「豆乳甘酒」のレシピを紹介します。
ここ数日、グッと冷え込んできましたね!そんな寒い日には、体が温まるものが欲しいですね。そこで、今回は「豆乳甘酒」のレシピを紹介します。と言ったものの、私は最近甘酒を飲んだことがありません。お酒が嫌いな訳ではありません。どちらかと言えば好きなほうです。なかなか甘酒を作ったり、飲んだりする機会がないなあと思います。自動販売機でも売っていますが、やっぱり自家製の甘酒の方がいいですよね。お米の粒粒感のある甘酒に少しすった生姜を入れて飲む。体が温まりますよね。昔は、酒粕をいただくことがあって、甘酒にしたり、酒粕を炙って砂糖をのせて食べたりしていました。
さて、甘酒ですが、健康にもいいようですね。後で管理栄養士さんからの一言でも紹介しますが、調べてみると、「飲む点滴」とか、「飲む美容液」とも呼ばれているようです。甘酒に含まれているブドウ糖は、麹菌ですでに分解済みになっているそうで、効率よく吸収でき、エネルギーの源になります。甘酒には、アミノ酸やビタミンB群、そしてミネラルなども豊富に含まれているようです。また、食物繊維やオリゴ糖などが豊富に含まれているので、腸内の善玉菌を増やして腸内の環境を整えてくれて、便秘にもいいようです。
肛門科的にはとても良い飲み物です!
さらに、豊富なビタミンB群が血行と代謝をよくしてくれるようです。これも肛門科的には肛門の血流が良くなってくれれば、いいなと思います。
つかれた時などに、甘酒を一杯飲む。いいかもしれませんね!
では、「豆乳甘酒」のレシピを紹介しますね。
「豆乳甘酒」
1杯分 110kcal たんぱく質7g 食物繊維1.2g
材料(1杯分)
★酒かす 20g
★砂糖 小さじ1
★水 大さじ2
豆乳 100ml
作り方
① 湯飲みに★を入れ電子レンジで温めて溶かす。
② 豆乳を注ぎさらに温める。
*豆乳の代わりに牛乳でもできます。
生姜、きなこ、ココア、シナモン、レモンなどお好みで足してもおいしいです。
管理栄養士さんから一言
酒かすの栄養
最近テレビ番組などでも紹介されることの多い酒かすですが、いろいろな効能が期待されています。
たんぱく質は卵より多く、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6、葉酸、パントテン酸、
食物繊維などを豊富に含んでいます。アルコール分を含んでいるのでご注意ください。
「蕪とウインナーの炒め物」のレシピを紹介します。
今回は、「蕪とウインナーの炒め物」のレシピを紹介します。
ウインナーというと、私が幼いころは、赤色のウインナーソーセージを思い出します。赤いウインナーでタコなんかを作ったりします。この赤いウインナーで記憶にあるのが、母が時々一口大の俵型のおにぎりを作って、その上に赤いウインナーをのせて、爪楊枝などで刺して出してくれていました。好きな赤いウインナーに一口大のおにぎり。いくらでも食べれてしまいました。友達が遊びに来てくれた時や、お誕生日会の時には必ず、このおにぎり赤ウインナーを出してくれていました。懐かしく思い出します。
また、ウインナーが入っているチャーハンや焼きそば、スパゲッティは、最後までウインナーを残して、最後に食べていたことを思い出します。
幼いころから、今もウインナーは好きです。
さて、今回は「蕪とウインナーの炒め物」。レシピを紹介しますね。簡単なので、私にもできそうです。
「蕪とウインナーの炒め物」
1人分 60kcal 食物繊維1.4g
材料(2人分)
蕪 1つ
ウインナー 80g
塩こしょう
作り方
① 蕪は皮をむいて薄めのくし形に切る。
② ウインナーを乱切りにし、①と炒める。塩こしょうで味を調える
*ウインナーから出る油が少なければ、油を入れる。
管理栄養士さんから一言
かぶ
蕪は煮物や漬物のイメージが強いですが、炒め物やてんぷらなどもおいしいです。
軟らかく火の通りも早く生でも食べられるので手早く調理できます。
洋風の味付けもよく合います。
じゃがいもで作るジャーマンポテトよりも低カロリーです。
「牡蠣のきんちゃく鍋」のレシピを紹介します。
先日、友人から牡蠣が送られてきました。毎年送ってくれて、美味しい牡蠣をいただいています。
生で食べたり、牡蠣鍋にしたり。鍋の翌日は、牡蠣のだしがでた鍋で雑炊をしていただく。贅沢させてもらっています。
一番最初に牡蠣が送られてきたときは、どうやって貝を開けて身をとったらいいのかわからず、四苦八苦していましたが、最近はスッと取れるようになって、腕が上がってきました。
さて、もうすぐ今年も終わりますが、寒さも厳しくなってきました。そんな時はやっぱり、お鍋ですよね!
