「いぼ痔は押し込め。」は正しいの?
「肛門に痔が出たままになったので、戻して欲しい!」と受診される患者さんがいます。良く「いぼ痔は押し込め。」と言われています。患者さんもそうですが、医師の中にも出ている「痔」は押し込もうとしたり、無理やり押し込む人がいます。
「いぼ痔は押し込め。」は正しいの?
では本当に「いぼ痔は押し込め。」なのでしょうか?
違います。「いぼ痔は押し込め。」ではなく、「いぼ痔は元の位置に戻す。」が正解です。
渡邉医院を受診される患者さんの中には、「昨日まで何ともなかったのに、急にいぼ痔が出てきて、痛くて、押し込もうとしても入りません!」とか、「急にいぼ痔が出てきて、押し込んでもすぐに出てきてしまいます!」と言って来られる患者さんがいます。こういった症状の場合は、たいていが血栓性外痔核のことが多いです。
血栓性外痔核
血栓性外痔核は、肛門の外側に細かな静脈が網の目の様になっている部分が肛門1周ぐるりとあります。この静脈の流れは、冷えたり、忙しかったり疲れていたり、寝不足だったりとかストレスがかかるとどうしても悪くなります。またストレスがかかると血小板がくっつきやすくなって血栓(血豆)ができやすくなってしまいます。こういった条件がそろって、排便をする際にグッとお腹に力が入って頑張ったり、反対に下痢で何回も頑張ったり、また、重たいものを持つなど、お腹に力が入って頑張った時にたまたま運悪く血栓(血豆)が詰まってしまうことがあります。血栓が詰まって腫れてしまうと痛みが出てきます。このように、血栓性外痔核は昨日まで何ともなかったのに急に血栓が詰まって、腫れて痛くなります。この肛門の外側にできた血栓性外痔核を押し込もうとしても、戻すことはできません。無理やり押し込んでもすぐに出てきますし、そもそも腫れて痛いところを無理やり押し込もうとするととても痛いですし、かえって腫れが強くなってしまいます。
ですから、「いぼ痔は押し込め。」の「いぼ痔」は血栓性外痔核のことではありません。
「いぼ痔は押し込め。」の「いぼ痔」は?
では、「いぼ痔は押し込め。」の「いぼ痔」とは何かというと、それは内痔核です。
内痔核は突然肛門の外に出てくることはありません。はじめは排便時に出血したり違和感がある第Ⅰ度から、次に排便時に外に出てくる(脱出)するも、自然に直ぐにもとに戻る内痔核。そしてさらに悪くなると排便時に内痔核が外に出てきてもどらなくなり、指で押し込む第Ⅲ度になります。一番具合の悪いのが第Ⅳ度の内痔核で常に脱出したままで、押し込むこともできなくなってしまいます。ただ、内痔核だけですと、第Ⅳ度の内痔核になって、脱出したままになっていても痛みはありません。この第Ⅲ度の内痔核が「いぼ痔は押し込め。」の「いぼ痔」です。
急に痛くなって脱出したままになる内痔核、嵌頓痔核
でも今までは第Ⅲ度の内痔核を持っていて、それにストレスがかかって、排便時に強く力んだり、下痢が何度も続いたり、重たいものを持った時に、内痔核自身に血栓が詰まったり、血栓性外痔核を併発すると、「今まで押し込めたのに、急に痛くなって押し込めなくなった!」ということになります。こういった状態の内痔核を嵌頓痔核と言います。
この場合は、内痔核に血栓が詰まって腫れて痛くて戻せないときは、痛みがありますが、肛門の中に戻すことが出来ます。内痔核が外に出たままの状態になるとさらに血流が悪くなり、痛みが強くなり、場合によっては壊死に至ることもあります。この場合は頑張って押し込んであげます。中に戻るだけでも随分痛みは軽減されます。
ただ、血栓外痔核も併発してしまった場合はどうしても押し込むことが出来ない場合があります。こういった場合は消炎鎮痛剤の座薬を使って腫れがとれるのを待ったり、脱出し押し込まなければならない第Ⅲ度の内痔核は、そもそも手術の適応があります。そこで、場合によっては嵌頓痔核の時に一気に痔核根治術をして根本的に治すこともあります。
このように「いぼ痔は押し込め。」ではなく、「いぼ痔は元の位置に戻す」が正しいです。ただ、どうしてこのような間違いが生まれてしまうかを考えると、やはり内痔核も外痔核もまったく異なる病気なのに「いぼ痔」とか「痔」と呼んでしまうところにあるのだと思います。正確に「内痔核が脱出した場合は押し込みましょう。でも出てくる内痔核はしっかり治療しましょう。」「血栓性外痔核は押し込むことが出来ないのでそのままにしておきましょう。そして痛みをとる治療していきましょう。」と患者さんに伝えることが大切だと思います。
夜中に襲う肛門の痛み
ここ毎日台風10号のことから始まりますが、本当に大きな台風が今日から明日にかけて近づき、上陸しようとしています。京都も診療所の中にいても、台風が段々近づいてくる気配を感じます。なにも被害が出ないことを祈りますが、できる備えはしっかりしておかなければと思います。
明日も患者さんのために診療所を開けますが、台風による周りの状況と自分の症状をみて、気をつけて受診してくださいね。
夜中に肛門の激痛が襲う
今日は肛門の痛みなついて少しお話したいと思います。
時々「夜中に急に肛門が痛くなって目が覚めてしまった。」という患者さんが受診されます。こういった患者さんの中には、「夜中急に肛門が痛くなって、その激痛で目が覚めました。次の日に痛みが強かったので、診察を受けに行ったのですが、肛門はどうもないと言われた。心配で受診しました。」と言ってこられる患者さんがいます。
