健康保険証廃止法案の撤回を求める要請
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今日はとてもいい天気です。賀茂川の桜も本当に綺麗に咲いています。
ちょうど1年前の3月29日に悪戦リンパ腫で緊急入院。去年は診ることが出来なかった桜を見ることが出来ました。桜を見て、いろんな思いがこみ上げてきて、涙が出てきました。
まだまだ私自身は、悪性リンパ腫の再発疑いで、検査治療中ですが、段々元気になってきました。もうひと頑張りかなあと思っています。
さて、私も役員をしている京都府保険医協会が「健康保険証廃止法案の撤回を求める要請をしました。また、23日には「健康保険証の原則廃止」撤回を求める署名を提出。署名は厚労省の井原保険局長に直接手渡すことができました。
今回は、その要請内容を紹介するとともに、皆さんにも健康保険証廃止法案の撤回への支援をお願いしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
渡邉医院 渡邉賢治
2023 年3月 23 日
厚生労働大臣 加藤勝信様
健康保険証廃止法案の撤回を求める要請
京都府保険医協会 理事長 鈴木 卓
政府は3月7日、2024 年秋に現行の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに一体化する関 連法改正案を閣議決定した。私たちは国民皆保険の根幹たる健康保険証の維持を求め、廃止法案 の撤回を求める。
同法案によると、カードを持たないためにオンライン資格確認を受けることができない人には、 保険証の代わりに「資格確認書」を発行するが、有効期限が 1 年で更新が必要となる。記載され るのは、氏名・生年月日、被保険者等記号・番号、保険者情報等であり、現行の健康保険証と同 様の情報である。つまり、同じ内容を記載したものを膨大な手間とコストをかけて新たに発行す るというのである。このようなことはそもそも税金の無駄遣いである。だが問題はそれだけに止 まらない。マイナンバー保険証への移行に伴い、受療権の著しい侵害が起こり得るのである。
一つ目は、申請主義となること。国民健康保険法は「都道府県の区域内に住所を有する者は」 「国民健康保険の被保険者とする」(第5条)とし、適用除外(第6条)にあたらない限り、誰も が無条件に被保険者であると定めている。その意味から国の責任において被保険者証は無条件に 交付するのが原則である。にもかかわらず、マイナ保険証であれ、資格確認書であれ、被保険者 による申請と更新の手間をかけねば医療にアクセスできなくすることは看過しがたい権利の後 退である。
二つ目には、「短期被保険者証」と「被保険者資格証明書」の廃止である。資格証明書は特別の 事情がない被保険者が長期にわたり保険料を滞納し続けていると交付される。交付を以て、療養 の給付が停止され、特別療養費の支給(償還払い)に代えられ、一旦医療機関の窓口でかかった 医療費の 10 割を負担せねばならなくなり、事実上医療へのアクセスから疎外される。これはも ともと「負担」しない者の受療権を事実上否定する社会保障制度にあるまじき仕組みである。そこで市町村の国保担当者は、こうした取り扱いに移行しないよう懇切丁寧に「分納相談」し、保 険料滞納を生活危機のサインとして受け止め、短期被保険者証を活用することで、収納と医療保 障を両立させてきたのである。だが今回、そのいずれの証も廃止することで、自治体の裁量権が 失われ、一定期間の保険料滞納により一気に特別療養費の対象となってしまうことが危惧される。 つまり少なくとも全国で 48 万もの短期被保険者証交付世帯が「無保険」となるのである。この 場合、医療機関はマイナンバー保険証による資格確認を通じ、当該患者が特別療養費の対象者で あることを知ることができ、資格確認書の場合でも特別療養費の対象であることが明記される見 通しとされる。これはまさに医療 DX を活用した「負担と給付」の対応関係の明確化、保険原理の 徹底であり、社会保障としての国民健康保険制度の原則を根底から破壊するものとして断じて許すことはできない。
