渡邉医院

コロナでのかかりつけ医批判とそれに乗じた制度化論は筋違い

 

 いよいよ梅雨本番になりましたね。そんなに激しい雨ではありませんが、今日は朝から雨模様。
 いつも退院した時に散歩する賀茂川。雨の賀茂川もいいものです。


 さて、新型コロナウイルス感染症を経験して、国も新興感染症に対しての制度の見直しをしようとしている。
 このような中、財務省は今回の新型コロナ感染症に対しては、診療所医療提供体制や医師に問題がある、「かかりつけ医が機能しなかった」など、あたかも医療機関・開業医側が恣意的にコロナ診療を忌避したかのような議論にすり替えて、これを理由に医療費の削減等、医療提供体制の改悪を狙っている。ただただ医療費削減目的で、本質を見ることなく、歪曲し議論をすり替える。そして医療費を削減することで褒められる。そんな財務省には国民の健康、命は守れない。お金を持っていて頭を下げることはない。「一体何様だと思っているのだろうか。」と思ってしまう。また厚生労働省も、もっとしっかりして欲しい。財務省の言いなりになるのではなく、国民の命と健康、そして生活を守るためにもっと頑張って欲しい。そんな思いを私は何時もしている。
 今回は、私もかかわっている京都府保険医協会の主張を紹介したいと思います。京都保険医新聞6月10日号からの天気です。

「コロナでのかかりつけ医批判とそれに乗じた制度化論は筋違い」

  新型コロナでの診療所対応について、昨年来財務省は「フリーアクセスが機能しなかった」、最近の政府検証有識者会議では「かかりつけ医が機能しなかった」との意見が出るなど、これまでの診療所医療提供体制や医師に問題があるとしている。全く筋違いの指摘である。

 新型コロナ感染症の対処において当初、行政検査としてPCR検査数が拡大されず「375℃以上発熱、4日間」でなければ受診しないように抑制をかけ続けたのが政府であった。また、感染症法上〝全感染者入院〞の原則の下に、感染者情報の保健所一元集約と入院コントロールセンターによる全例対応指示の体制に固執し続けたのも政府方針のゆえであった。未知の感染症に対し、診療所は当初、矛(PCR検査等)も盾(防護具)も不足の中で立ち向かわざるを得なかった。その後の努力で発熱外来(診療・検査医療機関)は増えたが、関与できるのは診断までで、陽性で保健所へ発生届を提出後、その患者がその後どうなったかの情報には遮断された状況に置かれ続けた。一方、感染者本人は保健所からの指示や健康観察の電話をひたすら自宅待機して待つのみで、保健所業務のひっ迫とともに、数日間〝放置〞の状態が現出された。待機ステーションの積極的運用も進まず、入院待機はいつの間にか自宅療養と読み直された。そして第3波以降、自宅療養中に急変し死亡する症例が相次いだ。

 協会は、感染症パンデミックの基本的対処方針は感染者の隔離と〝医療提供〞だとして、早くから保健所の所有情報の医療機関との共有と早期医療介入(往診または電話再診)を訴え続けた。この間、診療所側で何とか患者と連絡を取って往診等を行った例を相当件数聞いている。しかし、これは言わば〝裏ルート〞経由のボランティア的対応であり、制度と資材の支えがない状況下でそのカバー範囲は限定的であった。自宅療養者と医療機関との繋がりを京都府が指示したのが212月で、一部の自宅療養者への往診が開始されたが、全対象者数から見ればわずかであった。本格的な訪問診療事業開始は京都府では218月から。そして京都市の場合、何と221月(!)になってやっと、通知が出された。

 さらにワクチン接種を巡っても、供給量と優先順位を曖昧にした政府の接種率引き上げ至上命令の下で拙速な実施計画となり、個別診療所は予約電話殺到で混乱し、罵声を浴びせられ、診療所やかかりつけ医と患者間の信頼関係が棄損される事態が現出した。

 この一連の経緯を見ても、感染者の医療アクセスを阻止し、かかりつけ医での医療を阻害し続けたのが、政府の新型コロナ対策方針・施策とその指導下にある各自治体であることは明らかである。政府側はこの点には一切ほおかむりして、あたかも医療機関・開業医側が恣意的にコロナ診療を忌避したかのような議論展開である。

 その上で、全く別次元の話である〝フリーアクセス〞や〝かかりつけ医機能〞を非論理的に結び付けて、新型コロナ禍のどさくさ紛れにその制度改革(改悪)を狙っている。 協会はこのような「ためにする議論」に断固反駁するものである。

京都保険医新聞 6月10日号 転記