患者さんの訴える症状は、この夜中に急に激痛が襲い、目が覚めたという症状だけで、いつもは排便時に痛みがあるわけでなく、また出血もありません。また排便時の内痔核の脱出があるわけでもありません。また常に痛みがあるのではなく、その夜中だけが激痛だったという症状です。
実際に診察しても裂肛(切れ痔)があるわけでもなく、血栓が詰まった血栓性外痔核があるわけでもありません。また肛門周囲膿瘍や痔瘻があるわけでもありません。ただ、軽度の内痔核を認めるときはあります。特に激痛が起きるような病変があるわけでもなく激痛が襲った。という状況です。ときどき、「特に肛門に病気は無いので神経のせいでしょう。」とか「精神的なことでしょう。」と言われることがあるようです。そう言われてしまうと、患者さんは自分の精神的なことが問題なのかなあと、自分を責めてしまうことになります。でもこの夜中に襲う激痛は精神的なことでない場合が多いです。
内肛門括約筋の過度な収縮が痛みを生む
肛門の痛みの原因の中に、内肛門括約筋などの肛門の筋肉が強く収縮することで強い痛みを感じることがあります。裂肛などは、肛門上皮に傷がついて痛みが出るのですが、その後内肛門括約筋がグッと締まって緊張状態にある間痛みが持続します。ですから裂肛の状態が悪く内肛門括約筋の緊張が強くなると、排便時も痛いのですが、排便後、内肛門括約筋が締まっている間痛みが持続します。また内痔核の手術をした後も、内肛門括約筋の緊張が強い人ほど術後の痛みが強い傾向にあります。また当院では局所麻酔で手術をするのですが、麻酔して手術が終わって完全に麻酔が切れるまで肛門が一端締まってくるので、これが原因での痛みもあります。
このように内肛門括約筋など、肛門の筋肉がグッと締まってくるときに肛門の痛みは強くなります。このことを示す良い例が、冬場の寒い時期に洗浄便座で洗浄するとき、温水で洗浄をすると大丈夫なのですが、温水ではなく水で洗うとすごく肛門が痛くなります。これは、冷たい水が肛門に当たることで内肛門括約筋などの肛門の筋肉が収縮して、さらに血流が悪くなることが原因となります。
このように何らかの原因で内肛門括約筋などの肛門の筋肉が過度に収縮する際に、肛門に何の病気が無くても痛みが出ることがあります。
痛みに対しては肛門の筋肉の緊張をとる
さて、話をもとにもどします。「夜中に突然激痛が襲い、目が覚めた。」「次の日に診察を受けても肛門は何ともないと言われた。」の原因ですが、肛門が過度に収縮した際に痛みを感じます。
一日、寝ているとき以外は肛門は心臓より下にあります。どうしても夕方から夜にかけて、肛門の静脈は誰しも鬱血していきます。こういった鬱血した血液を心臓に返そうと肛門の筋肉は収縮します。肛門の筋肉は、いつもじっとしているわけではありません。時々収縮したり弛緩したり、肛門の筋肉は動いています。こういった肛門の筋肉の収縮が、ストレスなどが加わった時などに、過度に収縮してしまい、これが激痛になることがあります。ですからこの激痛が襲うのは、たいていが寝ているとき、夜中です。こういった痛みが襲った時はあわてずにリラックスして、場合によってはどんな軟膏でもいいと思いますが、軟膏などを塗って肛門の緊張をとってあげたり、温めてあげることもいいと思います。よる夜中お風呂には入れませんので、トイレで温水洗浄便座の温水で柔らかく温めてあげるのもいいかなあと思います。
急に肛門に激痛が襲い、目が覚める。肛門に何か重大なことが起きたのではと心配されることがあると思いますが、まずはあわてず「肛門の筋肉がグッと収縮したんだな。」と思ってまずは軟膏を塗ってみたり、温めてあげて様子をみてもらえばいいと思います。同じような症状が続くようでしたら、出血などの症状がなくても内痔核があり、これが原因の一つになることもあります。そんな時は肛門科を受診していだたくといいと思います。
一人の患者さんの悩みは、皆の悩み。
台風10号が近づいてきています。京都では15日の木曜日を注意しなければならないようです。台風による被害が出ないように祈るばかりです。
今日は少し具体的な例を挙げて肛門の病気についてお話したいと思います。
一人の患者さんの悩みは、皆の悩み
患者さんはいろんなことで悩まれ、辛い思いをしています。でも皆さん同じような悩みを抱えてられます。一人の患者さんの悩みは、多くの方の悩みに繋がっていきます。
今回はどんなことに悩まれているかですが、患者さんの訴えは、症状は大きくは次の三つです。
患者さんの訴え、症状
- 1)肛門にシワのようなものがあって、排便後一生懸命拭いても、洗浄便座で洗浄してもどうしても汚れてしまう。
- 2)夕方になると肛門が広がったような感じがする。
- 3)以前にジオンによる治療をしたことがある。
大きくこの三つのことを言われていました。
患者さんは、以前にジオンによる治療を受けたが、肛門にシワのようなものが残っていて、排便後拭いても、洗浄便座で一生懸命に洗浄しても汚れてしまう。また夕方になると肛門が開いたような感じがして違和感があるという症状です。
皮垂(skin tag)が汚れの原因?
