渡邉医院

私達が守るものは。

 私たち医療にかかわるものがなぜ戦争のない平和な社会を作るりくみに関わらなければならないのかを少し考えてみたいと思います。

 私たちが、「戦争反対!平和な社会を!」と声を上げたり、政治に対して何かものを言ったりするとき、何か特別なことをしているような印象をもつ方がいます。またそういったことをする人は特別な人たちなのではないかと思う人もいると思います。でも本当にそうでしょうか?自分の感じること、思っていることを素直に声にする。いろんな人たちに聴いてもらうことは極々自然なことだと思います。もっと自分の感じる思いをしっかり声を上げて伝えることは自然な私たちの権利だと思うことが必要だと思います。

 さて、私たち医療にかかわるものの責務は憲法25条を実現させ守ること、社会保障を充実させることです。でも憲法25条だけを単独で実現させることはできません。

 やはり、だれもが健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有するためには、国そのものが平和でなければなりません。そして、個人として尊重され、幸福を求める権利が保障され守られていなければなりません。

こういったことからも、私達医療に係るものは患者さんや国民の健康を守るには平和な国造り、そして憲法を生活に生かす。そういったことを日々の生活のなかで考えていかなればならないのだと思います。

 では憲法25条を実現させる、社会保障を充実させる取り組みをする。なにか漠然としています。では一体私は何を守りたいのか。私は医師です。目の前にいる患者さんの命、健康を守りたい。そして私を支えている診療所のスタッフの生活を守りたい。そして家族を守りたい。

 今、守りたい母はかなり認知症が進んでいます。私のこともどこまでわかっているかはわかりません。でもそんな母が小さな子供を見つめる穏やかな、そして優しい眼差し。そして母が見せる笑顔。たまにこんなに笑うかと思うほどに、顔をクチャクチャにしてまで笑う母。私はそんな母の笑顔が大好きです。そして、その母の笑顔をずっと見ていたい
 でも戦争が出来る国にしていこうとする動き。そして戦争になると、まずは私の母や、障害のある人たち、本来は国が責任を持って守り支えていかなければならない人たちがまず初めに犠牲になってしまいます。そして戦争に向かう社会では必ず優生思想が大きく私たちの前に現れてきます。とても怖い社会です。
 まだまだそんなことにはならないと思っていても、また、時の為政者が「戦争をすることなどない。」、「憲法を変えても戦争するわけではない。」と言っても、戦争はその姿を見せることなく、私たちの心の隙間にスッと入り込んでいつの間にか戦争へと導いてしまいます。ですからどんな些細なことでも戦争へ進む目はみんなの力で摘み取っていかなければなりません。

 私たちの守りたいものはなに。一人一人の思いいがみんなの思いに繋がります。そしてその力で私たちの目指す平和な社会にしていきましょう。