとこと」にはこのように紹介されていました.
「食べること、話すこと、飲むこと、呼吸を助けること、このようなお口の機能は小さいうちにさまざまな経験を繰り返すことによって発達していきます.しかし、うまく発達できなかった場合「口腔機能発達不全症」と診断され、専門家の支援、指導が必要になります.
お子さんに「お口ぽかん」はありませんか?3~12歳では3割の子に見られ、この問題は大人になっても変わらないというデータが報告されています.口腔機能の発達不全だと、「舌足らずなしゃべり方」「食べ物の丸のみ」などの問題のほか、歯並びかみ合わせに影響が出てくることがあります.今回は子どもの発達支援ですが、介護の現場などでも参考になると思います.」とのコメントでした.
実際、私の経験では、去年の末入院中に右の顔面神経麻痺になりました.十分に口を閉じることができず、口をゆすごうと水を口に含むと、すぐに右の口角から漏れてしまう.またコップなどで水分や汁物w摂ろうとすると直ぐに口から漏れてしまうのでストローで飲む.食事もこぼれないように右で噛んで食べる.麺類は啜ることができない.また、パピプペポやまみむめもなど唇がうまく閉じないと発声できない言葉がうまく言えずうまく喋れない.など、口や唇がしっかり閉まることの大切さを知りました.またしっかり噛むことも大事だと思います.噛むことでご飯が本当に美味しくないます.
口腔内、口の機能をよくして環境を良くすることが日常の生活の質を良くし、よりよい生活ができるのだと思います.
生まれて最初の授乳から具合良い口腔機能にしてあげることが大事だと思います.
食べる、飲む、話す、呼吸をすることは、生きて行くために本当に大切なことです.
口腔機能に問題があるならば、それを早く見つけ、治療に常げて行くことが大切だと思いました.
大腸肛門病学会に行ってきます。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
11月に入ってようやく涼しい、少し寒い日が来るようになりました。長い夏が過ぎて、短い秋?がやっと来ました。診療所に行く道は、少しですが木々たちが色づいてきたようです。今年の紅葉はどうかなあと思います。出来ることなら紅葉を見にいきたいなあと思います。
さて、10月の末に大学病院時代の後輩からメールが届きました。
11月29日から横浜のパシフィコ横浜で、第79回日本大腸肛門病学会が開催されます。一人ではいけないので参加することは断念していました。そんな中、後輩からのメールが来ました。
わっったしは大学時代、第三外科の大腸肛門班という研究班に所属していました。その後輩からのメールでした。29日の夜に大腸肛門班の仲間が集まって同窓会を開くとの内容でした。
大学にいたときは、大腸肛門班の皆んなが協力して実験をして研究をしていた事を懐かしく思い出しました。夜遅くまで研究したり、大変なこともありましたが、とても楽しい思い出です。
そんな仲間に会えるのだったらなんとか行きたいなあと思い、妻と相談して連れて行ってもらうことにしました。新幹線も多機能室を予約してもらい、車椅子でいくことにしました。
土曜日は学会にも参加しようと思います。悪性リンパ腫になる前は毎年参加して発表をしていました。久しぶりの学会です。学会場では全国の肛門科の先生に久しぶりに会えるのも楽しみです。
でも、ここまで体調が回復したことがとても嬉しく思います。
保険証廃止の先にある医療DXの企て
皆さんこんにちは。渡邉です。
今日は、保険証廃止の先にある「医療DX」と社会保障の後退についてお話しします
さて、12月2日の保険証の廃止を政府は手段を択ばず強引に進めています。なぜ政府がこんなにも頑なに保険証廃止にこだわるのでしょうか?それを読み解くには保険証廃止の先にある「医療DX」が鍵となります。
去年の4月から原則すべての医療機関にオンライン資格確認が義務づけられました。そしてカードリーダーにマイナ保険証をかざして「資格確認」をする「オンライン資格確認」が、医療DXの入口となります。
この仕組みで、医師は他の病院・診療所の医師と患者の情報を共有出来るようになります。患者も、あらかじめ自分の情報を知ってもらうことで診断・治療に役立ちます。医療界が医療DXを評価するのはこうした点です。