まず肛門にあるシワですが、皮垂(skin tag)というものです。内痔核が腫れると肛門の外側が腫れ、内痔核が治まると外側の腫れも治まる。このようなことを繰り返すことで内痔核が出来る外側に皮垂ができることがあります。また排便時に内痔核が脱出して押し込んでいる間に、肛門の外側の静脈が腫れたり、場合によってはそこに血栓が詰まったりして皮垂が出来る場合もあります。皮垂は皮膚のシワですので、悪い病気ではありません。皮垂が痛くなったり、出血することはありません。でも実際皮垂が大きくなってくると排便後も拭きにくかったり、気になることがあります。また、皮垂があることで排便後にトイレットペーパーで激しくゴシゴシ拭くことで肛門に傷が付いたり、皮膚炎になったりすることもあります。とても気になるものがいつも肛門にある。このこともあまりいいことではないと思います。こういった場合は皮垂を切除する場合があります。
皮垂の切除の場合は入院での手術ではなく、外来での手術になります。約5分程度で手術は終わりますが、術後1時間程度病室で休んでもらって、麻酔が完全に醒め出血がないことを確認してから帰宅してもらっています。
ただ皮垂があるから洗浄後も汚れてしまうわけではありません。どうしても皮垂があると、きれいにしたいという思いが強くなってしまいます。そうすると、洗浄便座の洗浄が強くなったり、洗浄時間が長くなったりしてしまいます。
以前もお話したことがありますが、あまり強い水圧で肛門を洗浄すると、温水が直腸の中に入っていってしまいます。直腸に入った温水はどうなるかというと、後から出てきてこのことが原因で洗浄しても汚れたり、場合によっては皮膚炎になったりしてしまいます。きれいにしたいという強い思いが反って汚れてしまう原因になってしまいます。洗浄は軽く洗って軽く拭く程度にしておくことが必要です。
ジオンによるALTA療法は皮垂は治さない。
内痔核に対してジオンでの治療を受けたとのことでした。ただジオンによる四段階注射法による痔核硬化療法(ALTA療法)は、脱出してくる内痔核の治療法です。内痔核は良くなったとしても、内痔核のためにできてしまった皮垂まで治すことはできません。
では、皮垂を含めて内痔核を治す場合はどうしたらいいかです。
まず一つ目の方法は、皮垂も含めてしっかり痔核根治術を行って皮垂と内痔核を切除する方法です。
もう一つの方法は、内痔核に対してはALTA療法を行い、同時に皮垂は切除するという方法です。
やはり、皮垂を伴った内痔核を治療する際は、その皮垂をどうしたいかをしっかり患者さんに聞く必要があります。
例えば、「皮垂は気にならないので、脱出してくる内痔核だけを治したい。」この場合はALTA療法のみを行うと傷もできませんので術後も痛みなく楽に治していくことが出来ます。
「皮垂も気になるが内痔核まで手術するのは怖い。できれば内痔核は手術したくない。」といった場合は、内痔核に対してはALTA療法を行い、皮垂は切除する。「皮垂も含めて、スッキリ手術して治したい。」この場合は、痔核根治術を行う。こういったように皮垂をどうするかと言ったことを患者さんとよく相談して治療方法を決めていくことが大切だと思います。
夕方になると肛門の具合が悪くなる。
最後に夕方になると肛門が開いたような違和感があるという症状ですが、診察してみると、やはり内痔核の腫脹がありました。脱出はしてきませんが、どうしても内痔核があると、肛門が広がったような違和感があるようです。また午前中はいいのですが、どうしても肛門は心臓より下にあります。夕方から夜にかけて、どうしても鬱血してきて午前中よりは夕方夜の方が内痔核の腫脹は強くなっていきます。軟膏や座薬でどうしても症状がとれない場合は、パオスクレー(5%フェノール・アーモンドオイル)による痔核硬化療法を行うと症状は良くなります。痔核硬化療法を行うことで、肛門がキュッと締まったような感じになります。
患者さんの悩みをしっかり聴くこと。
ジオンでの治療をしたのに今ある症状はどうして起きるんだろう?皮垂があるから排便後拭いても洗浄しても汚れるんだろうか?など、患者さんの悩みはしっかり聴き、診断することでその原因やそれに対しての治療法が決まってきます。やはり患者さんの訴えをしっかり聴いて、診察に当たることがとても大切だと思います。
暑い夏!熱中症だけでなく便秘にならないようにしっかり水分を。
お盆休みどうお過ごしですか?台風10号の進路が気になるところですが。
今日も入院の患者さんや手術をしたばかりの患者さんを診察しに診療所に行ってきました。帰ってきて天気もいいので、洗濯なんかをしてみました。外は暑いですが、洗濯ものはあっという間に乾くかなあと思います。
さて、今日診療所に行くと電話がかかってきました。その内容は、便が詰まってしまって出そうで出なくて苦しいというものでした。主治医の先生からは下剤をもらっているとのことでした。
便が出ないととても辛くしんどいので、診療所に来てもらうことにしました。硬くなってしまった便を崩して、それからグリセリン浣腸をしてスッキリしてもらいました。
話を聞いてみると、便が出なかったら緩下剤を飲んで出して、飲んだり飲まなかったりしているとのことでした。慢性の便秘の場合は飲んだり飲まなかったりするのではなく、具合よく出る緩下剤の量をみつけて、それを続けていくことで便秘は良くなっていくんですよとお話して、具合よく出るようだったらそれを続けてもらうようにお話ししました。そして、主治医の先生にも、「便が出なくて浣腸をして便を出してもらったことを、しっかり伝えておいて下さいね。先生に伝えないと先生は、毎日具合よく便が出ているんだと思ってしまいますからね。」とお話して帰宅してもらいました。
どうしても暑くなってきて、体から出る水分量は増えていきます。それが十分に補えないと、どうしても便が硬くなってしまう傾向があります。熱中症対策だけでなく、具合よく便が出るように、便が硬くなって出なくなってしまわないように、十分に水分補給をしてくださいね。でも反対に暑くなってしっかり水分が摂れることで、夏に向けて便の調子が良くなっていく方もいます。やはり十分な水分を摂る必要があります。
ではどの程度の水分が必要かです。人間は便や尿、汗などで1日に約2L 程度の水分が体の外に出ていってしまいます。そうすると、最低でも2L の水分を補給する必要があります。でも水分ですので2L飲まなければならないわけではありません。食事の中にも水分は含まれています。美味しくご飯が食べれていると1日3食しっかり食事を摂ることで、約1~1.5Lの水分を摂ることが出来ます。でも2Lにはまだ足りません。食事以外に役1L の水分が必要になります。でもこれも果物を食べたり、アイスクリームやシャーベット、かき氷を食べても水分は取れます。何らかの方法で食事以外に1L 程度水分を摂ることが必要です。