私たちは、政府の進める医療 DX(デジタルトランスフォーメーション)について、個々人の医 療情報を民間企業に利活用させ「経済活動」の道具とすることを目指し、さらに国家が個々人の 医療情報をすべて把握することで、「負担」と「給付」の関係を管理し、医療費抑制政策に役立てることにあると指摘してきた。医療 DX の要であるマイナンバーカードを普及のために、健康保 険証廃止を強行すれば、医療現場の混乱は必至となる。マイナンバーを所持することへの国民の 不安は何か、それさえも置き去りにして拙速に健康保険証を廃止することは断じて許されない。
今国会に提出された DX 関連法案の問題はそれに止まらない。とりわけ「デジタル社会形成基 本法」改正では「デジタル技術の効果的な活用」を妨げると目されたあらゆる「規制」(アナログ 規制7項目として、①目視、②定期検査・点検、③実地監査、④常駐・専任、⑤書面掲示、⑥対 面講習、⑦往訪閲覧・縦覧をターゲットに「1万条項」ともいわれる)を、「当該法令の規定にかかわらず」、国会にはかることもなく、政府がフリーハンドで一方的に見直すことができるよう 法改正をはかろうとしている。これは DX 化を他の政策・制度の上位に位置付け、無条件に従わ せるという民主主義の否定につながり看過することはできない。
今の私の状況のまとめ。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です
今現在の状況がわからなくなってきたので、これまでの経過等をまとめてみました。
1)今回の初発症状
①左外典神経麻痺による複視。
②激しい腰の痛み。この際に項部硬直あり。
2)現在明らかにある症状。
①肥大外転神経麻痺による複視。
②右腰部から臀部にかけて、そして左大腿部にかけての張り感と痺れそして痛み。
歩行時にも痛みあり。
③頭重感、頸部後頭部にかけての張、痛み。
3)これまでの検査の結果。
①頭部造影MRI:悪性リンパ腫の再発を疑わせる所見はなし。
②髄液検査:
1,髄液中の細胞数、蛋白量の増加。
2,髄液のフローサイトメトリーでは、前回のような悪性を疑わせる所見はなし。
3,髄液中のウイルス抗体はすべて陰性。
④血液検査
1.異形成の強い、athersな血球はない。
2.激しい腰の痛みの原因が悪性リンパ腫の骨転移なのかをみるために、パラソルモン の血中濃度を測定。この間血中のCaが増加してきているため。
パラソルモンは副甲状腺から分泌されるホルモン。血液中や体液中のカルシウム濃度を一定に保つ役割。
パラソルモンが低地の場合、悪性腫瘍のこと転移を疑わせる。
パラソルモンは正常。このことから悪性リンパ腫の骨転移の可能性は低い。
⑤腰部の造影MRI
腰部の造影MRIにおいても明らかな腫瘍や悪性を疑わせる所見は認めなかった。
4)治療
①髄注
1,1回目はステロイドの髄注。
2,2回目はステロイド、メソトレキセート、キロサイドの髄注。
3,3回目の髄液検査を来週月曜日に行う。1回目の髄液検査で髄液中の細胞数の増加、 蛋白の増加を認めていたが、2回の治療で改善しているかどうかの効果判定と再度ステロイドの髄注。
②抗がん剤の内服
1,ベレキシブル 6錠/日の内服。
③右腰から臀部、下腿にかけての張感、痺れ感、痛みに対しては、鎮痛剤のトラマールの内服で痛みをコントロールする。
5)その他の症状
頭部、両耳介部、鼻根部に掻痒を伴う皮疹。
この皮疹に関してはべレキシブルの副作用の可能性もあるため、広がっていくかどうか経過観察。
口の中がねばねば
鼻閉
6)今の状況
①左目の外転神経麻痺があるが、その原因は不明。
②激しい腰の痛みの原因も不明。
今回の症状に関しての確定診断はできていない。
7)今後
今後は、悪性リンパ腫の再発をまず疑って、べレキシブル内服を続けていく。それ以外の抗がん剤投与や放射線療法などに関しては、再発が確定していないこと、どこに病変があるのかわからないことから過剰な治療になる可能性もあり行わず、べレキシブルの内服で経過を診ていく。
渡邉医院の今後を考える。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