しかし、国の進める「医療DX」はデジタル技術を医療に活用して、患者の治療に役立てることを目的としたものではありません。国民の医療情報を収集し、その情報の活用が第一の目的にあります。
国は、このシステムを医療以外の介護や自治体の保有するデータも含めた「全国医療情報プラットフォーム」に発展させようと考えています。そのために共有できる医療情報の範囲も拡大させることが目指されています。そして情報を拡大するために電子処方箋や全医療機関共通の電子カルテの導入も予定されています。
プラットフォームに集積された情報は個々の診療の段階で共有・活用されます。これが「一次利用」といいます。そして問題になるのは「二次利用」です。患者の情報を製薬企業や健康産業等に提供し、活用させることです。そしてそのことが公益のためと正当化されてしまうこと。ここに問題があります。
プラットフォームを通じて集められた医療・介護データと様々に紐づけられた電子証明書のデータとあわせて、個人別にデータを統合して、AIを使って分析すれば「どのような生活をしてきた人か」そして「どんな病気になり」「その結果どのような医療・介護が必要になるのか」を研究することが出来てしまいます。
さらに「この人はどういう消費欲求があるのか」ということを予測し、商品を売りつけることも出来てしまいます。
国が悪用すれば「不健康な暮らしをしているから」病気になると自己責任として、公的サービスから排除することもできてしまいます。
国がめざしているのは、民間事業者が個人個人の医療・健康データを活用して、儲ける仕組みづくりを国ぐるみで進めることにあります。
保険証廃止は、それ自体が国民皆保険体制を後退させてしまいます。
なぜなら保険証廃止によって、マインナンバーカードを保険証として使用するにも、資格確認書の交付を受けるにも、本人の求め、申請が必要になります。そして、いずれも有効期限が切れると自らが申請しなければなりません。求めに応じて交付された資格確認書の有効期限は1年とされています。
でもこのことは医療保障という人権保障が「申請に基づくもの」「希望によるもの」になってしまい、「いつでも・どこでも・誰でも」の国民皆保険制度が大きく後退してしまいます。
保険証の廃止を止めるだけでなく、法律自体を元に戻す必要があります。
国民健康保険における「短期被保険者証」がなくなることにも警戒が必要です。
公的医療保険制度は単なる保険制度ではありません。社会保障であり、生存権保障の仕組みです。お金のあるなし、保険料の納付のあるなしには関係なく、全ての人が必要な医療サービスを受けることが出来るということが大原則です。これまで短期被保険者証が果たしてきた役割の一つに、保険料を滞納している患者さんが資格証明書に移行するまでの間、医療保障につなぎ止めるという役割りがあります。マイナ保険証の原則化で短期被保険者証がなくなってしまうと、支援者や自治体が滞納している人を医療につなぎ止める手段がなくなってしまうといった危険性があります。
保険者である自治体は、被保険者が医療を奪われることがないように、どうして行くかが問われています。
保険証廃止に反対する私たちの運動は、今かなりのところまで政府を追い込んでいます。
明日の選挙の結果でどう変わっていくかはわかりません。
でも、国は12月2日に向けて手段を択ばず保険証廃止に突き進んでいくでしょう。
私たちは、それらに負けることなく、さらに大きく「保険証を残せ」の世論を広げていくこと必要です。「保険証廃止の撤回を求めることが一番の目標です。ただ、合わせて「資格確認書の無条件交付」を要求して誰一人からも医療を奪われないようにしなければなりません。
DXの名のもとにすすめられている国家ぐるみの人権侵害に対しては「自己情報コントロール権」を法制化させる運動も必要です。自分の意思を無視して自分の情報が国家や企業のたくらみに開放されることを決して許してはいけません。
保険証廃止に反対する運動は、私たちの人権を守ることに繋がります。
マイナ保険証で資格確認ができなくても大丈夫!
マイナ保険証がなくても大丈夫!安心して!
