今日、8月15日は76回目の終戦の日です。私たちはこの日を決して忘れてはいけません。そして二度と戦争を引き起こしてはいけません。
戦争は人の命を奪うだけでなく、命を奪った人の心を壊しててしまいます。
自分の暮らす町、家、そして家族まで、いつも意識はしていなくても自分を優しく包み込んでくれるすべてのものを失ってしまいます。
私は、戦争を経験していません。ですから、実体験としての戦争の怖さを知りません。しかし、それだからこそ、戦争の怖さを経験していなくても、しっかり感じ取れる心をそして想像力を常に持ち続けていたいと今日、決意を新たにしたい。
この文章を書く前に、ふと母は終戦の日は何歳だったのだろうと思いました。
母は昭和9年生まれ、今年で87歳。終戦当時は11歳だったことになります。11歳。その時の経験はしっかり記憶にあったと思います。でも残念ですが、母とは母の戦争体験をゆっくり話したことがありません。今は認知症になってしまっているので、そのころのことは決して母から聞くことはできません。
でも、母は、その時の経験を何らかの形、目に見えない形で私たちに残し、伝えてくれているのだと思います。そのことをしっかり感じ、次の世代へと繋げていかなければなりません。
さて、私たち医療従事者は、国民の命と健康を守ることを責務としています。
「健康」とは肉体的に、そして精神的に病んでいない状態だけでなく、経済的、そして社会的にも満たされている状態のことを指します。こういったことから、「健康」と「戦争」は真逆の関係にあります。
私たち医療従事者は国民の「健康」を守るために、戦争のない、平和な社会を目指す取り組みをしていかなければなりません。
そのことは、声高らかに「戦争反対!」と訴えるだけではないと思います。目の前にいる患者さん一人一人の「健康」を守る、病気や生活を守る、このことが戦争のない平和な社会に繋がっていくと確信します。
今、新型コロナウイルスの感染拡大のなか、2度目の終戦の日を迎えました。このコロナ禍だからこそ、私たちは戦争のことをしっかり考え、忘れてはいけないと思います。
今、新型コロナウイルスの感染拡大が広がり、感染者が増えています。本来ならば感染者は入院してしっかり医療を提供され保障されなければなりません。
でも今はそれができない状況になっています。自宅療養者が増加し、その患者さんをどう診ていくかが重要になってきています。
新型コロナウイルスに対しての有効な治療薬がまだ無い中、対症療法を行うしかありません。ワクチン接種も一つの有効な手段ですが、ワクチンを接種したとしても感染しないわけではありません。やはり、新型コロナウイルスに感染して無症状、軽症のうちに治療する治療薬が早くできることを期待します。
地域で開業している医師も新型コロナウイルに対する治療薬という武器を持たずに戦っています。でも治療薬がない中、ただ寄り添うだけにもなり、自分ができることの無力さをも同時に感じています。 でも医師は、治療法がなく対症療法のみになっても、救急車を呼ぶことになっても、重症化していくかどうかを見極める能力は持っています。
今、新型コロナウイルスに感染し、自宅療養になっている人は、保健所の医療ではない「健康観察」が頼りになっています。しかもその「健康観察」さえ十分に行えていません。やはり感染された方には、空白なくしっかりと医療につなげ、医療を保障していく体制を作ることが早急に必要です。
入院医療が拡充され充実するまで、そして外来でも投与できる治療薬ができるまで、私たちのできることをしっかり取り組んでいかなければと思います。
76回目の終戦の日を迎えて、今、私の感じている思いを書いてみました。