前回、「終わりよければ全てよし」という諺に関連して肛門の病気や治療に関してお話ししました。そこで、今回も諺つながりで「木を見て森を見ず」に関して少し調べて、肛門に関連付けてみたいと思います。
「木を見て森を見ず」の意味は「細かい部分にこだわりすぎて、大きく全体や本質をつかまないこと」です。 一部や細部、小さいことだけにとらわれすぎて全体に注意を向けず、全体を把握できない状況を表しています。
この諺は、昔からヨーロッパで使われていることわざが由来だそうです。ドイツ・イギリス・フランス・ロシアなどでは、「木はしばしば森を隠す」「木を見ているものは森を見ることができない」という、同じ内容の諺があります。いずれの諺も、 「一本の木に注目しているあまり、森全体を見ることを忘れてしまうこと。一本の木を見ていて、他の木を見ていないこと」という意味です。 こうした諺が、日本では「木を見て森を見ず」という表現が使われるようになったそうです。
私の父が書いた「痔のおはなし」の中にもこの諺について少し触れられています。「シェイクスピアのマクベスではありませんが」と一文あります。
マクベスの第5幕の中に、イングランド軍が木の枝を隠れ蓑に進軍してくるシーンがあります。この部分のことです。ウイキペディアで、この第5幕を検索すると次のようなシーンです。
第5幕
マクベス夫人は夢遊病に冒されている。侍医と侍女が隠れて見守る中、マクベス夫人は夜中に起き出して、手を洗う仕草を繰り返す。「血が落ちない」とつぶやき、ダンカン王殺害時の言葉を喋り、バンクォーやマクダフ夫人殺害を悔い、嘆き続ける。侍医は治療の手だて立てはないと判断する。
マクベスの城へイングランド軍が攻めてくる。味方も次々と寝返って行き、客観情勢はマクベスに不利になるが、彼は理性をなくし、「バーナムの森が動かない限り安泰だ」、「女が生んだものには自分を倒せない」という予言により自らの無敵を信じて城にたてこもる。そこへマクベス夫人が亡くなったとの知らせが届き、更にバーナムの森が向かってくるという報告が入る。
実はイングランド軍が木の枝を隠れ蓑にして進軍していたのだが、森が動いているように見えたのである。予言の一つに裏切られたマクベスは自暴自棄となり、最後の決戦を求めて戦場に出て行く。
城が落とされる一方で、小シーワードをはじめ次々と敵を倒していくマクベス。ついにマクダフと対峙したマクベスは「女の股から生まれた者には殺されない」と告げると、マクダフは「私は母の腹を破って(帝王切開)で出てきた」と明かす。最後の望みに見放されたマクベスは、自分の運命は自分で切り開く、とマクダフと戦い、敗死する。
マクダフがマクベスの首級をマルカム王子に献上して、一同は勝利を祝福しマルカム新王の誕生を讃える。
こういったシーンの時に出てきたのが「木を見て森を見ず」です。
なぜこのような話をしたかです。
この「木を見て森を見ず」の「木」は「内痔核」、「森」は「肛門全体」ということになります。また「森」という漢字を、父の書いた本にもありますが左に22.5度左に旋回させると「森」の「木」が内痔核の好発部位である肛門の3時7時11時(左、右後ろ、右前)に一致します。
内痔核に対して痔核根治術をする際に脱出してくる内痔核だけを診て、それのみを切除しただけでは、内痔核はなくなりますが、場合によっては肛門の機能が失われてしまうことがあります。それは、内痔核を切除する際に必要以上に肛門上皮を大きく切除してしまうと、内痔核はなくなりますが、肛門が狭くなってしまうことがあります。また、内痔核を剥離して、内痔核の根部にある動脈を結紮(縛る)して切除するのですが、この結紮する高さが同一面状に結紮部分があると、3か所の場合、結紮した部分を頂点として三角形状に肛門が狭くなります。
このように内痔核に対して根治術を行う場合は、肛門全体を見て、治りやすい、そして機能を損なわないように手術をデザインしていく必要があります。
「木を見て森を見ず(You cannot see the wood for the trees)」は肛門科的には「内痔核を診て、肛門を診ず(You cannot see the anus for the internal hemorroids)」です。