今日は、「牡蠣のきんちゃく鍋」のレシピを紹介します。
「牡蠣のきんちゃく鍋」
1人分 450kcal 食物繊維5g
材料(2人分)
油揚げ 4枚
牡蠣 4個
餅 2個
白菜 5枚
長ねぎ 1本
えのきだけ 1袋
和風だしの素 1袋
めんつゆ 適宜
薬味(ゆず胡椒、七味など)
作り方
① 油揚げは箸を転がして離れやすくし、油抜きして、半分に切り、袋状にする。
② 牡蠣は塩をまぶして汚れを取り、流水で洗って、水気を取り①に詰め、口を爪楊枝でとめる。
③ 餅は半分に切り、①に詰め口を爪楊枝でとめる。
④ 白菜は一口大に、えのきだけはほぐして、長ねぎは焼いてから斜めに切る。
⑤ 鍋に水と和風だしを入れ、②③④を入れて煮る。
*中華だしでもおいしいです。
*牡蠣をきんちゃくにすることで身が縮みにくくなります。
管理栄養士さんからの一言
牡蠣の栄養
海のミルクともいわれ、脂質、炭水化物、タウリン、亜鉛、鉄、銅、亜鉛を多く含み、
疲労回復効果やスタミナ増強、貧血予防、味覚障害の予防など多くの効果が期待できます。
渡邉医院のルーツ
12月になり、今年ももうすぐ終わります。また平成最後の年末となります。そんなこともあって、ここで、少し渡邉医院のルーツをお話しようかなと思います。
私の父が書いた「痔のお話」から抜粋して、それに私の思いも少し加えてお話したいと思います。
渡邉医院のルーツと題しましたが、肛門科の歴史でもあるかなと思います。
今回は少し長い文章になっていますが、読んでいただければと思います。
「渡邉医院のルーツ」
私の祖父は渡邉元豊と言います。1901年(明治34年)生まれです。1925年(大正14年)に長崎医専を卒業した後、大阪の「痔疾全般・加藤医院」に就職しました。その当時は肛門科のことを痔疾科と言っていたそうです。肛門科の看板には「痔疾一般・〇〇医院」と書いてあったのが多かったとのことです。その時の加藤医院の院長の加藤甚七先生は、京大の外科に在局中に、マグネシン(4%マグネシウム・グリセリン懸濁液)という薬を発明し、学問的裏付けのある痔核の硬化療法を日本で初めて行った人で、長崎医大の教授として招請された時、これを断って、1924年(大正13年)に肛門科を開業したという経歴を持った方だそうです。
当時は、肛門科で開業している医師の多くは、腐蝕療法といって、いぼ痔を腐らせて落とすという注射療法とか、秘伝と称する腐蝕性塗布薬で、痔核や痔瘻を治すという方法を行っていました。そういった中で、痔の外科的療法と、痔核硬化療法という現在行われている治療法の草分けともいえる先生に師事したことは、祖父にとって極めて幸運であったといえると私の父は言っています。
祖父はその後、加藤先生が行っていた手術法を自分なりに改良したり、マグネシンはマグネシウムの粉末が注射針に詰まりやすい欠点もあるので、4%第2燐酸カルシウム・グリセリン懸濁液を考案して、痔核の硬化療法を行いました。また、父のすすめもあって、家伝とか秘伝として秘密にするのではなく、塗布腐蝕療法の内容を日本で初めて学会で発表してそして論文にもして公開しました。痔核硬化療法に関しては、現在では、パオスクレーという5%フェノール・アーモンドオイルによる痔核硬化療法と、ジオンといって硫酸アルミニウムタンニン酸水溶液を使った四段階注射法という痔核硬化療法(ALTA療法)があります。それぞれの痔核硬化剤は保険診療で行える治療方法です。私の祖父や父が痔核硬化療法を始めた当初は、痔核硬化療法は保険では認められていませんでした。痔核硬化療法が保険診療で認められるようになった時、祖父はとても喜んだということです。自分がやってきた治療方法が認められたと感じたのでしょう。
