渡邉医院

中駿赤十字病院の想い出ー魔法の手ー

 これまで、2回中駿赤十字病院の想い出をお話ししました。今回はその続きをお話ししたいと思います。この思い出は、今も思い出しますし、医師のみならず医療従事者にとってとても大切なことだと思います。

 この話は少し前置きが長くなってしまいますがよろしくお願いいたします。

 中駿赤十字病院に行っている頃、週1回東京の浅草にある有床診療所にパートで勤務していました。東京へは新幹線で行きます。最寄りの駅は三島駅です。
 朝、東京に行くときは三島駅発の始発の新幹線で行きました。帰りも勤務が終わった後、新幹線で帰ったり、診療の後当直したり、友人の家に行ったときは東京発の始発の新幹線で三島まで帰っていました。こんな風に新幹線通勤をしていました。
 私がその診療所に勤務する前に、当時の医局長が私を紹介する際に、「今度行く医師は、京都の公家の出の医師だからよろしくお願いしますね。」と紹介していたようです。
 勤務してしばらくの間は、職員の皆さんがちらちら私の方を見ては、何か言いたそうだけども言わないといった、変な雰囲気がありました。こじんまりした有床診療所だったので、昼食は職員皆さんと一緒に食堂で、食堂と言っても台所があってリビングのような場所で、作っていただいたものを食べていました。
 そんな時、その場に居合わせた方が、「先生は公家の出なんですか?」と聞かれたので、「あっ、医局長が冗談で京都出身だから公家の出だなんて言ったんだな。」と直ぐにピント来ました。そこで私もそれに乗って「そうです。公家の出です。お正月などは、今年一年の目標を歌にして、皆の前でお披露目をしなければならないんです。ここでは『私は』と言っていますが京都に帰ったら『麻呂は』になるんですよ。」と冗談で言ったつもりが、「やっぱりそうなんだ。品があって、どこか違っていてそう思った。」と。冗談で言ったつもりが、そんな風に返されてどうしようかと思いました。後でちゃんと説明しましたが。
 チョット話は脱線しますが、良く歌舞伎役者には間違えられました。
 以前大分前ですが、娘と二人で大阪に行って、晩御飯を食べて帰ろうということになりました。あまり大阪は知らないのですが、大阪の肛門科の先生に教えてもらったしゃぶしゃぶ屋さんに、ちょっと贅沢をして二人で行くことにしました。二人で食事をしていると、店の奥の方からちらちらと何人かのスタッフの方がこちらを見てはこそこそ話しをしているのに気が付きました。もう直ぐ食事が終わるころに、そのうちの一人のスタッフの人が私たちの席に来て、「失礼ですが、歌舞伎役者のかたですか?」と聞かれました。「あっ。久しぶり。」と思いながら、「いえいえ違いますよ。時々歌舞伎役者さんですか?と聞かれることがありますが、違います。」と答えると、「失礼いたしました。」と。そこで「歌舞伎役者ではありませんが京都です。」と答えました。お会計が終わって帰るとき。「お気をつけて。ありがとうございました。」の挨拶に。「では今から南座に帰ります。」と答えて帰りました。
 まあこんな感じで、楽しませてもらうことがたまにあります。

 さてさて前置きがどんどん長くなってしまいました。

 いよいよ本題です。
 ある日、診療が終わって帰るとき、その診療所のちょうど真ん前の交差点を渡っているとき、いきなり右折してきた宅急便?のトラックに跳ね飛ばされてしまいました。幸いに大きなけがはなく、右手が痛いだけですみ。警察などに行った後帰りました。翌日、中駿赤十字病院の整形外科の先生に診てもらうと、右手の舟状骨の骨折であることが判明しました。なかなか治り難く、偽関節になりやすい部位の骨折でした。まずはギブスで固定して様子を見ようとのことでした。骨折だけなので、ある程度仕事ができるようにギブスを巻いてもらいました。

 そんな右手にギブスを巻きながらの仕事を続けていると、ある日女性の職員の方が来られてこんな話をされました。「うちの子が、先生を見かけて『先生の魔法の手が壊れてしまった。早く治って欲しい。』と言うんですよ。」と。魔法の手?話をされた女性は、当直の時に腹痛で救急外来に受診され、私が診た方でした。その方は、「あの時、お腹が痛いと受診しましたが、先生がお腹に手を当てて下さったことで、痛みが楽になりました。それをうちの子が見ていて、『先生の手は魔法の手だ。』と言っていました。」とのことでした。決して魔法の手でなく、ただただ痛いところに手を当てただけです。処方して帰宅してもらっただけでした。でもその子にとっては手を当てるだけで、お母さんのおなかの痛みを治してくれたと思ったのでしょう。

 やはり「手当」も「看護」もやはり「手」が出てきます。痛いところに手を当てる、目で観るだけでなく手を当てて診る。この、本当に基本的な診察ですが、なかなか今の時代できていないような気がします。やはり医師として、医療従事者として、痛いところ、具合の悪いところには「手」を当てる。この大事なことを教えてくれた思い出でした。

 少し脱線が長くなってしまいました。すみません。