渡邉医院

絵が描けること

 今、入院中に水彩画を描いています。
 寛解を目指す前回の治療の時、入院中何かしようかなあと考えた時に、「そうだ絵でも描いてみよう。」と思い書き始めました。

 全部で5クールの予定で、1クール目は緊急入院に引き続いての治療なのでそんな余裕はありません。2クール目も入院中に絵を描こうなんて言う考えは、まったく浮かんできませんでした。3クール目になってようやく余裕も出てきたのか、「よし、入院中絵を描こう。」と思い経ちました。

 病室で絵を描く。ちょうどよいことに以前も紹介したことがあると思いますが、水彩色鉛筆を持っていました。見た目は色鉛筆ですが、色鉛筆で塗った後を、濡れた筆でなぞると水彩画っぽくなります。又直接濡れた筆で色鉛筆の先をなぞり、色をとり塗る方法もあります。今はどちらかと言うと後者の方法で描いています。本当に手ごろで、直ぐに使えて、後始末も簡単。入院中にはもってこいです。

 そんなことで3クール目、4クール目、5クール目と一枚づつ書いていきました。今回の地固療法では、準備期間があったので、治療前から描き始め、抗がん剤の投与が終わった今の段階で3枚も書くことができました。だんだん水彩画を描くコツをつかんだようで、いいペースで描いていけるようになりました。

 下書きから途中経過を何回か写真を撮っておいて、動画にしてYouTubeにもアップしてみました。良かったらご覧ください。なかなか楽しい作業です。絵が仕上がると、主治医の先生にもサインをいただいて完成にしています。

 さて、昔から絵を描いていたわけではありません。「嫌いではない」と言った程度だったような気がします。
 自分が絵を描いたなあという記憶は、小学生の頃、山梨県の甲府市にいたころだったと思います。そのころの漫画は「鉄腕アトム」だったり、その次に連載された「ジャングル大帝レオ」でした。その漫画を見ながら、アトムやレオの絵を描いていたような気がします。

 そのころのことで、今も覚えている思い出があります。

 小学生の頃、絵は図画工作の時間に皆で描いていました。しっかり時間をかけてということなのだと思いますが、図画工作の時間は2時限の枠がとられていました。
 ある時、私はその2時限の間に全く絵を描かずに提出しました。

 そのことに関して、後から母が学校に呼び出されました。そこで言われたのが、「2時限も時間がとってあるのに何も絵を描かずに提出するということは、ご家庭での情操教育が悪いんではないですか?」と言う内容だったようです。
 母が帰ってきて、こんな風に言っていました。「情操教育がなってないんじゃないのか。何てこと言われたけど、失礼しちゃうわよね!絵と言うものは、描きたいという気持ちにならないと描けるもんじゃあないわよね。ほんとに。」と。情操教育が悪いんじゃないですかと言われたことに、どうしたらいいですかではなく、「失礼しちゃうわよね。」の反応。母らしいと思うのと、今から思うと、描く時はちゃんと描きなさいねと言う意味が込められていたのかなあと思います。
 しばらくたって、痰飲の先生の似顔絵を描くといった授業がありました。どうしたことかその時に書いた絵は、特賞を取って飾ってもらいました。
 やはり気が載っているときとのらない時って会いますよね。それが授業でも。

 そんな描きたくない時に描かなかった私は、母は起こることなく、「失礼しちゃうわよね。」で済ます。今更ながら、すごい母だったんだなあと思います。そして、私のことを信じ、自分のことを信じ、「待つ」と言うことをしてくれたんだなあと思います。そのことに感謝。
 今、絵が描けるのも、こういった母の教育があったからなんだなあと思います。

 「情操」を調べると、優れたものや尊いものに触れたり、美しいものを見たりしたときに感動する豊かな心のこと。
 美しいものを「美しい」と感じる心を育てる。そうすることによって豊かな感性や個性、想像力などを育み、その結果、自分の想像力、創造力に自信が持てるようになる。

 こういったことをしっかり母は私に教えてくれていたんだなあと思います。