さて、日本大腸肛門病学会は、1988年、やっと日本医学会の一分科会として認められて、大変活発で立派な学会になっていますが、1939年(昭和14年)頃から痔疾科、性病科、胃腸科その他数科目の廃止の動きが現れ、6科目共同での廃止反対運動が始まります。この中から、痔疾科専門の開業医14名が集まり、日本直腸肛門病学会発会の打ち合わせをして、1940年3月21日、東京で第1回の学会が開催されました。この14名の中の一人に、私の祖父も入っていました。このことが幸いして、1946年(昭和21年)にいったん廃止された科名も翌1947年に正式に復活させることが出来たそうです。でも残念ですが、今、「肛門科」という標榜科はなく、「肛門外科」という標榜になってしまっています。肛門科は、外科だけではありません。手術だけをする科ではありません。内科的に治療したり、場合によっては精神的に支えていくことも必要です。肛門科はやはり外科ではなく、「肛門科」でなければならないと思います。もう一度「肛門科」を復活させなければいけないと思っています。
1962年(昭和37年)5月20日に京都で開催された第17回日本直腸肛門病学会では祖父が会長になりましたが、開業医ばかりで運営していたら、結局は尻つぼみになると考え、全国の各大学の外科の教授に参加、協力を呼びかけました。当時、私の父は信州大学医学部第2外科(丸田公雄教授)の医局長をしていました。各大学の外科の教授の名簿を祖父に送ったそうです。その頃は、京都大学の外科講堂で十分間に合う、小さな学会だったようです。
その後、東邦大学の小平正教授、社会保険中央病院の隅越幸男先生とはじめとする、数多くの学者と開業医の努力で、日本大腸肛門病学会となり、現在に至っています。
私の父は、祖父に痔の外科的治療、注射療法、塗布腐蝕療法などを、医学部の学生時代から、休暇の時に、お尻洗い、手術の手伝いをしながら教えてもらったようです。
ただ父は、祖父に教えてもらいながら、一方ではなにかもやもやした気持ち、不安を抱いていたようです。父の恩師の丸田公雄先生は、「定義」の大切さを父たちに徹底的にたたきこまれたようです。「ヘルニアとは?」「膿瘍とは?」「ヒョウ疽とは?」といった具合に。祖父にはそれがなかったと父は感じていました。「肛門とはなんぞや?」、「いぼ痔とは?」、「痔瘻とはなんぞや?」ということが解っていなければ、正しい痔核、痔瘻の治療ができないと考えていました。そんな頃、ロンドンのセントマークス病院の学者を中心にして出版された大腸肛門病学の本に、まったく偶然に出会い、そのとき、「ああ大腸肛門病学というのはこういうようにべんきょうするものか。」と目から鱗が落ちる思いをしたようです。このころから、父の痔の治療法がより合理的になり、特に痔核の治療法は、原則は変わりませんが、祖父からはどんどん離れていったようです。祖父は、加藤先生のレベルから勉強を始め、父は祖父が苦労して自分なりに勉強して確立してきた痔の治療法から出発。私はその父のレベルからスタートしていることになります。父が祖父を超えたように、私が父を超えることは最低限のことだと思います。今以上にレベルを上げなければ、私は全く勉強していないことになってしまいます。私もこれまで、臨床で感じていることが、正しいのかを科学的に検証したいという思いもあって、学会発表や、論文として出してきました。ホームページで紹介しているのでご覧いただければと思います。
