渡邉医院

脳裏に浮かぶこと

 最近は、朝早く診療所に仕事に行く前に母の家に行くようになって、車での通勤になってしまっています。
 それまでは、地下鉄の今出川駅から今出川浄福寺にある診療所まで歩いて通勤していました。歩き始めた理由には、それまでも車で通勤していたのですが、車で通勤すると、腰は痛くなるは、目は疲れるはであまりいいことはありませんでした。また、日ごろ運動らしい運動はしていなくて、少し歩いて運動不足を解消しようと思ったのが始まりでした。

 ところが、歩き始めると、歩くということで脳が活性されるのかいろんなことが頭に浮かんできます。

 朝、診療所に向かって歩いているときは、その日の手術のイメージが浮かんできたり、どちらかといえば前向きな思いが湧いてきます。帰り道はその日の診療であったことが思い返されます。この帰り道は、どちらかというと反対に、診療でのいい思いが湧いてくることは少ないです。

 「患者さんへの説明が少なかったんじゃなかたかな?」「伝えたいことがちゃんとつたわったかな?」「強く言い過ぎたかな?」「どうしてわかってもらえないのかな?」などなど思わず大声で「ア~ッ」と声を出したくなることが浮かんでくることが多いです。

 でも、歩いている時は、どうしてそんな思いが湧き出てくるのか、その思いも分析してくれます。
 一人の患者さんを診察する時にある程度時間はしっかり使って診察しているつもりですが、やはり制限があります。私としては、患者さんの今の状態や今後の治療についてしっかり話しておきたい気持ちがあります。一方、患者さんは、今まで悩んでいたことや苦しかったことを全部話してすっきりしたいという気持ちが多いと思います。その気持ちはとても理解できます。しっかり話を聞いてあげたい気持ちと、病状や治療方法をしっかり時間をかけて話したいという気持ち。やっぱり時間が少ない。このジレンマが「ア~ッ」と声を出したくなることにつながるのだと思います。

 一人で歩いている間は、私にとっていろんなことを考えたり分析したりする時間。そしてそのことが、私にとっていい影響を与えてくれます。
 昔、私の父が、「患者さん一人ひとりをしっかり診察していくことが大切だ。あせることはない。」と言っていたことが思い出されます。上手くいかない患者さんほど、私にいろんなことを教えてくれます。

 さて少し話は戻りますが、歩いているときに昔のことを思い出します。そしていつもその時に浮かんでくる思い出は、いい思い出ではありません。

 私が医師になってからこれまで、助けられなかった患者さんのことばかりが頭に浮かんできます。特に京都に帰ってくる前は、救命救急センターに勤務していました。この時に救命センターに搬送されてきた患者さんのこと、そして救命できなかった患者さんのことがばかりが頭に浮かんできます。救命できた思い出よりも、救命できなかった患者さんのことが強くそして多く脳裏に焼き付けられているのだと思います。

 今、新型コロナウイルスに対して最前線で戦っておられる医師や看護師を含めたすべての医療従事者の方々も同じだと思います。今回の新型コロナウイルスの感染が収束した後も、私と同じように、救命できなかった患者さんのこと、そしてこの時の体験が機会あるごとに脳裏に浮かんでくるのだと思います。そしてそれはきっといつまでも続くのだと思います。そんな医療従事者の方々を、この新型コロナウイルスの感染拡大が収束した後も支えていかなければならないと思います。