皆さんこんにちは。渡邉医院の渡邉です。
悪性リンパ腫に対しての治療は、とても順調です。一旦、明日7月16日に退院して、次の治療目的での入院は7月25日になります。約1週間、自宅で静養しながら骨髄の回復を待ちながら、体力アップも図っていきたいと思います。
今回の治療の目的は、「寛解」後の「地固療法」です。寛解しても、もし残っているがん細胞があればそれを叩く治療です。言ってみればとどめを刺す治療です。それと、最終的に行う「自家血幹細胞移植」の時に使う「造血幹細胞」を採取するといった、二つの目的がありました。
今回の治療で学んだことは「待つ」ことの必要性、大切さでした。
シタラビンという抗がん剤を投与して、かなり強い骨髄抑制が来ます。その骨髄が回復してくるときに「造血幹細胞」が末梢へと漏れ出てきます。この漏れ出て来た造血幹細胞を採取することになります。
そうすると、いつシタラビンを投与したらいいのか、骨髄抑制はどの時期からどの程度抑制されるのか。また、骨髄の回復はどのように回復していくのか。このことをあらかじめ予想しなければなりません。例えば、造血幹細胞を採取する時期が、週末にかかってしまうと、施設上採取することができません。連続3日間採取することもあるので、最低でも水曜日の採取が必要となります。
その時期にうまく抑制された骨髄が回復してくるか。綿密なスケジュールが必要です。
今回は主治医の先生の思惑通りに進み、十分すぎる造血幹細胞を採取することができました。主治医の先生は「この施設史上、一番採取できました。19回もの自家血幹移植ができるほど採取できましたと。
本当に良かったと思います。今回の結果は、「寛解」に向けての5クールの抗がん剤治療で、骨髄へのダメージが少なかったこと、また主治医の先生の綿密なスケジュールの調整が今回の結果を生み出したと思います。
今回の入院は、6月22日。シタラビンの投与は6月30日と7月1日の2日間。入院から抗がん剤投与まで、8日間の待ち時間がありました。でもこの「待つ」がとても大切で、今回の治療で一番のポイントとなりました。
このようなことを考えているときに。ふと頭に浮かんだのが、武田信玄の軍旗「風林火山」でした。
私が甲府市にいたということもあると思いますが、今回の治療は全くこの「風林火山」の様だと思いました。
戦国時代、最強と言われた武田信玄の本陣に掲げられた軍旗。(正しくは「孫子の旗」、「四如の旗」と言うそうです。)「風林火山」。軍旗にはこう書かれています
「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」です。
「其の疾(はや)きこと風の如(ごと)く 其の徐(しず)かなること林の如く
侵掠すること日の如く 動かざること山の如し」
です。
まさにこの通りの治療だったと思います。しっかりスケジュールを決め、私の体のことを推察し戦略を立てる。騒ぎ立てることもなくじっくり林のように静かにそして山のようにどっしりと構えて待つ。そしていざ造血幹採取のタイミングとなった場合は、迷うことなく実行する。
どうでしょうか。
さて、この「風林火山」は中国の呉の兵法家の孫武が書いたとされています。兵法書は、戦略・戦術を説いたもので、1巻13編からなります。
この「風林火山」の部分は一部です。続きはこうです。
「難知如陰 動如雷震」
知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如く。
意味としては、味方の戦略は暗闇の中のように敵にしられないようにし、兵を動かく時は雷のように激しくなければならない言うことです。
全文を紹介しておきます。
「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動。」
最後の部分は
「郷を掠めて衆を分かち、地を廓めて利を分かち、権を懸けて動く。」
です。
今回の治療、この「風林火山」の様だった気がします。
しっかり準備をして待つ。そして、ここぞというタイミングが来たら迷うことなく進む。
このことが大切なんだなあと思いました。