私も、父と同じように、休みの時は京都に帰ってきて、お尻洗いや手術の手伝いなどをしながら、父の診療方法や手術方法をみてきました。直接教えてもらうというよりは、父が行っていることをしっかり見て、そこから学ぶといった感じです。
いまから25年前、父が脳梗塞で倒れたことをきっかけに京都に帰ってきて、渡邉医院を継承しました。肛門科。なくてはならない科だと思います。また、肛門という狭い部分ですが、とても奥が深い部分です。肛門科を極めていくには、より深く学んでいかなければなりません。今後もさらに肛門科が発展し、診療方法や治療方法がさらに進歩していくように頑張っていきたいと思います。父が書いた「痔のお話」の「父と私―肛門科渡邉医院のルーツ」のところの最後に、こう書かれています。「現在、私は父とともに診療にあたっていますが、父を超えていると思っています。もし私の息子が肛門科をするならば、私を超すにちがいありません。またそうであってほしいと思います。」と。
「焼き物とおなます」のレシピを紹介します。
今回は、「焼き物とおなます」のレシピを紹介します。焼き物は「鶏の照り焼き」と「エビのチーズ焼き」。おなますは「花びら餅風おなます」の三種類です。
お節料理の料理の名前、私はあまり知らなかったようです。「おなます」と聞いて一瞬なんだろうと思ってしまいました。
そこで、「おなます」について少し検索してみました。「なます」は生魚、大根、ニンジン、酢を材料として作られていたようです。このことから「なます」と呼ばれるようになったということです。料理の色が紅白で、お祝いの席に並べられる料理の一つになったそうです。
大根とニンジン以外に入る魚は、地域によっていろんな魚が入るようです。北海道では鮭の頭をスライスしたもの、長崎ではくじら、兵庫県では酢で〆た鯖などそれぞれの地域でいろんな魚が入るようです。皆さんの地域ではどんな魚が入りますか?
さてそれぞれのレシピを紹介しますね。
「鶏の照り焼き」
鶏の照り焼きは、前回紹介したローストチキンと同様です。
「エビのチーズ焼き」
材料
エビ
とろけるチーズ
青のり
作り方
①エビはしっぽを残して殻をむき背開きにする。
②しっぽが上になるように半分に折りチーズをのせてオーブントースターで焼く。
③青のりをかける。
「花びら餅風おなます」
材料(4個分)
大根 2㎝
ごぼう 8㎝
生ハム 2枚
砂糖 大さじ2
酢 小さじ2
塩 少々
作り方
①砂糖・酢・塩で甘酢を作る。
②ごぼうは縦4つに割りゆでる。大根はうす切りにして①につける(30分以上)
③水分をふき取り、大根に生ハムをのせごぼうを芯に半分に折る。
「管理栄養士さんから一言」
焼き物はお弁当のおかずにも使えます。
お皿に少量でも、ほかの市販品と合わせてお重煮詰めても雰囲気が違って楽しめます。
おせち料理はもともと節句を祝い神様にお供えしたものでしたが、
一番大切な節句のお正月の料理をさすようになりました。
お正月はお店が休みになり、主婦も休めるようにと日持ちのする味の濃いものが基本となっていましたが、
最近は元日からスーパーも開いていて日持ちの必要がなくなったので、
今までのおせちが苦手な方も簡単に作れるレシピで紹介します。
今回で計3回にわたって「お手軽お節料理」を紹介してきました。これらの3回分を合わせると写真のようなおせち料理になります。是非作ってみてくださいね。
「祝い肴3種」のレシピを紹介します。
今回は「祝い肴3種」のレシピを紹介します。3種は「数の子」、「ブランデー黒豆」、そして「アーモンド田作り」の3種類です。