悪性リンパ腫のこれまでの経過を振り返って
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
「がんになったライオン」の動画や絵本を見て少し私のこれまでのことを振り返ってみました。まず病院に行ったきっかけです。妻と食事に行って帰りがけ、なんとなく遠くのものが二重に見えるような気がして、「まあ夜だからかなあ」と思っていました。次の日に朝起きてみると、周りのものが二重に見えるようになりました。病院に行って診察してもらい、頭部のMRIを撮影をしても特に異常所見はないとのこと。突発性の右動眼神経麻痺とのことで様子をみることになりました。様子を見ていたのですが、段々倦怠感が強くなり、食事も思うように摂れなくなり、座っているのも辛く、すぐに横になると言った生活が続いていました。2週間後の予定の診察日が来るまで、段々症状が強くなり、後から渡邉医院のスタッフに聞いたのですが、「いつ救急車呼ぼうかと思うほどだった。」とのことでした。診察を受ける際も、もう座っていることができずベッドに横になりました。造影のMRIで下垂体近傍に腫瘍があることが分かれいました。悪性リンパ腫が腫瘍として脳にできていました。私は「悪性リンパ腫かあ。」と思ったのですが、妻は「まだ先生はリンパ腫と言っているだけ。悪性リンパ腫とは言っていないわ。」と悪性リンパ腫を否定したかったのかもしれません。
悪性リンパ腫と診断された際、私は正直あまり大きなショックや動揺はありませんでした。早く治さなければと思うのと、渡邉医院をどうしようかと思いました。
入院後、悪性リンパ腫の確定診断と悪性リンパ腫のタイプをみるために脳外科的に腫瘍の政権をするかどうかを決めなければなりませんでした。眼科で左目の硝子体ないにある浮遊物を採取して、そこから悪性リンパ腫であることがわかっていたのですが、タイプまではわかりませんでした。そこで脳外科的に生検して確定診断をさらに正確なものにしようという目的でした。ただ腫瘍が入院時からのステロイドの治療で小さくなってきていて、十分に採取できるかがわからないこと、髄液漏などを起こして、悪性リンパ腫の治療が遅れることがあることなど考え生検はせずにすぐに悪性リンパ腫の治療に入ることになりました。生検の予定が明日に迫っている状況で、数時間の間で決断しなければならず、この決断が一番難しかったです。
直ぐに悪性リンパ腫に対しての化学療法を行うために、脳外科の病棟から血液内科の病棟に移動しました。そして大量メソトレキセートを中心として他の抗がん剤も加え化学療法が始まりました。まずは化学療法を5クール行い、寛解状態になりました。そして治癒を目指すために、地固め療法そして最後に造血幹細胞移植へと進んでいきました。
造血幹細胞移植まではライオンと同じように、「よし完治に向けて頑張ろう!」という気墓地的にはハイテンションな時期でした。
造血幹細胞移植が終わり、退院。去年の1月から診療を開始。でも診療を開始して、忙しかったこともあって、体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。肺炎を起こし入院したり、激しい腰の痛みで入院をしました。血液検査や髄液検査、頭部MRIでも再発の所見はありませんでした。ただ全身の状態の悪化を考えると再発の可能性もあるということで、再度4クールの化学療法をしました。そして去年の12月23日に退院して、今年の1月は1ヶ月間、土日を除いて毎日放射線の全脳照射をしました。ですから去年1年間は「造血幹細胞移植して完治したと思ったのに、どうしてこんなに早く再発するの?」という気持ちが強く、気持ち的には辛い期間でした。特に去年の末は、激しい腰の痛みがあり、夜も全く眠れない。痛みと眠れないということでどんどん精神的にも落ち込んでいく。また痛み止めはほとんど効かず、麻薬を使って、少しの間は効いても直ぐに痛くなる。精神的にもおかしくなっていくのがわかりました。精神科の先生にも見てもらいました。精神科の先生は「夜寝ましょう」ということで睡眠導入剤を処方してくださいました。
