渡邉医院

母の原稿

 皆さんこんにちは。今日から連休。皆さんはどうお過ごしですか?

 涼しくもなり、天気もいいので行楽日和ですね。

 私は、この連休はゆっくり自宅で過ごそうと思います。体力は大分戻ってきていますが、

まだまだです。また免疫力も正常の半分以下。大勢の方が集まるところに行くと、感染してしまうリスクが高いので。コロナやインフルエンザだけでなく、チョットしたことに感染してしまいます。もうしばらく、あまり人込みには行かないようにしようと思います。

 さて、でも家でテレビを見て横になっているだけでは楽しくない。寝ていると、またまた体力が落ちてくる。そんなことで、部屋の掃除をすることにしました。実家から持ってきたものも整理しています。

 整理していると、昔、今から33年前に母がどこかに投稿しようとしていたのか、原稿が出てきました。「楽しかった旅」という題でした。サブタイトルが、「息子とのかかわりの旅」でした。

 1回目は、私が高校生の頃、膝を悪くして大好きだったスポーツが出来なくなって、荒れまくっていたころ、息子との距離を置く旅。2回目は私がその膝を手術して看病の旅でした。

 原稿を紹介しますね。

 

 「楽しかった旅」

 

 クール宅急便が届いた。差出人の名前を見て思わず声が出、顔がほころぶのが分かる。
 蓋を開けると、今にも動き出しそうな小型のカニがぎっしりと詰まっていた。

 三十歳の息子が膝の手術を千葉の銚子病院でするといって来た。高校一年で痛めた時から覚悟していた日がついに来たのだった。遠く離れたところでと、京都から新幹線に乗り銚子へと向かった。

 あの時も新幹線に乗った。障害を持つようになった息子と、一歩も引けない張りつめた生活をしていた時、「一度、子供と離れたら。」との夫の勧めで、とりあえず東京へ向かったのだった。息子と離れた気の緩みからか、車中あふれる涙を抑えようもなかった。
 「御不幸があったのですね。」と、隣のご婦人の声にふと我に帰った。

 あれから十五年。年月の思いが次々と走っていく。

 手術の後、ベッドに固定されていた足が松葉杖と車椅子で動ける日が来た。「もう大丈夫」と息子の笑顔に一人でドライブに出かけた。

 犬吠埼の岩礁にくだける怒涛も楽しく三百六十度見渡せる丘に登り、丸い地球のその一頂点に立っているのだと感激し、飯岡の行部岬で真っ赤に染めて沈み行く夕陽を眺め、銚子へ帰り、お寿司屋ののれんをくぐった。

 お酒のまわる程に口もまわり、京のバッテラを、バッテラ街道を語るのだが、今はサバは銚子から送っていると返って来る。

 「何が美味しいって、キンチャクガニに勝ものは無し。」と隣の席の御夫婦が強調される。「是非食べさせたい。」「御馳走になりたい。」と別れたのだったが、待っても待っても届かない。通りすがりのお酒の上での約束だったとあきらめ、忘れかけた時に届いたカニの嬉しさ。このカニに勝るものなし。

 だけど、街中であの御夫婦とふとすれ違った時、「あら!!」と振り返ることが出来るだろうか。

 

 母が58歳の時の原稿です。

 私もそのころのことを今、思い出しています。