毎月発行され診療所に届く「月間保団連」という雑誌があります。全国保険医団体連合会が発行する雑誌です。その7月号が昨日届きました。
7月号をみてみると、「文化」のところに、「江戸のお医者さん 古川柳からうかがう町医者の世界」というエッセイがありました。古川柳の世界でも、医者や医療に関して取り上げられているそうで、いろんな医師に関するものや医療科別の古川柳が紹介されていました。
その中で江戸時代は外科のことを外料(がいりょう)と言っていたようで、その外料の中の古川柳にこんな川柳が紹介されていました。
「痛いことないと 外料は針を出し」、「削いでとりますと 医者殿平気なり」
という川柳です。この古川柳を読んで、「う~ん わかる気がする。」と思いました。
渡邉医院では手術の際は局所麻酔で行います。その時に「痛くないよ。」とは言えないので、「最初は痛いけど、麻酔なので、途中から痛くなくなるから頑張ってね。」といって、躊躇することなく、麻酔をしていきます。
実際に麻酔なので途中から痛くはなくなるのですが、何のためらいもなく針を刺して麻酔をしていく。麻酔をして、しっかり悪いところを治そうと、患者さんのことを想ってのことですが、人の体に針を躊躇なく刺す。この精神の感覚はどのような仕組みで針を刺せるのかなあと思います。
また、病気を治すという目的で手術をするのですが、これもまた、なんのためらいもなく、例えば内痔核を剥離して切除していく。
よく考えると、一般の人々の感覚とは全く違う、特殊な感覚だと思います。
見方を変えると、とても危ない感覚かなあとも思います。そんなことを考えていると、自分自身特殊な感性を持つ、少し危うい存在なのかと思ってしまいます。患者さんの体にメスを入れる。多くの人にとっては非日常の世界が、私たち医師にとっては日常の世界になっている。このことをしっかり心に刻んでおかなければならないと思います。そして、この危ない感覚を正しい方向へ持っていけるのは、患者さんが苦しんでいる病気を治そうという理性だと思います。この理性が欠如してしまうと、医師は医師でなくなってしまいます。そこに私たち医師の責任があり、患者さんはしっかりみています。
さて、このエッセイの中に肛門科についての古川柳も紹介されていました。肛門科」のことを痔医者と言っていたようです。紹介されていた古川柳は、
「痔の医者は 諸人の尻で飯を食い」
です。読んでみてチョット苦笑い。でも当たっています。
毎日患者さんの肛門の診察をして。場合によっては手術をしています。そしてそれによって得る診療報酬で私たちの生活は成り立っています。古川柳の通りです。
肛門という本当に体全体からすると、とても小さな場所です。でも、食べたものを消化して、栄養を吸収してそして最後に便として出る。その一番最後の部分の病気を治すのが肛門科です。範囲としては小さいですが奥が深いのが肛門科です。「終わりよければ全て良し。」と言う言葉があるように、美味しく食べれて、スッキリ気持ちよく便が出る。とても大切なことです。そこを治す肛門科。これからも「ただ一筋に肛門科」で行きたいと思います。