「お節料理」は地域やそれぞれの家庭で入っているものが違います。今では、いろんなお店のお節料理を選んで買うことが出来ますが、昔は各家庭でお節料理を作っていたと思います。私も年末大みそかに、母と一緒にお節料理を作っていたことを思い出します。
いろんな料理がお節料理には入ると思いますが、その中で共通して、そしてお節料理に欠かせない代表的な料理が「数の子、黒豆、田作り」です。この三つの料理を「祝い肴三種」とか「三つ肴」と言うそうです。
それぞれの料理の意味やいわれを少し調べてみました。
「数の子」はニシンの卵。たくさんの卵が詰まっていて、その粒が多いことから、「子宝に恵まれるように。」、「子孫繁栄」の願いが込められているといいます。
「黒豆」は黒豆の「黒」に、邪気を払って不老長寿をもたらす色という意味があるそうです。また、家族が一年間「まめ」に働けるようにとの願いが込められているそうです。
「田作り」は地方によっては「ごまめ」とも呼ばれるそうです。「田作り」というのは、今年も無事に良い米が収穫できますようにという、豊作祈願の意味が込められていることから「田作り」と呼ばれるようになったそうです。また、「ごまめ」もイワシを肥料にして米を作ったところ、五万俵ものお米が収穫できたということから「五万米」から「ごまめ」になったということです。
お正月は、こんなことを考えながら食べようと思います。ではレシピを紹介しますね。
「数の子」
数の子は市販の数の子にかつお節を載せるだけです。
「ブランデー黒豆」
材料(作りやすい量)
蒸し黒豆 1袋
砂糖 大さじ2
水 100㏄
しょうゆ 2滴
ブランデー 大さじ2
作り方
①砂糖と水を鍋に入れ半量まで煮詰める。
②蒸し黒豆、ブランデーしょうゆを入れ一煮立ちする。
時間がたつほど味がしみこみます。お酒を効かせたいときは火を止めてから入れます。
「アーモンド田作り」
材料(作りやすい量)
小魚アーモンド 1袋
しょうゆ 小さじ1弱
みりん 小さじ1弱
作り方
①皿にしょうゆとみりんを入れ、ラップなしで電子レンジにかけ、少し煮詰める。
②小魚アーモンドを混ぜて、バラバラにして乾かす。
どの料理もお酒のつまみにもなりますね!日本酒にも、ワインにも。
是非作って一杯やって下さいね。
「栗きんとん」と「くわいの素揚げ」のレシピを紹介します。
今回から3回にわたって、「お手軽おせち料理」のレシピを紹介していきたいと思います。今回は「栗きんとん」と「くわいの素揚げ」のレシピです。
最近では、いろんな種類のお節料理が売られていたり、お正月も早くからお店が開いているので、お正月の準備をしなくても大丈夫になってきているなあと思います。
私が小さい頃は、お正月はお店は締まっているところが多く、年末は母と妹と一緒に年越し年始の買い物に一緒に市場に行ったり、お節料理の準備を一緒に手伝ったりしていたものです。くわいの角を折らないように皮をむいたり、鈴の形に切ったりしました。煮つけに使うニンジンを梅の花のように切ったり、つぼみのように切ったりしていました。また、渡邉家の元旦のお雑煮は、ごぼうと鶏肉のお澄ましですが、その時に使うごぼうの笹掛を作ったり。結構楽しいひと時だった記憶があります。また、年末には母方の親せきが集まって、みんなで餅つき機を使ってたくさんのお餅をついて、丸餅を作ったり、年末年始、家族や親せきが合う年に一度の時期でした。なんか、懐かしく思えてきます。
「くわい」について少し調べてみました。くわいは中国が原産で、オモダカ科の水性野菜。中国と日本でしか栽培されていないそうです。中国のものが白くわい、日本のものが青くわいと呼ばれているいるそうです。日本の青くわいは、勢いよく芽がでることから縁起物としてお正月料理に使われるようです。
