今回で最後、第4回目の入院の想い出です。今回は、痛めていた半月板。いよいよ手術で治した思い出です。
さて、少し現在の私の治療をお話しします。
悪性リンパ腫に対し抗がん剤での化学療法を行っています。今日から2クール目の治療の準備、明日、抗がん剤の投与です。中心となる抗がん剤がメソトレキセートの大量投与。それに加えてオンコビンの投与です。メソトレキセートを大量にいくため、十分に尿中に排泄しなければならないので、十分な輸液と口からもしっかり水分を摂ろうと思います。利尿剤も一緒に投与します。トイレに行く回数、量も増えます。頑張りますね。
さて、本題の4回目の入院です。
今回の入院は、医者になって4年目頃のことです。
私の時代は、まだ医局制でした。国家試験に合格した後、私は日本大学医学部の第3外科(現在は消化器外科です)に入局しました。やはり、渡邉医院が肛門科に特化した診療をおこなっているので、肛門疾患も治療している消化器外科中心の第3外科に入局することにしました。その当時の第3外科の教授が坂部教授と言って、肛門の手術なども積極的に行っていたことも入局する理由になりました。また坂部教授も渡邉医院のこと、祖父と父のことを良くご存じで、医局の宴会の時に私に「お前のことは、お前が生まれる前から知っている。」など声をかけてもらったりしていました。
そのころの医局制、とても面白い仕組みでした。やはり大学時代の部活の先輩後輩の関係があったり、各科に臨床実習に行っている際にも「医局に入らない?」といった部活の勧誘みたいな感じもありました。
入局して3年が過ぎると、麻酔科での研修があります。手術だけでなく、麻酔もかけることができるように研修を受けます。その麻酔科の研修が終わるといよいよ関連病院への1年ちょいの出向があります。1年ちょいずつ2か所の病院に出向します。言ってみれば3年間の経験実績をさらにレベルアップする、実地でしっかりとさらに勉強するといった意味合いがあったと思います。その二つ目の病院に出向した時に、以前から具合の悪かった左膝の半月板損傷に対しての手術をその病院でしました。
病院勤務中の手術、今回とは違って外科医は私だけではありません。外科はチームで行うので、外科チームの構成は、私と私の同級生1人、上司が2人の計4人でのチーム医療です。
高校の時に痛めた半月板を手術で治そうと決心した理由は、やはり長時間の手術になるとどうしても徐々に左膝が痛くなってくること。また、回診中にロッキングと言って、損傷した半月板が引っ掛かり、膝が動かなくなったりするようになったからです。
同じ病院で働く日本大学の先輩の整形外科医に手術をお願いしました。そうすると、先輩の整形外科医は日本大学に戻って手術をするものだと思っていたようで、私が「先生、手術お願いしますね!」と言うと、「おれでいいのか?」と。「信頼していますから。」
手術は無事終了。周りの方々には迷惑をかけましたが、仕事というリハビリをしながら、無事復帰しました。
千葉県の銚子市にある病院で、犬吠埼等、雄大な海に囲まれ、そして海の幸がとても美味しかった思い出です。
今回でこれまでの入院歴、そして想い出はおしまいです。