渡邉医院

オンコビンの逆襲!命のトマトスープ!

 皆さんこんばんは。渡邉医院の渡邉です。
 今、悪性リンパ腫に対して抗がん剤投与のため、入院治療しています。今回の治療は、全部で5クールの予定で、現在5クール目、最終クールの治療中です。明日のリツキサンという抗がん剤の投与が終わると終了です。
 少し脱線しますが、「リツキサン」はどうしても「イツキサン」に聞こえてしまって、そこから転じて「五木さん」になってしまいます。いったんそう聞こえると、いつも「五木さん」になります。そして「五木さん」から「五木ひろし」を思い浮かべます。毎回、クール最後の抗がん剤が「リツキサン」です。五木ひろしも紅白歌合戦などのとりを務めていた。そんなこともあって、いつも「とりを務める五木さん、頑張ってくださいね!」と言う気持ちで抗がん剤の投与を受けています。

 さて、今回の5クールが終わって、治療としての抗がん剤投与は終了です。
 2クール目が終わった後、造影のMRIで悪性リンパ腫が作った腫瘍は縮小、さらに消失まで良くなっていました。その後3クール。来週、治療の効果判定のために再度造影MRIを撮影しますが、おそらく消失して寛解状態になっていると思います。寛解状態になっていれば次の段階、完治に向けた治療が始まります。今のところ、その治療は来週の水曜日622日からの予定になっています。完治して復帰して、渡邉医院を再開したいと思います。今のところとても順調です。

 さて、今回の5クール目、これまでの4回目と同じ内容なのですが、少し苦労をしました。食欲がなくなり、食べれなくなってしまいました。
 その一つの原因は私が名付けた「オンコビンの逆襲」です。
 オンコビンの副作用に末梢神経障害と便秘があります。オンコビンの影響で腸管が動かなくなっての便秘です。
 私は日頃は快便で、必ず毎日、食後にきちんと排便があります。たまにはスッキリ出ないこともありますが、快便です。  これまでの4クールはオンコビンによる便秘に備えて、快便ですがあらかじめマグミット(酸化マグネシウム)を内服していました。このこともあって、これまではオンコビンの投与があっても、少し緩めですがちゃんと便は出ていました。
 今回は、便が出なかったらマグミットを飲もうということで、あらかじめ飲んでいませんでした。言ってみればオンコビンを甘く見ていたということです。案の定、便秘となってマグミット飲んであわてて無理やり出す状況になりました。ご飯を食べると、直ぐにお腹が張る。食べなくても、食べていることを想像するだけでお腹が張ってくる。こんな感じで一度だけ嘔吐しました。
 また、今回は5クール目。奇数クールには内服薬でプロカルバジンという抗がん剤を内服します。これも食欲を落とします。これまでも奇数回のクールでは、このプロカルバジンの影響で少し食欲が落ちていたのですが、「オンコビンの逆襲」とこのプロカルバジンの相互の作用で二日間、まったく食事が入りませんでした。ご飯の匂いをかぐだけでも気分が悪くなる。そんな状況でした。

 今日は随分良くなり、朝は半分、昼は一口二口。でも食欲以外は元気です。甘い飲み物なら飲めるだろうと、売店まで買いに行ったり、お腹の動きを良くするために、病棟内を歩いたり、柔軟体操をしたりしていました。

 そんな中、今日の晩御飯に出てきたのが「命のトマトスープ」でした。

 以前ブログでもお話ししましたが、3月下旬、入院する前は全く食事がとれない状態でした。せっかく妻が作ってくれた食事、一口二口食べたら、もう辛くてソファーに横になるといった生活でした。
 329日に入院して、23日経った頃でしょうか、大分具合も良くなり出てきた朝ごはんにトマトスープがありました。一口食べると、本当にとても美味しい。なぜか自然に涙が出てくる。最初に入院した部屋が個室だったので、声を上げて泣きながらいただきました。そんなこともあって、トマトスープのことを「命のトマトスープ」と私は読んでいます。

 その「命のトマトスープ」が今日食事に出てきました。今回も一口食べると、また涙が出てきて、泣きながらいただきました。今は4人部屋なので前のように声をあげながら泣きながら飲むことはできません。ティッシュで涙を拭きながらいただきました。この時。「神様って、本当にいるんじゃないの。」と思ったぐらいです。

こんなことで、最大の山場が5クール目に着ました。「オンコビンの逆襲」です。そしてこの「オンコビンの逆襲」から救ってくれたのも、今回も「命のトマトスープ」でした。

 これまでは今回の治療、医師でもあるから、自分一人で大丈夫、自分一人で頑張れると思っていました。やっぱりそんなことはありません。抗がん剤による治療。やはり精神的にも弱くなっています。誰かの助けがやはり必要です。見えなくても、傍にいてくれなくても、その人たちの支えがあって頑張っていけるんだと感じました。

 時々こんな話をしていました。「辛いとき辛いと言えているか?助けて欲しいとき助けてと言えているか?辛いとき辛いと言える、助けて欲しいとき助けてと言える社会にしたい。」
 今一度、自分にこの言葉を聞かせなければ。