1月もようやく残すところ1週間を切りました。いつも思うことですが、「やっぱり1月は長かった。」です。でも1月が終わるとあっという間に時は過ぎていくんだなあとも思います。
毎週日曜日の午後11時55分から「ミヤコが京都にやって来た!」というドラマが放映されています。以前にもお話しましたが、佐々木蔵之介さんが町医者の役で主演。そのため医療にかかわることに関して、医療指導に私が関わらせていただきました。ドラマの撮影にも立ち会わせていただき、とても貴重な経験をさせてもらいました。感謝しています。
出来上がって、ドラマを観ていると色んな思いが湧き出てきます。
ドラマの撮影の前に、撮影の演出の方や美術の方が渡邉医院に来られ、診療所の中を見学されました。その時に、渡邉医院で一番古い「肛門科」の看板の歴史や母方の祖父が使っていた机を診察室で使っていること。また祖父の時代から使っている器械棚やカルテ台。建て直す前の渡邉医院のことなど、懐かしいお話をしました。また祖父から父へ、そして私へと受け継がれたものは、そういった「物」だけでなく、医療に対しての考え、医療技術なども引き継いでいることをお話しました。そういった、渡邉医院にある「受け継いだもの」を参考にされて、診療所のセットなどを作られました。
そういったこともあってか、ドラマを観ていると色んなことを思い出します。
ドラマの中で「柿木医院」の看板が玄関の中に置かれています。渡邉医院の看板も、今では「肛門科」は金箔が貼られ、黒い漆で塗られ立派に玄関前に鎮座して、診療所に来られる方を見守っています。
でも改築前は渡邉医院の門をくぐり、待合室に上がる上がり場の横にひっそり置かれていました。大分ボロボロになっていて、歴史は感じますが、少しかわいそうな感じがしました。今の様に「鎮座して威厳を保つ」というよりはひっそり見守るといった感じでした。そんな印象をドラマの「柿木医院」の看板を見ると思い出します。でも渡邉医院の「肛門科」の看板。広告に出したりいろんなところで活躍はしていました。広告にはいつも、古い看板の写真と「ただ一筋に肛門科」というキャッチフレーズを載せていました。「ただ一筋に肛門科」が合う看板です。
柿木医院の中を見ると、昔の渡邉医院の診療所の中を思い出します。待合室は畳部屋。診察室には冬になると石油ストーブが置かれ、その周りにタオルを干して乾かしている。診察室の診察ベッドも立派な一枚板でできているベッド。電動ではないので、踏み台を使ってベッドに上がってもらっていました。今は2回の談話室のテーブルになっています。診察室は二つ。奥の診察室の横には小さな坪庭。
待合室から中庭に続く廊下の途中に、町家ならではの急な階段。肛門の手術を受けた患者さんにはチョット酷な階段その上に畳の病室。ふすまを介して部屋を分けていました。術後しばらく日にちが経って余裕が出てくると、患者さんはそのふすまを外して一つにお大きな部屋にして、トランプをしたり、将棋や囲碁をして入院生活を過ごしてられました。のんびりした風景です。
また中庭を通って、昔蔵のあった場所を病室に改修した病棟に行くまでは吹きっさらしの廊下。その廊下の横にはトイレがありました。トイレの水は井戸水を引いて水洗にしていました。トイレを出たところには手水鉢。
中庭には、今は玄関前に移った山茶花が、庭の真ん中にありました。庭師さんが入院した時は剪定してくださいました。
蔵を改修して作った病棟は、洗面台は昔懐かしい小学校などにあるタイル張りの洗面所。
階段の手すりも昔に学校風でした。洗面所のタイルも剥がれたときは、入院していた大工さんが貼り治して下さいました。
旧渡邉医院の門をくぐりまっすぐ行くと土間がありました。看護師さんが休憩する場所でした。土間の上には立派な梁がありました。
なんか、ドラマに出てくる柿木空吉のような、そんな診療所でした。
阪神淡路大震災の後、柱はシロアリに喰われ、土壁だけで2階を支えている状態。建て直すことにしました。でも、これまでの渡邉医院の歴史を引き継ぐ診療所にしたいと父と私の想いを受けて、設計し作っていただいたのが今の渡邉医院です。
「物」だけでなく、これまで祖父や父が継承してきた「医の心」もこれからも継承していきたいと思います。
さてドラマは第3話が終りました。中盤に差し掛かってきました。今後の展開を楽しみに、そして古き渡邉医院、そして今の渡邉医院に思いにふけて、続きを観ていきたいなあと思います。