渡邉医院

持病の切れ痔で悩んだ松尾芭蕉

松尾芭蕉は持病である裂肛で悩んでいたようです。そんな悩みをうたった歌が「奥の細道」にあります。

“持病さへおこりて、消入計(きえいるばかり)になん。”

(持病まで起こって、苦しみのあまり気を失いそうになった。)

「奥の細道」より

元禄2年(1689)、芭蕉は門人の曾良と江戸を出発し、美濃の大垣まで、東北。北陸、近畿地方にかけて約2400km150日で歩き、その旅行記は5年後の芭蕉が没する年に『奥の細道』として残しました。

 松尾芭蕉の持病は、裂肛(切れ痔)と疝気(せんき:腹部の疼痛)だったそうです。前述の句は松尾芭蕉が旅の途中で、持病の激痛に襲われ苦しんでいたとき読んだとされる句です。

 旅のなかで、松尾芭蕉が弟子の如行にあてに「持病下血などたびたび、秋旅四国西国もけしからずと、まづおもひとどめ候」や、女弟子の智月あてに「われらぢのいたみもやわらぎ候まま、御きづかひなされまじく候」などと手紙送っていたとの資料もあり、持病の裂肛で旅行中も悩んでいたようです。

 裂肛という病気は世間一般では「切れ痔」と呼ばれて病気です。肛門の出口から約23cmほど奥まで肛門上皮といって皮膚の部分があります。そのさらに奥が直腸です。この肛門上皮に傷がつき、痛みや出血を伴う病気です。大抵が硬い便が出るときに傷がつくのですが、下痢や柔らかい便でも出しにくくて頑張って出したときにも傷がつきます。多くの人が固い便をしたときに「痛い!」と感じて出血した経験があると思います。大抵の場合、便通がよくなれば自然に治る病気です。

 転んで怪我をするのに似ていて、転んで怪我をしても転ばなければ怪我は自然に治っていきます。これと同じように、便の具合が悪くて肛門上皮に傷がついても、便通さえよければ直ぐに自然に治ります。

 「裂肛ですよ。」と病名をつけられた患者さんの中には、排便時に痛みや出血がなく、なんの症状もなくても、「自分は裂肛を持っているんだ。」と思って悩んでいる人もいます。でもこれは間違いで、排便のときに痛みや出血がなく、自覚症状がなくなればそのときはもう裂肛は治っているのです。見える傷だと、治ったことが自分で確認できるので安心なのですが、どうしても自分では傷の具合が見えないので、不安に感じてしまうのだと思います。

 このように一時的に傷がついて痛くても、自然に治ってしまう裂肛を急性裂肛といいます。

 ただ、便秘や下痢などが続いて排便の状態が悪く、切れたり治ったりを繰り返していくうちに段々治りにくくなったり、切れやすくなったりします。症状としては、排便のときだけでなく排便後も痛みが持続するようになります。これは、排便時の痛みで内肛門括約筋(内側の括約筋で、直腸に便が来て便意を感じると自然に緩んで便を出しやすくしてくれる筋肉です。)の緊張、締りが強くなってしまい、柔らかい便がでても切れてしまうようになります。裂肛も硬く潰瘍状になったり、潰瘍状になった裂肛に便が引っかかり炎症を起こして肛門ポリープができたりします。こうなってくると慢性裂肛になり、手術が必要になってきます。

 裂肛で悩んでいる患者さんの可哀そうなところは、痛みは我慢していれば治るのではと頑張ってしまうところです。なかなか診察にいくことが出来ないこともあると思いますが、裂肛は痛みを我慢すればするほど、肛門の緊張が強くなってどんどん悪くなってしまうというところです。早いうちですと、排便の状態をよくしてあげるだけでよくなっていきます。

 さて、手術になってしまった場合ですが、「肛門の手術はなんでも痛い!」と思っている人が多いと思いますが、それは間違いで、手術で何をしてあげるかできまります。裂肛の場合は、排便時や排便後の痛みを取るのが目的です。本来自然に治っていかなければならない傷が治りにくくなった、その原因を取り除くと裂肛は自然に治っていきます。

では手術で何をするかというと、緊張の強くなった内肛門括約筋の緊張をとって正常な元の状態にもどしたり、炎症のためにできた肛門ポリープがあった場合はこれを切除したりして本来の状態にもどしてあげることで裂肛はよくなります。手術も局所麻酔をして、約10分程度で終わります。手術後の排便時の痛みも大抵の場合、最初の排便のときから痛みが楽になります。

 どうしても裂肛は痛みがあるので、とても不安になると思いますが、怖がらずに診察を受けてみてください。

 元禄2727日から85日まで、松尾芭蕉は、旅の途中、山中温泉の出湯、泉屋に宿泊し、この間、芭蕉は薬師堂を訪れたり、温泉につかり旅の疲れを癒したそうです。
そこで読んだ句が、

“山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ”
(山中の湯に浴せば、中国の菊茲童が集めた不老長寿の菊の露を飲むまでもない。)長寿を得るという意味だそうです。

 裂肛もゆっくり温まることで、肛門の緊張もとれ血液の流れがよくなることで症状がよくなります。松尾芭蕉も旅の疲れを癒しただけでなく、持病の裂肛の具合も温泉でよくなったのでしょう。

 でも今だったら12日の入院手術で楽になり、四国への旅を続けていくことができたかもしれません。