渡邉医院

しんどい時が一番辛い

 皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。

 現在入院中ですが、眼科の受診をしてきました。と言うのも、46日に左目の手術を受けたからです。視力は裸眼で、右目0.7、左目は1.0と私としてはとてもいい具合になり、それを継続しています。

 入院当時は、物が二重に見える複視もありましたが、左目には硝子体内に浮遊物があり、なかなかものも見づらく、書くことさえ困難でした。今のようにパソコンのキーボードを打ったり、スマホの画面を見ることも困難でした。右目は動眼神経麻痺で瞼が下がってくることはありましたが、まだ見えていました。

 右目は動眼神経麻痺だけで、浮遊物はなかったので、手術は左目だけでした。
 局所麻酔でするのですが、痛みもなく、何か万華鏡を見ているような感じでした。また浮遊物が吸い取られていくのも感じました。硝子体手術をすると後日高い確率で白内障が悪化するとのことでしたので、左目は白内障の手術も一緒に行いました。

 さて、その浮遊物のなかに悪性リンパ腫の細胞がやはりあり、それで確定診断がつきました。下垂体近傍に腫瘍として現れた中枢神経原発型悪性リンパ腫と言う確定診断です。
 目の方もまだ右眼動眼神経麻痺があるので、複視はあるものの、左目の浮遊物がなくなったので、物はすごく良く見えるようになりました。
 左目の手術をすることで、中枢神経原発型悪性リンパ腫と診断できたのと、複視はありますが、目が良く見えるようになった、この一石二鳥でした。その後はこれまでお話しした経過をたどって今に至ります。

 今から思うと、329日に緊急入院をして、とてもしんどい時期に、入院している患者さんをどうするか。手術を決めている患者さんへの連絡はどうするか。また、その時の状況だと渡邉医院を休止しなければならないこと、それにはこれまで私を支え働いていてくれたスタッフの皆さんを解雇しなければならないこと、また渡邉医院休止の手続きやスタッフの解雇にかかわる厚生年金や医師国保の手続き。また、患者さんが持ってこられる診断書の作成。さらには渡邉医院を休止した後の私たち家族に経済的な不安、問題をどう解決していくのか。などなど、一番しんどい時に様々な書類を書いたり、各方面への連絡等を行っていたなあと思います。今では、入院中、落ち着いて治療に専念でき、「待つ」と言う大切な治療の時間に絵を描いたりして過ごしています。

 誰も、いついつからから病気になる等予定を立てることはできません。また緊急入院となればなおさらです。
 私だけでなく、全ての方が、自分が一番しんどいときに大変な作業をしなければならないと思います。
 一番しんどい時はしっかり休めて、ある程度回復してから書類、手続き、各方面の連絡ができるようになればいいなあとは思いますが、なかなかそうはいかないと思っています。

 さて、今回の地固療法が終わったら、最終的には「自家血幹移植」を行って完治を目指します。完治して復帰して、渡邉医院を再開したいと思っています。
 この再開する際も様々な書類書き、手続き、各方面への連絡等大変な作業が待っているんだなあと思います。
 入院中もしっかり体力をつけるようにして、退院してもしっかり体が動くようにしておかなければと今、思っています。