まだ現在のところ入院して治療と一緒に今回の症状の原因を検査しているところです。
まだまだ、私自身、渡邉医院をしっかり続けていこうと思っています。
しかし去年の悪性リンパ腫の発症、そして今回の再発疑いでの緊急入院。
このことを考えると、今後も永続して渡邉医院、肛門科を継続させていく方法をしっかり考えなければなりません。今回は、渡邉医院をどうしたらいいのかについて考えてみました、
今後の渡邉医院の今後を考えるに次の三つの条件は満たさなければなりません。
一つ目は、今回のように、私が倒れた場合、渡邉医院の診療が途切れることなく継続できる体制であること。
二つ目は、私に何か起きた場合、最悪死亡した場合でも、私自身、家族、そしてスタッフが、今まで通りに安心して、仕事や生活が送れる体制であること。
三つ目は、一子相伝ではなく、肛門科を繋げていける体制。やはり、肛門科はなくしてはなりません。現在の渡邉医院、私の理念を延々と受け継がれる体制であること。
この三つの条件は最低満たす必要があります。
これらの条件を満たすにはどのようにしたらいいのかを考えなければなりません。
さて、一つ目の条件ですが、私一人だけの医師体制では難しいです。最低もう一人医師が必要になります。ただ、肛門疾患に精通した医師でなければなりません。
前回、悪性リンパ腫の初発時においても、代診として渡邉医院を引き継いでもらえないか検討しました。ただ、内科などと違って、肛門科という特殊な診療科です。やはり代診して下さるいしがおられなく、代診ではなく渡邉医院の休診を決断しました。
やはり、私と一緒に診療をしたり、私の診察の仕方や手術方法などマスターして下さっている医師が必要になります。
ただ、今の状況で私と一緒に肛門科を診療して下さる医師を雇うことができるかという問題です。経営上それはなかなか難しく、無理な状況です。
二つ目の条件ですが、これは一つ目の条件をクリヤーできれば可能な条件です。
私が働けなくなった場合でも渡邉医院が診療を続けている以上、スタッフは仕事を続けることはでき、安心して生活することができます。また、私が働くことが出来なくなったとしても、渡邉医院を賃貸として貸出、不動産収入で生活を送ることが可能になります。
さて、三つ目の条件です。
これまで渡邉医院は、祖父が開設して、父へ、そして私へと三代にわたって継承されてきました。このことはある意味奇跡的なことです。
やはり、一子相伝は不可能です。後継ぎを心配することなく渡邉医院を継承していく必要があります。
そうした場合、医療法人のグループの傘下に入るという考えもあります。しかし、その場合、やはり医療法人の理念や方針があるはずです。これまで引き継いできた、渡邉医院の歴史、理念を引き継いでいくことが出来るのか?私が求めている医療ができるのかが疑問であり、心配なところです。
まず私がやらなければならないことは、私が元気で診察、手術をしている間に私の理念、渡邉肛門科をこうしたいという思いをしっかりと伝え、私がこれまで肛門科の診療を経験して得たもの、診察方法や手術方法などの全てを多くの医師に伝えることだと思います。
医師を雇用できなくても、診察や手術の見学はどんどん受け入れることが出来ます。私が生きてさえいれば伝えることが出来ます。
まずはそこから始めることも大切なんだなあと思います。
なかなか、渡邉医院を今後も途絶えることなく継承していく方法をみつけることは難しいとは思います。でも必ずやらなければならないことだと思います。
まだまだ渡邉医院をどうしていくかは十分に考える必要があります。あまり焦ることなく、しかしスピード感をもって考えていきたいと思います。
私の今の状況。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
現在私は悪性リンパ腫の再発疑いで、先週の土曜日3月4日に緊急入院をしました。
これまでの頭部の造影MRIや髄液検査で、再発を決定づける所見はまだありません。でも再発の可能性が高いことから、抗がん剤の内服を開始しながら、再発なのかどうか?今回の症状の原因は何かを検査しています。
そこで今回の症状が出るまでの経過を振り返ってみたいと思います。