でも暑さにやられて食欲が落ちてしまうこともあります。食事が十分に摂れないと食事でとれる水分の1~1.5Lが摂れなくなってしまいます。そんな時は、寒天でできたものや、ところてんなど水分と繊維も摂れて便の調子がよくなると思います。
少し話は変わりますが、よく「私は生野菜のサラダを摂っているから十分に繊維質は摂れている。」という人がいますが、これは少し間違いがあります。生野菜のサラダを摂ることは大切だと思います。でも便の調子を良くするために繊維をとるという目的では生野菜のサラダでは十分に繊維は摂ることができません。生野菜のサラダ、かさはありますが繊維の量としてはあまり摂れません。生野菜というよりうはキノコ類や海藻類の方が繊維の量としては多く摂れます。ですから、便のことを考えて繊維をしっかり摂ろうと思うのであれば、生野菜のサラダよりは、海藻とキノコのサラダの方が繊維の量としてはしっかり摂れます。そこにお豆腐も入れて、海藻とキノコと豆腐のサラダなんかが便秘にはいいのではないかと思います。
以前「快便の秘訣」という記事を紹介しています。参考にしてみて下さいね。
毎月「体に優しいレシピ」を更新していますが、9月はこのきのこを使ったレシピを紹介する予定です。
内痔核の術後の痛みをどう和らげるか。
最近、内痔核に対して痔核根治術を行わなければならない患者さんが増えてきているような気がします。内痔核はその程度によって治療が決まります。内痔核の程度は第Ⅰ度から第Ⅳ度まで四段階に分かれます。そして第Ⅲ度以上の内痔核(排便時に内痔核が外に出てきて押し込まないと戻らない)になると、スッキリ治すには手術など外科的治療が必要になります。以前は第Ⅲ度以上の内痔核は高位結紮切除術といって痔核根治術で治していました。そこにジオンという痔核硬化剤が販売されて、今まで手術が必要だった内痔核もそのジオンという痔核硬化剤を使って四段階注射法という方法での痔核硬化療法(ALTA療法といいます)でも治療ができるようになってきました。今では多くの施設で行われてきています。そのALTA療法の適応でない患者さんの割合が少し増えてきたような気がします。
さて痔核根治術を行うにあたって、どうしても術後の痛みをどうするかが大きな課題となってきます。
術後の痛みを軽減させるには手術の手技も大切です。十分に内痔核を剥離して結紮して切除したり、術後外痔核部分が腫れて痛みが出ることがあるので、外痔核部分の処置をどうするか。また肛門の緊張が強いと術後の痛みが強いので、術前に十分なストレッチングをしたり、場合によっては手術をする際に肛門の緊張をとる処置を加えたりするなどの工夫も必要です。
でもどうしても手術ですので肛門に傷がつきます。そして、必ず排便の時にはこの傷を擦って便が出てきます。普通、怪我をした時はなるべく擦らないようにいじらないようにそっと治していきます。でも肛門の手術の場合は、どうしても使いながら治していかなければなりません。大なり小なり痛みは避けることができません。
ただ痛みにはこれから話すような三つの要因がありますが、ただ排便時の痛みが取れるまでの期間には痛みが強くても痛みが軽くても差はありません。痛みが軽いからと言って早くその痛みがとれたり、痛みが強いからと言ってなかなか痛みが取れないではありません。術後7~10日が過ぎると、排便時の痛みが強い人も軽い人も同じように痛みがスッと楽になります。
この理由は、内痔核の大きさに関わらず、痔核根治術を行うとみな同じような傷になるからです。内痔核のできる部分はみな同じですし、内痔核のできる部分は痛みが無い部分です。内痔核を剥離した部分は糸で閉鎖するので、内痔核が大きくても小さくても同じです。また肛門の外側にドレナージという傷をつくるのですが、この傷も内痔核が大きいから大きくなる、小さいから小さくてすむではありません。肛門の中の傷を具合よく治すためにドレナージをつくるので、みな同じ大きさの傷となります。ですから、内痔核に対して痔核根治術を行う場合は、内痔核の大きさに関わらず同じような傷になります。ですから内痔核の大きさに関わらずみな同じように治っていきます。
ただ、術後7~10日までの痛みにはどうしても差が出てしまいます。その要因は次の三つだと考えています。
- 1)手術をする内痔核の個数
やはり術後排便時の痛みには、手術をする内痔核の個数に関係します。手術の箇所が1箇所、2箇所、3箇所の人を比較してみると、1箇所の場合は2箇所以上の人と比べると、比較的痛みは軽度です。2箇所と3箇所ではあまり痛みに差はありません。ですから手術の個数が1箇所であるか、2箇所以上かで痛みに差がでます。
2)術後の腫れ
術後の痛みのでる原因に術後の腫れがあります。どうしても術後に腫れがでるとその痛みがあります。この腫れも内痔核の手術の個数に関連します。切除する内痔核の数が多いほど腫れる可能性が高くなります。ただ腫れる原因には手術を行う際に十分に内痔核を剥離したり、腫れが出る可能性がある外痔核部分の処置をしっかり行うことで腫れる可能性を低くすることが出来ます。また腫れた場合は入浴なども痛みの軽減に有効です。
- 3)排便の状態
やはり、便が出るところに傷ができるので、排便の状態も術後排便時の痛みに関係します。便が硬いとどうしても排便時の痛みが強いです。また反対に下痢もかなりの圧がかかって便がでてくるので痛みが強いです。柔らかくて形のある便が理想です。でもどうしても手術をすると、「排便時にいたいんだろうな。」とか「排便時にしゅっけつするかな。」と思うとどうしても排便するのが怖くなり、排便の状態が悪くなってしまいます。術後の排便の調整はとても大切だと思います。
このような術後排便時の痛みには三つの要因があると思います。ただ痛みの大小にかかわらず7~10日が過ぎると今ある痛みがスッと取れてきます。この間の痛みをしっかりとるように術後の痛みの管理をしていく必要があります。痛いときには我慢せずに消炎鎮痛剤を飲んだり、やはり入浴が痛みの軽減に有効です。のんびり入浴してお尻を温めてあげるのの有効です。
最近はなかなか仕事のことなど社会的な要因でゆっくりと入院して治療をすることが難しくなってきています。できればいろんなストレスから離れてゆっくり治していける環境になれば術後の痛みももっと楽になるんだろうなあと思います。
お尻が痒い!