激しい痛みの原因はわかりませんでした。ただ、再発の可能性もあるため、もう一度化学療法を行おうということになり、初回と同じ抗がん剤での化学療法を4クール行いました。効果があったのか痛みは取れ、夜も眠れるようになり、精神的にも落ち着いていきました。4回の抗がん剤の髄注、4クールの化学療法を行い痛みはとれ、精神的にも落ち着いてきた時に両足の痺れ麻痺が、本当に突然起きました。感覚的には、ほんの数秒のうちに、腰のあたりから明日の指先へと一気に痺れ麻痺が進みました。この突然足が痺れ麻痺がきて動かなくなる。驚きと共に、これは悪性リンパ腫の影響なのか?抗がん剤による副作用なのか?オンコビンという抗がん剤を使っていました。副作用に末梢神経障害があり、両足の麻痺は末梢神経障害なのかなど考えていました。ただもう起きてしまったので、あとはリハビリをして改善していかなければと思いました。でも神経障害、時間は相当かかるだろうなあと思いました。10月になっても少しずつ改善はしてきていますがまだまだ十分に動きません。
そして去年の12月23日に車椅子で退院しました。退院後1月からは放射線による全脳照射を土日を除いて1ヶ月間毎日行いました。若い男性のヘルパーさんに毎回付き添って頂き治療進めて行きました。その1月から、午前中の診療を始めました。診療はかなり縮小させてもらいました。診療が終わり午後から全脳照射。治療がわって自宅に帰るとあとはベッドで横になる。そんな生活を送っていました。徐々に体調も良くなってきました。退院して頃は顔面神経麻痺もあり、飲み物はストローでないと口から漏れる、食事もあまり口が開かなかったので少しずつ食べる。そんな感じでした。今から思うと、今現在本当に良くなってきたと思います。
これからも体調が良くなり、足も動くようになって、寛解状態が長く続くようであってほしいです。
とりとめもなく、思いつくまま、まとまりもなく、読みにくくなって申し訳ありません。こんな感じで10ヶ月間寛解状態で過ごしてきました。
「がんになったライオン」の裏話を聴いて
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
9月がもうすぐ終わろうとしています。朝夕は少し涼しくなってきましたが。まだまだ日中は暑く、残暑が厳しい中体調を崩さず過ごしてられるでしょうか?
私はどんどん体調も良くなってきています。9か月間体調が悪く診療を休むことなく過ごしてきました。自家血幹移植後、このように長い期間入院することなく生活している。我ながらすごい!と思っています。このまま寛解状態が続いてくれればと思っています。
さて昨日、第17回京都民医連中央病院主催の地域連携の会に行ってきました。行ってみようと思ったのが、テーマが「いのちの足音をはじめて聞いた。がんに時間を奪われて」で、その第3部の特別記念講演「緩和について語るときに絵本ができること~『がんいなったライオン』の裏話~」という講演があったからです。
というのも、facebookやXにも投稿したのですが、「がんになったライオン」という動画がYouTubeにアップされていて、その内容が私が悪性リンパ腫になって、これまでの経過中の私の気持ちにドンピシャリ当てはまっていて、その内容に「そうそう、わかるわかる、そうなんだよね。」という気持ちで動画を観ました。その「裏話」ということでとても興味を抱いて参加しました。まだまだ足が十分に動かないので、妹を誘って車椅子で連れて行ってもらいました。
緩和ケアに関して、がんの末期気になってはじめて行うのではなく、がんと診断された早期から緩和ケアを進めていく大切さがよくわかりました。また、がんと戦っている患者さんだけでなく、その姿を見守っている家族の緩和ケアをして患者そして家族の方を含めて支えていく。慰労だけでなく、さまざまな方法で支えていく。繋がっていくこと、その関係の大切さを改めて確認することが出来ました。よければ「がんになったライオン」の動画をYouTubeでご覧ください。
保険証廃止の撤回を求める!