去年の10月に自家血幹移植を終えて退院しました。退院後は、散歩などリハビリをしながら過ごしていました。そのためか、足の筋肉痛などはありました。
11月下旬に新型コロナウイルスに感染して、3日間ほどの発熱はありましたが、幸いにも重症化もせずに自宅療養で軽快しました。
それ以降、鼻づまりや足の浮腫みが顕著になってきました。足の浮腫みはあまり回復せず、両足とも像の足状態でした。ただ、それ以外の体調の不調はなく、過ごしていました。
1月19日から渡邉医院を再開しました。大勢の患者さんが来てくださって、忙しく、疲れましたが、再開ができた喜びと、患者さんと繋げることが出来ることで、本当に楽しい毎日を過ごしました。妻には、「しっかり休憩を取りながら仕事をして下さいね。」と釘を刺されました。
仕事を始めて、両下肢の浮腫みもほとんど取れてきて、良かったなあと感じていました。
今回の症状が出始めたのは、定期の血液内科の診察を2月21日に受けた後からです。
診察を受けた2日後の2月24かから、急に複視が出てきました。今回は左目の外転神経麻痺でした。またそのころから、腰と右臀部の痛みが出始めました。25日にはお風呂で具合が悪くなり、倒れこんでしまいましたが、この時は直ぐに快復しました。このような症状が出て、悪化するために2月28日に血液内科受診。3月4日に頭部の造影MRIの撮影を予約して帰宅しました。
症状が一番強く出て救急車で搬送されたのが3月2日でした。この時も入浴中に起きました。お風呂に浸かっていると、なんとなくおかしいと感じお風呂から上がった瞬間から、激しい腰から右臀部にかけての痛み。そして頭痛と項部強直。リビングまで這っていき血圧を測ると、まったく測定できない。2回目の測定でやっと60mmHgと極端に低い。3ン回目でもようやく80mmHgまでしか上がりませんでした。これまでの人生で、痛みに対して声を上げて痛みを叫ぶことはありませんでしたが、今回ばかりは大きな声を上げて痛みを訴えました。
救急車が来て、病院に搬送される間に、少しだけ症状は軽くなってきました。腰椎のCTを撮影しましたが、骨には異常なしとのこと。どうしても3月4日の頭部の造影MRIは撮影したかったので帰宅しました。
3月4日の頭部造影MRIの撮影の際も、座って待つことが出来ないほどの痛みや体調不良のため、横になって撮影まで待たせていただきました。撮影後帰宅しましたが、このままの状態ではどうすることもできない、さらに悪化するのではないかと心配し、病院に緊急受診し、その日に緊急入院になりました。入院出来て本当にほっとしました。その日は、前回主治医だった先生のうちのお一人が当直でいらっしゃって、とても心強く思いました。
入院してからは、鎮痛剤の投与で少し痛みは軽減しました。
今週の月曜日には腰椎穿刺を行い、髄液の検査と髄液内にステロイドの髄注を行いました。
髄液の検査では、髄液内の細胞や蛋白が増加していました、ただ、悪性を疑わせる所見はありませんでした。
再発の可能性が強いため、さっそく悪性リンパ腫の再発痔に内服する抗がん剤を開始しました。
また、木曜日には再度腰椎穿刺を行い、髄液内のウイルスの抗体を調べる検査をすると同時に、メソトレキセート、キロサイドの抗がん剤とステロイドの髄注を行いました。
現在症状としては、右臀部の張と痺れ間と、一か所に痛みを感じる圧痛点はありますが、腰の痛みはなくなりました。昨日からは全く鎮痛剤を内服していません。全体としての体調も戻ってきました。1週間前とは全然比べ物にならない程度にまで回復してきました。まだ複視は改善していますが、残っています。
来週、今度は腰椎から骨盤にかけての造影MRIを撮影します。今回の痛みの原因等が解ればいいのになあと思っています。
こんな感じが今の私の現状です。
現在、渡邉医院は休診中です。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。
悪性リンパ腫再発の治療に向けて思うこと
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
現在、悪性リンパ腫再発の治療のため入院しています。2月24日から体調に変化が出て、その後急速に悪化して、先週の土曜日に緊急入院しました。2日間の治療で随分楽になりました。