お盆休みの期間になりました。帰省される方、旅行に行かれる方、家でゆっくりと過ごされる方などお盆休みの過ごし方はいろいろあると思います。でも、8月になって本当に厳しい暑さが続いています。出かける際も暑さ対策をして気をつけて外出してくださいね。
そしてもう一つ気になるのが、台風の今後の進路、状況です。こちらも注意が必要ですね。
渡邉医院はこのお盆休み中も16日の金曜日の夕方の診察だけは休ませていただきますが、そのほかは通常通りに診療をしています。お尻の具合の悪い方は受診してくださいね。
さて、最近「肛門の周りが痒い。」という症状で受診される方が少し増えたかなあと感じます。そこで、今日は肛門の周囲が痒くなる肛囲皮膚炎について少しお話したいと思います。
肛門だけでなく「痒い!」という症状はとてもつらい症状です。24時間1日中痒いわけではありませんが、お風呂に入った時や後、またお布団に入って寝ようとする時。また少しお酒を飲んだ時など、本来は気持ち良くなる時に痒みが襲ってきます。そして痒いのでついつい掻いてします。「掻いちゃダメなのに掻いてしまった。」という罪悪感も生まれて、とてもつらい症状、病気だと思います。「痒いのを掻くな!」これは無理だと思います。まだ、「痛いのを我慢して。」の方が我慢できます。ですから早く皮膚炎を治して症状をとって、痒みをなくすのが大切だと思います。
さて、肛門が痒くなる肛囲皮膚炎の原因ですが、なかなか難しいところもあって、原因が特定できない場合もあります。でも痒くなる原因の多くが次の三つだと思います。
- 1)お風呂に入った時に、石鹸でタオルでゴシゴシ洗う。
まず原因の一つが入浴時に石鹸でタオルでゴシゴシ洗うことです。どうしても清潔にしなければいけないという思いが強くなるため、入浴時に一生懸命に洗ってしまう。これも一つの原因になります。肛門が痒いときにゴシゴシ洗うと、洗っているときは気持ちいいいのですが、かえって皮膚炎を悪くしてしまいます。また一生懸命に洗うことで、皮膚を守っているバリヤーも壊してしまいます。気になるかと思いますが、お湯だけで軽くサッと洗うだけにした方がいいです。これは皮膚炎が治った後も同じです。
- 2)排便後、トイレットペーパーでゴシゴシ拭いたり、洗浄便座で必要以上に洗浄すること。
もう一つの原因が排便後の処置です。どうしても排便後汚れをしっかり取ってきれいにしようと思い出、トイレットペーパーでゴシゴシ強く拭いてしまいがちです。どうしても強くゴシゴシ拭くと、肛門の皮膚に傷が付いたり、そこに汚れを擦り込むようになってしまいます。あまり強くゴシゴシは拭かない方がいいです。洗浄便座であれば、軽く洗浄して軽く拭く程度にしておくことがいいです。ただ、洗浄すると、段々その水圧が強くなったり、一生懸命に洗浄してしまうことがあります。あまり強い水圧で洗浄すると、肛門に傷を付けてしまったり、直接肛門に強い水圧で温水があたると、温水は直腸の中に入っていってしまいます。入った温水はどうなるかというと、後から出てきて反って汚れてしまったり、そのことで肛門が痒くなってしまうことがあります。以前、「温水洗浄便座の功と罪」というお話をしたことがあります。詳しくはそちらの記事を読んでいただければと思います。
温水洗浄便座はあまり強く洗わず、軽く洗って軽く拭くようにするのがいいと思います。
- 3)消毒液などの薬でお尻を拭くこと。
最後は、消毒液やお薬でお尻を拭くことです。どうしてもお風呂で一生懸命石鹸で洗っても、洗浄便座で一生懸命洗っても痒みが取れないと、もっと清潔にしなければという思いで、消毒液やお薬で拭いてしまう人がいます。消毒してしまうと必ずひふの具合が悪くなって皮膚炎になってしまいますし、皮膚炎を悪くしてしまいます。消毒するときは「自分の体を犠牲にしてまでも」という言葉を最初につけるとよくわかります。
例えば手術をする際に消毒するときは、自分の皮膚に負担はかかるが、体の外の細菌が、無菌の状態の体の中に入って欲しくないので消毒する。また、転んで怪我をした時は、傷の治りは悪くなるが、どんな細菌がいるかわからないので、しっかり洗浄した後に消毒する。こんな話を皮膚科の先生に聞いたことがあります。「耳たぶに皮膚炎があって、いろんな軟膏を使ってけど全然よくならない。おかしいなと思って、軟膏を付けるときはどうゆう風に付けていますか?ときいたところ、患者さんは軟膏を塗る前に必ず消毒してから軟膏を塗っていますと。この消毒が治らなかった原因で、消毒をしないで軟膏を塗ってもらったら、直ぐに治った。」と。このように、消毒するとどうしても皮膚には良い影響はあたえません。皮膚炎の原因になったり、皮膚炎をこじらせることがあります。
後は肛門は便が通るところなので、下痢が続いたり、排便の状態にも原因があることがあります。でもまずはこの三つの原因が無いかどうかを考えてみてもらって、もしも思い当たるところがあればまずはそれをやめて、正しく軟膏を塗っていくと肛囲皮膚炎は治っていきます。
軟膏の塗り方
最後に軟膏の塗り方をお話します。
「痒い!」という症状は皮膚炎になったから直ぐに出るというわけではありません。ある程度皮膚炎が進んでくると痒いとかしみるなどの症状が出ます。まずは原因となることを気をつけてもらって軟膏を塗ってもらうと皮膚炎は治ってきます。でも治るときは皮膚炎が完全に治る前に症状が取れてきます。痒みがなくなって治ったと思っても、実施はまだ皮膚炎が残っていることがあります。ですから、軟膏を塗って、痒みなどの症状が取れてもまだ皮膚炎は治っていないと考えてもらって、症状がなくなってからもしっかり塗ることが大切です。
なかなか自分んで皮膚炎が治ったかどうかを判断することは難しいです。症状がなくなっても、軟膏は塗り続けて、軟膏がなくなったら、一度診察を受けて、症状が取れただけなのか、皮膚炎が治ったのかを診察してもらうことが大切です。そして治ってしまったら、原因と考えることを気をつけていけば、またぶり返すことはないと思います。
私も原因の二番目のトイレットペーパーでゴシゴシで痒くなったことがあります。ゴシゴシしないように気をつけて、もらった軟膏をつけたら治ってしまいました。そしてぶり返していません。私が治ったので肛門の痒みで悩んでいる方もきっと治るはずです。一度受診してみて下さいね。
私達医療にかかわるものなぜ平和を守る取り組みをするのか
8月に入って戦争を考えるお話をしてきました。今回で5回目で、今回が最終回です。
今回は、なぜ私達医療に係るものが戦争に反対し、平和を守る運動にかかわらなければならないかを考えたいと思います。
さて、なぜ平和を守る、憲法をまもる運動に係らなければならないのかを考える前に、まずは私達の責務として守らなければならない「健康」とは何かを考えたいと思います。
WHOの健康の定義ですが、ここに示したように、「健康」とは肉体的にも精神的にも病んでいない、病気ではないということだけでなく、社会的にも経済的にもすべてが満たされた状態であることと定義しています。このことを考えると健康である状態と戦争状態は全く逆の状態で、健康と戦争は真逆の存在です。戦争はすべてのものを奪ってしまいます。人の命だけでなく、人々の住む家、生活、そして心までむしばんでいきます。こういった状態は健康ではありません。私達医療に係るものは、目の前にいる患者さんの健康、そして国民の健康を守る責任があります。このことを考えると戦争へと進む、国民の「健康」を脅かすものには、どんな些細なことにも敏感になって、立ち向かっていくことが必要なんだと思います。ただそれは、街頭で戦争反対の声をあげたり、デモをするといったことだけではありません。目の前にいる患者さんの健康をどう守っていこうか、どうしたら守れるのか。患者さんと向き合うそのこと一つ一つが戦争反対、平和を守る運動につながっていくのだと思います。
さらに私達は今ある憲法を変えるのではなく実現させていくことが必要です。これまで今ある憲法がその理念をしっかり実行されてきたのかな?と思います。今ある憲法の理念を一度も実行することなく変えてしまっていいのかと私は思います。
私達医療に係るものの責務として、憲法第25条を実現させることにあります。後程憲法第25条については詳しく条文を紹介しますが、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。という、国民の生存権を保障し、国の社会保障的義務を規定した憲法です。でも憲法第25条だけを単独で実現させることはできるでしょうか?