では「栗きんとん」と「くわいの素揚げ」のレシピを紹介しますね。
「栗きんとん」
材料(作りやすい量)
焼き芋 1/2本
栗の甘露煮
めんつゆ 小さじ2
水 適宜
作り方
①焼き芋の皮を取りつぶす。
②めんつゆをお湯で割り硬さを見ながら加える。
③栗を飾る
「くわいの素揚げ」
材料
くわい
塩
こしょう
油
作り方
①くわいは皮をむき、薄切りにする。小さいものはまるごと。
②170℃くらいの油で揚げる。
③塩・こしょうをふる。
今回は里芋で作りました。里芋もおいしいです。
「管理栄養士さんから一言」
さつまいも
最近ではいろいろな種類のさつまいもが店頭に並んでいます。
ほくほくしたもの、ねっとりしたものなどお好みのものを探してみてください。
栄養面では食物繊維が多く便をやわらかくする効果のヤラピンも含まれていて
便秘に効果があります。
熱に強いビタミンCも豊富に含まれていて、ビタミンEやβカロテンとともに抗酸化作用
があり老化予防に効果があるといわれています。
「ローストチキンとクリスマスツリーサラダ」のレシピを紹介します。
もう12月。あっという間に月日が経ちますね。11月の学会が終わると、さらに加速度がついて時が過ぎていくような気持ちを毎年持ちます。皆さんはどうでしょうか?
12月のレシピのテーマは、「お手軽クリスマス」と「お手軽お節料理」です。
今日はまずは「お手軽クリスマス」のレシピとして、「オーブンなしのローストチキンとクリスマスツリーサラダ」のレシピを紹介します。
小さい頃のクリスマスの料理で記憶に残っているのは、七面鳥の丸焼きを、父がナイフで取り分けてくれている姿です。父は外科医。素晴らしいメス捌きで、手際よく食べやすい大きさに切り分けてくれたことを憶えています。
あと、クリスマスでの記憶は、私がまだ山梨県の甲府市に住んでいたころ、もう50年ほど前になりますか、そのころ、本物のモミの木をトラックで売りに来ていて、毎年飾りつけをしていました。せっかくのクリスマスの日に風邪をひいたのか、高熱を出してしんどかった時ふと思いついたのが、「本物のモミの木の下に行けば、酸素がいっぱいあるのでは」と子供ながらに考えて、モミの木の下で寝た記憶があります。
皆さんもクリスマスに関して、いろんな思い出があると思います。
では「オーブンなしのローストチキンとクリスマスツリーサラダ」のレシピを紹介します。
「オーブンなしのローストチキンとクリスマスツリーサラダ」
1人分 550kcalたんぱく質30g
「オーブンなしのローストチキン」
材料(2人分)
・ 鶏モモ肉 2本
・しょうゆ 大さじ1
・はちみつ 大さじ1
・塩・こしょう
作り方
① 鶏肉にフォークで穴をあけ塩こしょうする。
皿に入れ、ラップをして、600Wで100gあたり1分加熱する。
② フライパンで皮から焼き両面に焼き目をつける。
③ ①の汁としょうゆ・はちみつをフライパンに加え鶏肉にからめる。
最後はスプーンでかけて照りを出す。
「クリスマスツリーサラダ」
材料(2人分)
・じゃがいも 1個
・ブロッコリー 1/4個
・牛乳 約大さじ2
・塩こしょう、マヨネーズ、パプリカ
作り方
① じゃがいもは電子レンジでやわらかくしてつぶし牛乳と塩こしょうで味付けし円錐形にする。
② 子房に分けてゆでたブロッコリーを周りにさしツリーを作る。
③ マヨネーズ、パプリカのピクルスなどで飾り付ける。
「管理栄養士さんからの一言」
メインを簡単に作って楽しいクリスマスを!