去年の初発の悪性リンパ腫、そして今回の再発。渡邉医院を再開してまだ1ヶ月チョットでの休診。とても残念で悔しいです。前回から今までの治療中、TwitterやYouTube、そしてLINEなどでの相談。療養中の私にもできることがあるんだと思うことができ、患者さんと繋がっていることが、私の治療の支え、力になりました。また復帰して、仕事ができることがとても嬉しく感じ、患者さんと関わるれることが、とても楽しかった。早く復帰したいと思います。
これまでの治療を通じて思うことがあります。以前もお話ししましたが、本当に何気ない普通の生活が過ごせることの幸せと、その何気ない普通の生活を過ごすことの大変さを感じました。
医療費に関しても経済的な負担が大きいです。前回の悪性リンパ腫に対しての寛解導入療法、地固療法、そして最後の自家血幹移植までにかかった保険料は約1200万円。3割負担で360万円。ただ、高額療養費制度でそれでも約120万円ほどかかりました。まだ経済的な余裕があったことと、休業補償でなんとか乗り切れました。今回の再発で同じ治療を受けるなら、高額な保険料を支払うことができず、治療を断念するか、縮小するしかありません。
家族が何気ない普通の生活を送るのには、医療費だけでなく、毎日の生活の糧が必要です。そのことが難しい。経済的理由で、必要な医療が受けられなくなる。そのような方な多いと思います。
今回の再発に対しての治療は、前回とは違いベレキシブルと言う内服薬での治療です。ただその薬価が1錠5067.4円と高額です。1日6錠で1ヶ月で約94万円。3割負担で約28万円です。高額療養費制度があるので、もう少し安くはなるのではと思います。
この様に、製薬会社の皆さんが研究を重ねて、私たちの生 命を守ろうとして開発して下さった薬。経済的ない心配をすることなく、必要な薬による治療が受けられる薬価制度に国に改善を求めたい。薬価を下げ、私たちの負担を軽減し、私たちの命を守る薬を開発して下さる製薬会社には、それに見合った十分な支援をする。そんな制度を作ることが国のやるべきことだと思います。
私たち国民や国を守るということは、戦争ができる国作りのために防衛費、いや軍事費を増やすことではないはずです。
本来なら、私たち国民、国を守ることは、社会保障を拡充し充実させることです。国民皆んなが経済的な理由なく必要な時に必要十分な医療を提供できるようにすること。それこそが国がやるべきことです。
日本が率先して行えば、世界は日本を見習うでしょう。できることなら全世界統一の保険制度ができれば、戦争のない、そしてだれもが何気ない普通の生活がおくれる
明日3月1日(水曜日)と3月6日(月曜日)は、緊急臨時休診いたします。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
明日3月1日(水曜日)と3月6日(月曜日)緊急臨時休診とさせていただきます。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
先週末から、再び複視が出現しました。悪性リンパ腫に罹患した際の最初の症状も複視でした。ただ、前回は下垂体近傍にできた悪性リンパ腫による腫瘍の圧迫によって、右動眼神経麻痺でしたが、今回は左の外転神経麻痺によるものです。
神経の走行が違うので、初回の悪性リンパ腫による下垂体近傍にできた腫瘍が再発したのではないと思います。
ただ、今回の外典神経麻痺が、他の部位に悪性リンパ腫が再発したのか?又は脳梗塞などの他の疾患で起きたことなのかの確定診断をしなければなりません。
そのために、診察、検査が必要になります。そこで、明日から重点的に診察・検査が入ります。
1月19日に再開して約1か月。ようやく診察も軌道に乗りかけているときの休診。本当に申し訳ありません。
検査の結果や、今後の状況に関しては追ってご連絡いたします。
本当に申し訳ありませんが、3月1日、3月6日は緊急臨時休診とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
R5年2月28日
渡邉医院 渡邉賢治
63歳を迎え、決意新たに!