このことを考えるときに9+13=25という数式を紹介しています。
9+13=25 これはなにを意味するかですが。
9は憲法第9条です。9条は二項からなり、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を示したものです。
この憲法9条が壊されようとしています。
戦後73年、平和を求め守り、戦争をしない国として、今の日本があります。安倍首相のこの1項2項を残して自衛隊を名文で書きこむという加憲論について憲法学者は、自衛隊保持の明文化は自衛隊合憲化が目的でなく、事実上の国軍化を意図するものと分析しています。「戦争する国」としての歩みが加速するのではないかと心配です。
また、こうした、日本を軍事大国化するための一連の動きは、何も安倍首相のキャラクターや政治信念によるもののみではありません。日本を「世界一企業が活動しやすい国」にするための、新自由主義に基づく国家づくりの一環で、新自由主義改革の主要な標的である医療・介護・福祉制度を改悪していく改革と、根は一つです。私たち医療に係るものは、生命を守る立場からこの問題と正面から向き合う必要があります。
13は憲法第13条です。個人の尊重、幸福追求権、公共の福祉を示しています。条文ではすべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。としています。
25は憲法第25条です。条文では、1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。としています。
9+13=25が表すように、憲法第25条単独では成立しないものだと思います。9条、13条がそれぞれが重なり合って、それぞれを補完することでなりたっています。
だれもが健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有するためには、国そのものが平和でなければなりません。そして、個人として尊重され、幸福を求める権利が保障され守られていなければなりません。この9+13=25は私達医療に係るものにてって、欠かすことのできない数式だと思います。
私達医療に係るものは患者さんや国民の健康を守る、そして憲法第25条を実現させることを責務としています。このことを成し遂げるためには、私達は平和な国造り、そして憲法を生活に生かす。そういったことを日々の生活のなかで考えていかなければならないのだと思います。
戦争はその正体をみせることなく、私達にそっと忍び寄り、そしていつの間にか戦争へと私達を巻き込んでいきます。戦争に向かうものに対しては、どんな些細なことも見逃してはならないと思います。そういったものは早期発見、早期治療です。
では私達が日々できることはなんでしょう。それは目の前にいる患者さんをしっかりみて、健康を守っていくことだと思います。患者さんと係っていく中でいろんなことがわかり見えてきます。そのことがおのずと戦争をしない、平和な世界をつくる運動につながっていくのだと思います。
また、こういった平和をまもる、憲法を守り実現させていく運動を行っていくうえで、やはり私達の本業である医療がしっかりとして充実したものでなければなりません。そのためには看護職員、介護職員、医師そして医療に係る人たちの処遇や基本となる生活が守られ保障されていなければなりません。そういった意味でも、充実した医療が提供できるよう国に求めていかなければならないと思います。
この写真は私の父ですが、当時の診療所の中に「憲法を暮らしに生かす」というポスターがはってありました。
私たち一人一人憲法を暮らしの中に生かしていくことが大切なんだなと思います。
私の祖父は佐賀県出身です。佐賀医専をでて、大阪にある加藤肛門科で肛門疾患の治療の修行を受けながら京大でも勉強していたようです。なぜ肛門科を選んだのかは、聞くことができませんでした。その祖父が京都に肛門科を開業する際に、大阪の加藤先生からのれん分けとして、この看板をもらいました。渡邉医院のなかで最も古いものです。診療所を立て替える際に修理していただき玄関に掲げています。
この看板がこれまでの渡邉医院の歴史を見守ってきました。私はこれから先も肛門科ただ一筋に診療を続けていきたいと思います。そのなかで患者さんとかかわりながら、平和な世界、そして憲法第25条が実現されるように生きていきたいと思います。
今も引きずる戦争の負の遺産
今回は、今もなお戦争の負の遺産を引きずっていることをお話します。
この2016年6月の京都新聞の記事は京都府内に旧優生保護法のもとで、89人の方が強制的に不妊手術、優生手術を行われた事実を1面でスクープ報道した記事です。この時点では、他紙や他メディアは後追い報道をしませんでした。でも、同7月に相模原障害者殺傷事件が起こると、その根底に流れる優生思想を感じ取った記者らが、少しづつこの問題に関しての記事を聞き始めました。こういったなか、2018年1月に優生手術、強制不妊手術をめぐり北海道の被害者が初の提訴に踏み切りました。
1996年に「母体保護法」へ改められるまで、日本には「優生思想」に基づく「優生保護法」が存在していました。
旧優生保護法の下で、障害のある人たちをはじめ、たくさんの人たちが強制不妊手術を受けさせられた。この「優生思想」の核心は、「不良な遺伝子」を「残さないため」に、障害のある子どもを「生ませない」という、信じがたい思想が根底に流れています。そしてその歴史をさかのぼると、やはり「戦争」が顔をのぞかせます。
1940年に国民体力法・国民優生法が成立しました。この法律は、徴兵検査成績の「悪化」を受けて、その成績の向上を目指すための法律です。
徴兵検査を意識した検査を実施して、将来、徴兵検査で甲乙丙丁の丙丁を生み出しそうな「病類」を早期に焙り出して、その拡大を防ぐもので、体力検査を実施して、国民体力手帳を交付して、鍛錬をさせ、兵士に使えるように仕立て、徴兵検査の合格となる「乙種合格」目指すようにしました。兵士に使うことが出来る国民を作るという法律です。
この時、徴兵検査での合格が見込めないとされた障害のある人たちへの社会政策として「国民優生法」が誕生したと考えられます。「戦争にとって人的資源たりえる存在にはできるだけその保全、培養のため社会政策を活用するが、はじめから人的資源としてふさわしくないとした人間には、出生そのものを抑制し、国家が直接その出生に介入する仕組みを導入していった。」ということで、戦争に使えない国民は人間としての権利を一切認めないような「国民優生法」が1940年に制定しました。
こういった思想にはナチス・ドイツを範とした「民族優生」があります。