渡邉医院を見守る古き家具たち。
アイキャッチ画像に昔ながらの家具を載せています。これらの家具は、私の祖父の時代から使ってきているものです。
これらの家具は、今も現役で頑張っています。言ってみれば、渡邉医院を昔から見守り、渡邉医院の歴史を見てきた家具たちです。今回はこの家具たちを少し紹介していきたいと思います。
まずは、私が使っている机です。診察室の1診の部屋にあって、新患の患者さんや、術後の患者さんの説明をしたり、外来や手術が終わった後に、その日の手術記録などをパソコンに打ち込んだりしている机です。
この机は、私の母方の祖父が生前使っていた机をもらってきたものです。
色落ちもしていたので、渡邉医院を新築する際に塗り直してもらいました。引き出しには鍵がついています。引き出しの取っ手にも細工が施されています。祖父は、英語の教師で、祖父の部屋に入ると、演説台のようなものの上に分厚いオックスフォードディクショナリーが置いてあり、その後ろにこの机がありました。そしてその奥にはたくさんの本が締まってある本箱が、部屋と取り囲むように配置されていました。祖父はカトリックの信者でクリスチャンネームも持っていて、机の近くの棚には、マリア像が置かれていました。私が小さなころは、祖父の部屋に入った瞬間、「ここは日本ではないのでは。」外国に瞬間移動したような気持になった記憶があります。その祖父が使っていた机を、今は私がもらって使わせてもらっています。
次は器械棚です。机の後ろ、私が座っている後ろにこの器械棚を置いています。
天板も正面、側面もすべてガラスで覆われています。以前、天板が割れてしまったため、一度取り換えてもらいました。この器械棚は、渡邉の祖父が診療をしていた時から使っていたものです。いかにも昔ながらの器械棚です。でも様々な細工が凝っていて、扉の真ん中の取っ手を回すことで、扉を上下で固定できるようになっています。取っ手に施されている細工も凝っているなあと思います。取っ手を回すことで、筒の中にある棒が上下して、棚の上にある金具に棒が入り、扉が開かないようになっています。
さて、もう一つは、診察2の部屋にあるカルテ台です。
このカルテ台も祖父の時代から使っているものです。
カルテを置く面の下には、半円状の木の棒が取り付けてあって、カルテが落ちないように細工してあります。随分長い間つかっているので、引き出しの具合は少し悪く、引き出しを引くと、ギシギシいいますが、まだまだ現役で頑張っています。色もだいぶ落ちてきていますが、渡邉医院に通われてきた患者さんのカルテを感じてきたカルテ台です。
このように、渡邉医院には、その歴史を見守ってきた家具たちが今もなお現役で頑張っています。そして、これからも渡邉医院の現在、そして未来を見守り続けていくんだなあと感じます。私も、これらの家具をしっかり守っていきたいなと思います。
もうすぐ渡邉医院も90周年を迎えます。正確な渡邉医院の創業年月日はわかりません。ただ、私の父は京都生まれ。生きていれば90歳です。
渡邉医院は祖父が開業して90年。肛門科一筋でやってきたその歴史は大切ですし、その重みはあると思います。 内痔核の手術に関しても、祖父の時代の手術、父が行ってきた手術。
そして、今私が行っている手術。それぞれ違い、進歩してきています。
大きく内痔核の手術が転換したのは、私の父の時代からです。父の時代に今、全国で行われている内痔核の手術方法の基本、こうい結紮切除術ができました。この基本の手術方法から手術は進歩してきています。