皆さんこんにちは。保健医協会の渡邉です。渡邉医院の渡邉です。
今回は、国が12月2日にも行おうとしている保険証を廃止してマイナ保険証に一本化することについての問題をお話し、保険証廃止の撤回を皆さんと共に求めていきたいと思います。
まず、重親も根本的にマイナンバーカードは義務ではなく任意であることが大事なポイントです。マイナンバーカードを作ろうと思う方は作りたい、作りたくない方は作らなくてもいい。ですから、必ずマイナンバーカードを作らなければならないことはありません。任意のものです。その任意のマイナンバーカードを普及させようと、保険証という誰もが必要な、大切なものを人質にとって、強引に推し進めているところに問題があります。
マイナ保険証も任意で、マイナ保険証にしたい人はマイナンバーカードに保険証を紐付けたらいいと思います。これまでの保険証でなんら問題は起きていません。なのになぜ保険証を廃止してマイナ保険証にするのでしょう。誰のための、誰の利益のために進めているのでしょう。私たち国民に関して、決して利益になるものではありません。進め方に疑問があり疑惑があります。
さて、マイナ保険証の利用率は今年の7月の時点で11.13%です。まだまだ利用率は低く、88.87%の方は除検証を選択しています。それにもかかわらず、武見敬三厚生労働相は国会で「利用率に関係なく12月2日に保険証廃止」と言明しました。また、河野デジタル大臣は、「傷だらけになって改革を進めている」と言っていますが、本当に傷ついているのは私たちこくっ民です。勘違いしないでほしい。
このような状況の中、なぜ低迷しているのか、このまま保険証を廃止すると、どんな混乱が起きるかを考えることなく推し進めようとしています。なぜでしょう? 疑問があります。
さらに政府は、マイナ保険証の利用率を上げるため、手段を選ばず様々な方法で行なっています。
例えば、マイナ保険証の利用率が上がらないのは医療機関の責任だと医療機関にその責任を押し付け、医療機関におけるマイナ保険証の利用率をアップさせる対策として、2023年10月の実績と、利用人数からの増加量に応じて最大で診療所で10万円、病院では20万円を一時金として支給すること。支給の条件としては、ポスターの掲示と患者への声かけなどがあります。
二つ目としては、
あらゆるメディアを動員して、マイナ保険証の問題点は挙げずに、集中的にマイナ保険証の広報の展開に取り組んでいます。
お金を目の前にちらつかせマイナ保険証の利用率を高めようとする。このことは医師や医療従事者を本当に愚弄しているとしか思えません。また、このような手段で進めることは医師と患者との分断をさせようと企てているとしか思えません。
さらに、河野太郎デジタル大臣は自民党国会議員に対し、マイナ保険証の利用ができない医療機関を「密告」するよう支援者に呼びかける要請文書を配布しました。
「密告させる」、もう民主主義国家の大臣の発言とは思えません。戦時中に「非国民」の密告を奨励したことを思い起こさせる発言です。
そして、マイナ保険証の利用率低迷の原因を「医療機関の受け付けでの声かけにあると考えられる」とあたかも医療機関に責任があるがごとく公言する。さらに岸田文雄首相も国会でこのことを問題視して質問われても、「政府見解と合致し、不適切ではない」と追認してしまう。
日本はどうなってしまっているのでしょう。
なぜ、ほとんどの国民がマイナ保険証を使わないのか。それはメリットを感じていない、必要がないと感じているからです。そして、京都府保険医協会去年が昨年12月に行った会員医療機関対象の調査では、国の総点検後も6割の医療機関でマイナ保険証をめぐるトラブルが起きており、そのトラブルを解消する対処法として87%が現行の健康保険証で資格確認を行ったとしています。いまだ現行の保険証なしでは安心して医療にかかれる環境にないことを示しています。
このようにまだまだ不十分な制度にもかかわらず強引に進め、それが進まないのを医療機関の責任に転嫁する。そして私たち医師を愚弄するかのように、目の前に金をちらつか「密告」という手段で患者との分断を図るような形で進めていく。私たち医師はこのような進め方には決して屈することはできません。
そして、皆さんと共に、政府に今の進め方に反省をを促し、健康保険証の廃止は撤回させ、これからも保険証が使えるよう求めていきます。よろしくお願いいたします。
9月も半ばすぎ、自信をもっていこう
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
もう9月も半ばを過ぎました。まだまだ暑い日が続いています。体調を崩されてはいませんか?暑さ寒さも彼岸まで。そろそろ涼しくなっていくかなあと思います。私は3年ぶりの自宅での夏。乗り越えられそうです。体調もどんどん上向き。後は足がもう少し動くなればと思います。
去年の12月23日に退院して、まず最初の目標は、息子の結婚式に行くこと。これはクリアできました。次の目標は、この暑い夏を乗り越えること。これもクリアできそうです。そして、その次の目標は、年を超え、お正月をむかえること。お正月を迎えることで、再発なく、寛解状態が1年続いたことになります。足が十分に動かなくても、1年間再発なく体調も良くなっていけば、今後に向けた大きな自信になります。やはり、この9ヶ月、いつ体調が崩れて再発するのか。今年いっぱいもつのか。などネガティブな考えが脳裏をよぎることもあります。ただこれまで着に目標をクリアしているので、この目標もクリアできると思います。もう後3ヶ月頑張り、新年を迎えたいと思います。