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
今日は私の63歳の誕生日です。去年の悪性リンパ腫の治療を振り返ると、今日の日を迎えられて、本当に嬉しく思います。去年は妻と年を越せるかなあと話し、年が明けると誕生日は迎えることができるだろうか等話していました。
助けていただいたこの命、無駄にしないようにと思います。
63歳の誕生日を迎えて、悪性リンパ腫に対してのこれまでの治療を振り返ってみました。
去年、3月29日に緊急入院し、そこから悪性リンパ腫の治療が始まりました。悪性リンパ腫には多くのタイプがあって、それぞれに対して治療法が違ってきます。そのようなこともあって、悪性リンパ腫の治療のガイドラインはまだないとのことでした。私は中枢神経限局型の悪性リンパ腫でした。
まず、寛解導入から始まり寛解を確認した後、地固め療法。そして最終的には自家血幹移植を行い完治を目指しました。無事移植も完了して、10月に退院。約7か月間にわたる入退院を繰り返しての治療。そして退院後の療養を終え、まだまだ完璧に元の状態に戻ってはいませんでしたが、今年の1月19日、10カ月ぶりの仕事への復帰、そして渡邉医院の再開にたどり着くことが出来ました。休診前に勤務して下さっていた看護師さんや事務の方がまた復帰、戻って下さいました。この10カ月という期間を、私が復帰、渡邉医院の再開が確実でない中、本当に待っていて下さって、本当に感謝しても感謝しきれない思いです。本当にありがとうございます。皆さんが復帰して下さったので、本当にスムーズに渡邉医院を再開することが出来ました。本当に私は恵まれていると思います。
さて、長期の療養を終え、診療を再開してしばらくしてから、加入している医師国保から去年の1月から11月までに私が使った保険料の明細が送られてきました。
一連の治療で私が使った保険料の総額は約1200万円でした。3割負担で360万円ですが、高額療養費制度があり、実際に支払った自己負担はそこではいかず約160万円。所得によって高額療養費制度の限度額は決まるので、所得によって自己負担は変わってきます。
これをみて感じたことは、私も含めて、保険に加入している人たち、そして国民の皆さんが払っている税金で私の命は救われたのだと感じました。
このことに本当に感謝しなければならないと思います。そして皆さんに助けてもらった命を大切にして、今やらなければならないこと、今やりたいことを後回しにすることなく行っていきたいと思います。そして助けてもらった命を、さらにいっそう、しっかりと目の前にいる患者一人一人をしっかり治していくことに使うことで返していかなければならないと、決意を新たにしました。
ただ、私は悪性リンパ腫に対しての一連の治療を通じて、自己負担金を払うだけの経済的な余裕がり、自家血幹移植まで行い完治まで至り、復帰して渡邉医院を再開することが出来ました。そして仕事ができること、患者さんと接しつながることに喜びと力をいただいています。しかし、経済的理由で治療を途中で打ち切らざるを得ない方や、また医療に繋がることが出来ない方もいらっしゃると思います。それを考えると、まだまだ自分の命を金で買うというという思いは否めません。
やはり、全ての人々が必要とする医療は、経済的理由なく、十分で、そして必要なだけ提供できる、そんな社会保障が必要だと強く感じます。
保険料や自己負担の軽減。それに加えて高額療養費制度のさらなる拡充を国に求めていかなければならないとおもいます。そして、国が強く推し進める社会保障の自己責任論。「自分のことは自分で何とかしろ。それでもどうしようもなくなったら最低限国が助けてやる。」という自助、互助、共助、公助の間違った社会保障の考えを国に改めさせる取り組みをしていかなければいけないと思います。
生きて、そして未来に希望が持って迎えることが出来た63歳の誕生日。さらなる決意の日になりました。
肛門の手術後、排便し難い、便が細い
2月6日。脳ドッグ、人間ドックを受けた日。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
2月も2週目に入りました。渡邉医院を再開してもう直ぐ3週間経ちます。この間多くの患者さんが受診されました。嬉しく思うとともに、多くの方がお尻の具合が悪く悩んでおられるんだなあと感じます。しっかり診察して、目の前の患者さんをしっかり治していかなければと思います。
