渡邉医院

今も引きずる戦争の負の遺産

 今回は、今もなお戦争の負の遺産を引きずっていることをお話します。

 この20166月の京都新聞の記事は京都府内に旧優生保護法のもとで、89人の方が強制的に不妊手術、優生手術を行われた事実を1面でスクープ報道した記事です。この時点では、他紙や他メディアは後追い報道をしませんでした。でも、同7月に相模原障害者殺傷事件が起こると、その根底に流れる優生思想を感じ取った記者らが、少しづつこの問題に関しての記事を聞き始めました。こういったなか、20181月に優生手術、強制不妊手術をめぐり北海道の被害者が初の提訴に踏み切りました。
 1996年に「母体保護法」へ改められるまで、日本には「優生思想」に基づく「優生保護法」が存在していました。
 旧優生保護法の下で、障害のある人たちをはじめ、たくさんの人たちが強制不妊手術を受けさせられた。この「優生思想」の核心は、「不良な遺伝子」を「残さないため」に、障害のある子どもを「生ませない」という、信じがたい思想が根底に流れています。そしてその歴史をさかのぼると、やはり「戦争」が顔をのぞかせます。
 1940年に国民体力法・国民優生法が成立しました。この法律は、徴兵検査成績の「悪化」を受けて、その成績の向上を目指すための法律です。
 徴兵検査を意識した検査を実施して、将来、徴兵検査で甲乙丙丁の丙丁を生み出しそうな「病類」を早期に焙り出して、その拡大を防ぐもので、体力検査を実施して、国民体力手帳を交付して、鍛錬をさせ、兵士に使えるように仕立て、徴兵検査の合格となる「乙種合格」目指すようにしました。兵士に使うことが出来る国民を作るという法律です。
 この時、徴兵検査での合格が見込めないとされた障害のある人たちへの社会政策として「国民優生法」が誕生したと考えられます。「戦争にとって人的資源たりえる存在にはできるだけその保全、培養のため社会政策を活用するが、はじめから人的資源としてふさわしくないとした人間には、出生そのものを抑制し、国家が直接その出生に介入する仕組みを導入していった。」ということで、戦争に使えない国民は人間としての権利を一切認めないような「国民優生法」が1940年に制定しました。
こういった思想にはナチス・ドイツを範とした「民族優生」があります。
ナチスはユダヤ人虐殺より以前に、約20万人の精神障害者T4作戦といって虐殺しました。
「民族優生」は「逆淘汰と民族毒の影響を排除して民族の変質を阻止し、一方優良健全者の産児を奨励し、以て民族素質の向上と人口の増加を図り、国家永遠の繁栄を期する。というもので、「逆淘汰」とは優生学では、「劣悪者」が人口を占める比率が増加し、「優秀者」の比率が減少し、人口の質が低下することいいます。
戦争が終わったあともこの優生思想は続いていきます。
1945年敗戦後、民族復興策として「優生学」が取り上げられ、
1947年.社会党の衆院議員3人が優生保護法案を国家に提出。
「母体の生命健康を保護し、且つ、不良な子孫の出生を防ぎ、以て文化国家建設に寄与すること。」としています。
1948年.超党派議員提出の優生保護法が国会成立。
当時の「優生政策強化論」は「健全」な子孫をもたらすはずだった多くの若者たちを戦争で失う一方、社会の疲弊や混乱の中で、「不良な子孫」を生み出す危険性に満ちている。といった空気が拡大していきました。

1952年優生保護法が改正され、優生手術対象者に精神病、精神薄弱を追加。1962年.人口資質向上対策に関する決議(厚生省人口問題審議会)
「人口構成において、欠陥者の比率を減らし、優秀者の比率を増やすように配慮すること。」
1972年.人工妊娠中絶の対象から「経済的理由」を削除して、「精神的理由」を加えた胎児の障害を中絶の事由として認める。
しかし、このような流れの中、1995年に優生条項を削除した改正案を出し、優生保護法は母体保護法になりました。この背景には、同時期にらい予防法が廃止されるなど、国際的な批判があったことは少なくないとの指摘があります。
 でもこのように優生保護法は1995年平成7年まで存在していました。戦争の負の遺産がごく最近まであったということです。
 でも、まだまだ優生思想は生き続けています。
 一つは相模原障害者殺傷事件、そしてもう一つは京都市が「終活」パンフレットを事前指示書をつけて不特定多数の市民に配布したことです。このことに対しては京都府保険医協会は京都市「終活」リーフの撤回・回収を求める声明を出しました。声明を出した理由は二点です。

リーフレットといっしょに、配布されている「事前指示書」のような、「人の生死」の選択にかかわる書類を、医師や医療スタッフが介在しないで、配布することに、とても違和感をおぼえたからです。

 病気になったとき、患者さんが自分の治療方針について希望を持ち、それを自分で決定したいと考えることは当たり前のことだと思います。
 でも、それを決めるためには、医療の専門家が寄り添っている必要があります。本当に「終末期」になったとき、治療方針は、医師をはじめ、医療スタッフが専門家として患者さんやご家族に寄り添いながら話し合い、いつでも「変更」が生じることを前提にしながら、考えることが大切なのです。その分、私たち医師の役割や責任は重大だと自覚しています。だからこそ、こうしたことを扱うなら、それ相応の覚悟が必要なはずです。
 そもそも、行政のすべきことは、人が生きる、ということを医療・福祉の制度を通じて、どう支えるか、であるはずです。
 どのように死ぬかを市民に考えてもらうことではないはずです。日ごろから人の生死と向き合って、そのことに責任を持つ医師の団体だからこそ、そのことを自治体に伝えたいと思いました。

  医療費を抑制したい国の方針の下で、終末期医療の問題の「啓発」が何をもたらすか、大変こわいことだと考えています。

  元気な時に、終末期になった時、胃ろうをつけますか? 人工呼吸器をつけますか?と聞かれたなら、おそらくたいていの人が「いらない」「延命治療を望まない」というでしょう。でも実際には、そんな予定通りに、整然と亡くなる人などほとんどいないことは、現場の医療スタッフはよく知っています。
 今、国が終末期医療のことをあれこれ言いだしています。
 医療費の抑制をめざしている国の立場からすれば、終末期医療にお金がかかりすぎているという考えがあるのかもしれません。
 京都市の今回の取組が、意図していなかったとしても、結果的に「延命治療」はしない方がいい、という方向へ誘導されていくことを危惧します。
 そして何より、胃ろうを造って、あるいは人工呼吸器を装着して、生きていらっしゃる難病の方々、障害のある方々が、今回の京都市のリーフレットをどう感じるか、どれだけ心を傷つけられるか、そのことへ配慮をしなかったこと、それはいちばんの過ちだと思うのです。
 京都市には、どのような状況にあっても、生きることを支える。本来の地方自治体の姿を取り戻してほしいと思います。

また最近問題となった、LGBTの人たちへの攻撃です。このように、今でも戦争の負の遺産である優生施行が見え隠れします。優生手術問題を含めた優生思想は私たち医療にかかわるものにとって、しっかりと総括しなければならないと思います。