渡邉医院

感染症法の罰則強化に反対する

 京都にも緊急事態宣言が発出され一週間が経ちます。
 京都府が「感染者の受け入れ可能な医療機関等」によると「確保病床」は720床(うち重症86床、高度重症30床)でした。でもこれらはあくまでも確保された空床数で、実際に受け入れが可能な病床数は「300床程度が限界」ということが明らかになりました。このように、京都府において新型コロナウイルス感染症患者の受け入れ態勢は逼迫しています。
 また自宅療養、入院調整中の患者さんの様態が悪化して亡くなる事態も起きてきています。
 このような状況の中、政府は「感染症法」の改定を考えています。その内容は新型コロナウイルスに感染した人が入院勧告に応じない場合刑事罰を科すこと。また、病床確保に関しては、都道府県知事の勧告に従わなかった医療機関はその機関名を公表するなどの罰則強化を考えています。
 介護、育児等、入院したくてもできない社会状況に置かれている人もいます。そういった社会背景を考慮することなく単に罰を与える。また、これまで国が進めてきた医療費用政策の結果、病院は柔軟な病床利用や病床転換が出来なくなり、その結果、民間医療機関は新型コロナウイルス患者を受け入れない状況になってしまった。こういったこれまでの国の医療政策の失策を反省することなく、国民や医療機関へ責任を転嫁する国の姿勢には憤りを感じます。
 今回の罰則強化への感染法改正に対しての反対の談話を出しました。その内容を紹介します。

談話 「感染症法の罰則強化に反対する」
 政府は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)」の改定に向けて、新型コロナウイルス感染症に罹患した人が入院勧告に応じない場合、保健所による積極的疫学調査に応じない場合に刑事罰を科すことや、感染者の受入勧告を受けた医療機関が従わない場合に施設名を公表できるよう検討していることが明らかになった。私たちはそれを断じて認めることはできない。
 日本は感染症をめぐる痛苦に満ちた暗い過去を背負っていることを忘れてはならない。明治期の警察権力によるコレラ罹患者に対する徹底した強制入院措置がもたらした悲劇、ハンセン病患者に対する数えきれない人権侵害、そうした行いへの反省に立ち、旧伝染病法は破棄され、今日の感染症法が制定されたのである。
 感染は自己責任ではない。感染症の制圧は公衆衛生政策の重要課題であり、したがって国・自治体が生存権保障として取り組む責任を負うものであり、一人ひとりの住民の生活実態に寄り添って丁寧に交流し、説明し、進められるべき作業である。刑事罰を振りかざせば、偏見や差別の風潮を助長するばかりでなく、かえって疫学調査への協力を得られなくなる事態を招きかねない。
 病床の確保については、従来は都道府県知事が医療関係者に協力「要請」できたものを、「勧告」できるようにして、従わなかった場合に医療機関名を公表できるようにするというものだ。この間、民間病院による受け入れが進んでいないという喧伝が盛んにされており、国や自治体の権限強化により民間病院に対応させることが狙われている。
 だが、実態として感染症患者を受け入れる態勢が整っていないところに、それを求めても広がらないばかりか、無理な受け入れで感染を広げることにならないか。
 長年の医療費抑制政策の下で施設基準や人員基準と診療報酬をリンクさせた病院の機能再編を行ってきたことにより、病院は柔軟な病床利用や病床転換を受け入れられなくなっている。それを知らずに、民間の受入割合が低いことや受け入れを拒否したとい
う事実だけが一人歩きすれば、国民と医療者との分断も懸念される。このような病院の現実を踏まえて、再度、病院間の役割分担と連携体制づくりを進めるための話し合いを、行政が責任をもって主導し、進めていくしか、この事態を打開できないだろう。
 GoTo の停止や緊急事態宣言の対応の遅れなどにより第三波の感染拡大を止められない菅政権に対し、国民の支持が離れていることは支持率続落が如実に物語っている。政府の不作為を覆い隠すように私権制限につながる法改定をしようというなら、国民に責任を転嫁する無責任な政策と言わざるをえない。感染拡大を止めるために、今必要なのは、国民を分断する強権的手法ではなく、国民そして医療機関の理解と協力を得ながら科学的根拠に則った政策を遅滞なく実行することだ。それをこそ私たちは求めたい。
                       2021 年1月 20 日