渡邉医院

痔核で悩んだナポレオン。痔核でナポレオンの運命を変えたか?

おしりの病気で悩んでいた歴史上の有名人は多いです。前回は、「太陽王」といわれるルイ14世が痔瘻で悩んでいたこと。痔瘻の手術をしたことを紹介しました。今回は痔核で悩んだナポレオン皇帝について検証します。

 ナポレオン皇帝は1815618日、46才の時にワーテルローの戦いに敗れ、セント・ヘレナ島に流されてその生涯を閉じました。ある「記録」によると、ワーテルローの戦いの23日前から血栓性の痔核で悩んでいたとのことです。この血栓性の痔核は、おそらく血栓性外痔核もしくは内痔核に血栓が詰まって腫れた状態の嵌頓痔核だったのではないかと思います。この血栓性の痔核で悩んでいた、ナポレオン最後の戦いまでの1週間を調べてみました。

 まず血栓性外痔核ですが、これは肛門の外側にある静脈叢にストレスなどが加わり、最後は便秘や下痢などで排便をがんばったときに血栓(血豆)が詰まって、腫れてとても痛い病気です。ただ、この腫れは徐々にひいて、痛みはとれ、血栓は自然に溶けて吸収され必ず治ります。痛みが強い場合や血栓が大きい場合は手術をして血栓を摘出すると直ぐに痛みはとれ楽になります。外痔核なので、押し込むことはできません。

 もう一つは内痔核に血栓が詰まって腫れて、脱出してしまった嵌頓痔核の状態です。以前、内痔核は注射でも治すことができるようになったとお話しましたが、内痔核だけでは、排便時に出血したり、脱出して押し込まなければならないような状態になったりしても痛みはありません。でも、血栓性外痔核ができるのと同じようないろんな条件がそろって、内痔核に血栓が詰まると、とても痛く、押し込むこともできない状態になります。痛みが強いので、直ぐに手術をしたり、消炎鎮痛剤の座薬などを使ってある程度落ち着いてから手術や注射をしたりして治さなければなりません。

 さて、ナポレオンですが「1日に3時間しか寝なかった。」と言われていますが、皇帝であり、軍神という自分の立場に重い責任感を持ち、このストレスのため、夜は遅くまで酒を飲み、脂っこいものを食べて、昼に寝るといった生活を送っていたとのことです。このような生活も血栓性外痔核を引き起したり、内痔核の状態を悪くしたりする誘因になったのでしょう。

 612日ナポレオンはパリから進軍しました。616日にリニーの戦いでナポレオンはプロイセン軍と戦い、死者1万6000の損害を与えたが完全な撃滅にはいたらなかったようです。ナポレオン自身も疲れがでて、直ぐにプロイセン軍を追撃しなかったとのことですが、「記録」が正しければこのころから肛門の状態が悪くなり、強い痛みが出ていたと思います。

 この痛みが影響してかはわかりませんが、ナポレオンは誤った判断をして、翌朝クルーシー元帥に3万の別動隊を与えてプロイセン軍を進撃させました。ナポレオンはイギリス・オランダ連合軍がプロイセン軍と合流する前に倒すために617日の夕方7時に激しい雨の中をモン・サン・シャンの南のブランスノワに向かいました。おそらくナポレオンの肖像画にみられるように、移動は馬だったと思います。激しい雨のなか馬に乗っての移動、肛門の痛みはさらに増していったのではないかと想像します。

618日ワーテルローの戦いの当日、前夜からの雨のため地面はぬかるみ、大砲の動きがとれないと判断したナポレオンは部下の進言を退けて戦闘開始の時間を昼まで延期をしました。このことは、プロイセン軍の援軍を待つイギリス・オランダ連合軍には有利にはたらきました。この頃のナポレオンは気力と判断力に往年の冴がなかったとのことです。

 おそらく、激しい雨の中、馬での移動によって肛門の状態が悪くなり痛みも強くなっていたのでしょう。人間には痛みを感じる時間帯があり、特に夜中から朝方に痛みを感じます。このような様々な要因が重なって、判断力をにぶらせたのではないかと思います。激しい痛みは集中力を奪ってしまいます。

 ナポレオンはこのワーテルローの戦いに敗れて百日天下は終っていきます。

 ナポレオンをおそった肛門の痛みがどんなふうに戦いに影響したのか?もしこんなことにならなかったら歴史はどうなっていたのか?などを想像するのは面白いと思います。でも、このことだけで歴史は変わりません。誰にも変えることのできない大きな歴史の流れがあったのでしょう。

 さて、皇帝ナポレオンの軍団の紋章はスイートバイオレットです。スイートバイオレットは「愛の証」「永遠の愛、思いやり」の象徴です。ナポレオンは王妃ジョセフィヌとの結婚記念日にはこの花束を送っていたようです。ワインにいれたり、香水にしたりしもするようです。鎮静作用もあり、精神的な疲労にも効きます。肛門科的にはスイートバイオレットの葉は便秘に効く緩下剤にもなるようです。