渡邉医院

59歳になっての思い。

 もうすぐ2月も終わります。やはり毎年同じように、長い1月の後はあっという間の2月でした。
さて、219日で私は59歳になりました。50代最後の1年を迎えます。
 娘には「もうすぐ還暦だね。お爺さんだね。」とからかわれました。私はまだまだ若いつもりです。京都に帰ってきたのは34歳の時、帰ってきてから25年、四半世紀が過ぎました。でも私の気持ちは、京都に帰ってきた時の34歳のままですが・・・
 母の家に行ったとき、ふと若かりし頃、診療所で母と一緒に撮った写真を見つけました。それを見ると、ウーン、やっぱりこの頃は若い!髪の毛も黒々として、今と比べると全然若い!でもまだまだこの頃の気持ちを持って、診療に当たっています。
 京都に帰ってきたころと比べると、自分で言うのも変ですが、かなり私自身かなり進化してきたと思います。その進化は、医療だけでなく社会保障を守る取り組みにも係ることで、医療全体を見ることが出来るようになったというところです。

少し医療制度に関してお話したいと思います。

去年の4月に国保の都道府県化が始まりました。このことで、国が医療制度の構造改革として目指してきた、都道府県が主体となった医療費抑制の枠組みはできました。また、718日に医療法及び医師法の一部を改正する法律案が国会成立しました。国は医師数、病床数が都道府県の医療費水準の差に関連していると考え、医師数や病床数を国が考える適正な数のするよう求めています。病床数に関しては地域医療構想ですでに適正化する仕組みが作られました。そして、この医療法及び医師法の改正が医師数の適正化に向けての枠組みを作るものだと考えています。
このことへの危機感から、今進められている政策が抱えている問題点を指摘して、提言などを作ったり、要請をしたりしてきました。でも国は次から次へと畳み込むように制度改革を進めています。このスピードにすべてのことに対応できていないのが現状です。どうしても力不足を感じざるを得ません。やはりこのスピードで私たちを飲み込んでいく大きな波に対抗するためには、医療や介護を良くしていこうとする、すべての人たちの連携、繋がりが本当に必要とされていると感じています。そして、医療に関しての様々な改悪を阻止するには、どうしても患者さんをはじめとする国民皆さんを私たちの味方につけ、大きな力となってその波をとどめ、押し返していく必要があります。ただ、医療制度改革に関しては、なかなかその内容、中身が難しく、患者さんや国民に分かりにくいことが多いと思います。それでも何か一つでも共感してもらい、そしてその一点でもいいので、そして必ず、みんなが共通するものがあるはずです。その一点を通じて、今の政治を変えていかなければならないと思います。そして、政治を変えなければ、私たちの求める社会保障、そして社会を実現することはできません。

 今、自分を振り返り、今何をしているか?社会保障の充実を求める運動をしている。憲法25条を実現させる運動をしている。でもこのフレーズは、なにか漠然としていて、周りの人たちに訴える力が弱いと感じます。
 
ではなぜ私が社会保障の充実を求め、憲法25条を実現させる運動に取り組もうとしているのか?やはり、それは目の前にいる患者さんを経済的な理由なくお金のことを気にすることなく治療して治していきたい。またそのことで渡邉医院の職員の生活、そして私自身の生活を守っていきたい。この気持ちがあるからだと思います。

 最近は母の認知症はかなり進んできました。段々自分でできることが少なくなってきています。認知症の母とかかわる中で、当初は母を私の世界に引き込もうとしていました。そうすると、「それはダメ、それは違う。」と母の否定ばかりになってしまっていました。考え方を変えて、私が母の世界に入っていくと、母の行動に対して「そうだね。そうしようね。」と肯定的になっていくことに気が付きました。なかなか難しいことだと思います。

 でもそんな認知症が進んでいく母とかかわる中で、母と一緒にコンサートに行ったり、ご飯を食べに行ったり、そんなときに見せる母の笑顔はとても素敵です。また小さな子供を見つめている母の優しさにあふれた笑顔、そんな母の笑顔が私は大好きです。そしていつまでもその笑顔を見ていたい。
 では今の政治で社会で母の笑顔を見続けることが出来るでしょうか。今のままでは見続けることはできません。とことん働ける間は働かせ、優生思想を振りかざして、生産性のないものはバッサリ切り捨てる。共生社会論を振りかざし、「まずは自分たちで何とかしろ。地域で支えあえ。どうしようもなくなったら最低限の保障を国がする。」そんな自己責任を強いる、そんな政治、社会では到底母の笑顔を見続けることはできません。私の母の笑顔を見続けられる社会にしていくこと、このことがすなわち社会保障の充実、憲法25条を実現させることに繋がっていくのだと思います。

最後に母が教えてくれた素敵な言葉を紹介したいと思います。

「一人で見る夢は夢でしかない。でもみんなで見る夢は現実になる。」

私たちの夢、希望は持ち続け、それに向かって進むこと。そして同じ思いを持つ人たち繋がっていくこと、共に進むことが大切だと感じます。

50代最後の1年。さらなる進化を求めて過ごしていきたいと思います。