ナチスはユダヤ人虐殺より以前に、約20万人の精神障害者T4作戦といって虐殺しました。
「民族優生」は「逆淘汰と民族毒の影響を排除して民族の変質を阻止し、一方優良健全者の産児を奨励し、以て民族素質の向上と人口の増加を図り、国家永遠の繁栄を期する。というもので、「逆淘汰」とは優生学では、「劣悪者」が人口を占める比率が増加し、「優秀者」の比率が減少し、人口の質が低下することいいます。
戦争が終わったあともこの優生思想は続いていきます。
1945年敗戦後、民族復興策として「優生学」が取り上げられ、
1947年.社会党の衆院議員3人が優生保護法案を国家に提出。
「母体の生命健康を保護し、且つ、不良な子孫の出生を防ぎ、以て文化国家建設に寄与すること。」としています。
1948年.超党派議員提出の優生保護法が国会成立。
当時の「優生政策強化論」は「健全」な子孫をもたらすはずだった多くの若者たちを戦争で失う一方、社会の疲弊や混乱の中で、「不良な子孫」を生み出す危険性に満ちている。といった空気が拡大していきました。
1952年優生保護法が改正され、優生手術対象者に精神病、精神薄弱を追加。1962年.人口資質向上対策に関する決議(厚生省人口問題審議会)
「人口構成において、欠陥者の比率を減らし、優秀者の比率を増やすように配慮すること。」
1972年.人工妊娠中絶の対象から「経済的理由」を削除して、「精神的理由」を加えた胎児の障害を中絶の事由として認める。
しかし、このような流れの中、1995年に優生条項を削除した改正案を出し、優生保護法は母体保護法になりました。この背景には、同時期にらい予防法が廃止されるなど、国際的な批判があったことは少なくないとの指摘があります。
でもこのように優生保護法は1995年平成7年まで存在していました。戦争の負の遺産がごく最近まであったということです。
でも、まだまだ優生思想は生き続けています。
一つは相模原障害者殺傷事件、そしてもう一つは京都市が「終活」パンフレットを事前指示書をつけて不特定多数の市民に配布したことです。このことに対しては京都府保険医協会は京都市「終活」リーフの撤回・回収を求める声明を出しました。声明を出した理由は二点です。
リーフレットといっしょに、配布されている「事前指示書」のような、「人の生死」の選択にかかわる書類を、医師や医療スタッフが介在しないで、配布することに、とても違和感をおぼえたからです。
病気になったとき、患者さんが自分の治療方針について希望を持ち、それを自分で決定したいと考えることは当たり前のことだと思います。
でも、それを決めるためには、医療の専門家が寄り添っている必要があります。本当に「終末期」になったとき、治療方針は、医師をはじめ、医療スタッフが専門家として患者さんやご家族に寄り添いながら話し合い、いつでも「変更」が生じることを前提にしながら、考えることが大切なのです。その分、私たち医師の役割や責任は重大だと自覚しています。だからこそ、こうしたことを扱うなら、それ相応の覚悟が必要なはずです。
そもそも、行政のすべきことは、人が生きる、ということを医療・福祉の制度を通じて、どう支えるか、であるはずです。
どのように死ぬかを市民に考えてもらうことではないはずです。日ごろから人の生死と向き合って、そのことに責任を持つ医師の団体だからこそ、そのことを自治体に伝えたいと思いました。
医療費を抑制したい国の方針の下で、終末期医療の問題の「啓発」が何をもたらすか、大変こわいことだと考えています。
元気な時に、終末期になった時、胃ろうをつけますか? 人工呼吸器をつけますか?と聞かれたなら、おそらくたいていの人が「いらない」「延命治療を望まない」というでしょう。でも実際には、そんな予定通りに、整然と亡くなる人などほとんどいないことは、現場の医療スタッフはよく知っています。
今、国が終末期医療のことをあれこれ言いだしています。
医療費の抑制をめざしている国の立場からすれば、終末期医療にお金がかかりすぎているという考えがあるのかもしれません。
京都市の今回の取組が、意図していなかったとしても、結果的に「延命治療」はしない方がいい、という方向へ誘導されていくことを危惧します。
そして何より、胃ろうを造って、あるいは人工呼吸器を装着して、生きていらっしゃる難病の方々、障害のある方々が、今回の京都市のリーフレットをどう感じるか、どれだけ心を傷つけられるか、そのことへ配慮をしなかったこと、それはいちばんの過ちだと思うのです。
京都市には、どのような状況にあっても、生きることを支える。本来の地方自治体の姿を取り戻してほしいと思います。
また最近問題となった、LGBTの人たちへの攻撃です。このように、今でも戦争の負の遺産である優生施行が見え隠れします。優生手術問題を含めた優生思想は私たち医療にかかわるものにとって、しっかりと総括しなければならないと思います。
戦争と科学
8月に入って連日暑さの厳しい日が続いています。体調を崩されている方はいませんか?熱中症の予防にも、喉が渇かないうちにこまめに水分を補給してくださいね。
8月は肛門科の話から少し離れて、戦争について考え、お話させてもらっています。今回は、戦争について今回は戦争と科学について少し考えたいと思います。
これは2016年の7月27日の毎日新聞の記事です。ここに書かれていうことはなにかと言いますと。
「問われる「軍民両用」研究」という内容の記事です。日本の科学者の代表機関である「日本学術会議」は戦後、軍事研究を否定するという方針を堅持してきました。その方針の見直しを始めたという内容の記事です。
この議論が始まったきっかけは、防衛省が2015年度に「安全保障技術研究推進制度」という制度を創設しました。防衛装備品に応用できる最先端研究に資金を出すという制度です。初年度は109件の応募があり、そのうち58件は大学が占めていました。2016年度は予算枠が6億円に倍増されて、2017年度は110億円と2016年度の18倍にもなりました。
戦後の日本では、平和憲法のもとで、軍事研究を回避する歴史的伝統が培われてきました。
日本学術会議は、1950年4月に、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」をだしました。
また日本物理学会は1967年に、「今後、内外を問わず、一切の軍隊からの援助、その他一切の協力を持たない。」とし、そこには「日本学術会議は「戦争のための科学には協力しない。」を基本原則のひとつとしている。この原則は日本国憲法にもとづく日本の研究者の原則であり、世界の科学者に対する我々の誇りである。」と述べられています。
この日本の科学者の誇りを見直そうとする、場合によっては捨てようとする、そういった議論が進みました。
