前回「絵が描けるということ」というブログの中で情操教育という言葉が出てきました。今回、その「情操教育」に関して少し調べてみました。
「情操教育」を調べると、「感受性が豊かな幼少期に心や人間力を育てる情操教育を行うことが大切。」と書いてありました。
「情操」に関しては、前回も調べた内容をお話ししましたが、「優れたものや尊いものに触れたり、美しいものを見たりしたときの感動する豊かな心のこと。」と説明してありました。この「『豊かな心』には芸術的な感性だけでなく、家族への愛情やお友達への思いやり。他人を尊敬する姿勢。良いことを行おうとする気持など」も含まれるとしています。
この子供の「情操」をいろんな方面からアプローチをして育てていくことが「情操教育」であると描いてあります。
「情操」を身に着けることで、「自分で物事を考える力や、価値観、道徳、協調性と言った感性を形成するために重要な役割を果たすため、子育てに取り入れることを進める。」といてあります。
さらに、「美しいものを『美しい』と感じる心を育てることで、豊かな感性や個性、想像力などを育むことができる。」。その育まれた力は「自分の想像力、創造力に自信が持てるようになり、芸術への興味、関心を高めることで、勉強や仕事以外にも打ち込めるものができる可能性がある。」としています。
さてではどんなことをしたらいいのかです。調べたものには4つのことが挙げられていました。
①自然(植物)や生き物に触れる。
②スポーツをして体を動かす。
③絵本を読み聞かせる。
④音楽や芸術に触れる。
の4つです。
され、私の母が私が絵を描かなかったことに、学校から「情操教育ができていないんではないですか?」と言われたときに、家に帰ってきたとき「失礼しちゃうわ!」と言った母。
母が私をここまでに育ててくれるのにしてくれた「情操教育」はどんなものかなあと思い返してみました。
私の「情操」が一番育まれた時期は、やはり山梨県の甲府市に住んでいた時だと思います。
私の父が、甲府市の甲府市立病院の外科部長として勤めたのが私が3歳~4歳の頃でした。最初に住んだ社宅が、伊勢町という町です。近くに太田町公園があり、正ノ木祭が開催され良く行ったものでした。私が甲府に行ったときはその太田町公園の隣に甲府市市立病院がありました。しばらくして移転しました。移転した跡地に図書館?ができてその屋上から初めて土星の環っかを見せてもらうイベントにも行った記憶があります。最初の自宅はその太田町公園の近くでした。
真ん中に公園があり、盆踊りなんかをそこでしていました。公園の周りの子供たちが年齢差なく皆で集まり遊んでいました。上級生が小さな子供たちまでみんな集めて遊んでくれて、遊び道具の作り方や遊び方を教えてくれました。あちこちの家を駆けまわって遊んでいた気がします。公園には紙芝居が来て、そのころは「黄金バット」?だったかなあと思います。紙芝居の後はクイズ。正解すると水飴やせんべいをもらった記憶があります。公園の周りにはさわがあり、そこでザリガニ取りなんかもしていました。
甲府市立病院の建て替えに伴って社宅も変わりました。今度は住吉町。自宅の地宅には荒川が流れていました。河川敷には牛をしていて、近くには牛舎もありました。自宅の裏には桑畑。桑の葉はお蚕さんが食べるので、桑の実は食べてもいいかと思い、取って食べたりしていました。近くには池もあり、魚釣りなどして遊ぶ。荒川の河川敷には友達と一緒に秘密基地を作りに行く等、本当に自然の中で思いっきり育ったという感じです。
甲斐犬と言って山梨県の犬がいます。真っ黒な犬でした。そのころは放し飼いにしたり、荒川の河川敷でともに遊んだりしました。出産もあり、動物たちとの触れ合いもありました。
音楽や芸術に関しても、甲府にいたころはピアノを習っていました。バイエルが終わるころ、やっぱり遊ぶ方がいいと止めてしまいました。今から思うと続けておいたら良かったと、このことは後悔しています。ただ、母はいろんなコンサートに連れて行ってくれました。
母は、ダークダックスが好きで、甲府の市民ホールに公演に来た際は連れて行ってくれたり、ウイーン少年合唱団のコンサートや、盲目のヴァイオリニストのコンサートなどにも連れて行ってくれました。
絵本は読んでくれていたのかもしれませんが、あまり記憶にはありません。
こんな感じに、私の「情操教育」は甲府にいる間に、母が積極的にしてくれたこと、自然にできたことなどで、十分にできていたのだなあと思いますし、甲府にいる間に「情操」が養われたんだなあと思います。
何か今回は「競争教育」と言うよりは「甲府の想い出」になってしまいました。でもとても良い環境を与えてくれていたんだなあと思います。
今、悪性リンパ腫の治療を行っています。今回もキロサイドを投与して、骨髄が抑制されていくのを「待つ」。そして今度は骨髄が回復するのを「待つ」というように、「待つ」が大切な治療です。しっかり待って、タイミングを合わせて自家血幹移植の際に使う造血幹細胞を採取する。そういった治療になります。
その大切な「待つ」と言う時間を、私は「絵を描く」という新しいものを生み出すことで「待つ」ことができる。ここが私の強みだと思っています。
今の私をここまで育ててくれた両親に感謝です。