渡邉医院

ドラマの医療指導をすることになって。その2

 前回に引き続いて演出担当の方からの質問と私の回答をお話しますね。

 父が診療所をしていてそれを継ぐ場合、いつ帰ってくるか、いつ継承するかはとても難しい問題だと思います。
 私の場合は父が脳梗塞で倒れたというきっかけで渡邉医院を継承しました。34歳の時です。まだまだ若く、私としてはまだ大学で勉強しようと思っていた時期です。でも今から思うと、この時期に帰ってきてよかたと思います。
 父の診療所を継ぐ、ということはそれなりの決心がいります。
 私が帰った時、痔の手術の予定が目いっぱいに入っていました。その手術をこれからは父ではなく、私自身がしなければなりません。患者さんにとっては、父に手術をしてもらおうと思っているのに、息子といえども、一度も会ったことのない私に手術される。そこで母は、手術予定の患者さんすべてに、父が倒れて手術が出来なくなったこと、代わりに息子である私が手術をすることになること、場合によっては希望があれば他の肛門科医を紹介する。それでも渡邉医院で手術をされるかどうかを聞きました。全ての患者さんが手術をキャンセルすることなく、私の手術を受けて下さいました。
 このことは、私が評価されたのではなく、祖父や父がこれまで患者さんに行ってきた医療に対しての信頼から来たものだと感じました。そういった信頼をこれからも持っていただけるような医療を提供していかなければならないといった決意が生まれました。

 やはり、父親からの継承する際は、今親がどのような医療を患者さんに提供しているのか、そして自分が継承した場合は、今あるものをさらに同レベルアップしていけるか、などを考えることが必要かなあと思います。そういったことを元に、さらに今まで継承されてきたこと、自分自身がなにがしたいか、どうしていきたいかをしっかり持つことが出来ることで上手く父から子へと診療所が継承されていくのだと思います。

 渡邉医院で、初代の祖父の時代から使っているものがあります。カルテ台や器械棚です。また母方の祖父が長年使っていた机も今でも診察室で使っています。

 

 そして、渡邉医院で最も古いものが、「肛門科」の看板です。

 祖父は大阪で肛門科の修行をしていました。京都で開業する際に、修行をしていた診療所の先生に、のれん分けのような感じで頂いた看板です。渡邉医院のこれまでの歴史を見守り続けてきた看板です。これらの家具や看板は渡邉医院の歴史を見守り続けてきたものです。これらに囲まれていることで、渡邉医院の歴史を感じ、気持ちを引き締めてくれます。こういった歴史をこれからも守っていきたいと思います。

 ただ、祖父や父から引き継いで、これからも受け継いでいかなければならないと思うのは目に見えるものだけではありません。
 祖父、父が築いてきた医療と患者の信頼感です。そして私が引き継ぐまでに積み上げられてきた医療の技術をさらに発展進歩させることです。父が築いてきた医療のレベル、そこから始める私は、今以上のレベルにしていかなければ、さぼっているということになります。さらなる進化をしていかなければと思っています。
 また、父が私に伝えた言葉も引き継いでいきたいと思います。その言葉には、「目の前にいる一人一人の患者さんをしっかり治していくことが大切だ、そのことの積み重ねで多くの患者さんが救われる。」、「専門に特化し、追及していくということは、幅広い知識が必要だ。深く掘るには、広い入り口が必要だ。」など父が私に伝えた言葉。形はありませんが、しっかり受け継いでいきたいと思います。

 こんな感じで質問をいただき回答しました。