手術は3月から始めようと思っています。今日、肛門周囲膿瘍の患者さんが来られました。肛門周囲膿瘍は、やはり待ったなしで切開して排膿しなければ膿が広がっていきます。休診前と同じように、手術の準備をして、以前と同様に切開排膿を行いました。10カ月間のブランクは、自分としてはありませんでした。3月に向けての手術に自信を持つことが出来ました。
さて、今日2月6日は、ちょうど1年前に人間ドックと脳ドッグを行った日です。脳ドッグではMRIで脳の撮影もしました。
その時の結果では、脳のMRIも正常で、異常は認められないとの結果でした。脳ドッグは、年齢的にもした方がいいかなあと思ったのと、時々眩暈が起きていたこともあって行うことにしました。
脳のMRIは以上なく、そのほかの検査も以上なく、まだまだ全然大丈夫だなあと思っていました。
ところが人間ドック、脳ドッグを行って1か月後の3月6日に私にとっては悪性リンパ腫の最初の症状、複視がでました。
1か月前の脳ドッグで脳のMRIは正常ということだったので、どうしたんだろうといった気持ちでした。
最初の症状は、複視が出る2日前。妻の出身が北海道なので、ジンギスカンを食べに行こうということになりました。美味しくいただいた後、帰り道。何か電灯や信号がわずかに二重に見えるようになりました。乱視も老眼もあるのでそのせいかなあと思って、次の日も普段通りに仕事をしました。
2日後の日曜日、母が微熱があったので、その日は母の家で泊まり、次の月曜日の朝起きてみるとすでに複視を発症していました。右目を閉じると一つに見えるのですが、両目だと激しく二重に見えてしまう。この状態だと診療は無理と判断して、渡邉医院は休診にしました。
母の熱のこともあったので、病院に連れていき診察。新型コロナが心配でしたが、母も私も陰性でコロナ感染は大丈夫でした。母を家に連れて帰り、私はどうしようかと、いつもお世話になっている病院の先生に連絡すると、今直ぐに病院に診察に来るようにとの返事。とりあえず母は一人で家にいてもらって、タクシーで受診しました。後で、母のことはケアマネージャーさんに連絡して、対応していただきました。
病院でも頭部MRIを撮影しましたが、はっきりした病変はなく、神経内科の専門医に診察してもらいましたが、原因不明の突発性の右動眼神経麻痺との診断で、次の日に第二日赤を受診するよう紹介状をもらいました。
第二日赤でも撮影してもらった頭部MRIを診ていただくと、やはりはっきりした所見はなく、突発性右動眼神経麻痺の診断で経過を診ることになりました。
その後、日に日に全身の状態も悪くなり、食事も十分に摂れないようになっていきました。そして、3月29日。再度診察していただき、今度は造影の頭部MRIを撮影してみると、下垂体近傍に腫瘍を認め、下垂体近傍に腫瘍として現れた悪性リンパ腫、中枢神経限局型悪性リンパ腫との診断。緊急入院して治療となりました。
このように、2月6日の段階では特に異常所見がなかったものが、1カ月の間に急激に悪性リンパ腫が発症したことになります。私の悪性リンパ腫の症状が複視ということから発症したことなど、自覚症状がはっきり出たこと。本当に早期に悪性リンパ腫と診断され、早期に治療に入ることが出来たこと。このことが今の私が復帰して診療を始められる要因だったと思います。
また、悪性リンパ腫には様々なタイプがあります。それぞれのタイプに合わせて治療方法が違います。私が受けた治療は、本当に私の悪性リンパ腫によく効き、私にあった治療法だったと思います。そして最後に自家血幹移植で完治を目指す。本当に先生方には感謝です。
脳ドッグを受けても私のように急激に病気が発症し悪化していくこともあることを考えると、やはり、以下に早期に症状をとらえ、医療機関を受診することが大切なんだなあと思います。
また、2月以降、結構ひどい寝汗をかいていました。「寝汗」をネットで検索すると、自律神経失調等は出てきますが、悪性リンパ腫にはなかなか到達しません。でも悪性リンパ腫を検索すると「寝汗」が三大症状となっていました。
こういったことからも、なかなかネットでの検索では正しい病名にたどり着かないことがあります。やはり何か気になる症状、いつもと違う症状が有れば、直ぐに医療機関を受診して診察、診断してもらうことが大事だと思います。
2月6日は、そんな記憶に残る日になりました。
2月になりました。新しい渡邉医院の歴史の始まり。
皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
2月になりました。今日は2月3日、節分ですね。皆さんは恵方巻を食べましたか?
