先月の2月19日に58歳になりました。京都に帰ってからもう24年。あっという間です。私はまだまだ若いと思っているのですが、娘に「もうすぐ還暦だね。」と。年の経つのは早いものです。
58歳になっての思いをお話しします。
京都は、これから桜の咲く春に向けて知事選挙です。
いろんな意味で、今回の京都府知事選挙は重要な選挙だと思います。
そんな中、ふと思い出した父の文章があります。
今回はそのことについて紹介します。
父の書いた「痔のおはなし」の終わりに父の本質である詩を紹介しています。
ゲーテの「エグモント」の中で、クレーヘンが愛するエグモントを思って切なく歌う詩です。
よろこびと
かなしみと
あふるる思い
たちがたきせつなさに
なやみはさらず
天高くよろこびの声をあげ
死ぬばかり悲しむを
さちあるはただ
恋するこころ (栗原 佑 訳)
父はここで「常に広い世界の人民の苦しみ、なげき、あこがれ、たたかいを忘れずに、我々もまた人民の一人であることを自覚し、人民を恋するこころ。その幸せを身にしみて味わえるようになりたい。そのために、今やらなければならないことを迷うことなく進まなければならない。」と言いたかったのではと思います。
以前母が昔父が書いていた日記をみつけ、見せてくれました。1965年12月から書き綴った日記でした。父が37歳、私が5歳のころの日記でした。
最初の1ページ目には、「教授にすすめられ、気持ちを整理する意味で12月13日で、日記なるものをつけはじめようと思う。」と書かれていました。
内容の多くは当時、父が甲府市立病院に勤めていたときの手術予定のメモや、病院の内容が多く書かれていました。
そんななかに、私に関して書かれた部分がありました。一つは、
「文化の日。賢治、ピアノ。2回半最後を繰り返し大笑い。それでもほめてやろう。ただし、発表する場合には間違うことは聴いている人に失礼にあたることもいずれは云わねばなるまい。
賢にピアノを習わすこと。画家は目、音楽家は耳、香水、酒づくり、料理家は鼻、舌、その他触覚もあるが、それぞれ人より広い世界にすむことが出来る。そんな意味で、本来の仕事を見つけたら、それの助けとなるようなら許す。そうさせるようにしたい。
三高で極めてすぐれた勉強家がいた。これもピアノを弾けたことを思い出した。あんな形になってくれればよいが。」
もう一つは、
「賢は一応勉強はがんばっているようだ。問題は将来、正義漢になってほしい。何が正しい、何が誤りか。その判断をする基準をなににもとめるか。これを正しく身に付けてほしい。正しく生きぬくことの難しさを感じながら、自分自身をきたえ、深めていく人間になってほしい。そのことが身についた学問を生きた学問にすることであるのだから。しっかりやれ。賢!!」
37歳だった父が、5歳の私に残した言葉。
半世紀以上を生き、58歳になった私が、今子供たちに同じような言葉を残せるか。
今まで学んできたこと、経験してきたことが今生きた学問になっているのか?
今、本当にやらなければならないことをしっかり見つめ、それに進んでいるのか?
もう一度、父の日記や父の書いた文章を読み返し、できることを自分なりにしっかりやっていきたい。