渡邉医院

終わりよければ全てよし(All’s well that ends well)

 Twitterで、「肛門は小さいところですが、奥は深い」とつぶやきました。本当に精巧にできています。肛門科という標榜科目を掲げて、肛門を診察すればするほど、その奥の深さを知ることになります。

 「終わりよければ全てよし」という諺があります。この意味するところは、「物事の結末が大事であり、過程は問題にならない。」ということです。この「終わりよければ全てよし」はシェイクスピアの戯曲「All’s well that ends well」のタイトルのフレーズでもあります。これにはちょっと引っかかるところはあります。やはり過程も大事かなあとも思います。

 そこで、この意味するところをもう少し調べてみました。

私たちが、「あれは良かった。」、「満足した。」とか、反対に「もう一つだった。」、「物足りない。」と物事を評価する際にどこに基準があるかをわかりやすく示したものがありました。  

物事の良し悪しを判断する基準に、「絶頂(ピーク)」と「結末(エンド)」のこの二つの時点で受ける印象が物事の良し悪しの判断に大きく影響を与え、このことを「ピーク・エンドの法則」と言うそうです。

 「終わりよければ全てよし」ということは、「絶頂(ピーク)」にミスや不運があったとしても、「結末(エンド)」が良ければ、そのことで良いイメージを作ることが可能であるということだそうです。

 肛門の話から、少し脱線してしまいました。どうしてこのような話をしたかというと、食べたものが消化され吸収され、そして便となって出ていく。この最後に便が出ていく肛門の具合が悪いとやはり、「すべてが台無し。」になってしまうと思います。気持ちよくスッキリ最後に便が出る。このことが「終わりよければ全てよし」だと思います。

 せっかく美味しく食事をしたのに次の日の便が出るときに肛門が痛い、出血する、または内痔核が脱出してしまう。「せっかく昨日は美味しく、楽しかったのに。」と気持ちがとても落ち込んでしまいます。そして生活の質も低下してしまいます。それが毎日だと、とても辛いです。
 何も肛門のことを気にすることなく、もっと言うと肛門の存在を忘れるほどに具合よく排便ができる。そういった肛門や排便の調整が必要なんだなあと思います。

 内痔核や痔瘻そして裂肛など、手術をしなければならないことがあります。
 手術をしなければならない状態の肛門はそもそも、精巧な肛門の機能が失われているということです。その場合も精巧にできている肛門の機能をできるだけ損なうことなく手術をして治していかなければならないと思います。
 手術はどうしても傷をつけなければなりません。したがって完全に元の状態には戻すことができないということです。ですから、悪い部分を手術で治す場合、できるだけ元の状態に近づけることが大事になってきます。そのためにも、しっかり肛門の解剖や機能をしっかり学ばなければなりません。