7月はもう後半。今年は季節感を感じることが無く時間が過ぎていきます。 春は桜がきれいに咲き誇る中、花見は行けず、また、ゴールデンウイークもどこも出かけることなく自宅でのんびり。また京都の三大祭り、5月の「葵祭」7月の「祇園祭り」10月の「時代まつり」それぞれ中止や縮小。祇園祭に関しては、夏本番に向けての一大イベント。
長刀は疫病邪気を払うものとされていました。長刀鉾は鉾先に大長刀をつけ、山鉾巡行で疫病邪気を鎮める。この山鉾巡行は中止になりましたが、宗教儀式の神事は実施され、今の新型コロナウイルスの感染拡大を抑えてくればと思います。
今年になってこれまで日々、生活のメリハリなく過ぎてきた様に感じます。早く、四季折々の行事を満喫しながら、これまで通りの生活が送れるようになって欲しいものです。
さて、今回は「手当て」の力についてお話したいと思います。
患者さんが医療機関に受診され、どんな診察を受けるんだろうと不安を抱いて診察に臨まれます。また手術を受けるときは、「麻酔は痛いんだろうなあ。」「どのくらい痛いんだろう。」「麻酔しても痛みはあるのかなあ」「どのくらいで終わるんだろう。」といろいろ不安を持って手術を受けられます。この不安や恐怖心も痛みの強さに大きく影響すると思っています。できるだけ不安をや恐怖心を取り除いてあげることが痛みを軽減することが出来ると考えています。
よく生前父が言っていました。「患者さんの診察をしたり、手術や処置をする際に、患者さんの方などに手を添えてあげるだけで、患者さんの不安は少し軽減できるんだよ。」と。今でも父が言っていたことを続けています。例えば、手術に際は看護師さんが患者さんの背中にまわり、患者さんの背中を子供を癒すようにポンポンと軽くたたいてもらっています。後から患者さんの中には、「背中をポンポンたたいてもらうことで、とても気持ちが落ち着いた。」と言ってくれる方もいます。
また術後に診察をする際など、患者さんは左を下にして診察を受けてもらっていますが、患者さんの肩に手を添えてお話しています。やはり「手当て」はとても大事で、患者さんの不安を軽くする力になると思います。
少し話は違いますが、こんなことがありました。
私がまだ大学の医局にいて、出張病院に出張していた頃の話です。
当直をしていると、腹痛を主訴で女性の方が受診されました。お子さんと一緒でした。診察の時に、お腹の痛みがあるところにそっと手をしばらく添えていました。そのことで痛みが治ったわけではありませんが、少し痛みが楽になったとその患者さんはおっしゃり、処方をした内服薬を持って帰られました。
ある日、仕事からの帰り道、横断歩道を渡っているときに、左折してきたトラックにはねられました。大きなけがはなかったのですが、大事な右手の舟状骨を骨折してしまいました。しばらくはギブスを巻いて経過を診て、どうしても治らないようだったら手術という診断でした。右手の舟状骨の骨折だけでしたので、できる仕事はしようと、病院での勤務は続けていました。
そんなギブスをしながらの診察、病院を歩いていた時、先ほどの女性の患者さんがいて、その方のお子さんがこんなことを言っていたと話してくださいました。「お母さん。お母さんのおなかの痛いのを治してくれた先生の魔法の手が壊れてしまった。どうしよう。」と。そして、「早く治してくださいね。」と優しい言葉をかけてもらいました。僕の手が患者さん痛みを治したわけではありません。でも痛みのあるお腹に手を添えたことでお母さんの痛みが楽になった。手を添えることで治してくれたとその子は思ったのでしょう。でもその話を聞いて、私は胸がキュッと嬉しい気持ちになりました。
最近は電子カルテや様々な検査方法が進歩したり、画像診断もどんどん進化しています。どうしてもパソコンの画面を見る時間が多くなったり、検査データの解析などが中心になってしまい、患者さんの視診、聴診、触診などが十分でないことがあるのではないかと思います。「手当て」というようにやはり患者さんに手を添えて診察する、大切なことだと思います。また「看」も手で見るです。これからもこのことを忘れずに診療にあたろうと思います。