渡邉医院

3回目の入院、「結核性胸膜炎」

 今日は、ゴールデンウイーク前の最後の1週間の始まり、月曜日です。京都はとてもいい天気です。

 私は、今日から悪性リンパ腫に対しての抗がん剤による化学療法の2クール目に向け、再入院です。全く暗い気持ちはありません。この1クールが終わって一時退院させていただきましたが、この間もぐんぐん良くなっていく感じが、実感として出ています。治療が楽しみといっていいぐらいです。今日も、なんか変ですが、遠足に行くようなウキウキした感じで再入院へと病院に向かいました。いよいよ2クール目、まだまだ2クール目ですが、とても楽しみです。

 さて、これまでの入院してきた思い出をご紹介してきました。今回はその3弾目になります。今回は前回2回と違い、「痛そう!」ではありません。

 3回目の入院は、私が大学1年生の時です。この時は内科的疾患でした。

 私は、2浪しています。浪人中は京都の実家で受験勉強をしていました。そのころ祖父が結核に罹患していて、その濃厚感染による結核性胸膜炎での入院です。

 浪人中は私は20歳。今から42年前です。「えっ!結核!」と思われる方がいらっしゃると思いますが。まだまだ結核の患者さんはいらっしゃいます。祖父も若いころ結核にかかった経験があり、その再発でした。咳などをしていましたが、自宅での療養でした。この際に濃厚感染となったようです。特に浪人中、大学にやっと入学できた後もなんの症状もなかったのですが、1年生の11月に息苦しい症状が出て、だんだん症状が強く成っていったため、大学病院を受診したところ、胸膜炎による供水が右肺に約2000mlも溜まっていました。十数歩歩いたら休んで、また十数歩歩いたら休んでといった状態でした。いろいろ検査をしましたが、結核菌の排菌は認められなかったので、結核病棟に隔離されることなく、一般病棟での治療となりました。

 発症した原因は何かなあと考えてみました。大学時代、美術部に所属しました。以前、スポーツが大好きだとお話ししましたが、結構絵を描くのも好きでした。ブログでも私の書いた自転車のある風景や子猫の絵を紹介したことがあります。膝も悪くしているし運動部は無理かなあ、でも何か部活に入りたいとの思いで、もう一つ好きだった絵を描くこと、美術部入部していました。

 11月は文化祭。それに向けて、油絵で自分の作品を描くのと同時に、文化祭に使う各種の看板や、ほかの部から頼まれた看板などを夜通し描いていました。連日徹夜同然の状態で製作をしていたことが誘因になったのだと思います。でもやっぱり文化祭、美術部にとっては腕の見せ所。その当時は夜通しの作業や、皆で合同での作品製作がとても楽しかったことを憶えています。

 さて、結核性胸膜炎の方ですが、入院してすぐに右肺に溜まっている約2000mlの胸水を抜いてもらうと、スッと呼吸も楽になりました。後はゆっくり抗結核薬の内服や注射による治療、そして療養。でも3か月の入院になりました。この間に、楽しく入院生活を送る術を身に着けたと思います。2年生に進学できるかという心配もありましたが、友人たちの支えもあって、病室での勉強、病室からの試験を受けに行くことで、無事進学することもできました。

 こんな感じで、3回目の入院を終了しました。

 次回4回目の入院に関しての想い出をお話ししたいと思います。次回は医者になってからの入院です。