今日、渡邉医院の中庭に出てみると、小さなスミレが咲いていました。
スミレをみると、いつも母が書いたエッセイを思い出します。
私が高校生だったころ、膝を悪くして大好きだったスポーツが出来なかった頃がありました。しばらく杖を使って歩く生活が続きました。
そんな時、今は亡き父が、毎週日曜日に今の私と同じように、入院の患者さんを診察した後に嵐山に連れて行ってくれました。そしてボートに乗って上流のほうまで漕いでいきました。私の父は海軍兵学校に行っていたので、ボートの漕ぎ方はプロ。正しい漕ぎ方を教えてもらいました。そんななか、川の岩場などに小さなスミレが咲いていて、それを持って母へのプレゼントにしました。ボートを漕いだ後は、父と一緒に昼食を摂って家に帰る。そんな日々が続きました。このころ、あまり父と話すことがなかった私が、父と話す機会になったと思います。
そういった頃のことを思い出しての、母のエッセイでした。
以前も紹介したのですが、もう一度紹介したいと思います。
「スミレの便り」
忘れられない日。それは息子が高校一年の秋、左膝に障害を持つ様になった日。
杖を手に通学するのを送り迎えして二学期を終え、新しい年を迎えた診療日、
「一生、その足を背負っていくのだな」
と医者の言葉に黙ってしまった息子は、家に帰るなり、
「使えない足なら、切ってしまえ」
と、火のついているストーブをけり倒し、自室にこもってしまった。
スポーツ、スポーツ、スポーツの子が。
雪の舞う休日、嵐山にボートを漕ぎに連れ出したのは父親。父子のボート漕ぎは、
それからの我家の休日行事となった。
日射しも少しずつやわらいで来た日、
「お母さん、プレゼント」
嵐山の川上の岩影に、一株咲いていたスミレを、舟を寄せて取って来たとか。
その夜、夕食のかたづけをする母の背に、
「僕、ぐれないからね。心配しなくていいよ」
その息子も今年三十歳。春浅い日に、東京から静岡の裾野市に転勤となり、就任地の様子を知らせる電話が入った。
カーテンを開けると目の前に富士山。宿舎から職場まで歩いて四、五分。
道の両側は畑が広がって、と田舎の景色がえがかれる。
「元気でね」
と、離しかけた受話器のむこうから、
「お母さん、スミレが咲いていたよ。」