議論の結果、日本学術会議は去年2017年3月24日に新たに軍事的安全保障研究に関する声明をだしました。その声明の内容は、
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があったとして、
近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承するとしました。
そして、科学者が追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない。
今の軍事的安全保障研究では、研究の期間内及び期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い。
学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。と声明をだしました。
本来は、科学の進歩、研究に対しては、純粋に資金面や研究環境も含めて支援していくことが国として必要ですし、本来国がとらなければならない立場だと思います。今行っている、政府の国立大学への運営交付近を削減して防衛費の研究費を配分するといった政策は直ちに中止することが必要だと思います。
このように、ここでもまた、戦時中に起こったときと同じようなことが芽生え始めようとしています。しかし、先ほど紹介したような、こういった記事が出ること、そして私たちがこういった動きに注意して、しっかりと意見することで、こういった動きをくい止めることができます。
また、大学や研究機関における軍事研究(軍学共同)に反対する団体・研究者・市民が参加する連絡会として、2016年9月に軍学共同反対連絡会が設立されました。この連絡会が、2017年度、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に110億円を計上したことに対して、防衛装備庁に「安全保障技術研究推進制度」の廃止を要請し各大学・研究機関に応募しないよう求める緊急署名を行いました。
学術の健全な発展という見地から、科学の進歩、研究に対しては、純粋に資金面や研究環境も含めて支援していくことが国として必要だと思います。
私の生まれた1960年を振り返り、今を考える。
今日は私が生まれた1960年を振り返って、今を考えてみたいと思います。
さて、私が生まれた1960年はどんな年だったのか。1960年は60年安保、安保闘争が繰り広げられていた年で、その年に私は生まれました。
第二次世界大戦が終わり、1951年9月8日にアメリカのサンフランシスコにおいてアメリカなどをはじめとする第二次世界大戦の連合国の47か国と日本との間に平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結しました。この時、当時の首相であった吉田茂首相は同時に、平和条約に潜り込まされていた特約、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安全保障条約)に署名しました。このことによって、日本を占領していたアメリカ軍は「在日米軍となって、継続して日本に駐留することが可能になりました。
この旧日米安全保障条約の改定に向けて、1958年頃から岸信介内閣によって安保法案改定の交渉が行われました。1960年1月に岸首相以下全権団が訪米し、アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約の調印と大統領の訪日で合意しました。この新安全保障条約を巡って反対運動が広がっていきました。これが60年安保、安保闘争です。
この反対運動には、新安全保障条約に反対する国会議員、労働者、学生、市民が参加しました。その運動の焦点は、まず一つ目として、改定によって日本が戦争に、アメリカの戦争に巻き込まれる危険が増すこと。そして二つ目は、在日米軍裁判権放棄密約で、在日する在日米兵が犯罪を起こしても免責される、在日米兵犯罪免責特権に対しての批判。これらが運動の焦点でした。
5月19日に衆議院日米安全保障条約特別委員会で強行採決され、この強行採決は、「民主主義の破壊である」ということで、一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲はデモで集まった人たちで連日取り囲まれました。そんな中、6月15日に改定安保条約批准阻止で全学連(全日本学生自治会総連合)7000人が国会に突入する事態も生みました。このような混乱したなか、6月19日に新安全保障条約が成立しました。
この写真はその当時の国会議事堂を取り囲むデモに集まった人たち、デモの状況、強行採決の際の写真です。どこかで同じ状況をみたと思いませんか。
これは2015年、去年安全保障関連法案が強行採決されたときの写真です。もうすぐ安全保障関連法案が強行されて4年がたつんだなあと思います。安倍首相は十分な説明を国民にするといっていましたが、この4年間、十分な説明を受けた記憶はありません。
1960年の安保闘争の時のように、国会議事堂を取り囲む人々、強行採決など、全く同じ状況を繰り返しています。60年の時は5月19日、去年の強行採決は9月19日。
同じ19日、あえてこの日を選んだのか?偶然なのか?わかりません。そして私は1960年60年安保の年に生まれ、誕生日も2月19日。同じ19日。何となく運命的なものを感じます。
さて、1960年の安全保障関連法案強行採決後と、4年前の2015年の安全保障法案強行採決との間には、私たち国民の意識に大きな違いがあります。
それは、2015年の安全保障関連法案が強行採決された後も、今日までの4年間、毎月19日には全国で「戦争法廃止」の集会とパレードが今もまだ継続して行われていることです。
京都でも毎月19日には、京都市役所前で「戦争法廃止」の集会の後、四条河原町までパレードが行われています。私も参加していました。認知症になった母親の世話をしなければならなくなったので、なかなか出にくくはなっています。
さて、2015年9月19日、安全保障関連法案が強行採決されるまでの運動は、安全保障関連法案を廃案にする運動でした。
それ以降の運動は、成立してしまった、安全保障関連法、いわゆる「戦争法」を廃止する運動です。成立してしまった法律を廃止するには、国を変える、政治を変える必要があります。
国民は今、このままではいけない、このままだと本当に戦争をする国になってしまうという危機感を覚え、政治を変え、国を変えようとして運動しているのだと思います。
ここに1960年と2015年との間には大きな違いがあります。