このように、過去の手術、そしてその手術から現在の基本となる手術へ、そして未来へと、そういった歴史が私にとっての強みでもあり、宝だと思っています。よく父が言っていました。「(診察や手術に関して)俺を超えて当然。俺を超えられなければ、よっぽどお前は勉強をしていないということだ。」「これまで培われてきた診察方法、手術方法をもとにお前は進んでいく。スタートラインが違う。」と。
本当にその通りだと思います。もう一つ父がよく言っていた言葉、「目の前にいる患者さん一人一人をしっかり治していくことで、多くの患者さんを治していくことが出来る。」という言葉とともに、渡邉医院の歴史をしっかりまもり、そしてその歴史を患者さんにかえしていきたいと思います。
今年の学会を通じて感じたこと
先週の木曜日(11月8日)から東京に行ってきました。金曜日(11月9日)と土曜日(11月10日)の二日間開催された第73回日本大腸肛門病学会総会に参加してきました。私の発表は9日の金曜日の10時頃からでした。
日本大腸肛門病学会総会は毎年この時期に開催されます。この日本大腸肛門病学会には、私が肛門科を専門にしているという責任もあって、京都に帰ってきてから、必ず毎年発表してきました。毎年発表する理由の一つは、京都に帰ってきたのは父が病気で倒れ、渡邉医院を継承していかなければならず、急遽帰ってきたため、私が今行っている診療、そして治療が正しいのか?など、自分の行っていることに対して、肛門を専門にされている先生方に意見をいただきたいということがあります。また、もう一つの理由は、日常の診療を行っている際に経験的に感じていることが、本当に科学的に正しいのかを明らかにしていきたかったということもあります。
開業すると、患者さんのことを考えると、なかなか休診にすることが出来ません。ただ、この日本大腸肛門病学会の期間は大義名分で休診にさせてもらっています。その大義名分のためにも、しっかりとこれまでの経験や研究を学会で発表しなければならないという思いもあります。
さて、今年の学会のテーマは「個の成長、明日への貢献、病める人の幸せを求めて」でした。
自分自身の発表もしてきましたが、久しぶりに二日間、講演やほかの先生方の発表を聞き、学び、充実した時を過ごすことができました。
金曜日の夜は、息子が東京にいるので、私が大学のときの先輩と息子、そして私の3人で一緒に飲む機会もありました。3人で飲んでいるときは、息子と父親というよりは、同じ志を持つ仲間、同志といった感じが強く、少し不思議な思いを感じました。私の父も私のことを同じように感じていたのかな?とも思います。学会に行くもう一つの楽しみが、こういった大学時代の先輩や、肛門科の先生方と一緒にお酒を酌み交わしながらさまざまな話をすることで、このことを通じていろんなことを学ぶこともあります。
さて、学会の帰り道、電車に乗ると、ある広告が目に飛び込んできました。その広告には次のように書いてありました。
「今日のあなたは、今日しかいないから。未来は、今日という一日の積み重ねでできています。今日見たもの、今日感じたこと。それは今日のあなたにしか出会えなかったこと。気がつけば、あっという間に同じような毎日が過ぎていく。そんな時ほど、今という時間を大切にしてください。」と。
私たち医師の多くは、これまで経験した患者さんを通じて、病気の原因は何か?そして、その原因を究明して、どうしたら治していくことができるか?を真剣に考え、目の前にいる患者を一人一人治したいという思いをもっています。そしてそれを実現していこうと努力していきます。学会はその思いを実現するために、とても必要な大切な場だと感じます。
電車の広告で改めて感じたことがあります。それは、
「目の前にいる患者さんを一人一人しっかり治していくこと、そしてそのことを積み重ねていくことで、多くの患者さんを治すことが出来る。」
ということです。この思いを改めて心に刻んだ学会でした。