私はしっかり南南東を剥いていただきました。
恵方巻は、福や縁を巻き込んで1年の幸せや願い事がかなうようにという意味で、巻き寿司。そして七福神にあやかって7種類の疑材が入って太巻きがいいとのことです。
去年は本当に人生観が変わる激動の1年でした。今年は穏やかに、健康で1年が過ごせるよう願いました。
渡邉医院も1月19日に約10カ月ぶりに再開しました。まだまだ体力的に不安はありました。両足はパンパンに浮腫んでいるし、大きく息を吸うと思うと、腰回りがパンパンに張って深呼吸がしずらい状態。少し長い間歩いていると、息切れと目が虚ろになってしまったり。でも、そろそろ仕事をはじめないと、この10か月間収入が0。あたしたち家族の生活を守るためにもそろそろ仕事を始めないといけないなあと思いました。
とりあえず当分の間は、午前中の診療のみで行い、手術に関しては3月から始めようと思います。
再開して2週間が経ちます。私としてはまずまずしっかり診察ができ、まずまずのスタートだと思っています。やはり患者さんを目の前にすると、自然に身が引き締まり、しっかり体が動いてくれます。すごいもんだと思います。
やはり患者さんの前では、「悪性リンパ腫の患者」ではなく、「肛門科の専門医」として、しっかり取り組み、存在しなければなりません。
1月19日の木曜日に再開して、金曜日、土曜日と本当に大勢の患者さんが受診してくださいました。この三日間、午前中の診察が午後3時、4時となってしまいました。
私としては「渡邉医院を忘れないでいて下さったんだ。」と、とてもうれしい思い出いっぱいでしたが、待合室で何時間も待っていて下さった患者さんには、本当に申し訳ないと思いました。
その後も、大勢の患者さんが受診して下さり、毎日1時30分から2時頃まで外来が続きます。本当にありがたく感謝です。
この間の診療を通じて、本当に患者さんの優しさを感じました。
私は、皆さんの期待に、しっかりと答えていかなければならないと、決意を新たにしました。ありがとうございます。
この2週間の診察の間に、今すぐにでも手術をして治してあげたいと思う患者さんが何人か受診されました。本当に心苦しかったのですが、1か月間の外来診療で体調をしっかり整へ、しっかりした手術をしたいという旨をお伝えして、待っていただくことにしました。
こんな感じで、渡邉医院は再開して、新しい歴史を創り始めています。
最近、不思議な感覚を覚えました。
悪性リンパ腫になる前と同じように地下鉄まで歩き、地下鉄を降り診療所まで歩く。そして診療をする。極々普通のことなのですが、それがすごく不思議な感覚でした。
悪性リンパ腫に罹患したことが夢のような感覚。そして「今、しっかり生きているんだ。」という感覚。
渡邉医院の新しい歴史は始まったばかりです。焦らず、ゆっくり、そしてしっかり診療していきたいと思います。
まだまだ皆さんにはご迷惑をおかけすることがあると思います。優しい目で見守って下さいね。